「黄昏感懐」 第7章
「お前が手紙さえちゃんと投函してくれていればこんな事にはならなかったんだ。それをどう償ってくれるんだ?」
「……私は……」
宇都木の視線が下がった。
それを言われると辛いのだ。
「そうだろうが……本来ならお前が取りなしてくれても良い筈だろうが。それをどうして邪魔をするようなことをするんだ」
如月はそう言って宇都木の胸ぐらを掴んだ。
「……私は邪魔などしない……仕方無しに……」
「何が仕方無しだっ!爺さんに言われて喜んだんだろう。これでおおっぴらに邪魔が出来るとなっ!お前は狡い……自分にはそんなつもりなどないと涼しげな顔をしながら、自分には何の責任も無いと言うんだからな。何が恩着せがましく警告だ?貴様がそもそも……」
ギリギリと首元を締め上げられて、宇都木はその如月の掴む手を払った。
「止めてくださいっ!手紙が……手紙が届いて果たして本当に元に戻れたと思って居るんですか?あの二人を見てどう思います?私から見ていても貴方の入る隙間など無い。どうにもならないと……どうして思わないんですか……」
「五月蠅いっ!」
パアンと平手打ちを受けて宇都木は床に倒れ込んだ。
「……私は……確かに酷いことをしたと思っています……」
手紙を処分してしまったことをどれだけ後で後悔してきただろう。いつかばれるかもしれないと怯えながら数年間耐えた。
如月の手を離したくなくて……
如月の腕を奪われたくなくて……
いつか……
愛されたかった……
愛していると囁かれたかった。
「でも……いくら今私が謝ったところでもうどうにもならないじゃないですか!私があの彼に土下座して謝ったとしても、彼は貴方の元には戻らない。そうでしょう?私が例え貴方に協力したところで彼らを別れさせることなど到底無理です。お互いが愛し合っている二人をどうやって別れさせることが出来るって言うんですか!そうでしょう?」
身体を起こして宇都木はそう叫ぶように言った。いつの間にか頬を涙が伝っているのが分かる。
「宇都木……」
如月の青い瞳が苦悩に歪んだ。
「……もう……止めてください……。こちらに戻ってこられてからの貴方はどんな風に辛い表情でいらっしゃるかご自分で分からないんです。そんな……苦しそうな表情は貴方に似合わない……」
訴える様にそう言う宇都木の言葉は如月には届かなかった。
「帰ってくれ……」
「……」
「お前が邪魔するなら……しろ。お前はお前の仕事をすればいい……私は何を失っても構わない……。例え全てこの手から零れ落ちても……。後悔はしない……」
言って如月は窓際に立ち、こちらに背を向けた。
「……邦彦さん……」
宇都木は立ち上がりそろそろと如月に近寄った。
「悪かったな……お前に手を出して……最近自分自身が制御できないんだ。お前も嫌ならもう来るんじゃない……。お前の言いたいことは分かったから……」
そう弱々しく言う如月の背に宇都木は腕を回して抱きついた。
「……宇都木……」
「……何もおっしゃらないで下さい……」
如月の背に頬を寄せて宇都木は目を閉じた。その瞳からは止まらない涙が溢れていた。
「済まない……」
「……」
音のしない静まりかえったホテルの一室で、暫く宇都木はそのまま如月に腕を回して抱きついたまま動けなかった。
翌日、如月は戸浪に電話をかけることにした。最後の賭といっても良いほどの事をするつもりだったのだ。
昨晩訪れた宇都木は警告なるものを自分にした。動けるうちに動かないと、がんじがらめになってどうにもならなくなるのが分かっていたからだ。
「私は……馬鹿だ……。宇都木……お前も馬鹿だよ……」
宇都木は自分がずっと思い、否定してきたことにズバリと切り込んできた。分かっていた。どんなに今、自分がもがいても何も取り戻せないことを如月は嫌と言うほど分かっていたのだ。逆に失う物の方が多いはずだった。
何も……取り戻せない……
何も……
分かっている……
お前の気持ちも……
痛いほど分かる……
こんな私に惚れる方が間違って居るんだ……
人を傷付けることに躊躇しないような男は忘れた方が良い……
人の気持ちを踏みにじるような男などお前に似合わない……
こんな男は……
戸浪にも似合わないのだろう……
だったら……
本当に駄目だと思えるほど、自分を追い込むしかない。
そうしないといつまで経っても戸浪に対しての気持ちに蹴りなどつけられないのだ。完全に立ち上がることも出来ないほど、自分を追い込んでしまえば、きっとようやく過去のものに出来ると如月は思った。
だが、心の奥底では小さな希望はまだあった。そんな自分がどうしようもなく馬鹿だと如月は思うのだが、もうすぐ結果が出るだろう。
如月は苦い気持ちを噛みしめながら衣服を整えると、ホテルの駐車場に向かい、車に乗り込んだ。そうして車を出し、戸浪が住む祐馬のマンションに行く途中で電話をかけた。
「祐馬にくだらないことを言っただろう……」
戸浪からの第一声はそれだった。
「まあな……」
「だが、お前の思い通りに事が運ばなくて残念だったな」
元恋人の声はあっさりしたものだった。
「仕方ないな。諦めるしかない」
まだ……
諦めては居ない……
だがそうでも言わないと戸浪は警戒して会ってくれないだろう。
「……如月……済まなかった」
そんな風に言われ如月の良心がチクリと痛んだ。
「いや……」
「お前には随分世話になったのに……」
戸浪が昔膝を痛めて入院していたあの時、如月は毎日見舞い行ったのだ。その事が酷く遠くに思えた。
「ああ、昔のことだ……」
「いつ……戻るんだ?」
さっさと帰って欲しいと言わんばかりの戸浪の声に如月は肩を落として言った。
「来週にはな……ところで戸浪……膝大丈夫か?」
「全く、そのお陰でこっちは会社を休んでいるんだ……」
「はは、悪かった。そうだ、昔話でもゆっくりしないか?」
もう一度……
ゆっくり……
二人きりで……
うんと言ってくれ……
「お前……私がこんな足で会えると思ってるのか?」
「だから、私が行くよ。最後に一度だけ会ってくれ……もう、二度とお前には会えないだろうからな……」
そう言って残念そうに如月は小さく溜息をついた。こんな風に言えば絶対戸浪は嫌だと言えないはずなのだ。
戸浪は冷たいように見えて、実はとても優しい心根の持ち主なのを如月は知っていた。そんな戸浪を利用しようと企んでいる自分がどれほど醜いのか、分かっていながら如月は止められなかった。
「……祐馬には言うなよ。なら会っても良い」
「あの子にはこれ以上恨まれたくないからな。この事が無かったら今でも良い弟だったはずなんだ……後悔してる」
寂しそうに如月は言った。
「来るならさっさと来い、昼間しか会えないからな」
「分かった。今から行くよ」
そう言って如月は電話を切ると、次に祐馬の携帯に電話をかけた。
「もしもし……祐馬。私だ……」
そう言うと祐馬は小さく言った。
「……なんだよ……」
腹立たしいのを必死に押さえているような口調であった。
「上手く戸浪に丸め込まれたようだな……」
くすくすと笑いながら如月は言った。
「……うるせえ……お前が何を言ったって信用なんかしないからな。この嘘つき野郎」
「……私が嘘を付いたと思っているのか?馬鹿だな。戸浪が嘘を付いたに決まっているだろう」
「黙れっ!俺はお前の言うことなんか信じないんだからなっ!」
「今な……お前のうちに向かってる。戸浪からの誘いを受けてな……」
そう如月が言うと祐馬は絶句したように無言になった。
「可哀想な祐馬……あのうちで私たちがいつも何をしているのか知らないんだからな。戸浪も罪作りな奴だ……可哀想に……」
如月が笑いを堪えたように言うといきなり電話が切られた。
祐馬……
帰ってくるんだな……
嫌な光景を見ると良いんだ。
そうすれば、お前も諦めがつくだろうからな……
如月は更に車を走らせた。
「なんだ、近くから電話をしたのか?」
戸浪は玄関をたどたどしく開けてそう言った。昔壊した膝が酷くなっているのか、松葉杖を両脇に挟んでいる。
この間来たときにいたずらをしたのも悪かったのだろう。
痛々しい姿にやや胸が痛んだが、今はそんな事を言っていられないのだ。
「まあな。だがお前松葉杖か……その姿はあの時以来だな……」
そう言って如月は笑った。
「こんな足だが、茶くらいは入れてやれる」
戸浪はそう言ってきびすを返そうとするのを、如月は松葉杖に足を引っかけた。その拍子に戸浪は床に転んだ。
「おまえっ何をっ」
と言ったところで戸浪の腕を捕まえ引きずった。
「馬鹿な戸浪……自分から私を引き入れるなんてな……」
なんて警戒心が無いんだ……
私がどんな気持ちで居るのか全く分かっていないだろう……
そんな事を思いながら如月は更に戸浪を寝室に向けて引きずった。
「なっ?」
戸浪は如月の言っている意味が理解できないのか、驚いた顔を向けるだけで状況が判断できていないようであった。
「逆に、こう不自由な方が、お前を思い通りに出来るだろう?お前は自分がそんな足だから私が何も出来ない優しい男だと思ったようだがね」
と言って如月は戸浪をベットに放り投げた。
「如月っ!」
戸浪が身体を起こすより先に如月は自分の下に戸浪を組み敷く。
「失ってみるんだな……」
如月はそう言って戸浪の上着を剥いだ。
「よせっ!お前はっ!こんな事をしても無駄だと分からないのか?」
必死に抵抗する戸浪であったが、その振り上げられる両手を如月は片手で押さえつけ無理矢理上着を全て脱がした。
「無駄なことはしない……」
目を見開いている戸浪の口元に自分の口元を合わせ、如月は昔味わった感触を取り戻そうと必死になった。だが戸浪はまだ抵抗する様に身体を捩らせている。そんな胸元に如月は手を這わした。
「うっ……うううっ!」
「愛してるよ……戸浪……」
言って如月は手を戸浪のズボンの中に滑り込ませ、そこにあるものを掴んで締め上げた。
その時
「あんたら……でてってくんない?」
こちらの思い通りに絶妙のタイミングで祐馬が戻ってきた。まあもう少し遅くても良かったのだが……と如月は後ろから聞こえる祐馬の声を聞いていた。
「ゆっ……祐馬っ!」
組み敷いた戸浪が寝室の扉の方を向いて絶叫した。先程とは違い、かなりの強さでこちらの身体を押しのけられた。
「祐馬あっ!」
戸浪こちらから逃れベットから降りようとしたのを如月は引き戻した。
「……っ……如月っ!お前っ!お前がっ!」
戸浪は如月に振り返るとその襟首を掴んで叫ぶようにそう言った。その掴む手は怒りで震えていた。
「ああ、私が連絡した。こういう場面を見せてやろうと思ってな。意外に早く来たな……慌てて来たんだろう。信じていただろうに、可哀相だなあ、思うだろ?戸浪……」
これで終わりだ……
お前と祐馬は……
どうだ?
私しかもう残っていないぞ……
「可哀相?可哀相だと?お前が連絡しておきながら……そんなことを言うのか?私はお前を信用してこのうちに入れたんだっ。なのに、なんだっ!こんな事を……考えていたなんて……」
戸浪は半分泣きそうな顔をしてそう言った。
お人好しの戸浪……
普通はうちになど上げないはずだ……
なのにお前は私を信用してうちに入れたんだ。
お前が悪いんだろう……
お前が……
「……これでお前が大事にしたかった祐馬は失ったぞ……もう私しかいない……戸浪……一緒にアメリカに来ないか?」
如月はそう言って戸浪の掴む手を取った。
「……まだ……まだそんなことを言っているのか?私は何もかも失っても、決してお前と昔のように戻りたいとは思わない。私達は昔に終わったんだ……。それを何度言えば分かるんだっ!」
言って、ばしいっと戸浪によって頬を殴られた如月は意外に大人しく身体を離した。
違う……
私が悪いんだな……
「……ここに滞在している……。連絡を待ってるから……」
言いながら、メモをベットの上に置くと立ち上がり、振り返らずに出ていった。
「もう少しだけ待ってあげてください……お願いですから……」
宇都木はここ数日同じ台詞を繰り返していた。
「如月様も分かっておられるんです。何より恋愛問題にどうして他人が口を出せると言うんですか……」
「宇都木……」
東の第一秘書の真下が溜息を付いた。
こちらよりやや背が高くスラリとした真下は、落ち着いた独特の雰囲気を持っている。その若くして第一秘書の座を守っている真下はことのほか宇都木の面倒をよく見てくれていた。そうであるから東にも認められたいと思う一方、目をかけてくれる真下の為に頑張らなくてはと思ってきた。だから逆らったことは今まで一度もなかった。だがここに来て、宇都木は自分まで全てを捨ててもいい覚悟を決めていたのだ。
無能だと思われても仕方ない……
あんな自分のことを見てくれない男のために……
私は全て捨てても良いと思っている……
それでもいいと決心したのだ。
だから……
「済みません……感情的になりました。ただ……私は……」
「……はあ……分かってるよ……宇都木が何に執着しているか……」
眼鏡をかけ直した真下が言った。
「え……」
「なあ、東様はことのほか邦彦さんの行動に悩んでおられる。今まで彼が東都に対して尽くしてくれた事もあってな。だからといって、孫はやはり可愛い。その孫がいまとんでもなく落ち込んでいる。どうにかしたくなるのが祖父心っていうものなんだ。理不尽なことだとご本人も思われているようなんだが……。そんなジレンマを何とかして差し上げたいんだよ……」
小さく溜息を付いて真下が言った。
「……大丈夫です。このくらいで壊れたりするようなカップルじゃないと私は思います。恋愛は時に試練がありますが、それを乗り越えて益々お互いを思いやれるのだと思います……。こういうことは当人達に任せておけばいいのだと。そう思います。周りが下手に動いた方が、余計に物事を大きくしてしまうと……。如月様も……充分自分が馬鹿なことをしていると分かってらっしゃる様です。後はいくら自分が頑張っても無駄だと自分自身で知るより他、誰が止めても止まる物ではありません。逆に火に油をそそぎかねない……」
宇都木は必死にそう言った。東を宥めることが出来るのは都を置いて他にはこの真下しかいないのだ。
「……分かった……もう暫く……だな。東様をそれまで宥めることにするよ」
仕方ないと言う風に真下は言った。
「ありがとうございます……」
「宇都木……辛かったら……もう手を引け……いいんだぞ」
意味ありげに真下はそう言った。多分自分が今まで如月とどんな関係であったのか知っているのだろう。
「……大丈夫です……本当に……ご迷惑をおかけします」
自分の事を何も聞かない真下に感謝で涙が出そうなのを必死に堪えながら宇都木は言い、東の屋敷を後にした。
屋敷の外に出ると宇都木は自分の車の所に走るように向かった。その途中、携帯が鳴る。慌てて車のキーを差し込みながら戸を開け、宇都木は携帯を取った。
「もしもし……宇都木ですが……」
運転席の戸を閉めながら宇都木は言った。
「私だ……頼みがある……」
如月だった。
「……なんでしょうか?」
「お前の立場をよく分かっている……。だから最初で最後だ……頼まれてくれないか……?」
思い詰めたような如月の声だった。
「……戸浪さんが今どこにいるかですね……」
戸浪は何か如月の為に揉めて、祐馬のマンションから出たようなのだ。その後調べてみると戸浪は自分の弟のうちに現在身を寄せていた。
「……ああ……頼む……お前しか聞ける相手が居ない……」
「……貴方が、何をしたのか存じませんが……彼は祐馬さんのマンションから出て行かれました。それは貴方の責任でしょう?恨まれているところにわざわざ行きたいのですが?どうせ酷い言葉で罵られるだけですよ。おやめになったほうが宜しいかと……」
宇都木は淡々とそう言った。
「それでいいんだ……」
何か吹っ切ったような如月の声だった。
「いいとは?どういう……」
「終わりを見つけたいんだ……宇都木……。頼む」
如月が、請うようにそう言ったことで、宇都木は戸浪の今いる場所を教えた。
終わりを見つけたい……
全てを終わらせるつもりなのだろうか……
ようやく自分のことが分かったのだろうか……
宇都木にはその判断が付かなかった。
終わりを見つけたい……か……
宇都木は自分の車を戸浪の今居るコーポに向かって走らせた。
宇都木に頼み込むようにして聞いた住所には二階建ての小さなコーポがあった。その近くに如月は車を停めて車外に出た。
待っていた連絡は来なかった。
何日たっても戸浪からは連絡は来なかった。
戸浪が如月の居るホテルの一室に来ることも無かった。
そう言うことなのだ。
例え祐馬を失っても、如月の元に戻ろうなど戸浪は考えなかったのだ。苦情すら言おうとしなかったのだ。
祐馬との仲を滅茶苦茶にした如月には文句の一つでも言いたいに違いない筈だ。だが戸浪は沈黙したままだった。
コーポの階段を上がり、澤村という表札を見つけた。すると隣の住人が顔を出した。
「どちら様でしょう?今そこに住んでいる人は仕事に出かけていますが……」
肩より長い栗色の髪をサラサラと落とし、男はそう言った。身長も高く、こちらと同じくらいあった。目鼻立ちがくっきりしており、どうも普通のサラリーマンには如月には見えなかった。
何よりどうして隣の住人がそんな事を言うのかよく分からなかった。
「こちらに……澤村戸浪さんがいる筈なんだが……」
そう言うと、栗色頭の男はやや顔を曇らせた。
「少々お待ち下さいね」
言ってまた部屋へと引っ込んだ。
なんなんだ……
と不思議に思っていると、目の前の扉がその栗色頭の男によって開けられた。
中で繋がっているのか?
「あ、どうぞ」
「済みません」
如月はそう言って中に入った。
「お兄さん、お茶でも入れますか?」
栗色の髪の男は戸浪にそう言った。知り合いなのかどうか如月には分からなかった。よく見ると狭い部屋の壁に扉が付けられている。そこから出入りしているのだろう。
一体どういう男なんだ……
「いい、君は自分の部屋に行ってくれないか?」
こちらがキョロキョロしている間に戸浪はそう言った。
「ええ、何かあったら呼んで下さい。それにここ壁薄いですから、何かあったら飛んできますよ」
と、ムッとするような事を言って栗色頭は、部屋にある扉から自分の部屋へと帰っていった。その光景に驚いていると戸浪の声が聞こえた。
「如月……なんだ。まだ用があったのか?」
「……ここ、弟さんの家なんだな」
如月はそう言って奥に座っている戸浪の横に腰を下ろした。膝の調子が相変わらず悪いのか、タオルを置いて、座椅子にもたれかかっていた。
「ああ。どうしてここが分かった?」
「弟さんはうちの系列会社の人間だ。調べれば簡単に何処に住んでいるか分かる。そう言うことくらい調べられる立場にいるんでね」
実際は宇都木が調べてくれたのだがそう言った。
「……そうだったか……知らなかったよ。系列だったのか……」
「私の所にも来ない。祐馬の所も出た。後はここしかないと踏んだんだ」
「で、まだ何か文句があるのか?」
それはお前の方じゃないのか?
お前と祐馬との仲を滅茶苦茶にしたのは私だ……
如月は動揺しながらも平静を保って言った。
「いや……」
「じゃあ何しに来た?」
「戸浪……本当に私たちはやり直し出来ないのか?」
如月は真剣にそう言った。
「ああ。出来ない……」
「どうしてもか?」
「私がもうお前に対して何の感情も無いから……」
言って戸浪は目を瞑った。
「……」
「あれから考えた。手紙が届いていたら私はどうしていたか……」
「どうしていた?」
「多分行かなかっただろう……。私とお前は違いすぎるんだ。お前は自分で自覚しているかどうか分からないが、上を見て歩く男なんだ。前へ前へ行きたがる男だ。私には出世欲もないし、お前のように世渡りが上手い訳じゃない。その違いが、私自身を引き留めるのだと思う……。お前を好きだった。だがいつもそんなお前に私は不安を覚えていた。時々私を忘れているお前がいた。縛るのが怖くて何も言えなかった。離れて暮らして追えなかったのはそんなお前の足かせになるのが怖かったからだ……。私らしくもなく、お前が時々来てくれるだけで良いとまで思った……苦しかった……」
「戸浪……違う……」
そう言ったが、違った。
確かにそんな自分を認めている。
あの時……
戸浪をほったらかしにしてしまったのも……
多分自分と戸浪とのズレを感じていたからだ。
だが……
あの時は自分自身に気が付かない子供だったのだ。
今なら……
今なら……
「違わないよ如月……。では何故今帰ってきて、私を取り戻そうとする?もっと早くても良かっただろう?何年も経った今、どうしてだ?お前の仕事が一段落ついたからじゃないのか?ふっと立ち止まって私を思いだしたのだろう?それは余りにも身勝手すぎやしないか?」
そう言って目を開けて戸浪は、悲しげな表情だった。
「戸浪……私はずっとお前のことを忘れたことは無かった。ずっとだ。忘れようとした。だが出来なかったから帰ってきた……」
本当だ……
本当にお前のことを忘れたことなど無かった。
ずっと……
ずっと想い続けていたんだ……
戸浪を酷く傷付けたことが心に引っかかり、どうしても腰を上げることが出来なかったのだ。
会うのが怖かったのだ。
だから忘れたいと思った……
だがそれも出来なかった……
「お前の気持ちだけを押しつけるのか?私も苦しんだ……。それをどうして分かろうとしない?そんな過去を引きずって今まで来た。誰かを好きになるのが怖かった。そんな時祐馬に会った。祐馬は私が過去の相手を引きずっているのを知っていながら、私を好きだと言ってくれた……一緒に暮らそうと言ってくれた。祐馬に出会わなかったら……私はきっと過去の痛みをずっと引きずっていただろう。それを救ってくれたのはお前じゃない。祐馬なんだ……」
そう言って緩やかに微笑む戸浪は、もう自分を見てくれていた昔の戸浪ではなかった。あの微笑む先に居るのは祐馬なのだ。
辛く苦しかったのは自分だけではなかったのだ。
戸浪も同じく何年も悩んだのだ。別れ際に言った如月の酷い言葉をずっと引きずってきたのだ。そして戸浪だけがようやく癒して貰える相手を見つけた。
そうなのだ……
全てはもう過去のものなのだ。
想いも……
苦しみも……
全て……
「……そうか……私だけではなかったのか……」
「ああ……」
「だが失ったぞ……」
「いいんだ……話しも聞いてくれなかったことだしな……それだけ祐馬を傷付けてしまったんだから……」
そこまで言って戸浪は言葉を詰まらせた。