Angel Sugar

「黄昏感懐」 第21章

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 言い過ぎたな……
 自分の席に戻ってきた如月はそう思いながら溜息をついた。
 だが……
 こんなものなのか?
 期間は短かったが、宇都木とは一緒に暮らし、確かに自分の恋人だと如月は思っていたのだ。それが、もうそんな関係で無くなったとたん、宇都木の態度はただの秘書になってしまった。まだ身体だけの関係であった頃の方が、宇都木は如月に親しげであった。
 ほんの数日前と……
 今は違うのか?
 手元の書類をとりあえず眺めながら、如月は考え込んでしまった。
 宇都木は自分の恋人だと思った。
 どんなときでも自分を見てくれていると思っていた。
 それは如月の思い違いだったのだろうか?
 今、宇都木は如月と仕事上で一緒にいることすら辛そうに見える。先程一緒に食事をしていたが、目の前に座る宇都木の表情は如月は見たことの無い苦痛に満ちた表情をしていた。
 要するに、食事を一緒に摂ることすら嫌なんだな……
 好きな相手を嫌いになると、これほど手の平を返したような態度になるのか?
 分からないな……
 私には……
 書類から目を逸らせ、如月は椅子に深くもたれた。
 だがもし……
 宇都木がそれほど私の側に居るのが苦痛なら……
 私の秘書としてやっていく事が辛いなら……
 私から辞めろと言ってやった方が良いのだろうか……
 如月にとって宇都木は既に、かけがえのない存在になっていた。仕事もそつなくフォローをし、恋人としても穏やかな日常を与えてくれた。
 言葉数は少ない方であったが、何時も嬉しそうにしていたのを如月は思いだした。もちろん会社ではそんな表情は二人きりの時しか見せなかったが、一緒に暮らしていた時は常に宇都木は幸せそうな表情で、笑みを絶え間なく顔に浮かべていたのだ。
 今は無表情で、感情が見えない顔になった。
 ……確かに……
 私も悪かった。
 戸浪があんな状態で無ければ家には入れなかっただろう。そして恋愛問題でボロボロになっていなければ、宇都木を戸浪に紹介できたのだ。
 ただそれが出来ない状態だった。
 その事を宇都木なら分かってくれると思ったのだ。何より宇都木は如月の事をよく見てくれていた。仕事上でもこちらが考えていることを先回りし、お膳立てしてくれる事も多い。それが日常であった。だからこそ如月が宇都木に一旦自分の家に戻ってくれと言った理由も宇都木のことだから分かってくれていると思ったのだ。
 分かったからすんなり帰ってくれたんじゃないのか?
 何時もそうやって分かってくれていたんじゃないのか?
 だが宇都木はマンションの合い鍵を、いつの間にかシューズボックスの上に置いてそれで終わりにしてしまった。
 何を考えているのだろう……
 本当にこれで終わりにしてしまうのだろうか……
「昼休みもそろそろ終わるな……」
 チラリと時計を確認し、呟くようにそう言っていると宇都木が戻ってきた。
「あの……」
 チラリとこちらを見て、宇都木はおもむろにお金を出してきた。
「おごりだ。気にするな……」
 宇都木が差しだしてきた手を押しやると、如月はそう言った。
「……ありがとうございます……」
 やや視線を落とした宇都木はそう言って、手を引っ込めた。
「宇都木……なあ……」
 如月が宇都木の方を見てそう言うと、ようやくこちらを向いた。
「はい……」
「今晩、ちょっとお前のうちに寄って良いか?」
 如月が言うと宇都木は驚いた顔をした。その意味が如月にはやはり分からない。
 私は驚くようなことを言っただろうか?
「え?」
「いや……忙しいのならまた今度にするが……」
「いえ……構いませんが……」
 おどおどしたように宇都木はそう言った。
「……少し早いが会議に行くよ……資料をくれないか?」
 言って如月は立ち上がると、宇都木は二時からの会議に必要な資料を自分の席から取り、こちらに手渡した。
 こういうところは本当に良く気が付いてくれるんだが……
 そんな風に考えながら、宇都木から渡された書類を小脇に抱え、如月は部屋を後にした。

 如月が部屋を出ていくのを見送り、宇都木は自分の席に腰を下ろした。如月が言った言葉の意味を必死で考えた。
 うちに何をしに来るのだろう……
 宇都木は気持ちが落ち着かなかった。
 もし……
 もし、もう私など必要ないと言われたら……
 どうする?
 不安が一気に身体を覆うのが宇都木には分かった。
 先程の自分の態度に呆れられたのだ。
 酷い顔をしていた。それが如月には疎ましく思えたのだろう。
 どうして普通に出来なかったのだ?
 いつものことなのに……
 机に肘を置き、宇都木はうっすらと冷や汗の覆う額を撫でた。
 朝から身体が怠いのだ。その上熱っぽい。
「……ああ……」
 頬杖を付き、宇都木はじっと考え込んだ。
 どうしたらこれからも如月の側に居ることが出来るのか……
 出来ることなら……
 思い出した時で構わないから抱いて欲しい……
 だが……
 戸浪とよりが戻ってしまった今では、そんな浮気まがいのことをあの如月がするわけなど無い。
 分かってる……
 だけど……
 こんな不安な気持ちの時は抱きしめられたい……
 一度知ってしまった甘美な抱擁は、日が経つ事に懐かしく、そして如月を見る事に欲している自分がいる。
 遊びでもいい……
 駄目なのだろうか?
 恋人としては諦める。
 だから……
 たまにちょっとした気晴らしで良いから、その気に如月はなってくれないだろうか?
 そんなことを宇都木は考えるのだ。
 側に居たい。
 それ以上を望まないようにしようと心に決めた。
 だがそんな自分の気持ちとは裏腹に、言うことの聞いてくれない感情が心の奥にあるのだ。
 駄目だ……
 こんな事を考えたら……
 遊びでも良いからと言えば今度は本当に軽蔑されるだろう。
 もう……
 私は恋人ではない。
 何も言えない立場になってしまったのだ。
 宇都木はそう思うことで、今思ったことを忘れる様に努めた。
 何を言われても……
 私はただ受け入れることしか出来ない……
 そうやって生きてきた……
 これからも多分……
 それは変わらない。
 宇都木は小さく溜息をつくと、新しく入れられている書類を処理し始めた。

 九時頃ようやく宇都木は自宅マンションに戻った。如月の方は後から行くと言い、一度自分のマンションに戻って行った。
 戸浪が放っておけないのだろう……
 宇都木はそう思いながら、帰りに寄ったスーパーで買った食材を冷蔵庫に詰めた。
 はあ……
 全部冷蔵庫に詰めた宇都木は、その扉を背もたれとし、キッチンの床に座り込んだ。
 怠い……
 宇都木は目を閉じて、冷蔵庫の扉に密着している背から伝わる冷たさをじっと味わっていた。身体が昼間より熱っぽいのが宇都木にも分かる。だがそれをどうして良いのか今宇都木には分からなかった。
 何より病院に行くことも躊躇われた。行くとなると、昼間に行かなくてはならない。そうすると仕事場を抜け出すことになる。それは避けたかった。
 今日は……
 シャワーだけにして……
 風邪薬でも飲めば……
 怠さの理由は分からないが、熱っぽい場合、宇都木は何時もとりあえず風邪薬を飲むのだ。それで何時も治してきた。
 クスリ……
 立ち上がってクスリを探しにリビングに行こうとすると、インターフォンが鳴らされた。多分如月だろうと思った宇都木はクスリの事など忘れて玄関に走っていった。
 速攻開けた玄関の扉向こうにやはり如月が立っていた。
「お前のうちに来るのは久しぶりだな……」
 如月はそう言い、紙袋をこちらに渡してきた。宇都木はそれを受け取りながら言った。
「あのう……これは……」
「ああ、リンゴだ。なんだか食べたくなって買ったは良いが、買いすぎたんだ。だからお裾分けだ」
 袋の上を開けて宇都木が見ると確かにリンゴが六個入っていた。
「済みません……ありがとうございます……」
 宇都木は久しぶりに笑顔でそう言った。
「未来……」
「……え……」
 いきなり如月に宇都木は抱き込まれ、口元を掬われた。
「……ん……」
 何度も口内を愛撫され、宇都木も如月に腕を廻して抱きつきたかったのだが、リンゴの入った紙袋を両手で抱えていたためにそれが出来なかった。
「お前……」
 口元をようやく離した如月はいきなりそう言った。そんな如月に宇都木は、ぼ~っとした目を向ける。
「熱っぽいぞ」
 言って如月は宇都木を抱き上げた。
「あの……」
 如月の行動にとまどいながら宇都木はそう言った。
「お前、無理してるんじゃないのか?仕事……たまには手を抜いても構わないんだからな。どうもお前は真面目すぎる」
 既に寝室に向かって歩き出した如月がそう言って心配そうな顔を宇都木に向けた。
「いえ……大丈夫です……。多分風邪だろうと……。今クスリを飲もうとしていたんですが……」
 言いながら宇都木は久しぶりの如月の温もりを味わうように、厚い胸板に頬を擦り寄せた。戸浪には悪いが、この位なら許して貰えるだろうと宇都木は思い、目を閉じた。
 暖かい……
 ガチガチに張りつめていた筋肉が、急にほぐれていくような気が宇都木にはした。
 そうして宇都木はベットに運ばれると、次に如月は言った。
「もう、身体を休めた方が良い。何か食べたいのなら作ってやるから……」
 言って、ベットの下の引き出しを開け、パジャマを一組取り出し、宇都木に渡す。
「……食欲は……余り無いんです……」
 パジャマを受け取り、リンゴの袋と一緒に抱きしめるような形で宇都木はベットに座っていた。そんな宇都木の姿に如月は呆れたように言った。
「リンゴは私がキッチンへ持っていくよ。お前はパジャマに着替えてるんだ。その間に何か食べられそうなものを作ってくるから……」
「え……あ、でも……」
 直ぐに帰らないといけないのではないのか?
 その言葉が喉元で止まった。
 言えばきっと、戸浪のことを思い出し、如月は帰ってしまうだろう。
「ああもう、そういうのはよしてくれ。お前は一体私を何だと思ってるんだ……」
 やや不機嫌そうにそう言い、前髪を何度も掻き上げると、如月はこちらの持っているリンゴの入った紙袋を取り上げた。
「戻ってくるまでに着替えてろ。いいな……」
 如月は続けてそう言うと、紙袋を抱えて寝室から出ていった。
 ……これは…… 
 何だろう……
 もしかして心配してくれているのだろうか?
 そうだ……
 心配してくれているのだ。
 それが分かった宇都木は、又顔が笑顔になるのが分かった。
 嬉しい……
 言われたとおりにちゃんと着替えないと……
 宇都木は如月が出してくれたパジャマに着替え、次にどうしようか迷った。
 何か作るって言ってくれた……
 ベットにやはり正座したような形で座り込んだ宇都木はキョロキョロと落ち着きが無くなった。
 どうしよう……
 すごく嬉しい……
 余計熱が上がりそうな程顔を赤らめ、宇都木はふと如月が先程言った言葉を思い出した。

 お前は一体私を何だと思ってるんだ……
 
 あれは……どういう意味なんだろう……
 何だとは……
 何だろう?
 私は秘書で……
 あの人は私の上司になる相手で……
 それが?
 とても大切な言葉である筈が、宇都木にはそれがどういう意味なのかが分からなかった。
 暫くぼんやりしていると、如月が戻ってきた。
「着替えたのか?じゃあ、これを食べて身体を休めろ。最近本当に調子が悪そうだ。自分で随分痩せたことは分かってるのか?何処か痛いところがあるとか?それより医者に行ったのか?」
 お粥と漬け物をのせた盆を持った如月に宇都木は矢継ぎ早にそう言われ、どれから答えて良いか分からずに、口を薄く開けたまま、言葉を継げなかった。
「ああもう、お前は仕事を一旦離れるとどうしてそう、ぼんやりするんだ。もういいから、さっさと食べて寝ろ」
 膝の上に盆を載せられた宇都木は、酷く感動していた。
 お粥だ……
 私の為に作ってくれたんだ……
 どうしよう……
 嬉しい……
 胸が一杯だ……
「ありがとうございます……」
 宇都木はそう言って涙が滲んだ。
「おい、泣くほどのことじゃないだろう……」
 ベットに腰をかけた如月が困惑したような顔で言った。
「……こんなにして貰って……」
 ただの秘書なのに……
 だけど……
 遊びでも抱いて欲しいと思ったことを宇都木は後悔した。ただの秘書であったとしても、こんな風に優しく接して貰えるのだ。如月にとって大事な部下だと思って貰える。
 幸せだ……
 身体を重ねなくても……
 私は本当に幸せだ……
 愛されていなくても……
 信頼され、大切にされることで十分だ。
「いいから……食べろ」
 苦笑しながら如月はそう言った。
「はい……」
 如月の作ってくれた久しぶりの料理は……と言ってもお粥であったが、宇都木にはとても豪華で、美味しく食べられた。
 そうして、二杯ほどお粥を軽く食べ終えると、如月が盆を片づけようとするので宇都木は言った。
「後かたづけは……私がしますから……」
「いや、お前はもう横になってろ。本当にお前は少し身体を休めた方が良い」
 盆を持った如月はそう言って寝室を出ていった。宇都木はそれを聞き、言われたとおりに毛布を身体にかけ、枕に頭を沈ませた。
 最近は何か口に入れると吐き気が酷かったのだが、今はそんな事が無かった。
 美味しかった……
 お粥が熱かった所為で、身体の体温が上がりぽかぽかとしてくる。怠かった筈の身体が少し楽になっているのが宇都木には分かった。
 あの人のお陰だ……
 気のせいか、あれだけ眠られなかった瞳がうとうととし出した。そんな調子でぼんやりしていると、頭が上げられその下に冷たいものが当てられた。その冷たさに宇都木が頭を上げそうになったが、いつの間にか戻ってきた如月の手がそれをやんわりと押さえつけた。
「アイスノンだ。熱があるんだから冷やした方が良いだろうと思ってね……」
 宇都木の頭にのせられた手が、今度髪をとかし付けるような仕草で動いた。その撫でる仕草が余りにも気持ちよく、宇都木は目を細めてその感触を味わった。
 こんな風に頭を撫でられるのが宇都木は好きだった。安心するのだろう。
 亡くなった母親がまだ正常であった頃は良くこうやって、幼い宇都木の頭を撫でてくれたのだ。
「あんまり調子が悪いようだったら、明日にでも病院に行って来い。微熱は大病の始まりって言うだろう?まあお前の場合は過労だろうと思うが……、一度行ってきた方が私も安心できる……」
 こちらを覗き込む如月の青い瞳が、心配そうな色合いになる。そんな如月に宇都木は益々嬉しくなった。
 ああ……
 心配してくれて居るんだ……
 私のことを本当に……
 嬉しくて仕方ない……
 このままずっと熱が続いてもいい……
 この人が……こんな風に側に居てくれるなら……
 ずっと……熱があっていい……
 頭を撫でられる仕草に酔いながら宇都木は目を閉じた。すると、急にベットのスプリングが沈む音が聞こえた。
「……え?」
 目を開けると、自分の真横に如月が横になり、今度は毛布の上から背を撫でてくれていた。こちらを見るその如月の瞳はとても優しい。
 いつか誰かに見せていたものと同じ瞳だった。
「未来……」
 言って如月は毛布ごとこちらの身体を抱きしめてきた。その如月の行動に驚きながらも、宇都木は頬を如月の身体に密着させた。全身から感じる如月の温もりと、心地よい圧迫感が更に宇都木の気持ちを安心させた。
 ああ……
 もういい……
 これで……
 涙が又零れそうになるのを宇都木は必死に堪えた。すると背に回っていた手が、今度、宇都木の頬に当てられ顔の輪郭をなぞるように動かされた。
 この人は……
 きっと、弱っている相手を放っておけない優しい人なのだ……
 だから……
 好きでも何でもない相手にもこんな風に出来る……
 それは酷く残酷な行為だ。だが宇都木はそんな優しさが与えられる事で余計に辛いと思う反面、拒否することも出来ないと感じた。
「……ん……」
 いきなり如月の口元が合わされ、貪るようなキスを受けた。その間に如月の手は宇都木の毛布を剥ぎ、胸元のボタンに伸ばされてた。
「……あっ……」
 次に如月の口元は宇都木の首筋に吸い付き、手は荒々しくシャツのボタンを外しだした。そんな如月に宇都木は手を回し、頭をかき抱く。
「……未来……戸浪のことは気にするな……いいな?」
 言って如月は熱っぽい宇都木の胸元に手を忍ばせた。
 黙ってる……
 この事は誰にも言わない……
 戸浪にも黙ってるから……
 言わなければ抱いて貰える……
 だから……言わない……
「邦彦さん……」
 ギュッと回した手に力を込めて宇都木はそう言った。
 抱いて……
 私を……
 ずっと……
 貴方に抱かれたかった……
 宇都木が目を細め、如月の愛撫に酔っていると、いきなり如月はその身体を離した。
「……邦彦さん?」
「……私は……馬鹿なことを……」
 言って如月は宇都木のパジャマを整えだした。
「良い……良いんです……だから……」
 如月の手を掴んで宇都木は必死にそう訴えた。だが如月の瞳には既に後悔の色しか浮かんでいない。そんな如月の瞳に宇都木は声を失った。
 戸浪に悪いと思ってるんだ……
 私は……
 なんて事を……
 この人に罪悪感を持たせてしまうなんて……
 私は……
 ギュウッとシーツを握りしめ、宇都木は視線を落とした。
「済まない……こんな状態の時に……」
 その声に宇都木はただ首を振った。
 本当なら……
 ここで拒否しなくてはならなかったのだ……
 私は秘書なのに……
 ただの……
 如月を一時の気持ちだけで誘った自分を宇都木は心から恥じた。
「ちゃんと身体を休めるんだぞ?」
 そう言った如月の言葉が遠くから聞こえ、暫くするとマンションの扉の開閉する音が聞こえた。
 私は……
 自分で全てを壊してしまうところだった……
 ただ、ただ宇都木は後悔することしか出来なかった。

 如月は宇都木のマンションを後にしながら思った。
 状態がかなり悪い……と。
 会社で見ていた宇都木は、身体の調子が悪いのか……という位しか思わなかったのだが、今見てきた宇都木は本当に酷かった。
 最初、如月と居ることが苦痛なのかと思ったが、そうではなくて身体の調子が本当に悪かったのだ。それを隠すためにあんな無表情になっていたのかもしれない。
 今見てきた宇都木の身体は驚くほど熱っぽく、その表情は、気怠げであった。それは宇都木自身にかなり疲労が溜まっているのを物語っていたのだ。
 一緒に毎日顔を合わせていたから気が付かなかったのだ。
 自分の仕事が滞らずスムーズに進むのは宇都木のお陰だった。その陰でかなり無理していたのだ。
 宇都木は仕事に対して弱音を吐いたことなど無かった。その分全部身体に負担がかかったのだろう。
 慣れない仕事を完璧にこなそうと必死だったのだ。
 何故言わなかったんだ……
 そう腹が立ちながらも、これこそ自分が気付いてやらねばならないことだったのだと如月は思った。
 それなのに私は……
 気付くどころか……
 宇都木を抱こうとしたんだ……
 全く……
 それに応えようとした宇都木は馬鹿だっ!
 だが、もっと馬鹿なのは私だっ!
 酷く弱った宇都木の身体に手を出そうとした自分を叱咤しながら、如月は更に考えた。
 やはり宇都木には暫く休みが必要だと……
 倒れられてから後悔するより今のうちに誰か代わりを探し、暫く休ませた方が良いと如月は心底思ったのだ。
 確かに仕事で宇都木は必要な男だった。だが如月自身にも必要な男だ。だから大事にしてやりたいと思ったのだ。
 何よりあんな身体で自分に応えようとしてくれた宇都木が愛しかった。もう愛されていないと思っていた自分が酷く馬鹿らしく如月は思えた。
 宇都木は私を今も愛してくれている……
 それが分かっただけでも良かったと如月は思った。
 いや元々それを確かめたいと思った為、如月は今夜宇都木のうちに行ったのだ。その本来の目的は叶えられた。
 仕事なんかどうでもいい……
 早めに代わりを探してやろう……
 如月は車に乗り込み帰宅する間中ずっとその事を考えていた。
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