Angel Sugar

「黄昏感懐」 第10章

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 週末やってきた宇都木は、以前如月と何かがあった事など、これっぽっちも思わせない態度と表情で再会した。
 如月の方は既に引き継ぎ体勢に入っており、フロアの一室に閉じこもって書類に埋もれていたのだが、その横で今朝からやってきた宇都木が黙々と書類を整理してくれている。
 暫く前、宇都木と電話で話したが、その時も何となく如月は違和感を感じたが、こうやって会うとそれが顕著に宇都木に見られた。
 宇都木は吹っ切れたのだろう……
 元々何を考えているか分からないタイプの宇都木だ。今回のことで少し感情面が見えたのだが、今はそんな所があったことなどこれっぽっちも見あたらない。
 ただ宇都木は用があれば淡々と話し、後は黙々と仕事をこなしていく。その顔に今忙しいのか暇なのか、疲れているのかそうでないのかを感じさせる表情の変化は無くなっていた。
 最初、真下から話しを貰ったとき、宇都木に頼んで良いものかどうか随分如月は悩んだ。このまま離れてしまう方が宇都木の為なのかもしれないと本気で思ったのだ。だがもし自分に誰かをつけてやろう、誰がいい?と、問われたら、迷わず宇都木の名前が出ていたはずだ。それほど如月にとって宇都木はかゆいところに手の届く存在なのだ。
 数年そうやってきた慣れなのかもしれない……
「忙しいか?宇都木……」
 忙しい宇都木に、忙しいか?等という言葉は間が抜けているのだが、如月は言ってしまってからそれに気が付いた。
「……え?いえ。あの、昼からは挨拶回りされるご予定ですね?」
 書類を持ったまま、やや顔を上げて宇都木はそう言った。
「ああそうだ。幾つか廻って戻ってくる」
 今度日本に転勤することで如月は挨拶回りに出なくてはならないのだ。
「ではこちらの書類に全部サインをしてから出て下さい。かなり至急の決済です」
 言って宇都木は、ただでさえ書類の山になっているこちらの机に、書類の束を新しく置いた。
「……まだこんな書類があったのか……」
 げんなりしながら如月は言った。が、宇都木からの受け答えは無い。チラリと様子を伺うと、またあちこちの書類をひっくり返しては整理している。
 お前は私より絶対仕事人間だぞ……
 心の中で呆れながらもそんな宇都木が頼もしく如月には思えた。
「お願いですから……サインをしてください……」
 こちらがぼんやりしているのを知ったのか、宇都木は顔を上げずにそう言った。如月は仕方無しに書類に目を通し片っ端からサインを入れていった。
 
 夜遅く戻ってくると、宇都木はやはり書類をまとめてはダンボールに詰めていた。
「宇都木……お前な。こっちの女性に手伝わなくて良いと言ったそうだが、お前が大変なんだからな……」
 元自部署に寄ったところ、そういう苦情を言われたのだ。
「いえ、後で開けるときに私が困りますから……。何が何処にあるのかを全部目を通しておきたいんです」
 リストをチェックしながら宇都木はこちらも見ずにそう言った。
「……はあ……そんなに力むな。適当にしろ。お前は真面目すぎる……」
「これが私の仕事なんです……」
 宇都木は全くこちらを見ない。 
「日本に戻ったらもっときついかもしれないんだぞ。全く……どうして私に任されたのか不思議で仕方ない」
 机に腰をかけて如月はそう言うと、ネクタイを緩めた。
「東様は仕事上で私情は入れられません。貴方が適任だと思われたから呼び戻されるのでしょう。光栄なことです」
 淡々とそう言い、宇都木は手を止めずにリストを繰った。
「光栄ね……」
 視線を窓の外にあるビル群に向けると、如月は溜息をついた。ようやくこちらの生活習慣と、人種の違いに慣れたのだ。それなのに日本に逆戻りだ。新しいところで慣れるのにまた一苦労しそうな気が如月にはした。
「嫌だったのならどうして断らなかったのです?」
 お前が言うな……
「お前だって良いって言ってくれたんだろう……」
 そう如月が言うと、ここに来て初めて宇都木が口元だけに笑みを浮かべた。
「そう言うお話ではなくて……日本での新しい仕事を、嫌ならどうして断らなかったのかお伺いしたのですが……」 
「……あ、そうか……」
 自分の勘違いに気が付いた如月は、誤魔化すように頭をかいた。
「私の場合は、貴方が以前おっしゃっていたように、命令されたらその通りに従うだけです」
「……そうか……。お前は命令されたら何でもするんだったな……」
 何に腹を立てているのか自分でも分からないまま、如月はムッとした声でそう言った。そんな如月に宇都木は、ただ「そうですよ……」と言った。
 すると携帯が鳴った。
「あ……兄さん……ええ……来月ね……」
 相手は如月の兄からであった。
「……そちらにもご挨拶に……え、はは。そうですか……嬉しいですね。じゃあ帰国前に一度お伺いします。久しぶりに義姉さんの日本料理を堪能させていただきますよ……」
 そう約束して携帯を切った。兄が今度昼食を御馳走しようと言ってくれたのだ。だが今、如月は本当に忙しかった。
「……全く忙しいのに……仕方ないか昼飯くらい……」
 独り言のようにぶつぶつ言いながら如月は、時間を確認すると十一時になっていた。
「おい、お前いつまでやるつもりだ。帰れ」
「……いえ。ここまでやってしまわないと……」
 相変わらずこちらを見ずに宇都木はそう言った。なんだか故意に避けられているような気がした。
「もういい。お前がダウンしたら全部私がしなくちゃならなくなるんだ……それは困る。だから今日はもう良いからホテルに帰れ。私は帰るぞ」
 上着を着直し、如月は言った。
「ホテルは取っておりません。ここで適当に休憩を取りますから構わないでください」
「あのな……まあいい。今からホテルを取ってやるから、身体を休めろ。お前は本当に自分を大事にしない男だな……」
 宇都木の腕を引っ張り如月は言った。するとようやく宇都木の顔がこちらを向いたが、その表情は困惑している。
「ですが……」
「ですがじゃない。私がお前の上司になるんだろう?なのにいきなり命令無視か?」
「……済みません……」
 伏せた宇都木の睫毛が意外に長いのを如月は今知った。
「謝らなくて良い。だからもう、明日にしろ。私も疲れた」
 そう言うとようやく宇都木は立ち上がった。
「で、お前は飯を食ったのか?私は帰りに部下と食べてきたが……」
「……あ、はい」
 どう見ても宇都木は嘘をついていた。そんな宇都木に如月は深いため息を付いた。
「なあ……お前の滞在はまだ二週間あるんだぞ。その第一日目からそれか?頼むから……そういう仕事の仕方は止めてくれないか……。多少遅れても食事は摂る。時間を見計らって休憩を取る。夜は寝る。それを守れ。守れないのなら、私は代わりの人間を捜す」
「……あっ……はい……分かりました……。そうします。済みません……。つい癖で……」
 慌てたように宇都木はそう言った。そのようやく見せた感情の起伏に如月は笑みが零れた。
「それと……そんな能面を被ったような顔をするな。なんだかしらんが……気味が悪い。今まではそうやって仕事をしてきたのか知らないが、私の前でそんな表情の無い顔をしないでくれないか?人形と仕事をしているわけじゃないんだからな……」
 宇都木はそれを聞き、もう一度視線を逸らせると、また感情の見えない表情となった。
「……それはおっしゃらないでください……」
 如月がその後何を言っても宇都木からは「はい」「いいえ」「そうですね」という受け答えしか帰ってこなかった。

 結局、如月によって無理矢理ホテルに入れられた宇都木は、仕方無しにベットに身体を横たえた。不思議と疲れを感じていないのだ。
 まだやれたのに……
 さっさと終わらせてしまわないと……
 出来たら余裕を持たせておきたい……
 突発的な仕事がいつ如月に入るか分からないのだ。だから時間の節約をしておきたいと宇都木は思っていた。そうであるから、ああいう書類の整理などはさっさと終わらせておきたかったのだ。
 自分の気が焦っているのは分かる。逆にもっと如月が焦っているのかと思えば全くそうで無かった。それが逆に不思議だった。
 本当は日本に戻ることが出来て嬉しいはずなのだ……
 嬉しくて堪らないはずだ……
 日本には戸浪がいるからだ。
 もう駄目なのが分かっていても、如月は嬉しいと思っているだろう。
 宇都木はチラリと視線をテーブルの上に移した。そこには如月によって購入され、押しつけられたハンバーガーとエビアンのボトルが入った紙袋が置かれている。
 ……
 身体……心配してくれた……
 嬉しい……
 如月の側に居ることで、宇都木は何もかもが嬉しいのだ。例え部下を心配するだけの言葉であっても、その言葉は宇都木の心をとても温かくしてくれる。それを気取られないように普段より、表情が硬くなったのは確かだ。
 身体を起こし、ベットから降りると、テーブルに置いた紙袋を掴んだ。そしてまたベットに戻り、腰を下ろすと中身をとり出した。
 食べるのが勿体ない……
 そんな事を考え、暫く逡巡したが、如月が言った、多少遅れても食事は摂る。時間を見計らって休憩を取る。夜は寝る。それを守れ……と言う言葉を思い出し、包装紙を剥がすと思い切って食べ出した。一つ目を直ぐに食べ終わり、エビアンのボトルを開けて飲んだ。
 表情の無い顔をするな……か……
 だったらどんな顔をしたらいいのだろう……
 笑いかけろとでも言うのだろうか……
 如月のその言葉をどう受け取って良いのか宇都木には分からなかった。仕事上の関係なはずだ。余計な感情などそこにあってはならないと思っている宇都木は間違っているのだろうか?
 だが宇都木はあくまで、如月とは距離を取るつもりで居た。仕事はする。命令も聞く。だが互いの距離を縮める気は無かった。縮んだ瞬間に逃げたのは如月だからだ。そんな想いは二度としたくない。
 このまま一定の距離を置いて、多少他人行儀であるほうが長く側におれるだろう。
 宇都木はそんな事を考えながらもう一つのハンバーガーの包みを開けて、それを食べた。
 他人から見ると確かに宇都木の立場は可哀相に見えるのかもしれない。好きな相手は自分ではない男を見ている。それでも己の気持ちを押し殺して側に居ることをだけを選んだ。そんな宇都木は鳴瀬からみると確かに同情するような立場なのかもしれない。
 だけど……
 私は充分満たされている……
 他人が何を言おうと、思われようと……
 それこそ迷惑だ。
 ハンバーガーを食べ終わり、包みを袋に入れそのままベットに横になった。お腹に食べ物が入った所為で、急に眠くなったのだ。
 ああ……
 なんだか眠くなってきた……
 うとうとしながら宇都木はフッと鳴瀬の事を思い出した。
 貰ったお守りをどうしようかと思いながら、結局スーツの上着に付いている胸ポケットに入れて持ち歩いていた。
 悪いことをした……
 鳴瀬のことに関しては後悔ばかりしているのだ。
 済みません……
 許してください……
 愛していると言われても、宇都木の気持ちはこれっぽっちも動かないのだ。その言葉を求めた相手が違うからだった。
 苦い思いをしながら宇都木はそのまま眠りについた。



 滞在最終日、大体主要なものは全部エア便に乗せホッとしているところにひょっこりと鳴瀬がやってきた。
「……鳴瀬さん……?」
 宇都木は驚きでその後言葉が出なかった。
「急ぎの書類を真下さんから持たされて……来たんです。俺、こういう所に来るの初めてで……はは。下で迷っちゃいました……。英語そんなに上手くないし……」
 そう言ってようやくたどり着いたのか、情けない感じの笑みを浮かべてフロアに入ってきた。
「FAXか、メールで添付でも良かったのですが……」
 そう言うと、鳴瀬がまた笑った。
「真下さんが宇都木さんの様子を見て来いって……心配されてるみたいです」
 言いながら鳴瀬は持ってきた書類を、鞄から取り出してこちらに渡してきた。それを受け取り、中を確認すると確かに人事関係の大事な書類だった。
「ありがとうございます。三時には如月さんが戻ってきますので直ぐサインを貰います。夕方私が飛行機に乗りますので、これはその時一緒に持って帰りますね。日本本社で必要な様です……」
 宇都木はそう言って書類を自分の鞄に入れた。
「三時ですか……うーん……俺が持って帰るつもりだったんですけど……」
 困ったようにそう言ったが、如月のサインが必要な書類なのだ。本人が居ない為仕方ない。
「連絡を頂いておれば何とかなったのでしょうが……」
 本日は何とか予定を空け、如月は兄夫婦のうちで昼食を御馳走になっているのだ。
「俺もそう思うんですよ……真下さんって、時々抜けてますよね……。大抵そつなくこなす癖に、ほんとに時たまこういう事になると思いませんか?」
 クスクス笑って鳴瀬は言った。
 確かに真下にはそんなところがあった。
「まあ……そんな時は……知らない振りをしてあげるんですよ……」
 こちらまで笑いそうになった表情を引き締め宇都木は言った。
「そうですけどね。あ、昼飯食べました?まだなら何処か連れて行ってくださいよ……」
 鳴瀬は嬉しそうにそう言った。本当は断りたいのだが、わざわざこんな所まで来てくれた鳴瀬を冷たく突き放すことは出来ない。
 ただお礼に昼食をおごれば良いのだ……
 宇都木はそう思い、鳴瀬の言葉に頷いた。
「何か食べたいものがありますか?」
 フロアにキーをかけ、宇都木は言った。
「あのですね……笑わないでくださいね。俺ホットドックって食べてみたいんですよ。ほら、アメリカ映画とかに出てくる公園とかで売ってるホットドック!」
 子供みたいに鳴瀬はそう言った。
「……それは昼食ですか?」
「駄目ですか……うーん……ニューヨークに来たら絶対食べたいなあって思ってたんですけど……」
「いえ……私は構わないのですけど……」
 受付の女性に、一時間ほどで戻ると言付けし、宇都木は鳴瀬と一緒に東都アメリカ本社のビルを出た。
 表通りはタクシーがせわしなく走り、色んな人種が歩いている。こうやって通りに出るとここはやはり国が違うのだといつも宇都木は思う。
 高さを誇るエンパイアステートビルに、美しさを誇るシーグラム。それらは摩天楼の中で何故か宇都木には儚げに見える。美しいビル群も、やはり宇都木には見慣れた新宿のビル群の方が遙かに現実であった。
「……俺はやっぱり日本が良いです……」
 鳴瀬はそう言って溜息をついた。初めてこちらに来た日本人が最初に思うのはそれだろう。同族意識が強い人種には多少抵抗があるのかもしれない。
「そうですね……ですが慣れれば一緒ですよ……」
 宇都木はそう言って、タクシーを拾い、セントラルパークに向かった。

 マンハッタンのど真ん中にあるセントラルパークに着くと、二人はぶらぶらと歩き、所々で店開きしている露店でホッとドックとコークを買った。
「なんかでかいですね……それにこれ……ケチャップとからしが滅茶苦茶かかってません?」
 目をまん丸にして鳴瀬はそう言った。その姿を見て本当に初めて食べるのだと宇都木は思った。
「……まあ……こちらは何でも大きいですからね……下手にレギュラーを頼むとバケツみたいな入れ物に入ったジュースが出されますので……」
 笑いを堪えるようにして宇都木はそう言いベンチに座った。
 天気は良く、公園内には結構沢山の人が日光浴をしたり、雑談したりしている。中にはサラリーマンの姿もちらほら見られ、宇都木達もその中に混じった形になったので違和感は無かった。
 風が心地よく頬を撫で、先程まで書類に埋もれていたのが嘘のようであった。
「なんは…ふいにくい…」
 口一杯にホットドックを頬張った鳴瀬が、そんな口で話すものだから何を言っているのか宇都木には分からなかった。逆に変な言葉に聞こえて思わず吹きだした。
「……そ、そんなに口一杯頬ばらなくても……」
 もう目の端に涙が滲むほど宇都木はおかしかった。久しぶりに笑った所為か宇都木は心が軽くなったような気がした。
「……ん……ん……なんだか……俺失敗したみたいですね……こんなに食いにくいものだとは思わなかったんですよ……」
 ハンカチで口を拭きながら鳴瀬は言った。
「……上手に食べないと、中身が落ちますよ。いい大人がスーツにケチャップなどつけたら笑われます……気をつけてくださいね……」
「……それ先に言ってくださいよ……。俺はもっと簡単にぱくって食えるものだとばっかり思ってたんですから……。あ、宇都木さんも食べてくださいよ……俺だけこんな目に合うのなんだか損したみたいだから……」
 苦笑しながら鳴瀬はそう言って笑った。
「……はあ……おつきあいで買いましたが……確かに食べにくいでしょうね……」
 どうやって食べようかと思案しながら、自分の分を眺めた。思い切りかぶりつくと、情けない顔になりそうで、困った。
「食いにくいですよ……」
 言いながらも鳴瀬は美味しそうに食べていた。意外に豪快に食べる……と感心していると携帯が鳴った。
「済みません、ちょっと持って下さいませんか?」
 鳴瀬に自分のホットドックを渡し、携帯をポケットから取り出すと如月からであった。
「どうされました?」
「悪い、日本行きの便、夕方からで構わないから私の分も取ってくれないか?少々用事が出来た。無いなら明日朝一番でも良い。日本で一日滞在するようにしてくれたらまた戻る。そのように夕方からの予定を変更してくれ」
 やや焦った感じに聞こえるのは気のせいなのだろうか?
 そんなことを思いながらも平静に宇都木は言った。
「分かりました。手配しておきます」
「頼む、後暫くしたら戻るから……」
 自分のことだけを言うと如月は電話を切った。
「如月さんですか?」
「ええ……」
 ポケットに携帯を直しそう宇都木は言った。
「……あ、私これからチケットの手配に戻らないといけませんので……その……」
 言ってチラリと宇都木は鳴瀬の持つホットドックを見た。
「え、これ俺が食うんですか?」
 手にホットドックを持って鳴瀬はそんなあと言う顔をした。

 結局、鳴瀬はタクシーの中でホットドックをもう一つ食べ、宇都木はその横で仕事の電話に追われていた。予定を急に変更するのはかなりの作業なのだ。それもこちらから訪問する予定ばかりであったので、断る理由も骨が折れたのだ。
 そうしてようやく東都のビルに戻ると、宇都木はすぐにエレベーターに乗り二十階まで上がった。その後ろを鳴瀬は何も言わずに追っかけてくる。
「鳴瀬さんはもう戻られても構わないんですよ……」
 一旦電話を切った宇都木は、また次のアポイント先にプッシュボタンを押しながらそう言った。
「え、俺で手伝えるなら何でもしますけど……」
 手に付いたケチャップをハンカチで拭きながら鳴瀬は言った。そんな鳴瀬に左右に手を振ると、断りのゼスチャーをし、かかった訪問先と宇都木はまた話し始めた。
 話ながら鳴瀬を見ていると、キョロキョロと落ち着きがない。その暇なせいか、窓に思い切り身体を寄せて、外の景色を見ていた。余程日本にはない形の高層ビルが珍しいのだろう。
 何だか微笑ましい……
 いや……
 子供みたいだ……
 そんな事を考えながら、宇都木が電話を終えると如月が帰ってきた。
「悪い……宇都木。急用が……なんだ、鳴瀬か、何しに来た……」
 窓の所にいる鳴瀬に気が付いた如月がムッとしたように言った。この二人、元々余りそりが合わないのだ。それには色々事情があった。
「真下さんから急ぎの書類をお持ちしたんです」
 鳴瀬の方は淡々とそう言った。先程のくだけた表情は今の鳴瀬には一切見られなかった。
「用は済んだのか?だったら帰ってくれ……」
 そう言った如月の声は冷淡だった。その口調に鳴瀬が気が付かないわけは無かった。
「ええ、分かっております。じゃあ宇都木さん、帰ります。後の書類また届けてくださいね。待ってますから」
 如月の口調に対抗するように鳴瀬も如月を突き放したように言い、振り向かずに帰っていった。
「この忙しいのに……何だ一体……」
 チラリと鳴瀬が出ていった後を振り返って如月は言った。
「大事な書類をわざわざ持ってきてくださったんです。なのに、そんなものの言い方は感心しませんが……」
「なんだ……鳴瀬の肩を持つのか?」
 如月は酷く機嫌が悪かった。余程鳴瀬の顔を見たことが気に入らないのだろう。いつもはここまで不機嫌にはならなかったはずであった。
 何かあったのだろうか……
 そう宇都木は思うのだが、わざわざ聞くことは出来なかった。
 余計に機嫌が悪くなるからだ。
 仕方ない……
 何とか話を逸らさないと……
「そう言うわけでは……。チケットは取れました。四時半の便です。宜しいですか?私もご一緒しますので……」
 鳴瀬の話題から遠ざけるように、宇都木は仕事の話で誤魔化した。
「あ、ああ……済まない……。四時半ならまだ少し時間があるな……」
 やや表情を和ませて如月は言った。
「日本で何かあったのですか?」
 余りにも急な事であったため、何か大変なことでもあったのだろうか…と、宇都木は心配になったのだ。
「え、ああ……ちょっとな……」
 言葉を濁したその如月の顔は、こちらの視線を避けていた。それは話したくないと言う意思表示なのだ。こういう場合はあえて追求できない。
 何だろう……
 何があったんだろう……
 仕事の話なら話してくれるはずです……
 例え身内の不幸でも……
 そのどれでもない?
 では一体何だろう……
 まさか私用?
 こんな時期にどんな私用があって、大事な顧客のアポをキャンセルするのだろう……
 宇都木にはその理由を推し量ることなど出来なかった。
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