「黄昏感懐」 第14章
後ろからクラクションを鳴らされ、ようやく宇都木は我に返った。
「あ……済みません……」
自分の後ろに来ている車に向かってそう言うと、車を出した。この後は、一旦自分のうちに戻り、九時には今度新しく働く職場へ向かわなければならない。
如月が日本に腰を落ち着けるのは一週間後だ。それまでには宇都木は全てを整えて置かなければならないのだ。
だが今、宇都木にはその事を考える余裕が無かった。先程如月が言ったことをはっきりと理解できないでいた。
最初身体から入っても、愛情は生まれるはずだ……
それは一体どういう意味なのだろうか?
まさか……
宇都木は運転しながら顔色を失った。
鳴瀬は宇都木と寝たことは如月には言わないといったが、本当にそうだったのだろうか?如月がああいったのは宇都木と寝たことを鳴瀬が話したからではないか?
気分がドンドン悪くなるのが宇都木には分かった。吐き気を必死に抑えながらようやくマンションに戻ると、玄関にまた鳴瀬が立っていた。
「おはようございます……」
鳴瀬の顔は何時も通りのものだった。
「……昨日……如月さんと何か話されたのですか?」
おはようの挨拶もなしに、いきなり言った宇都木の声は喉が詰まった。
「……話しを……しました……」
背を扉に押しつけ、鳴瀬はスーツの上着に手を突っ込んでいた。だが視線はこちらを見ずに外の景色を眺めていた。
「……何……を?何を話したんですか?私に話してくれたことと全く違う話をされませんでしたか?どうなんです?」
宇都木には珍しく、酷い剣幕でそう言った。
「……あいつがあんまり貴方を馬鹿にするような事をいうから……俺と宇都木さんはもう寝た関係だって話しました。それは嘘じゃないし……」
寝た……
確かに……
確かにそう……
だけど……
「それは……っ……鳴瀬さんは言わないとおっしゃっていたではありませんかっ!」
鳴瀬の腕を掴んで宇都木は叫ぶようにそう言った。
「……言うつもりは無かったんです……。でも……貴方があんまり可哀相に思えたから……俺は……」
こちらをじっと見つめている鳴瀬の瞳に哀れみのようなものを宇都木は感じた。
私は……
そんな目を向けられるように見えるのだろうか?
哀れだと……
可哀相だと?
どうして勝手にそう思うんです?
私は納得しているのに……
私は今本当に幸せなのに……
「……帰って下さい……」
掴んでいた手を離して宇都木は言った。
「宇都木さん……俺、本気で如月さんから貴方を奪う気です。身体だけじゃない。心も含めて……」
真摯な瞳で鳴瀬はそう言った。だがそんな瞳すら今の宇都木には煩わしいだけのものであった。
「……何度私に構わないでくれとお願いすれば、貴方は聞いてくれるのですか?誰が何と言おうと、私は今満足して居るんです。それなのに……どうしてそう引っかき回すような事ばかりするのですか?どうして……私を困らせるようなことばかり貴方は……」
そこまで言い、瞳に涙が滲んだ。
「宇都木さんには……可哀相だけど、貴方はあいつに利用されてるだけです。それをどうして分かろうとしないんですか?」
今度は鳴瀬がこちらの腕を掴んだ。だが宇都木はそれを振り払う。
「だからっ?何です?利用されようが、どうされようが私が納得しているのなら、それで構わないでしょうっ!何も関係のない鳴瀬さんに、そんな風に言われる筋合いはありませんっ!」
睨み付けるような瞳を向けて宇都木は言った。
「俺はっ……宇都木さんが好きだっ!だからっ……」
鳴瀬は懇願するような声でそう言った。
「……それが免罪符になるとでも思っているんですか?何様のつもりです……。私のことなど本当はこれっぽっちも考えてくれて等いない。そうでしょう?自分の気持ちを無理矢理押しつけて……私は迷惑だと言っているのに……それでも私の為だからと言う……。本当に私のことを考えてくださるのなら……そっとしてやろうと、どうして思ってくれないのですか?」
宇都木が一気に言うと鳴瀬はじっとこちらを向いたまま無言になった。
「それほど思う魅力が如月さんの何処にあるんです?身勝手で……自分のことばっかり考えて……人の気持ちを踏みにじっても何とも思わないような男なのに……」
踏みにじっている訳じゃない……
あの人は自分の愛した人を忘れられないだけだ……。
そんな人を私が愛したからといって……
今度はこちらの気持ちを押しつけるのか?
私はあの人が誰を想おうと、自分が好きだから側に居たいだけなのだ。
好きだから……有能だと思われたい。
思われたから、自分を仕事上のパートナーとして選んでくれたのだ。
それは決して、利用しようと如月が思っているわけではない。
私が側にいたいから……
愛されなくてもいいから……
ただ側に居たいから必死に有能であろうと努力しているだけだ。
それをただ如月は認めてくれた。
そのどこが、踏みにじることになるのだ?
「……鳴瀬さんがそう思うだけでしょう?私のことなど何も知らない癖に……」
宇都木から如月を誘い、最初身体の関係を作った。
だがそれは如月によって既に精算されている。それ以降、宇都木には手を出すことはしていない。本当に身勝手な男なら、宇都木を未だに抱いていたはずだ。だが如月はしなかった。それを誠実だとは言えないのだろうかと宇都木は思った。
あとは仕事の能力を認め、本当ならあの様な事があった相手を側に置こうとはしないだろう。だが如月は宇都木を選んでくれた。
宇都木には本当にそれが嬉しかったのだ。
誰が何と言おうが、思おうがだ。
恋愛問題と、仕事をきっちりと分けてくれている。それはとても宇都木にとってありがたい事だったのだ。
この何処が身勝手だというのだ?
身勝手なのは自分だと宇都木は思った。相手にその気もないのに、宇都木が好きだから……ただそれだけで、如月を誘い、抱き合う関係を作った。如月が誰を想っているかを知っていたにも関わらずだった。
何より自分の醜い嫉妬で、如月の大切な手紙を灰皿で焼いて処分した。如月は宇都木を信用したから、手紙の投函を任せたはずだ。その信頼を踏みにじったのは、他ならぬ宇都木なのだ。
「……宇都木さん……」
溜息のような鳴瀬の声だった。
「私も……身勝手なんです……。人の気持ちを踏みにじるような事もしてきました。誰だってそうでしょう?一度もそんなことをしたことがないと言う人間が何処にいるんです?居たら会ってみたいものですよ……」
冷えた瞳で宇都木は言った。
「……俺の気持ちは押しつけですか?」
もう泣きそうな声でそう言った。
「私の為だと言い聞かせて、本当は鳴瀬さんは自分の気持ちを私にごり押ししたいだけなんです。私にも……そんな風に思いたい気持ちは良く分かります……。ただ……私は本当に貴方のことが迷惑です。だからもう私に近づかないでください。如月さんにもです。私は今の居場所から動くつもりなど無い」
きっぱりと宇都木がそう言うと鳴瀬は肩を落とした。
「……そうですか……」
視線は床に張り付いたままであった。あまりの宇都木の剣幕にこちらを見ることができ無いのだろう。
「ここには二度と来ないでください……」
更にそう宇都木が言うと、鳴瀬は玄関の扉にもたれていた身体を離し、ゆるゆると歩き出した。そんな姿に宇都木は胸が痛んだが、最後まで優しい言葉をかけずに見送った。
あの人は……
今頃どう思っているのだろう……
宇都木は鳴瀬が帰った後、直ぐに家にはいると熱いシャワーを浴びた。上から降り注ぐ熱い湯は宇都木の冷えた心までは温めてくれなかった。
如月は宇都木が鳴瀬と寝た事を知ったのだ。それであんな風に如月は言ったのだろう。
最初身体から入っても、愛情は生まれるはずだ……
誰とでも寝られる男だと思っただろうか?
心が無くても……
誰とでも寝られるのだ……と
そんな男だと思ったからあんな言葉が如月の口から出たのだ。
もういい……
どう思われても側に居られるだけで……
一緒に仕事を出来ればそれで良いのだ。
何度も思った事を、もう一度確認するように宇都木は心の中で反復した。
私は……
私自身の評価をどう受けようと。
側にいて……
あの人の力になれるだけでいい……
それで幸せなのだ……
ようやく温もりを取り戻した心がそこにあった。
アメリカニューヨークに戻った如月は、暫く引継に追われていたが、帰国を二日後に控えた頃にはする事が無くなっていた。
……ああ……
ようやく片が付いた……
だが……暇だな……
がらんとしたオフィスの一室で、如月はホッと息を吐いた。
「如月さん、コーヒーでも入れましょうか?」
ぼんやり出窓の手前に腰を掛けていた如月に気が付いた、秘書課のロイズが声を掛けてきた。本人は飲みかけのコーヒーのカップを手にし、脇には書類を持っていた。
「いや……もう飲み過ぎて胃を壊しているんだ。今はカフェイン絶ちしている」
苦笑して如月がそう言うと、ロイズが窓際にやってきた。
「帰ってしまわれるんですね。寂しいですよ……」
ロイズはそういってこちらが腰を掛けている窓の桟にコーヒーを置いた。窓から見えるビル群は既に夕日に染まっていた。
「そう言って貰うと、ありがたいね。ただようやくこちらにも慣れてきた矢先の事だから焦ったよ。左遷かと最初思った」
そう言って笑うと、ロイズも一緒になって笑った。
「まさか……それならうちの部署に来て貰いましたわ」
「秘書にかい?よしてくれよ……」
とんでもないという顔で如月は言った。
「まさか……私達の上司になって貰ってましたと言いたかったんです」
ロイズは驚いた顔でそう言った。
だがロイズの上司は専務だ。それは幾らなんでもいきすぎだろう。
「……はは。ものすごいジョークだな……」
「でも秘書としてなら、ええっと……ついこの間いらしていた宇都木……さんでした?彼が欲しいとミスターが言ってましたよ。すごい方ですね」
感嘆の溜息をついてロイズは
「……ああ……幸いなことに、日本で私のフォローをしてくれる事になっているよ。残念だったな。ミスターに伝えて置いてくれ、彼は私のものだってね」
秘書として有能な宇都木は自分のものだという気が如月にはあったのだ。
「残念ですわ……」
ロイズはそう言ってまた笑った。
「ああいう人材は大切にして下さいね」
しみじみとそうロイズは言った。
「なんだか意味ありげに聞こえるな……」
苦笑して如月は言った。
「ミスターが一度、ご自分のミスで仕事で大穴を開けたときの話しですが……私達を集めてそれはもう怒鳴り散らす散らす……で、切れた人がいたんです。その場で辞められましたよ。でも一番頼りがいのある人だったんですよ……。そのお陰で、彼が仕切っていた全てのことが私達に振られて……もう仕事が滅茶苦茶になった時期がありました。やっぱり出来る秘書は手元に置いておくべきなんですよ。如月さんも感情で振りまわさないようにしてあげて下さいね……」
言って先程置いたコーヒーのカップを持ち「じゃあ仕事にもどります」とロイズは言うと、フロアを出ていった。
確かに……
感情で振りまわすのは良くないな……
気をつけないと……
自分でも時折感情でものを言ってしまうことがあるのだ。真下が前に言ったように多分まだその辺りがコントロールできないのだろう。
だが感情で部下を振りまわすような上司はろくなものではない。これからは気をつけなければ……等と如月は本気で思った。
今までより責任は重いのだ。
「しかし……暇だ……」
ぼーっと夕日を眺めながら如月は呟いた。
日本行きのチケットは二日後の便で指定している。あと二日こんなに暇に過ごさなければならないのだろうか?
予定を変更してもいいか……。
一日位自宅でぼんやりするのもいいのかもしれんな……
それにしても……
今頃……
宇都木は何をしているのだろうか……
こちらに戻ってきてから如月は、ホッと気持ちに余裕が出来ると宇都木のことを考えてしまう自分に、暫く前から気が付いていた。だが仕事のことで何度も国際電話で打合せはしたものの、それ以外の話しは互いにしなかった。
何より電話向こうの宇都木の声は事務的で淡々としたものであったからだ。そんな宇都木に、最近は遊びにでも行ったか?等と気軽に話しなど振れないのだ。
多分鳴瀬と会っているのだろう。
そうして抱き合っているのだ。
心を貰うと言ったのは宇都木にまだそこまでの気持ちがないからだろう。
それはとても空しいセックスに如月は思えて仕方ないのだ。
自分自身が、戸浪を想いながら宇都木を抱いていたのと同じような気がする。本来なら、そんな付き合いは止めろと如月は言ってやりたいのだが、それも出来ないでいた。
止めた方が良いぞ……
何度抱き合っても、愛情が無い場合は空しさが募るだけだ……
私がかつてそうであったように……
身体の欲求は一時収まるかもしれないがな……
それでもいいのか?
お前は満足か?
どうなんだ?
如月は側に居ない宇都木に向かって心の中でそんな風に言った。
私の回りは馬鹿しか居ない……
私を含めて……
みな恋愛が下手だ……
そんな風にも如月は思った。
不思議なのは、鳴瀬と宇都木が抱き合っている事を想像するといい気がしないことであった。それは自分とも関係が合ったからだと考えるようにはしていたが、本当にそれだけなのか、自分自身も良く分からない。
だが……
宇都木と鳴瀬のことが気になっているのは確かだ……
こちらに戻ってきてからの如月は、日本が夜になる頃にばかりを狙って宇都木に電話を掛けていたのだ。そうしてまだ会社に残っている宇都木にホッとする。
私は……
宇都木をどうしたいのだろう……
その辺りを突き詰めて考えたことが無いのだ。考えると何か得体の知れないものに触れてしまいそうな気がするからであった。
過去を聞き、宇都木が酷い子供時代を送ったことを知った。その時本当に宇都木を抱きしめてやりたいと思った。
同情でもない……
哀れみでもない……
ただ、抱きしめて背中を撫でてやりたい気に駆られたのだ。
それは……
一体どういう感情から来るのだろう……
如月には判断が出来ずに今まで来たのだ。鳴瀬が言った事に対する腹立ちは、一体何が原因なのか、まだ如月自身にも分からない。
ただ、答えを先延ばしにしているような気も如月にはした。
私は……
戸浪をまだ想っている……
本当にそうなのか?
だが戸浪が手には入らないことを思い知り、今度は手近な相手を代わりにしようと思っているのだろうか?
それも散々酷い目に合わせた相手を……
いや……
今は宇都木に以前のような身体の関係を求めているわけじゃない。
そんな気は如月に全く起こらないからだ。
だったら一体何故これほど宇都木が気になるのだ?
何時も気が付けば側に居るはずの宇都木が今は見あたらないからだろうか?
それだけか?
日常と違う風景に違和感を感じているのか?
宇都木がいないという風景に……
それは一体どう言うことだ?
……
……もしかして……
私は……
宇都木が……
好きなのか?
だから気になるのか?
そうなのか?
まさか……
フッと如月は視線を上げた。
視界に入った摩天楼は如月に答えを教えてはくれなかった。
「疲れた……」
滅多に口に出ない言葉が宇都木の口から漏れた。
こちらの準備で忙しい事に対して疲れたわけではなかった。基幹システムなどを導入する段階で、トラブルがあり、業者との対応に苦慮していた頃、祐馬から電話があったのだ。
また……
トラぶってる……
いい加減に落ち着いてくれないのだろうか……
祐馬は宇都木が既に東の秘書から離れ、今度如月の秘書としてつくことをまだ知らないようであった。その為か、祐馬はある男を調べて欲しいと言ってきたのだ。その男は戸浪に今付きまとっており、酷いストーカー行為を繰り返しているのだと祐馬は言った。
その男に何か弱みになりそうなものがないか調べて欲しいと言われた。
ああもう……
そんな男は弱みを探すより、さっさと何処かへ飛ばしてしまえばいいのだ。
地球の裏側にでも……
二度と日本の土を踏めない場所へ飛ばせばいい。
イライラしながら宇都木はそう思ったが、他ならぬ祐馬の頼みであった。聞いてやらない訳にはいかない。
何より、祐馬と戸浪にはとにかく何時までも平穏無事に二人で暮らしていて貰わないと困る。如月は何か二人にあれば直ぐにそちらに顔をつっこもうとするからだ。
もう無理矢理何とかしようと思っている節は見あたらない。だが、あわよくばと思っているなら困る。何より、戸浪のことになると如月は仕事まで放り出して仕舞うから始末に追えないのだ。
まだ……
愛しているから……困るのだ……
宇都木の本音はそこにあった。
例えこの先如月に新しく恋人が出来たとしても、宇都木は戸浪だけは許せなかったのだ。
その為、二重の負担を強いられたものであるから流石の宇都木もくたくたであった。
「はあ……」
もう一度溜息をついて、誰もいないオフィスの一室で宇都木は最後の片づけをしていた。明後日には如月が帰国する。その翌日からここには如月の部下達がそろい、また毎日忙しく過ごすことになるのだ。
今以上に頑張らないと……
大変かもしれないが……
あの人と一緒ならやっていける……
会社に来ることが私の人生になるのだろう……
いつまで使ってくれるかは分からないが、出来る限り長い間如月の側で働きたいと思った。出来る努力は惜しまない。如月に認めて貰うことが人生のよりどころとなるのだろう。
そう考えた宇都木は小さな声で笑った。
夢が出来た……
小さな頃は夢が無かった。
働くようになってようやく夢を抱いたが、どうあっても叶わない夢であった。
だが今までは、叶えられる夢をもっていた……
如月の側に居ること……
信頼をこの身一心に受けること……
ずっとその居場所に居続けること……
それらは宇都木が努力すれば叶うものだったのだ。
そこに携帯が鳴った。
「もしも……え?」
相手は如月だった。
「いや……もうする事が無くなって暇になったから、チケットを取り直してさっさと帰ってきたんだ。仕事を始めるまで一日くらい日本でだらだらしたいと思っていたからな。今成田に着いたところだ。お前は今何処にいるんだ?」
「まだ会社におります」
「お前……私が言ったことを忘れているな……」
如月の声は怒っているようであった。
「それが……トラブルがありまして、先程ようやく終わったんです。基幹システムを本社と繋げようとしてサーバーがダウンしたので、それの対応をここ暫くずっとしておりました。動かないと困るものですので……。帰りたくても業者さんだけほったらかして帰られません」
宇都木はそう言った。
「……ああ、それじゃあ仕方ないな……。じゃあそっちの様子も見たいから、今から行くよ。何より今日は必ずお前に会って、預かって貰っている新しいうちの鍵を貰わないと入られないんでね」
如月の住むマンションは既に決まり、その手続きは済んでいたが、キーをまだ渡していなかったのだ。
「キーは私が持っておりますので。こちらに来ていただけると助かります……。まだ少し雑用がありますので……」
「そうか……じゃあ又あとでな……」
言って如月は電話を切った。
久しぶりに如月に会える嬉しさに宇都木は胸が高鳴った。
平静に……
何時も通りに……
必死に自分を押さえ宇都木は残りの資料を整理し始めた。もし如月が来る頃までに仕事を終えられたら、食事にでも誘って貰えるかもしれない……と、なんだか期待をしている自分自身が可笑しかった。
別に……
私から誘っても可笑しくないことだ……
夕食なのだから……
そうしよう……
これからは普通に夕食や昼食を誘える関係になるのだ。一緒に働くもの同士が行う付き合いは何だって出来る。
そんなことを考えながらも気分だけが高揚してくるのが宇都木には分かった。
どうせ仕事の話しばかりで終わるのだろうが……
等と考えながらも幸せだなあと宇都木は思っていた。
早く終わらせよう……
宇都木は今まで以上に必死に書類と格闘し始めた。
ふと気が付くと、そろそろ如月が来る頃だった。一旦書類から顔を上げて時間を確認すると九時を廻っていた。
こちらはもうすぐケリがつきそう……
広げていた書類を丁寧に分けて、ボックスに片づけていると声を掛けられた。
「宇都木さん……」
鳴瀬だった。
「……鳴瀬さん……」
今度は何を言いに来たのだろう……
暫く姿を見せなかったので、諦めたのだろうと思っていたのだがそうではなかったのだろうか?
「……」
無言でこちらの座る椅子の横に立つと、鳴瀬はじっとこちらを見た。
「……どうかされましたか?何かあったのでしょうか?」
見上げながら宇都木がそう言うと、急に鳴瀬は膝を折り、こちらの膝に手を置いた。
「鳴瀬さん?」
「……俺はどうして良いか分からないんです……」
下を向いたままそう鳴瀬は言った。
「……諦めてください……。私は……私の気持ちは誰にも揺れることはありません」
「諦め切れたらっ!こんなに……苦しんだりしない……」
顔を上げ、鳴瀬はそう言った。
「……私には貴方を受け止めることが出来ないんです……」
「こんなに好きなのに……」
こちらの膝に置いた手をギュッと鳴瀬は握りしめた。
「……帰って下さい……」
もうそれ以外の言葉が出ないのだ。
「俺っ!」
「……っ!」
いきなり鳴瀬に両足を引っ張られた宇都木は床に背を叩きつけられた。フロア自体は配線をするために床を上げてあり、その表面には長方形のカーペットがきっちり敷き詰められていた。その所為で、痛みはそれほど感じなかった。
「……な……鳴瀬さんっ!」
「こんなに好きなのに……」
鳴瀬はそう言って頬をこちらの胸に擦り寄せてきた。
「止めてくださいっ!」
そう言って宇都木が鳴瀬の拘束から逃れようとするのだが、組み敷かれた身体は動かない。
「鳴瀬……さん……冗談ですよね……?」
「貴方をみてると……堪らなくなるんだ……」
言いながら鳴瀬は宇都木のネクタイをするりと首元から引き抜いた。何故か鳴瀬は自分のネクタイも解いてみせた。
「止してくださいっ!私は貴方と寝る気など……っうっ!」
いきなり口元にネクタイを噛ませられ、そのまま後ろでくくりつけられた。その為声がうめき声にしかならなかった。
「ーーーっ!!」
手を振り上げて抵抗しようとしたその両手首も同じようにネクタイで縛られ、そちらの端はデスクの足にくくりつけられる。
「っ……うーーっ……!」
上半身を必死に起こそうとするのだが、上に乗った鳴瀬はそんな宇都木のシャツを荒々しく引っ張り、その勢いにボタンがちぎれ飛んだ。
嘘……っ!
嘘だっ!
嫌だっ!
こんなのは嫌だっ!
宇都木が訴えるような目を鳴瀬に向けたが、鳴瀬の方はただ冷ややかにこちらを見下ろすだけであった。