「真実の向こう側」 第12章
アナウンスルームに戻ってくると海堂が電話を掛けているのが見えた。冬夜は自分の席にとりあえず戻ると、腰を下ろし、海堂の方を眺めていた。
「呼びに行かせて悪いな……おもしろいことが分かったからさ……」
電話の受話器を下ろしながら海堂は何か考えているような表情になった。
「おもしろいこと?」
「ま、ちょっと見てみろよ……」
海堂はそう言って冬夜に自分が持っていたファックスを差し出してきた。
「さっき記者クラブの方から届いたんだけどな。放火の件だけど、過去起きた連続放火と今回起きている放火は同一犯だという見解が濃厚だそうだ。それで、過去の放火で出てきた話なんだが……」
冬夜は海堂の言葉を途中までしか聞いていなかった。それよりもファックスに書かれている事に釘付けになっていたからだ。
三年前起こった連続放火は十件続き、杉並で起こった放火を最後に突然終わった。消失した家屋は、延焼を含め約十五棟その中で不幸にも犠牲者が出たのは一件だ。
その犠牲者の家族の名前に冬夜は目が止まっていた。
青柳正信さん一家
青柳といって思い出すのはあの青柳だ。しかもこの放火の話は冬夜がサブキャスターに成り立ての頃に扱っている。
もしかして……
恨んでいるのはこのとき僕が不適切な事を言ったから?
それを青柳くんはずっと根に持っていたとか?
でも……
この犠牲者があの青柳くんの家族とは限らないし……
そう……
そうだよな……
「浅木くん?」
「え、あ、はい……」
「聞いてるか?」
「……済みません。ファックスを読んでいたので……」
動揺を気取られないように冬夜は誤魔化すように言った。
「そうだったな。すまん。それで見てくれて分かると思うんだが、そこにのっている青柳って名前な、ほれ、うちの後番に出てるモデルだよ」
知っている。だがここで冬夜は知っていると言えなかった。
「……え、そうなんですか?」
「正確にはあのモデルの今の本名は上杉って言うらしいんだが、こっちは養子先の名前で、そこにのっかってる青柳というのが元々の名前なんだと。要するにあのモデルだけが生き残って他の家族が火事に巻き込まれて亡くなってるんだ。それにしてもモデルにすると青柳なんて平凡な名前だと思ってたが、一応理由があったって訳だな……」
あごを撫で、遠くを見ながら海堂は唸るように言う。
「……そうなんですか……」
初めて知った事実にどう反応していいのか冬夜には分からない。あまりにも突然に知った事実に頭は混乱したままだ。
「ふざけた野郎だと思ってきたが、奴にも家族があって、しかも未だに本来の名前を使ってるんだと思うと、少し同情するよ……」
海堂は寂しげな瞳をファックスに落とす。
だけど……
僕はそんなことより……
「この時期、僕がサブキャスターになったんですよね。確かこの事件も扱ってたはずなんですけど……」
何か当時のことを海堂が覚えているのではないかと期待しながら冬夜は聞いた。
「そうだったな……ああ、そうだ……」
目線がうろうろとあちこちに彷徨い、冬夜の方にまた戻る。色々過去の記憶を辿っているのだろう。
「まだ新人だったあのころの僕ってどんな感じでしたか?僕は忘れていますけど何か問題のある発言したことありましたっけ?」
ごく普通の話題の様に海堂に問いかける。冬夜自身には思い出せない重大なミスがあったかもしれないから。
「……いや……お前はそんなタイプじゃないからな……」
何故かこの質問に海堂は笑顔をみせた。
「そうなんですか?」
「キャスターって言うのも色々あって、知性的なタイプから、紙に書かれた事しか復唱しないごくごく平凡なタイプとか、攻撃的なタイプとかあるが、浅木くんはどちらかといえば、バランス型だな……」
一人で頷きながら海堂は言った。
「バランス型ですか……」
冬夜には海堂の言う意味がいまいち分からないでいた。
「ああ、意見に偏りがないんだ。良いことだよ……」
「それは嫌な言い方をすると八方美人というやつでしょうか?」
冬夜は自分をそんな風に思ったことはないが、周囲からはそう思われているのだろうか。
「いや……そんな感じでもないな……知性と理性のバランスがいいんだ。自分の気持ちを熱く語るタイプのキャスターはファンも偏るけど、その辺りのバランスが良いから君のファンは結構幅がある」
初めて聞いた。
「……は……はあ……喜んで良いんでしょうか?」
一応褒めてもらえているのだと冬夜はようやく気が付いた。
「いいんじゃないの?」
「じゃあ……僕が人に不快感を与えるような事を言った……なんて記憶はありませんか?」
これが一番冬夜には聞きたいことだったのだ。
「君が?視聴者からそんな意見が来たという話は聞いたことがないな……俺はたまにあるけどさ……」
苦笑しながら海堂は言ったが、本当にたまにしかないのか冬夜には分からない。なぜなら意見が来るというのは良い意味も含まれるから。
それだけ認知度があるということだろう。
「なんかあったら、プロデューサーかディレクターから一言あるだろ。無いって事は何も無いって事だ。それとも何かあったのか?」
急に心配そうな顔を向けられ冬夜は手を左右に振った。
「いえ……」
そうだ……
そうだった。
もし何かあったら上から一言あるはずなのだ。
だったら青柳くんは僕の何を見て恨んでいるのだろう……
分からない……
「あんま気にすんなよ。人の意見とか受け取り方は色々なんだからさあ……気に入らない奴から見たら、紙に書かれた本日のニュースを読み上げる事だって気に入らないんだろうし……。妬みや嫉妬はいつだってあるんだからな。あったとしても気にしないことだ」
冬夜もその意見に頷いて見せたが、心の何処かでまだもやもやとしたものが燻っていた。
「あ、それで資料なんですけど……借りられていて無かったんですよ……」
嘘が通じるかどうか分からなかったが、冬夜は青柳の名前は出さずにそう言った。
「くそ……他の番組の奴らに気付かれたのかもな……どうせ田上さんの番組スタッフが押さえたんだろう……あそこは情報が早いからな……やられたな……」
ちっと舌をならして海堂は不満げだ。事情は違うのだが、とても冬夜には本当のことを話せなかった。
「じゃあ今晩の特集は放火ですか?」
資料はなくても特集は組める。
「まだはっきり決まってないがな……同一連続犯だっていうのは確定じゃないから消防庁からの検証結果連絡待ちだ」
海堂は何事にも手を打つのが早い。
「じゃあ夕方の資料作りを手伝いますね」
感心しながら冬夜は言う。
「頼むよ」
にこやかになった海堂とは逆に冬夜の心には暗雲が立ちこめていた。
昼からの打ち合わせでスタッフ全員がそろったが、やはり話は最近頻発している連続放火の件だった。
「俺は構わないが、はっきりと連続放火だってことが分かれば一番良いんだが……。多少過去の事件と絡めて、ミステリー性を出すとかな……」
プロデューサーである五十嵐さんがいった。
「過去とのつながりはもっとはっきりしないんですけどね。ま、そんなたれ込みもあったと言うことだけで」
やや言葉を選ぶように海堂は答えている。
「誤報だけはよしてくれよ……これ以上胃の痛くなる様な事態はかんべんな……」
神経質そうに額を拭いながらディレクターの溝口は言う。もちろんそれはニュース番組に携わる誰もが一番気を遣うことだ。多少時間の配分ミスがあったとしても、それなら分かった段階でいくらでも修正がきく。が、誤報だけはどうにもならない。下手をすると番組自体が無くなる可能性も時にはある。
「それはもちろん、過去の事件と今起こっている事件を並べて、こんなところが似ているかもしれない……で濁せば何とかなるんじゃないかと思うんですが……。聞くと確かに手口といい、放火に使われる液体燃料の種類なんかそっくりだそうです。完全に肯定しなくてもその辺りは視聴者に判断をしてもらうという方法もあります」
海堂が溝口を説得しようとしているのが冬夜には見て取れた。ニュースのメインを海堂からすると放火の話にしたいのだろう。多分、報道世界の田上を出し抜きたいのだ。
「冬夜ちゃんはどう思ってるんだよ」
いきなり話を五十嵐から振られ、冬夜は顔を上げた。
「え……僕は別にどちらでも……」
放火の話は気乗りがしないのだ。
「海堂、冬夜ちゃんはいやがってるぞ」
はははと笑いながら五十嵐は海堂にからかうように言う。
「違いますよ……」
乾いた口調で冬夜は笑った。
「浅木くん、さっきは乗り気だったじゃないか……俺を裏切るのか?」
恨めしげな瞳を海堂は作り、冬夜に向けてきた。冗談なのは分かっていたが、やはり良い気持ちではない。
「違います……。違いますって……。僕は良いんですけど……ほら、まだはっきりと分かっていないことだし……それを考えてちょっとどうかなあって思っただけで……」
語尾が自信なげにしぼむ。冬夜の気持ちそのままが言葉になったかのようだ。
「そういえば……」
いきなりコラムニストの坂田が口を開いた。
「何でしょう坂田さん」
話題を変えてくれるのならば、苦手な坂田にも冬夜は相づちをうつ。
「いや……その昔の放火の話なんだが……わしの記憶にあるのだとすると、確か……一家族が焼け死んでいたな……と思ってな」
だが冬夜が期待した事にはならない。仕方なしに話の行方を見守ることにした。
「そうです。その連続放火の事件です」
だが冬夜とは違い、この話題をどうしてもニュースにしたい海堂は嬉しそうだ。
「だが一人生き残ったのがいたが……なんて言ったかな……。思いだせんがあのとき放火の犯人にその生き残りが一時期怪しいとかなんとか刑事が走り回っていたような覚えがあるんじゃが……」
冬夜と海堂は坂田の言葉に思わず顔を見合わせた。
「そうなんですか?」
「いや……そんな話しも当時の新聞で読んだ記憶がある。まあすぐにアリバイが立証されて、無実の証明はされたはずだ……」
それについて……
僕は何かコメントをしただろうか?
当時の事を必死に思い出そうとするのだが、放火の事件は日常茶飯事であり、そのニュースだけを思い出すことは冬夜にはとても困難なのだ。だから全く思い出せないでいる。
「その生き残りはうちの局を出入りしてるんですよ」
言わなければいいのに、海堂は得意げにそう言った。すると全員が海堂を注目する中、冬夜だけが肩をすくめた。
「誰だね?それは……」
喉をごくりと鳴らせて溝口は聞いていた。
「ほら、うちの後番に出ているモデルの青柳ですよ」
海堂はさらりと言う。
「あの問題ばかり起こす奴か?青柳を使いたいとか?かんべんしてよ海堂君……」
溝口は胃の辺りを押さえてそう言った。
冬夜はそのとき何故か鈴木が気になり、その方向に視線を向けると鈴木もこちらを見ていたのか一瞬視線が交錯した。まずいと思った瞬間、冬夜が視線を外そうとすると鈴木は口元だけで笑って見せた。
……
これが……
僕の恨まれる理由なんだ……
鈴木の態度はそれを冬夜に分からせた。
何を言ったんだろう……
「もう少し普通の相手ならコメントをとってみたいと思うが……あいつはなあ……問題が多いからな。違うネタで世間を騒がせてる男だし、ちょっと遠慮したいな」
苦笑しながら五十嵐は言ったが、それが本音なのだろう。
「そうですね。もう少しこう、絵になる男なら良かったんですけど……。涙を誘うようなコメントがもらえるとか……あの男じゃあ見た目は絵になりますがコメントとして考えると良い話は望めそうにもありませんね……」
珍しく海堂はため息をついた。
「結局どうされるんですか?時間取るんですか?それとも他のものと差し替えするんですか?」
一人冷静に樋口が言う。タイムキーパーが一番こういうとき、いらいらするのかもしれない。
「う~ん……とりあえず普通のニュースとして出すか……勇み足はいい結果を生まないことが多いからな……」
その言葉に冬夜はホッとした。
「そうしてくれると嬉しいなあ……」
もう一人、同じくホッとしている溝口がいる。
鈴木君はどう思ってるんだろう……
冬夜はそっと鈴木の様子を窺いたいとは思ったが、もう一度鈴木の方を向く勇気はなかった。
「青柳さんのことなら冬夜先輩が仲良いんじゃないんですか?」
いきなり久保田が言ったことで冬夜は心臓が跳ね上がるような気がした。
「おい、そうだったのか?」
訝しげなな顔で海堂が冬夜の肩をつついた。
「いえ……ちょっと言葉を交わしたくらいで……。仲がいいわけじゃないですよ」
否定しながら冬夜は苦笑いをしてみせる。仲がいいと冗談でも思われたくないのだ。
「あ、そういえば今朝資料室に二人でいたじゃない~なあに話してたのよ~」
うわあああ……
ちょっと待って……
「あれは僕が放火の資料を探しているときに、偶然声を掛けられただけですよ……」
冷や汗が出そうな状態に冬夜は益々居所を無くしていた。
「冬夜ちゃん。彼バイだよ。気を付けないと……狙われてるんじゃないのか?」
冗談で言う五十嵐だったが、冬夜自身は笑えない。すでに一緒に暮らしているのだから作り笑いも苦しい。それでも否定するところは否定しておかないとと言う気持ちで冬夜は一杯だった。
「それ、海堂さんからも言われましたよ……。僕にそんな趣味あるわけないじゃないですか……」
ここで鈴木からの爆弾発言でもあったらどうしようかと思ったけれど、幸いなことに何も言ってこなかった。
「だってなあ……浅木くんってなんかこう、その方面にそそる顔してるからなあ。ねえ五十嵐さん」
意味ありげに海堂が五十嵐さんに目配せしながら言うのだが、本当に冬夜は笑えない。
「だから……どうするんですか?早く決めてください」
いつもはタイムキーパーの樋口の言葉にげんなりする冬夜であったが、今日ほど嬉しいと思ったことはなかった。
結局その日のニュースは以前話題に上った癒しの特集に終わり、放火の件は明日へ持ち越しとなった。明日にはなにか目新しい情報が入るのではないかと言うことだったのだ。
とにかくもう少し事実関係が分からないことには……と、いうのが全員の一致であり、一番ホッとしていたのは冬夜以外で言うとディレクターの溝口だろう。
何事もなくて良かった……
仕事のミスもなし……
いつも通りにこなせた自分にホッと安堵のため息が漏れる。
「明日は放火だぞ!」
席を立ち帰ろうとする冬夜に海堂が意気込んだ口調で声を掛けてきた。
「はは……そうですね。また明日……」
この話題から逃げたくてしかたのない冬夜はそそくさとアナウンスルームの扉を開けて廊下に出た。
「浅木さん」
帰ろうと廊下を歩きだした僕に鈴木が声を掛けてきた。
「やあ……鈴木くんも帰るのか?」
人目がある局内の廊下では、いくらなんでも無茶は言わないだろうと冬夜はいつも通りの言葉を掛けた。
「俺……彼女出来たんですよ」
だから?
それがどうしたんだ?
「よかったな」
「浅木さんもそろそろ見つけた方が良いですよ」
意味ありげに言う。
「……そうだね……じゃあまた明日な」
冬夜はそれだけを言うと鈴木からも逃げるように局を出た。
「冷えるな……」
もうすぐ四月になるのに今夜は寒い。
空を見上げると真っ黒な雲が空を覆っていた。
明日は降るかもしれないなあ……
今にも降りそうな程雲はあるべきはずの夜空を隠し、天を低くしていた。その圧迫感に耐えられなくなった冬夜は俯きながら歩き出した。
うちに戻るとやはりというか当然のごとく青柳が居座っていた。その行動にも理解が出来ないでいる。
冬夜が覚えていない過去の一言に傷ついたのなら謝ろうと思う。
恨んでいるならそれも仕方ないだろう。
許せないのかもしれないけれど、思い出せないのだ。
だが青柳は何も言わない。
責めることも……
八つ当たりすることもない。
「なあ……」
珍しく青柳が心配そうな表情を冬夜に向けた。
「……なに?」
気のない風に言葉を返し、冬夜は青柳から視線を逸らせた。
「昼間……なんか随分顔色無かったけどさあ、体調悪いのか?」
冬夜はその言葉に絶句していた。
何故僕を心配できるのだろう……
それとも僕をからかっているのだろうか?
「……仕事でなんかミスったとか?」
今度は笑う。昼間見せた営業用の笑いとは明らかに違う親しげな笑みだ。
「……いや……別に……」
「まあ……あんた俺と違って真面目だからな……。疲れたらさっさと寝ることだ」
「そうだね……そうするよ……」
冬夜は青柳にそういい、簡単にシャワーだけを浴びると寝室のベッドに倒れ込んだ。
分からない……
青柳くんは一体どうしたいんだ?
彼は何を企んでいるんだろう……
ベッドの中で冬夜が考え込んでいると、青柳が寝室に入ってくる音が聞こえた。次にベッドが軋む音が聞こえ、彼がベッドに上ったことを冬夜に知らせる。
「ん~あんた疲れてるからな……」
毛布の中に潜り込んでいる冬夜の背中から青柳は自分の身体を押しつけてきた。そうして回された手は冬夜の胸元で組まれる。
冬夜はひたすら寝たふりを続けた。やる気などこれっぽっちも起こらない。本当なら押しのけて問いただしたい気分だったから。
僕の一体何が君を傷つけたんだ?
のど元までその言葉が出るのだが、口から出ることはない。
多分……
怖いのだ。
自分が無意識に人を傷つけてしまったことに対峙することができない。
「……」
「よしよし……」
青柳は組んでいた手を解くと、冬夜の頭にふれさせると髪を撫で上げた。それは小さな子供をあやすような仕草だ。
「大人だって辛いときあるよなあ……」
想像も付かなかった行為を青柳はする。冬夜は動揺を隠せなかった。こんな青柳に冬夜は何を言えばいいのだ。
触れさする手は冬夜の髪を梳き、頭を柔らかく撫でる。するととても心地よい気分と、何故という疑問が冬夜の心の中で渦を巻きはじめた。
「寝ちゃったか……お休み……」
暫くすると撫でていた手をまた冬夜の胸元で組み直し、青柳は冬夜の背に身体をぴたりと触れさせたまま眠りについた。