Angel Sugar

「誘う―IZANAU―」 第19章

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 岡林賢……
 確か、苛めに関わった一人だった。
 この少年が?
 尚貴は戸口に立つ少年を上から下まで眺めてみたが、ごく普通のその辺にいる少年にしか思えなかった。
 大きめのシャツに、ハーフパンツをはいているが、裾から見える腕や手は、鳥の羽毛を取り除いたあとに見られるような、痩せ方をしていた。
 目はどんよりと曇っていて、薄い皮膚の下からうっすらとクマが浮いていて、この年齢に見られるであろう若さが無く、尚貴には賢が子供の顔をした大人のようにも見えた。
「あの……。何ですか?僕の顔に何か付いているんですか?」
 困惑ではない、おどおどとした表情を俯かせながらも賢は目だけを尚貴に向けた。
「あ、ごめん。なんでもないよ。何か用でもあるのかな?」
「座って良いですか?」
 パイプ椅子を指さして賢が言う。
「先に勧めるべきだったね。ごめんね」
 慌てて尚貴は立ち上がり、パイプ椅子を掴んで賢の立つ前に置く。そっと置いたつもりであったはずが、いやに大きな音を立ててパイプ椅子は床に足をつけた。
「あちゃ。驚かしちゃったかな……どうぞ、座っていいよ」
 別に慌てる必要など無いのに、突然訪ねてきた賢に尚貴は驚きを隠せなかったのだ。
「いえ……」
 賢は小さな身体を折り曲げるようにして椅子に腰を掛けた。
「そうだ。お茶でも入れようか?」
 尚貴の言葉に賢は顔を左右に振った。必要ないのだろう。
 何か相談事でもあって来たのだと思った尚貴は、自分も今まで座っていた椅子に腰を掛けて賢の方へと身体を回した。
 同時に年代物の椅子はギイという音をたてる。
「……」
 何かを問いかけるように薄く開いた口をいったんは見せたものの、賢はまた俯いて黙り込んでしまった。向かい合わせに座っている分、もしかすると尚貴の姿に威圧感があって言い出しにくいのかもしれない。
「……何でも聞くよ。何かあったのかい?」
 怖がらせないよう、尚貴は自分が出来る声色の中でも一番優しい口調でそう言った。
「……あの……」
「良いよ。何でも聞いてあげるから……。これでも俺、頼りになるんだぞ。俺はお巡りさんだから、悪い奴がいるなら捕まえてやるさ」
 と、尚貴は自分では気の利いた言葉を言ったつもりであったが、賢の方は逆に身体を前屈みにしたまま、まるで動かなくなった。
 悪い奴……
 その言葉が悪かったのかもしれない。
「……上手く言えないな。止めようかこんな言い方は。君がここに自分から来たってことは、俺に何か話したいことがあったからだよね?もしかして、不思議なものを見たとか?変な男の姿が見えるとか、そういうことかな?」
 あの青年は苛めに荷担した子供達の前に姿を現しているのだ。となれば、賢も例外ではないだろう。
 見たのだろうか?
 それとも、死の世界に誘われたのか。
「……信じてもらえるかどうか分からないんですけど……僕、裕喜を見たんだ」
 ぽつりと言い、また窺うような視線を尚貴に向けてきた。
「……そう」
「信じてない顔してる……。分かってたよ。誰も信じてくれないって。だから誰にも話せないと思った。でも、裕喜を見つけたお巡りさんなら分かってくれるんじゃないかって……僕は思ったんだけど……。違ったみたいだね」
 淡々と話す賢の口調は平坦だった。
「……分かるよ。多分、誰よりも俺は理解できると思う」
 やや、賢から視線を逸らせて尚貴は言った。
「本当に?」
 言葉は小さかったが、何かにすがりたいという瞳がじっとこちらを見据えている。
 賢がどういった体験をしたのか、尚貴にも分からなかったが、人間が目の前で粉々にシェイクされていく様を見た今では何だって信じられるに違いない。
 現実か、それとも夢なのか。
 どちらとも判断がつかない体験であったとしても、眼裏に焼き付いている情景は白昼であっても鮮明に尚貴を狂気の体験の記憶へと導く。
「何かあった?」
「……自分の部屋にいたんだ。そうしたら……裕喜の手が床から出てきて……僕の……太股を掴んだ。ううん。僕の中に入ろうとしたんだと思う。本当なんだ。本当に裕喜だった。怖くて……僕は裕喜の頭を殴ったけど、血まみれになっても笑ってた。気が付いたらもう裕喜も、手も無くなってた。床も別におかしいところなんて無かったんだ。夢かもしれないけど……裕喜はいたんだ。……お巡りさん。裕喜は死んだんだよね?自殺したんだろう?生きてるわけ無いんだよね?」
 一気にそこまで話し、賢はまた口を閉ざして俯いた。
「亡くなったんだ。自殺だよ」
「……僕の所為なのは分かってる」
 賢は自分の膝に置いた手を眺めて、何故か歯を食いしばりながらそう言った。
「ああ。そうだね。君達は人としてやってはならないことをしたんだ。それについてはちゃんと反省して、後悔してるね?」
 見上げて、俯く。
 一応は頷いているのだろうか。
 尚貴にはこの少年が本当に後悔しているのかまでは分からなかったが、酷く怯えているのだけは感じられた。
 昔は尚貴もこうだったのだろうか。
 大人から見て、自分は理解されなかった?
 確かにあった、賢と同じ年代の時、尚貴は何を感じ、どんな未来を描いていたのかを思い出せないでいる。同じくして、子供達が何を思い、日々暮らしているのか全く分からない。
 それが大人になった証なのだろうか。
「信じるよ。君は裕喜君を見た。俺は信じる」
 膨らんだ疑問など感じさせないように、力を込めて尚貴は言い、賢の肩をそろりと撫でた。触れている指先から痩せた腕の感触が伝わるほど、賢は細い。
 運動などやったことがないのだろう
 いつも机に向かって勉強しているか、テレビゲームでもしているのだ。だからこんな貧弱な体つきをしている。
 進学校に通わせる両親なのだから、運動することより机に向かってくれていた方がありがたいと考えているに違いない。だから異議など唱えない。
 結果、こんな体つきの子供が増える。
 もしくは不健康に太っているか。
 尚貴は伝わる骨の細さに、目を伏せた。
「……僕はあいつを苛めてた。仕方なかったんだ……。みんなやってることなのに、どうして僕だけがこんな目にあうんだよ。変だよ……おかしいよ。お巡りさんだってそう思うだろ?苛めてる人間が憎いなら、学校じゅうのみんなを恨めばいいじゃないか」
 結局分かっていない。
 どれだけ相手が傷つき、果ては自殺することしか選択できなかった事の意味を賢には理解できないだけ。
 本来素直なはずの心が何処で歪んでしまったのだろう。
 とはいえ、大半の子供がこう考えているに違いない。
 みんなやってる。
 だから自分も同じようにしている。
 それの何処が悪いのだ。
 多分、心の何処かでは不味いなあとは感じているのだろうが、してはならないというところまで考えが及ばない。全体がそういう雰囲気の中、一人逆らうことなど出来ないのかしれない。
 ある意味可哀想なのだろうか。
 同情することでしか、理解してやれないのか。
 尚貴にはどう返事して良いのか分からなかった。
「……」
「言い過ぎたよね。違うんだ……。僕、裕喜に謝りたいんだ。それで許してもらえるかどうか分からないけど……」
 またこちらの顔色を窺っている。
 どうしてこう、相手の顔色ばかり窺っているのだろう。
 賢は相手の表情を見て、自分の言ったことが適切なのか、そうではないのか判断しているようだ。そして不適切だったと判断すると、言葉をかえて同意を得ようとするのかもしれない。
 子供らしくない……
 確かに尚貴はそう思うが、十六歳ともなれば、大人に片足を突っ込んだような年齢だ。こうなると、本音など出てこないに違いない。いや、本音など聞かされたら、尚貴はあっけにとられてしまうような気がした。
「謝るのは良いことだと思うよ……」
「それで……色々考えたんだけど……墓に参りに行こうと思ったんだ。だけど……一人じゃとても怖くて。両親についてきてもらう訳にもいかないし……だから……その。お巡りさんに一緒に来てもらいたいんだ」
「……構わないけど……」
 気乗りはしなかったが、尚貴は言った。
 本当なら断りたかったのだが、仕方ない。ここで放り出すわけにはいかないだろう。ただ少しだけ賢といるのが息苦しいだけだ。まだ彰のようにはっきり言いきるようなタイプなら良かったのだろうが、賢は違った。
 おどおどしながらも、頭の中では自分の立場や、言動を計算している。それに気が付いたから尚貴の気持ちは重かった。
「ありがとう。良かった。お巡りさんに断られたら僕、どうしようかとそればっかり考えていたんだ」
 ようやく賢は、ホッとしたような表情を見せた。
「……でも、ここを無人には出来ないから、もう一人いるお巡りさんが帰ってくるまで待ってもらえるかな?」
 賢は何度か頷いて、そのまま視線を戸口に向け、呟くように言う。
「……墓参りして、許してくれるかな……」
「君の気持ちが伝わるのなら、きっと許してくれると思う」
 とはいえ、尚貴にはこれで終わるようには思えなかった。次の犠牲者が賢なのだろうという確信に近い気持ちが心に根を下ろしていたのだ。
 賢が体験したこと。
 それは順番が回ってきたことに他ならない。それを止めることなど尚貴に出来るのだろうかという不安がある。
 どうにかしてやりたい。
 くい止めることが出来るのなら、なんとかしたい。しかし、突然やってくる自然の猛威と同じように、人間が逆らうことなどできない、何か大きな力が働いている。
 原因は何か。
 裕喜があの青年を呼んだのだろうか。
 死よりも苦しい体験に、決して許すことが出来ず、身体は灰となっても強烈な恨みだけがまだ現実の世界に留まっているのだろうか。
「おや。お客さんかい?」
 帰ってきた田所が、賢の方を見て驚いていた。
「あの、おやじさん。俺、ちょっと彼と用事で出かけてきます。あ、すぐ戻ってきますから、良いですか?」
 墓参りに行くとは言えなかった。
「そりゃあ、構わんが……」
 自転車のキーを机に置いて、田所は怪訝な表情を向ける。何かあったのか?目線はそんんな問いを向けていて、尚貴は賢に分からないように頷いた。
「じゃあ、行こうか」
 田所の方をチラチラ見ていた賢の肩を叩いて、尚貴は立ち上がり、今田所が置いた自転車のキーを手に取った。
 戸口に立ち、表に出たのはいいが、一陣の風が吹き抜けて道路の埃が舞い上がる。それは低空で円を描き、やがて空中で飛散した。



 墓地は町はずれにあり、地方自治体が管理する公営霊園だ。
 当然、入り口は簡素であったが、小さなお地蔵さんが数体立てられていた。
 左手に管理人の住む平屋の家が、右手に線香などが売られている、見ようによっては祠のような建物が、戸口を開けたまま建っていた。
 尚貴は、左右に建つ建物の間にある広い通路の片端に自転車を止めて、後ろに乗っていた賢を下ろして歩き出した。
 先に管理人室に寄り、裕喜の墓の場所を聞く。それが済むと今度は小さな建物で売られている線香と仏壇花を購入し、建物の側面に設置されているバケツを手にとって水を張った。
 日は既に傾き、オレンジ色に染まった空は、薄紫の雲まで赤く染める。何処か日常とかけ離れた静かな場所で、二人は準備を済ませると目的の墓に向かった。
 日中はどうか分からないが、ここは人気がなく、ひしめき合って建つ墓地の谷間を歩くのは尚貴と賢だけだった。
 喧噪とは無縁のこの場所は、真夜中過ぎには、既にこの世にはいない人達の密やかな話し声が聞こえるのかもしれない。
 そう思わせるほど、静かであるのに、何かの気配があちこちからする。
 尚貴は墓地が嫌いだった。
 幽霊などいないことは理解しているのに、首の後ろにある産毛がピリピリとした刺激で逆立つような感覚が時折走ることがあったから。
 お盆や正月。
 両親達に連れられて、今は無き祖父母の墓に参るのだけれど、そのたびに何か理由を付けて行かずに済む方法を考えていたものだった。
 それらは全て自分が感じる何かに、怯えがあったからだ。
 死者は語らない。
 理屈ではそうだ。
 だが理屈だけでは到底理解できない体験をした今では、例え墓から肉体も無いはずなのに、誰かが這い出てきたとしても驚かないだろう。
「あれかな……」
 賢が突然そう言って、目的の墓に走り出した。後を尚貴が追う。
 墓は段差が付けられていて、間を背の低い常緑樹が植えられていた。手入れが行き届き、枯れて落ちた葉は少ない。
 段差を上がると、コの字形に立てられた墓が二人を威圧するように建っていて、置くの真ん中にある御影石が一番大きく、左右にあるのは背の低いタイプのものだった。
 裕喜の先祖に当たる人達の墓なのだろう。
 問題の裕喜の墓は左に建てられていた。
 御影石は他のものと比べて真新しい。花も毎日代えられているのか、全く枯れた様子がなかった。周囲には、多分裕喜が好きだったのであろう、果物や、お菓子が所狭しと置かれていた。
「線香立てたらいいのかな?」
「え、あ、先に火を付けた方がいいね」
 尚貴は持っていたライターで緑色の先端を炙り、火を付けて手で払う。すると幾筋もの煙が空中に漂った。
「花……どうしよう」
 置くところが無いほど、花が置かれているのだ。当然、ご両親がこれらを置いたのだろうから、尚貴達が脇にどけることなど出来ないだろう。
「そっと脇に置くだけで良いと思うよ」
 尚貴の言葉に賢はそろそろと花を置いた。
「……水、かけたほうが良いの?」
「それは俺がするから、先に手を合わせて、賢君が思うようにように裕喜くんに伝えたいことを話してみたら良い。もちろん、声は出さなくていいから」
 尚貴が言うと、賢は墓の前で膝を折ると、手を合わせて俯いた。その背後から尚貴は手桶に酌んだ水を掛けようとしたのだが、どこからともなく小さな笑い声が聞こえ、顔を上げる。
 な……?
 墓石の上に以前己の身体を裂いて亡くなったはずの少女が座って微笑んでいた。
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