Angel Sugar

「黄昏感懐」 第5章

前頁タイトル次頁
 温くなったコーヒーのお代わりを頼み、如月は脚を組んで祐馬を待った。何も知らないのは祐馬だけなのだ。如月が戸浪の過去の男だと知ったらどんな顔をするのだろうか。そんなことを如月は考え、目と目の間を揉んだ。
 そうして携帯を切り、三十分ほどすると祐馬の声が響いた。
「如月さんっ!」
 祐馬は嬉しそうな顔でこちらに走ってきた。ジーパンの上にシャツ一枚というラフな格好でまだ大学生だと言っても違和感がない。また無邪気な笑みはこちらを信頼しきった顔だ。その顔は戸浪と如月の事を知った顔ではなかった。
 では何の話しであろうか?
 まあ……いずればれるんだろうが……
「ああ、祐馬。話ってなんだ?」
「あのさ……」
 そう言った祐馬の口調はやや言いにくそうだった。
「ま、そこに座ると良い。コーヒーでも飲むか?」
 そう言って如月は持っていた新聞を畳んで脇に置いた。
「あ、いいよ。俺すぐに帰るから」
 言いながら祐馬は如月の前のソファーに座った。
「そうか、で、話ってどうした?」
「昨日俺……送ってもらったのは感謝してる。たださ、俺ベロベロに酔っぱらって知らなかったんだけど、俺と同居してる人になんかくだらないこと言った?」
 まあ……
 普通はそう考えるか……
「ああ、戸浪ちゃんね……」
 クスクスと笑って如月は言った。
「それは俺だけが言っていいの。如月さんは駄目だ。彼、澤村って言うんだ。そんなのはどうでもいいんだけど、男同士でつき合うなとか言ったんじゃないの?もう、戸浪ちゃんすげえ気にしてるんだからな」
 元々戸浪は色々思い悩むタイプだ。どうせ今も悩んでいるのだろう。祐馬は自分の近くにどれだけ大きな地雷が埋まっているのか、これっぽっちも気付いていない。
 如月はそんなことを考えながら祐馬を見てクスリと笑った。 
「確かにちょっとそんな風に言ったかな……でもほら、やはりこれはちゃんと言っておかないといけないだろう?可愛い祐馬の為にね……」
「それはありがた迷惑だっての。あいつ気にしだしたら、人間の生活忘れるようなタイプなんだから余計なこと言うなよ」
 戸浪にそんなところがあっただろうか?
「そうか、そんなに気にしているのか?」
 気にすると言うことは期待しても良いのだろうか?
 私と祐馬、どちらを選んで良いか分からず悩んでいるのか?
「そうだよ。本当は今日出勤だったのに、何かもうすげえ落ち込んじゃって……会社休んじゃったんだから……」
 祐馬はそう言って小さく溜息をついた。
「悪いことをしたね……」
 如月は出来るだけ申し訳なさそうにそう言った。
「もう二度と言わないでやってよ。例えば姉さんがごちゃごちゃ言ってきたら俺に言ってくれたらいいから、あいつには言わないでくれる?」
「そうだな……」
 チラと視線を逸らせて如月は言った。
「分かってくれたらそれで良いよ」
 言って祐馬は立ち上がった。
「祐馬……帰るのか?」
 ここで帰られると如月は困るのだ。どうにかしてもう一度あのマンションに行く理由が必要なのだ。
「買い物して帰らないと……ここに来るの言ってないしさ」
「なんだかお前主婦みたいだな……」
 ククッと笑って如月は言った。
「五月蠅いよ。あ、そだ、ここのホテルのプリンって美味いかな?」
「は?なんだそれは……」
「いや……あいつが食べたいって言ってたからさ。こういうとこのって美味そうじゃんか。だから買って帰ろうと思って……」
 と言って祐馬はキョロキョロ見回していた。
 戸浪はプリンなど好きだったか?
 そんな日常のことも如月は思い出せなかった。それだけ一緒に暮らした日から年月が経ったのだろう。
「じゃあ俺帰るわ」
「祐馬……買い物につき合ってやろうか?献立は決まっていないのだろう?」
 普通ここまで言えばうちに誘ってくれるだろう?
 そんな期待を込めて如月は言った。
「ええ~いいよ」
「そうだな、特選の牛肉でもフグでも何でも私が買ってやるが……」
 ニコニコと如月はそう言った。
「……うう~俺の甲斐性じゃ買えない物ばっかり考えてるだろ……」
「まあ、彼に謝りたいのもあってね。気に障ったのなら、何か買って許して貰うのが一番だろう?お前の大事な人ならやっぱり私も好かれたいからね」
 お前よりも好かれたいんだよ……
「……全くもう……如月さんはすぐそれだから……」
 と言いながら祐馬は何かを考えている。暫くすると又口を開いた。
「んじゃさ、一緒に昼飯食う?金出してくれるの如月さんだし……」
 それを待っていたんだよ祐馬。
 お前は本当に良い子だ……
「そうか、そう言ってくれるのを待っていたんだ。もう外食は飽き飽きしていたからな」
 嬉しそうに如月はそう言った。
 それから祐馬の買い物に付き合い、如月が精算をほとんどした。その事で祐馬が最初持っていた警戒心は帰る頃には欠片も無くなっていた。
 買い物が終わると、如月は自分の車を出し祐馬と共に、マンションへと向かった。
「あ、適当にスリッパはいてくれていいよ」
 祐馬は玄関に入り買った荷物を置くと自分の靴を脱ぎそう言った。
「ああ、そうさせて貰う」
 ニッコリ笑って如月は言った。
「あ、戸浪ちゃん、大丈夫なの?」
 祐馬がそう言う向こう側に戸浪が立っていた。こちらを認めて顔色が変わったのを如月は見逃さなかった。
 それほど私の顔を見るのが嫌なのか?
 なあ……戸浪……
 そう聞きただしたいのだが、祐馬がいることでそれも出来ず、ただじっと戸浪の顔を見つめていた。
「……あ、ああ……それで……どうして如月さんが」
 チラチラとこちらを伺いながら戸浪は祐馬にそう言った。
 如月さん……ね……
 その戸浪のいかにもという、他人の振りが如月には気にくわなかった。
「うん。なんか昨日戸浪ちゃんに色々言ったんだろ?戸浪ちゃんの様子が変だから多分そうだと思って、俺如月さんに怒ってやったら、ちゃんと謝ってくれたよ。戸浪ちゃんも、もう気にしなくて良いから、で、誤解も解けたところで、如月さんがお詫びにって色々食材買ってくれたから、折角だし一緒にお昼でも食べようって事になったんだ」
 何も知らない祐馬はそう言って笑った。
 そう私じゃない。祐馬が誘ってくれたんだ。
 また視線をこちらに向けてくる戸浪に如月は笑みを浮かべた。だが直ぐに戸浪は視線を外した。
「そうか……」
「俺、準備するから……あ、戸浪ちゃん足のばせる方がいいよな。んじゃ、リビングの机でお昼にしようか……そっちで座っててくれたらいいよ。ごめん如月さん、荷物だけ一緒にキッチンに運んで貰ってもいい?」
 足?
 足が悪いのか?
 もしかして昔壊した膝が又痛み出しているのだろうか……
「ああいいよ」
 とりあえず如月は荷物を持つと、祐馬の後についてキッチンへと入った。だが戸浪が付いてくる気配はなかった。
「後、俺準備するよ。リビングの方で戸浪ちゃんと待っていてくれる?んでも、説教なんかもう絶対しないでよ」
「分かってるよ」
 如月はそう言って廊下に出ると、戸浪は玄関でまだ茫然と立っていた。その側に近づくと、戸浪は今気が付いたかのように顔を上げ、後ずさりした。
「ほら、昼食を一緒に食べるんだろう?さっさとこっちに来るんだな……」
「お前は……何を企んでるんだ……」
 祐馬に聞こえないように配慮したのか、戸浪は小声でそう言った。
「何も企んでない。祐馬から誘ってきたんだ。私じゃないさ」
 そう言って笑いかけても戸浪は不審を如月に向けたまま信用しなかった。
「……お前が……そうし向けたんだろう」
 ギリッと睨んで戸浪はそう言った。
「そんな顔もお前は可愛い」
 可愛くて仕方ない。
 抱きしめて、愛してやりたい……。
 そんなことを考え、如月が戸浪の頬を撫でようと手を伸ばすと、戸浪によって払われた。
「なにをっ……」
 まるで追いつめられた動物のような、その警戒心むき出しの戸浪に如月は酷く打ちのめされた。そこまで如月のことを過去のものにしたいのだ。確かにあった二人の関係を、何も無かった事にしたいのだ。
 それはあまりにも酷い話しじゃないのか?
 戸浪が今の生活を壊されたくないからと言って、まだ何も祐馬に話してもいないこちらに対し、そこまで毛嫌いするのは余りにも理不尽であると如月は感じた。
「何?何やってんの?」
 祐馬がそう言ってキッチンから顔を出した。
「いや、昨日のことを直接謝っていたんだ。ちゃんとお許しは貰ったよ。今度からいつでも来てくださいって言ってくれたよ」
 如月はサラリとそう言った。
「そっか~んじゃ外食ばっか嫌だったら、日本に居る間俺んちに食べに来てくれてもいいよ」
 祐馬はニッコリ笑ってそう言った。
 何も知らないからだ。
「でもさ、もそろそろ準備できるからさっさとこっちに来て座ってよ」
 言って祐馬は顔を引っ込めた。
「ああ、すぐ行く」
「……っ」
 半分泣き出しそうな表情の戸浪を如月は見たくなかった。戸浪が必死に隠そうとしているのが分かる。祐馬にばれたくないと本気で思っているのだ。
「そんな顔してないで、行くぞ。ばれたくなければ何時も通りにするんだな」
 如月はそれだけ言うと、戸浪のその表情を見ることができずに先にリビングへと向かった。
 
 リビングに入ると既に机の上にホットプレートが置かれて、皿と箸も置かれていた。
「祐馬……私は何処に座ると良いんだ?」
「こっちに座ってくれる。座布団は適当に敷いてくれたらいいから」
 嬉しそうに祐馬はそう言って、肉を袋から取りだし、油を引いたプレートの上に何枚か乗せた。
「すんげー良い肉買ってくれたんだよ。戸浪ちゃんも一杯食べて体力付けなきゃな」
 祐馬がそういう言葉に戸浪はただ頷いて座った。その机向こうにいる戸浪を見ながら如月も座る。
 だが戸浪はこちらを一切見ない。だが余程如月が気になるのか、ホットプレート上にある野菜を箸でつついているだけで口には運ばなかった。
「戸浪ちゃんしっかり食べなきゃ……」
 そんな挙動不審な戸浪に祐馬は心配そうに言った。それに対して戸浪は絞り出すように「そうだな」と返し、相変わらず野菜をつついていた。
 私が買った肉など食べたくないのか……
 戸浪の行動に如月はそう思った。
 いつの間にこれだけ距離が開いてしまったのだろうか?
 毎夜抱き合って眠った日々は如月にとってまだ忘れることの出来ない思い出であった。だが戸浪はそれすら何も無かったことにしたいのだ。
 その事が分かると如月はムッとした。
 自分だけが綺麗な思い出として持っていた事が何だか無性に腹が立ったのだ。
 二人で過ごした日を思い出せば……
 抱き合ったことを思い出せば……
 お前にも誰が必要か分かるんじゃないのか?
 如月はそう思うと思わず、机下に伸ばされている戸浪の足に自分の足を絡めた。その瞬間、戸浪が箸に掴んでいた野菜が落ちた。
 次に驚いた顔でこちらお見る。そんな戸浪に如月は笑みを浮かべた。
 逃げをうつ戸浪の足を執拗に追いかけ、撫で上げた。戸浪の顔色がどんどん蒼白になってくる。
「……っ……」
 キッとこちらを睨んでくる戸浪に如月は相変わらず笑顔を向けた。
 そんなに気に入らないのか?
 散々抱き合ったくせに……
「御茶入れてくるね」
 何も知らない祐馬はそう言って急須を持って立ち上がった。
「祐馬、私がっ……」
 そう言って立ち上がろうとする祐馬を戸浪が止めた。
「いいよ。足悪いんだから、無理しなくて良いって」
 立ち上がろうとする戸浪を制して、祐馬はキッチンへ向かった。
「……止せ……」
 戸浪は小声で如月に言った。
「何が?」
 如月は何事も無いようにそう言った。
「私に……触るな……」
 必死に睨み付けて戸浪が言うのだが、その表情すら如月には愛しかった。
「こんな風にか?」
 と、言って如月は足先で戸浪の股下の一番敏感な部分を撫でた。その刺激で戸浪は両足の膝を机の裏で打ち付けた。
 ガツッ!
「ひっ……」
 小さく戸浪はそう叫ぶと、次に足を引きずって机から離れた。そんな戸浪に如月が近寄った。
「どうしたんだ?澤村さん……」
 あくまで他人の振りをして如月が言うと、戸浪は相変わらずこちらから距離を置くように這って逃げようとした。
「そう言えば膝が痛いらしいな」
 如月はそんな戸浪の太股に手を掛けて、逃げようとする戸浪を捕まえた。
「触るなっ……いっ」 
 戸浪がそう言うと、如月は掴んでいる膝に力を入れた。
「何やってんの!」
 戻ってきた祐馬が二人の姿を見て驚いてそう言った。
「ああ、足が痛いと言ってね。横にさせたほうが良いと思って寝室に連れて行こうとしていたんだ」
 何事もなかったように如月はそう言った。
「え、そんなん、俺がするから如月さんはいいよ」
 如月が言ったことで、祐馬はムッとしたのか、戸浪の横にいた如月を押しのけ、戸浪を抱き起こそうとした。戸浪はそんな祐馬の首に手を回して捕まった。
「ごめん、俺ちょと運んでくる。調子悪そうだから……」
 祐馬はそう言って、戸浪を抱き上げた。
「ああ。私は一人で食べてるよ」
 平静を保ってそう言ったのだが、祐馬に抱き上げられた戸浪は、先程の表情とは違いホッとした顔をしている。それだけ祐馬に心を許しているのだ。
 そんな姿を如月がじっと見ていると、戸浪はまるで見せつけるようにギュッと祐馬の首元に絡みついた。
 見せつけたい訳か?
 お前達の関係など、薄い氷の上に今あることが分からないのか?
 それならそれでいいさ……
 祐馬の肩に顔を埋めた戸浪を見送りながら、如月はそう思った。
 馬鹿なことをしている……
 ふっとそんな事を考えながら如月は一人取り残されたリビングで、肉を焼いていた。食べる気など無い。食欲など無い。
 ただ何度も裏返して物思いに耽った。
 どう見ても入り込む隙間などないではないか……
 いや……そんな事はない……
 戸浪が思いだしてくれたら……
 行ったり来たりする思いを、肯定してみたり否定してみたりしていると、祐馬がまた帰ってきて、あちこちの引き出しを開けていた。
「何をしてるんだ?」
「あ、如月さんは食べてて。俺ちょっと電話帳を探してるんだ」
 祐馬はそういって自分の捜し物に熱中していた。そんな祐馬を置いて如月はそっと立ち上がると寝室に向かった。
 
 寝室の薄く開いた扉から中を覗くと、ホッとした表情で身体を伸ばす戸浪の姿が見えた。
 祐馬にはいつも安心しきった表情を見せるのだろう。
 あんな……顔で……
 いつも祐馬を見ているのだ。
 ……
 戸浪……
 どうして?
 私はお前を忘れたことなど無かった……
 それなのに、お前は全てもう忘れてしまったのか?
 あんなに愛し合ったのに……
 過去に引きずられているのが分かる。
 それでも取り戻したい。
 今はそれしか考えられないのだ。
 どんなことをしても……
 祐馬をどれだけ傷付けても……
 お前を取り戻したいんだ……
 それをどうして分かってくれない?
「見せつけてくれたな……」
 寝室の扉に立ち、如月がそういうと、戸浪の身体が驚きで跳ねた。
「……お前がっ、あんな事をするからだっ」
「そうだな。随分お前に触れていないから私もとんでもない行動に出たんだろう」
 言いながらベットに腰をかけた。
「足……あの時のか……」
 ちょっと表情を柔らかくして如月が言った。
 戸浪が学生時代、膝を壊して入院していた。そんな戸浪を毎日見舞っていたのは他ならぬ如月だった。
 それをどうして思い出してくれないんだ?
「……すぐに祐馬が戻ってくる」
「だから?」
 如月は戸浪を見て視線を外さなかった。
「言ったはずだ。もう構わないでくれと。今の私には、祐馬しかいないんだ。お前のことはもう何とも思っていない」
 違う……
 私だっているだろう?
 祐馬が邪魔なら全てばらしてしまえば良いのだ。
 そうすると、誰が最後に残るのか分かるだろう?
 なあ……
「失ってみるか?」
「え?」
「祐馬を失ったら私しか残らないだろう?」
 そう言って如月は戸浪の膝を撫でた。
「何を……」
「失えば……後は私とお前だけだ……戻ってくるしかない」
 バシッと戸浪は如月の頬を叩いた。
「……どうしてそんな風に考えるんだ……お前は優しい男だっただろう?」
 優しい男だと思っていたならお前は大きな間違いをしていると如月は思った。優しくなど無い。必死にそう思わせていただけだ。
 戸浪が欲しかったから……
 手に入れたかったから……
 だから優しくなれたのだ。
「言っただろう……お前を取り戻すためなら何だってすると……」
 戸浪によって叩たかれた頬を自分で撫で、如月は言った。
「……祐馬に……話す……全部……全部私が話す」
 お前の都合の良いように話されるのは困る。
 そうすると、祐馬は許すだろうから……
 許されては困るんだ……
 失って欲しいのだ……祐馬を……
「じゃあ、私も話そうか。本当のお前は男二人を手玉に取って、被害者面をしているとな。可哀相な祐馬はどう思うだろう……。祐馬に憎まれてみるか?恨まれて、毛嫌いされて……お前のことなど二度と見たくないと思わせることなど簡単だ」
「……あっ……」
「戻ってくるぞ。嫌なら黙ってるんだな……」
 パタパタと祐馬の廊下を走る音が聞こえ次に寝室に入ってきた。
「あれ、如月さん」
 片手に電話帳を持って祐馬がこちらに歩いてくる。
「心配でね。様子を見ていたんだ。昔私も膝を壊したことがあるから、少しは分かるんだよ」
「あ、そうなんだ。でも戸浪ちゃんをこれから病院に連れて行くから、如月さんはいいよ。すげー悪いんだけど、そう言う訳で、ここ留守にするから帰ってくれて良い?ちょっと戸浪ちゃん酷そうだから……」
 今日は引き下がるしかない……
 如月はそう思った。
「そうか……ま、またゆっくり夕飯でもご馳走して貰いにくるか……」
 如月はそう言って立ち上がった。
「う~ん……如月さん、俺そう言ったけど、戸浪ちゃんの膝の具合によったら、それ無理かもしれないから……又俺から連絡するよ」
 心配そうに祐馬は戸浪をちらりと見てそう言った。
「分かったよ」
 にこやかな仮面を付けた如月はそう言いマンションを後にした。

 車で走りながら、如月は無性に虚しくなった。
 一体何をしたいのかもう自分でも分からないのだ。
 馬鹿げたことをしていると何度も何度も思うのだが、それを止められない。なにより戸浪の顔を見ると押さえようと思っても押さえられないものが溢れてくるのだ。
 これは嫉妬だ……
 祐馬に嫉妬しているのだ。
 祐馬に抱き上げられた戸浪の表情は見たことのない穏やかな顔をした。
 あんな戸浪の表情を見たことがあっただろうか?
 二人で暮らし始めた当初はあったような気がする。その後はどうだったのかを思い出すと、とたんに分からなくなるのだ。
 ふと気が付くと、昨晩寄った宇都木のマンション近くに自分が居ることに気が付いた。
 宇都木はどうしているのだろう……
 ふとそんな事を如月は考えた。
 昨日は酷いことをした……
 僅かに残る理性ははっきりとその事を認識していた。
 いるのだろうか?
 一言謝った方が良いのかもしれない。
 そう思った如月は、宇都木のマンションに車を走らせ、その前の道路に止めた。
「……」
 車の中からマンションを見上げて、如月は溜息を付いた。
 ……馬鹿だな……
 あんな事をして置いて、今更何を謝ると言うんだ……
 例え許してもらったとしても、お互い歩み寄りなど出来ないのだ。
 東の秘書であり、命令に逆らうことが出来ない男に何を期待するんだ?
 味方になってくれとでも言うのか?
 そんな事を考えて如月は笑いが漏れた。
 ただ謝りに行くだけだ。そうしないと如月の気が済まなかったのだ。
 ようやくそう思い立った如月は車から降りた。
 居なかったらそれでいい……
 如月はただ、沢山ある罪悪感の一つを減らしたかったのだ。

 ぼんやりした意識の向こうに、多分もう見ることの出来ないと思っていた青い瞳が映った。
「……あ……」
 急に身体を起こした宇都木は、自分の額から濡らしたタオルが落ちるのが分かった。
「……横になっていた方が良いぞ。熱が酷い……」
 如月はそう言って、宇都木の起こした身体を押した。それに逆らわず、宇都木はベットにもう一度沈んだ。
「……あの……」
 この状況が理解できないのだ。
「ベルを何度か鳴らしたらお前が出てきたんだが、そのままそこで倒れたのを覚えているか?」
 宇都木は如月をうちに入れた記憶が無かった。その為頭を左右に振った。
「……」
 お互いそのまま無言で居ると、如月がぼそりと言った。
「悪かったと……思ってる。昨日は酷いことをした……」
 信じられない言葉を聞いて宇都木は余計に言葉を失った。
「……それが言いたかったんだ……。昨日の私はどうかしていた……。お前に当たっても仕方ないことだったんだ……」
 こちらを見ずに如月はそう言った。
「……いえ……私が……悪かったんです……」
 如月の想いを知っていながら、手紙を処分した自分が悪いのだ。宇都木こそ謝らなければいけなかった。
「……そうだな……」
 如月はそう言って立ち上がった。
「……あのっ……私は……」
 言わなければ……
 どうしてあんな事をしたのか……
 手紙をどうして処分してしまったのか……
 ここで言わなければもう二度と如月と話が出来ないような気がしたのだ。
「……なんだ?」
 振り向いた如月の瞳はまっすぐとこちらに向けられていた。
前頁タイトル次頁

↑ PAGE TOP