「黄昏感懐」 第13章
マンションに戻った宇都木は自分の家に入るまでの間、持っていた車のキーを何度も落とした。手が震え、いつの間にか落ちるのだ。宇都木はその度にキーを拾った。
五回目に落としたのが玄関の床の上であった。
「……っ……」
腰を屈めて拾い、次に二度と落とさないようにシューズボックスの上に置く。
動揺してる……
動揺してるんだ……
屋敷からの帰りも良く事故を起こさなかったと思うほど、宇都木の運転は頼りなかった。心の中にある、あらゆる事がごちゃ混ぜになり、どれから整理して良いか分からなかったからだ。
玄関に鍵を掛けると、宇都木はリビングまで移動し、ソファーに座った。そうして両手を前に出し、手の平を眺める。すると、小刻みにまだ震えていた。
……ああ……
どうしよう……
誤解された……
如月に鳴瀬とキスをしている所を見られたことが、酷く宇都木の心を苛んでいた。確かに宇都木が誰とつき合おうと如月はその事について何とも思わないだろう。それはいいのだ。だが、ついこの間、宇都木は如月に自分の想いを告白した。その直後にもう誰か別の男とつき合っていると思われるのが堪らなかったのだ。
尻の軽い男と思われたかもしれない……
何年も密かに想い続けていた気持ちを、大したことのないように如月に思われるのが宇都木には耐えられなかったのだ。愛されなくてもいい、自分を見てくれなくてもいい。それを求めたりはしない。
だが、如月に対して抱いている気持ちが軽いものと思われたのではないか……と、いう事が宇都木を苦しめたのだ。
もちろん、鳴瀬と寝たことを否定することは出来ない。あの時は確かに癒されたのだ。だがそれと、想いは別のものだ。ただ、そう宇都木が必死に思ったとしても、如月に伝わる筈など無い。かといって、違うと否定する言葉も口に出せるものでは無いのだ。
言ったところで、何をどう如月が信用してくれるのだ?
如月は宇都木を愛することなど無い。そんな如月に、あれは違うのだ、私は貴方が好きなのだと言ってどうなるというのだ?
例え如月が誤解していたとしても、別にその事に関し何の感慨も持たない相手に誤解を解くなど宇都木自身が虚しくなるだけなのだ。
鳴瀬の気持ちは分かる。充分分かる。だが宇都木には如月しか見えないのだ。全ての優先事項は如月からだった。そんな宇都木に鳴瀬の気持ちの入る隙間など無い。
申し訳ないと思う……
悪いとも思う……
鳴瀬を好きになることが出来たら良いと確かに思う。
だがどれほど辛くても、宇都木には如月を想うことを止められないのだ。想い、焦がれて自分自身がどうなるか分からないほど、相手を愛している。だがその気持ちが重荷にならないように、如月の側に居るときは己の想いを表すような言動も、そぶりも一切がっさい全てを押さえることにした。
そうすれば如月もずっと側に置いてくれると思ったからだ。だが鳴瀬とのことを知った如月はきっと宇都木に失望しているに違いない。
私を好きだと言った男がもう他の男をくわえ込んでいる……
如月の目はそう言っていた。
「別に……邪魔する気はない。ここに車を停める為に来ただけだ。勝手にやってろ。ああ、宇都木、何でもいいが明日は寝坊しないで迎えに来てくれよ」
冷たく響いた言葉……
その言葉を思い出すと更に身体は震えるのだ。
手は相変わらず小刻みに震えている。その手をギュッと握りしめて宇都木は震えを止めようとしたが無駄であった。
如月に聞かれたら……
何て言えばいいのだろう……
無理矢理だったと……
そう言えば良いのだろうか?
だが……
一度は受け入れたのは自分自身だ。鳴瀬の言う通り、どんな理由があろうと一度受け入れ抱き合った。
あの時のことを私は後悔している……
どうにもならないのに……
今更何も無かったことにしてくれと言っても無駄だろう……
すると携帯が鳴った。
宇都木は顔を上げ、ポケットに入れて置いた携帯を取りだした。画面には鳴瀬の携帯番号が光っている。
どうしよう……
まだ何か言いたいのだろうか……
もう……
お願いだから放って置いてください……
暫く持ったまま、向こうから切れてくれるのを待ったが、コールする音は止まなかった。宇都木は仕方無しに携帯を取った。
「もしもし……」
声までも震えていた。
「宇都木さん……済みません……俺酷いことを……」
沈んだ声で鳴瀬はそう言った。
「……いえ……」
それ以上宇都木に何を言えたというのだろう。
「俺……俺は……」
何か言いたげなのだが、鳴瀬ははっきりと言わなかった。
「……お願いです……。都合の良い事を私が言っているのは分かってます。ですが……もう……本当に私に構わないでください……」
迷惑なのだとは言えなかった。
何て自分勝手なのだろう……
宇都木は自分のことをそう思った。
取り繕うことに必死になっているのが自分でも分かるのだ。事実は事実で認めているのだが、必死にそれを無かったことにしたいともがいている。
取り繕ったところでそれを評価してくれる人など誰もいないのにだ。
「……俺……如月さんと……話ししようと思って……でも話しかける機会無くて……だらだら追いかけて来たんですけど……」
何を……
何を話すつもりで?
私と寝たことを話そうとでも思ったのだろうか?
如月を愛していたのはもう遠い昔だと言うつもりだったのか?
私は何も言っていないのに?
どうして……
どうしてこの男にそんな迷惑を受けなければならないのだっ!
鳴瀬のことを宇都木はここで初めて憎いと思った。
「何故……そんな余計なことばかりするんです?」
そう言った宇都木の声は冷たく抑揚の無い声となった。
「……俺が……馬鹿なことしたって……無理矢理宇都木さんに……。それだけ言いたくて……俺の一方通行なんだって……。馬鹿げてますよね……そんなこと言うの……。でも……宇都木さんの見たこともない辛い表情を見て……俺……、本当に馬鹿なことをしたってようやく思ったんです。貴方が誰を愛していたとしても……俺の気持ちじゃない。だから俺がとやかく言ってもどうしようもないんですよね……。俺……焦りすぎたんです。これからは正々堂々と張りあいたいなあ……って」
言って最後は少し声に明るさが戻った。
「……あ……」
「……だから……大丈夫です。宇都木さんが怖がってるようなこと俺、言いませんから……寝たことだって……あれも俺が無理矢理に近かったし……。馬鹿ですよね……、そんな俺を受け入れてくれたのに……。それを忘れて有頂天になってしまって……」
今度は小さな声で鳴瀬は言った。
「……何も私からは言えません……」
宇都木はただそう言った。
鳴瀬に、優しい言葉をかけることも出来ない。期待を持たせることは一切しないと決めたからだ。
ただ一瞬思った、憎いという感情を後悔した。鳴瀬は本当に宇都木を愛してくれているのだろう。それに宇都木が応えられないだけなのだ。
「……それで良いです……。俺、期待して電話した訳じゃなくて……、ただそう言う理由で如月さんと話しをすることだけ言っておきたかったから……」
「……そうですか……」
誤解が解けるとは思わないのだが、宇都木は何故かそう言ってくれた鳴瀬に期待している自分が居るのが分かった。
やはり私は……
身勝手だ……
鳴瀬に腹を立てながら……
その鳴瀬が言ってくれた申し出を酷く喜んでいる。
鳴瀬の気持ちを踏みにじってまで、自分の気持ちを優先したいと思っている……
なんて私の心は汚れているのだろう……
どうして……
こんなに……
「……あ……れ?」
鳴瀬がそう言って言葉を切った。
「……どうしました?もう用が無ければ切りますが……」
あくまで淡々と宇都木は言った。
「え、いえ……いいんです。……じゃあ……」
鳴瀬がそう言って切ろうとするので、宇都木はそれを止めた。
「何か……見たのですか?」
「……え、何でもないです……」
宇都木は時間を確認して、そろそろ夕方に入る頃だと気が付いた。如月を追いかけている鳴瀬は何を見たのだろう。
如月は目的を持って日本に戻った。それは戸浪に会うためだと宇都木は知った。
では鳴瀬は戸浪を見たのだろうか?
「……如月さん……もと恋人と御茶飲んでるんです。……なんだか俺……もう、馬鹿馬鹿しくなってしまった……。また日を改めて……俺、如月さんに話しします……」
小さな溜息をついて鳴瀬は言った。
戸浪……
そうだとは思った……
戸浪のためならなんだってするのだろう……
仕事もほったらかして……
ただ御茶を飲むためだけにここまで来たのだ……
祐馬の姉の事を話すために……そんな国際電話で済むはずなのに……
それでも戸浪のために戻ってきたのだ。
「……鳴瀬さん……もういいんですよ……。何も言わなくて……。ですが……鳴瀬さんももう私には構わないでください……」
宇都木に残されたのは仕事上でのパートナーとしての居場所だった。それが叶えられた宇都木には、他に何も望めないのだ。
例え如月が戸浪に会うためだけに帰ったとしても、いい。
鳴瀬とのことを如月が誤解していたとしても、もういい。
その事で宇都木を解雇することは無いはずだからだ。
良いのだ……
これで……
何も怖がることなんか無かった……
動揺することもない。
誤解されて何の不都合があるのだ?
そうだった……
あの人が私を見ることなど無い……
誤解されても……
何も変わらないのだ……
宇都木はようやくその事に気が付き、それと同時に身体の震えも止まった。自分が散々悩んでいたことであったが、急に馬鹿馬鹿しくなって思わず笑っていた。
だが笑いながら涙が零れていることに宇都木は気が付いていなかった。
如月が喫茶店を出たのは、戸浪が帰ってから一時間ほど後だった。色々考えているとそんな時間になった。
帰るか……
時間はまだある……
だがもう用事は済んだ……
ぶらぶらと通りを歩きながら如月は久しぶりの日本の雰囲気を味わった。危険と全く縁のない通りは安心して歩くことが出来る。
何か食べて帰ろうかと思うのだが、一人で店に入る気に如月はならなかった。このままホテルに帰り、適当にルームサービスを頼もうと如月は思った。
「如月さん……」
急に声を掛けられて振り返ると鳴瀬が立っていた。
「なんだ……お前……まさかこそこそつけていたのか?」
ああ……
戸浪とのことを監視でもしていたのだろうか?
まあ……どうでもいいが……
今の件は私は絡んではいない。
戸浪に忠告してやっただけだ……
「話しがあります」
真剣な鳴瀬の顔が、何時もだと追い払う如月の気持ちを動かした。
「ああそうか……じゃあ何か食べながらにしよう。夕飯がまだなんだよ。出来たら日本食の店に案内して欲しいんだが……?」
そう如月が言うと、鳴瀬は本当に驚いた顔を見せた。
まあ……
普段は犬猿の仲だからな……
それが、こんな風に誘いをかけたものだから驚いたのだろう。
「あ、ええ……良いですけど」
視線を逸らせて鳴瀬は言った。
その姿がとても子供っぽく如月には映った。真下から見ると自分はこんな風に見えるのだろうか……。如月はそんな事を思い笑いそうになる顔を引き締めた。
「じゃあ……ここから直ぐの所に日本会席のお店がありますので……」
言って鳴瀬は先を歩き出した。如月もその後を付いて歩く。
まあ……
ガキに腹を立てる方がガキなんだな……
随分前の話しになるのだが、兄の秀幸が舞とつき合いだしたとき、うろうろと身辺をうろついていたのが鳴瀬だったのだ。まさか身辺調査などされていると思わなかった秀幸は鳴瀬を捕まえ警察に突き出す、突き出さないともめた事があった。
だが、舞が取りなした所為もあってその場は収まったのだが、その事があってから如月兄弟は鳴瀬を毛嫌いしている。本来なら、それをさせた東に腹を立てなければいけないのだが、鳴瀬が年下の癖にえらそうなものの言い方をしたために、兄が切れ、互いに言葉の応酬となった。
まあ……
あれは誰でも切れるぞ……
鳴瀬は、舞に秀幸はつり合わないと言うような事を思わず口に出したのだ。逆に秀幸の方は、東のことを良く知らなかった所為もあり、じじいが口を出すなとまるで子供の怒鳴り合いになったのだ。未だに秀幸はそれを根に持っている。
東の秘書連中は如月の知っているのも含めてあと数人居るが、どの秘書も東に対して驚くほど忠誠を誓っている。確かに真下の話しから、その理由は分かった。
だが、鳴瀬のように、東や東都を馬鹿にするような言動をしただけで、噛みついてくる秘書が居ることが気に入らない。
とはいえ、それほど感情的になるのは鳴瀬くらいなのだろう。その後も調べられては居たのだろうが、それらしき人の姿を見ることは無かった。
まあ……鳴瀬は若かったからな……
余計に喧嘩腰になったのだろう……
それは分かっているが、やはりあの時の事は思い出しても腹立たしいのは確かだ。身内が東に対して不服を言うのと、外部から入ってきた人間が不服を言うのとでは扱いが違う。
それも如月にすると気に入らないのだ。
専制君主じゃないんだからな……
まあ……総裁と呼ばれているじいさんだからそれも仕方ないだろう……
「ここです……」
いきなり鳴瀬が振り返り、そう言った。
そこは小料理屋という風な店構えで、派手さはなかった。のれんには「柳」と書かれている。
中に入ると、床は歩く部分に平べったい石が引かれ、その周囲に小さな砂利がまかれており、会計にあたる部分には季節の生け花がひっそりと置かれていた。
色に派手さは無いが、見ると心が和むような雰囲気に仕上がっている。
へえ……
鳴瀬がこんな所を知っているとは意外だな……
如月が思っていたより中は立派な作りになっていた。
とはいえ、東家の秘書連中は接待の準備等全て取り仕切るのだから、色々隠れた場所を知っているのかもしれないと如月は思い直した。
まあいい……
久しぶりに日本料理にありつける……
如月は案内されるまま、座敷に移動した。
座敷に座ると、色々料理が出され、如月は出されるままそれを食べていた。何より久しぶりの日本食が食を進ませたのだ。
「……随分……食欲があるんですね……」
沈黙を破ったのは鳴瀬の方だった。その言い方も呆れた風に聞こえた。
「……久しぶりの日本食だからな。それに元々風邪をひこうが、何か悩もうが、余り食は落ちないんだ……」
「……羨ましい性格ですね……」
言った鳴瀬は山芋のささみ巻きを箸で弄び、先に進まないようであった。
「で、話しは何だ。別に私は食べるだけで満足だが……それじゃあお前が私をここに連れてきた意味がないんだろう?」
チラリと顔を上げて鳴瀬を見ると、こちらを見ては居なかった。
「……そうですね……」
「何だ?」
一息つこうと湯飲みを持って如月は言った。
「……俺は……宇都木さんが好きです」
たまりの入った小皿を眺めたまま鳴瀬は言った。
「……で?私にどうしろと言うんだ?お前達はつき合ってるんだろう?昼間そんな感じだったが……。だったら私に報告することではないだろう……」
まあ……
真下は鳴瀬の一方通行の様なことを言っていたが、それは幾ら真下でも分からないことだろう。だがつき合っていたからと言って別に如月はそれを止めるつもりも、意見するつもりも無かった。
幸せなら良いだろう……と。
「本当にそう思ってるんですか?」
鳴瀬の視線がチラリとこちらを向く。
「……何のことだ……。恋愛の相談は私にはしないでくれ。真下にでも言ってこい。きちんとお膳立てしてくれるだろうからな……」
「そうじゃなくて。宇都木さんはずっと貴方が好きなんですよ……」
こいつらにどうしてプライバシーが無いのだ……
私のことなどどうでもいいだろう……
「……なあ、真下さんにしろお前にしろ、人のことにどうして口出しするんだ。今、お前達はつき合っているんだったらそれで良いだろうが……」
イライラとした口調で如月は言った。
どいつもこいつも一体何だって言うんだ……
こっちはそっとして置いて欲しいことも多いんだ。
それが……
幾ら戸浪とのことを秘書連中が知っているからといって、こちらは知られたくなかった事なのだ。知っているから口出しするその図々しさは一体何様なのだ?如月は本当に頭に来ていた。
「つき合ってなんか居ません……俺の一方通行です。昼間は……俺が無理矢理……」
ボソボソと鳴瀬はそう言った。
なんだ……
つき合ってるわけじゃないのか……
その事に何故か如月はホッとした。そんな気持ちが何故おこったのかは如月自身も分からなかった。
「……まあ……誰かを好きなるのを止めろと言えない立場でね……。いいんじゃないか?お前がそう思ってるなら、私が何を言ったところで諦める気は無いんだろう?私も色々あって、人の気持ちはそういうものだと思えるようになったからな……」
ホッとした所為か、そんな言葉がするりと如月の口から出た。
「……それどういう気で言ってるんです?」
何故かジロリと鳴瀬が睨んできた。
「言葉通りだ。私の場合はどうにもならなかったが……。後は時間に任せて忘れるか……忘れられないか……だな。ただ、相手がどうあってもこちらを向いてくれることは無いというのは分かった。今後私からは何かを仕掛けようとは思わないよ……。そのくらいの気持ちの整理はつけた」
そう……
戸浪はどうあっても私のことなどもう見ない……
それは充分わかった。
「俺が言いたいのはそんな事じゃない。宇都木さんをどうするんだよ……。何とかしてやれば良いじゃないか……」
「お前は馬鹿か?お前が好きだという相手のことを、どうにかしろと私に言うのか?」
あまりの事に如月は驚いた。
如月なら絶対言えない台詞だった。
「……もちろん俺だって……嫌ですよ……。でも宇都木さんはどうあっても俺の方なんか見てくれない……」
がっくりと肩を落とす鳴瀬はいつもの覇気がなかった。
「……急がなくても良いんじゃないのか……」
鳴瀬のその落ち込みようが、何故か以前の自分と重なった。その所為か、鳴瀬の気持ちは手に取るように分かる。
「……どうして俺が慰められなくちゃならないんだ……」
独り言のように鳴瀬は言った。
「慰める気なんかないがな……」
言って如月は御茶を飲んだ。
「俺……宇都木さんを貰ってもいいですか?」
真剣な顔で鳴瀬は言った。
「何度馬鹿だとお前は言われたいんだ?それを決めるのは宇都木だろう?」
「結局貴方は宇都木さんを側に置きたいんだ……そうでしょう?」
睨み付けるような目で鳴瀬はそう言った。
「ああもちろん。あいつは仕事が出来るからな。私には必要な男だ。だが恋愛問題はお前達の話しだろう?それをどうして一緒くたにするんだ?例えあいつがお前とつき合ったとしても、私は仕事で必要な宇都木を手放す気はないぞ」
ムッとして如月はそう言った。
「仕事で利用したいだけなんでしょう?良いように使いたいだけなんだ……」
その鳴瀬の口調に如月は頭に来た。
「ああそうだ。そう思いたければそう思ってろっ!」
ダンッと湯飲みを机に置いて如月は言った。
そうだっ!
私はそう言う男だっ!
宇都木の気持ちには応えられないが、宇都木が必要だ!
それは仕事の話しだけだ。
あいつの気持ちを知っていて利用しているんだっ!
絶対裏切ることのない、自分だけの為に働いてくれる男だから……
側に置きたいんだっ!
そう思えばいいっ!
どいつもこいつも私がそう言えば妙に納得するんだ……
そう言う答えを私が言えば満足なのだろう……
だったらそう言ってやる。
「……」
そこまで怒りにまかせて思った事を如月は反復した。
どうしてこんなに腹が立つんだ……
何故こんなに腹がたつ?
自分が宇都木を利用していると思われることに酷く腹を立てている……
それはそう思われるのが嫌だからだな……
何故嫌なのだ?
そのつもりなんだろう?
違うのか?
私は一体どうしたいんだ?
「……って」
鳴瀬に呼ばれていることに如月はようやく気が付いて意識を戻した。
「あ、ああ……すまん……怒鳴っても仕方のないことだったな……」
変だな……
私は……
自分で自分の気持ちが分からなくなっている……
「……如月さんが……宇都木さんのことどう思っているのか良く分かりました……俺……もう迷わないで宇都木さんにアタックします……」
「……勝手にすると良いんだ……」
鳴瀬の方を見ずに如月はそう言った。話しているのも馬鹿馬鹿しくなったのだ。
「……そうさせていただきます。身体の関係はもう出来てますから……あとは俺……心を貰います」
サラリと言った鳴瀬の言葉に、驚いたが、その時にはもう鳴瀬は立ち上がっていた。
「話しはそれだけです。もう俺……宇都木さんの気持ちを考えるのは止めました。如月さんのような男に気兼ねするのも馬鹿らしくなったから……。如月さんを想い続ける事が、どれだけ馬鹿みたいな事か宇都木さんに分からせてやる……」
鳴瀬の向ける瞳は一途なものだった。
「……ああそうだな……」
そうしてやるといい……
所詮私には出来ないことだ……
如月はそう思いながら、帰っていく鳴瀬を見送った。
翌日、宇都木は如月を朝早くホテルに迎えに行くと、次に成田に向かった。
「そういえば……」
後部座席で目を閉じていた筈の如月の声が聞こえた。
「何でしょう?」
ミラーで如月の顔を確認しながら宇都木は言った。
「昨日な……鳴瀬と話をしたよ……」
「……そうですか……」
言いながら宇都木は車を空港玄関のロータリーに車を入れた。
「……まあ……あいつも若いが……悪い奴じゃないだろう……」
何が言いたいのだろう……
鳴瀬は昨日宇都木に言ったように話したのだろうか?
宇都木には分からなかった。
犬猿の仲であるのを知っている為に、余計にそう宇都木は思ったのだ。
「……そうですね……」
車を停めて、もう一度ミラーで如月の方を見る。すると如月は外の景色に視線を向けていた。
「まあ……最初身体から入っても、愛情は生まれるはずだ。お前にはああいう奴が良いのかもしれないな……」
言って如月は荷物を持ってドアを開けると外に出た。
「……え?な……」
シートベルトを外し、思わず宇都木も外に出る。だが如月は既に歩き出していた。
「……邦彦さん……」
振り返ることなく去っていく如月に宇都木は呆然となった。
「……今……何を……?」
宇都木にはゴオッという耳鳴りだけが聞こえていた。