Angel Sugar

「黄昏感懐」 第22章

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 翌日、宇都木は昨晩のことを随分気にしながら、如月をいつもの如く迎えに行った。だが、如月本人に会いそれが宇都木の杞憂に終わったことを知った。
 如月は何時もと変わりなく、
「おはよう……宇都木。今日の顔色はましそうだな……」
 と、普通に朝の挨拶をし、車の後部座席に座ったのだ。
 だが如月の態度があまりにも普通であったため、宇都木の方が平静を装うのに苦労したのだ。
「おはようございます……。昨日はご迷惑をおかけしました……」
「気にするな……私も……いや……。それより、時間を見つけて病院に行って来ると良い。一時間抜けたところで仕事に触ることも無いだろうから……」
 ゴホンと咳払いをして、如月は最初の言葉を濁らせ、残りは普通の口調で言った。
「……時間がありましたら……そうします……」
 行く気はこれっぽっちも無いのだが、宇都木は如月の気持ちを大事にしたかった。
 まだ、自分を心配してくれている……
 それが分かる如月の言葉はとても嬉しいのだ。
「時間は絶対に作れ。いいな。まあ……今日は少しましそうに見えるから、こっちもホッとして居るんだが……」
 言って、如月はシートに身体を深く沈ませ、目を閉じた。
 宇都木もそれを合図に口を閉じ、会社に着くまで一切口を開くことはしなかった。
 何も無かった……
 昨日の晩は何も無かったのだ……
 そう思うことが一番だった。
 今朝は如月が作ってくれたお粥がまだ残っていたので、それを朝食にした。宇都木は食べきってしまうことを勿体ないと思いながら、綺麗に食べたのだ。
 その所為か本日は身体が軽かった。
 要するに食べていなかったから身体が怠かったのだろう。
 全部食べてしまってなんだか勿体ない……
 でもまだリンゴがある……
 そんなことを仕事中も考えながら宇都木は一日過ごした。だがとても幸せな気分に浸れていたのだ。
 如月の態度も別段変わったところはない。
 それもホッとする要因だった。昨晩のことで何か引っかかられると宇都木はまた落ち込んでいたに違いないからだ。
 宇都木は昨晩の如月の行動は忘れることにした。同時に自分の行動も忘れることにした。それがお互いに一番良いのだろう。
 覚えていて良いのは、如月が部下を心配し、わざわざ自宅までリンゴを持ってきてくれたこと……そして、お粥を作ってくれたことだ。
 その事だけを覚えておけばいい……
 抱きしめられたことも……
 甘いキスをされたことも……
 僅かに愛撫されたこと……
 それら全て夢だったのだ。
 私は良い夢を見た。それでいい……
 宇都木はそう思い、仕事に専念することにした。
 あの人にとって有能な人間でありたい……
 ただそれだけを宇都木は今、望んでいたのだ。

「宇都木……今から八時過ぎまで会議で外には出られないから、お前今のうちに病院に行って来い。いいな、絶対行くんだぞ」
 夕方、客と会っていた筈の如月がいつの間に入り口の扉より顔を見せてそう言うと、また顔を引っ込め行ってしまった。
「あ……の……」
 と、宇都木が立ち上ったときにはもう如月の姿は無かった。
 言えなかった……
 本日の夕方、祐馬に会う約束をしていたのだ。もし、如月がここに居て、仕事をしている最中にぶつかれば、正直に話し、外に出ることにしていた。
 だが丁度良いことに如月は会議で八時過ぎまで戻ってこない。
 チラリと時間を見ると六時半だった。そろそろ出ないと祐馬を待たせてしまうだろう。
 宇都木は内線で、業務課の方へ今から留守にする事を伝え、直接こちらに係る電話を転送することを伝えると、スーツの上着を羽織った。
 多分……
 戸浪の事なのだ……
 宇都木は何となく憂鬱になりながら、祐馬の待つ喫茶店に向かった。約束の場所は自社のビルから十分ほど歩いた所だった。
 目的の喫茶店に着くと既に祐馬は奥の席に座り、コーヒーを飲んでいた。だがその表情は宇都木の知っているそこぬけの明るさのある顔ではなく、酷く落ち込んだ暗い顔をしていた。
「祐馬さん……こんばんは……」
 言いながら宇都木は祐馬の前の席に腰を下ろした。
「宇都木さん……ごめん……忙しいのに……電話して……」
 チラとこちらを向いた祐馬の視線が又下がった。
「いえ……いいんですよ。気になさらないで下さい」
 そう……
 祐馬は戸浪をまだ取り戻そうと必死になっているのだ。
 それならば力を貸してやると宇都木は思った。
 だが逆に如月を不幸にすることではないかという気持ちが起こった。
 その事をすっかり忘れていた……
 今如月は毎日楽しく過ごしている筈なのだ。
 戸浪と、ようやく望んだように一緒に暮らしている。
 ……
「宇都木さん……」
「あ、はい……」
 祐馬に声を掛けられ、宇都木は我に返った。
「俺……ちょっと話しを聞いて欲しいんだ……。それで出来たら調べて欲しい事があって……。何時も頼んでばかりで悪いと思うんだけど……」
 最後の言葉は小さく宇都木には聞き取りにくかった。
「何でしょう?お力になることでしたら……何でもおっしゃって下さい」
 微笑みながら宇都木がそう言うと、祐馬は暫く沈黙し、そして言った。
「アルファクレールの施主の担当……尾本って言うんだけど……そいつのこと調べてくれない?それと……笹賀の営業に家木っていう奴が居るんだけど……その二人が何処に住んでるのか……あと、入院してるなら……何処に入院してるのかって……」
 それは酷く言いにくそうであった。
「どういう事情でしょう?」
 尋ねるようにそう宇都木が言うと、祐馬は又沈黙した。
「祐馬さん……ただの尋ね人では私も動けません。何か事情があるんですね?」
 今の状況では必ず戸浪に関係する事なのだと宇都木は思った。ただ、そうであるから聞いたのではない。東の屋敷にある端末で何かを調べるには真下の許可が居る。膨大な情報の入るパソコンは、巨大なサーバーに繋がっており、止む得ぬ事情が無い限り勝手に触れることは出来ないのだ。
「……」
 無言の祐馬は半分泣きそうな顔をしていた。
 何があったのだろう……
 宇都木には全く分からない。
 真下なら何か知っているのだろうかと宇都木は思ったが、目立った動きが無いのは、分かっていて傍観しているか、知らないかのどちらかだ。
 知らないとは思えない……
 では……
 傍観しているのだろうか……
 今宇都木は、東の屋敷を離れ、如月の秘書として働いている。そうであるから本家がどんな風に動いているかなどもう分からないのだ。
「……俺の……」
 ようやく口を開いた祐馬は苦しげに言った。
「俺の?」
「俺の大事な人を……騙して……そいつら……強姦しようとしたんだ……」
 一瞬宇都木は声が出なかった。
 祐馬の大事な人は戸浪だ。
 戸浪が……強姦されたのか?
「……そ、それは……」
「あっ……み、未遂だよ……。何も……無かったんだけど……俺……そんなこと企んだ奴らを許せない」
 慌てて祐馬はそう言ったが、その表情は本当に怒っていた。
 ……未遂……
 いや……
 何かあったのだろう……
 だから……これほど怒っているのだ。
 祐馬は怒ることなど滅多に無いことを宇都木は知っていた。どちらかというと、争うより退くタイプなのだ。
「……ただ俺……未遂なのに……最初信じてあげられなくて……。酷い誤解して……。俺けじめつけたいんだ。俺は……自分の大切な人にそんなことをしようとした奴らを許せない。そいつらを何とかしてから……俺は……迎えに行こうって……」
 言いながら祐馬は目の端に涙を溜めていた。
 迎えに……
 如月のうちにいる戸浪を迎えに行く気なのだ。
 以前一人で帰ったのはその事があったからなのか?
 けじめをつけたかったのだろうか?
「……分かりました。直ぐには無理でしょうが、二、三日お時間を頂けますか?お調べしてご連絡させていただきます」
 宇都木はそう言って、今祐馬が言った尾本という名前と家木という名前を小型のモバイルに書き込んだ。 
「ありがとう……」
 そう祐馬は言ったが、その表情は堅かった。
 戸浪を強姦しようとした相手に復讐でも考えているのだろうか?
 そうなると不味い……
「祐馬さん……何があったか私には詳しくは分かりませんが、余り思い詰めてはいけませんよ……。何とか出来そうなことは私がきちんとさせていただきます。良いですね。その時の感情だけで馬鹿なことはなさらないで下さい。分かりますか?貴方は一体誰の孫であるかその辺りをしっかり頭に入れて置いてください」
 宥めるように宇都木は祐馬にそう言った。
 祐馬に一時の感情で、突っ走られると困るのだ。
「……俺は……俺だから……」
「祐馬さん。腹を立てる気持ちは分かります。ですが、本当に今は私の言うことを聞いて下さい。良いですね。それを約束していただかないと、私は祐馬さんに何もお約束は出来ませんよ」
 きっぱりと宇都木はそう言った。すると祐馬のやや俯き加減の顔が上がった。
「……宇都木さん……」
「約束です。祐馬さん。今は大人しく待っていて下さい。何より未遂だったのでしょう?それならそこまで思い詰める必要など無い。それにそんな相手に真っ向から向かっていって損をするのも馬鹿らしいと思いませんか?汚い手を使うような相手には同じ事をしてやれば良いんです。何もこちらが真面目になる必要は何処にもない。適当に処理すれば良いことですからね」
 そう言うと祐馬は暫く考えた後に口を開いた。
「……分かった……」
「……それで、貴方の大切な人には……ケリが付くまで会われないのですか?」
 宇都木はそう言った後、余計なことを言ったと後悔した。
「……今……俺に……そんな資格なんか……」
「祐馬さん……。資格云々より……、もっと心配することがあるのではないのですか?」
「え?」
「もし……もう他の方と……そうは思われませんか?」
「かもしれないけど……。そんなら俺……また最初からやり直すくらいの気持ちで居るんだ……。俺こんなだから……駄目なんだろうけど……。でも好きだから……」
 そう言ってようやく祐馬は強ばりながらも笑みを見せた。 
「そうですか……」
 戸浪の気持ちが離れているなどとは考えないのだろうか?
 あの人と一緒に暮らしているのに?
 同じマンションで……
 同じうちで……
 肩の触れ合う距離で居る二人を疑ったりしないのだろうか?
 何より……
 今戸浪がもしもう祐馬と元の鞘に戻りたいと思ってないとしたら……
 いや……
 あの人がもう戸浪を離さないと言ったらどうするのだ?
 ぐるぐると様々なことを考えながら宇都木は心の中で溜息をついた。
「じゃあ……私も時間がありませんので……これで……」
 宇都木は立ち上がり、祐馬にそう言った。
「宇都木さん……」
「……はい?」
「本当に……済みません……」
 その祐馬の言葉が何故か、別の意味に聞こえたような気が宇都木にはした。 

 自社に戻ると、まだ如月が戻ってきていないことを確認し宇都木は自分の席に着いた。
 そして内線で、戻ってきたことを伝え、転送を解除し伝言を受け取った。
「宮内様と、桂木様ですね。ええ。分かりました。こちらから折り返し致します」
 言いながら宇都木はメールのチェックをし、留守をしていた間の用事を済ませ時間を確認した。
 もうすぐ八時になる……
 今晩いけたらいいけど……
 如月がまだ戻ってこない事で、宇都木は真下に電話を掛けた。
「もしもし……宇都木です。ご無沙汰しております……。あの……急で、申し訳ないのですが……今晩お伺いしても宜しいでしょうか?」
 そう宇都木が言うと、真下は何も言わずに「ああ、いつでも来ると良いよ」と言った。
「ありがとうございます。では今晩……そうですね……」
 と言ったところで如月が戻ってきた。その如月はチラリとこちらを見、宇都木の席の前を通り過ぎると、自分の席に腰を掛けた。
「あ、遅くなりますが必ず伺いますので……じゃあ……」
 宇都木は受話器を置くと、席を立ち、直ぐに如月の席に向かった。
「済みません、如月さんがいらっしゃらない間に、東都銀行の法人担当桂木様からと、鳳物産の設備輸入課の桂木様からお連絡があったそうです。折り返し連絡させて頂いたところ、どちら様も明日お連絡をお待ちしていますとの事でした」
 言いながら宇都木は如月にメモを渡した。
「ああ、ありがとう……」
 メモを眺めながら如月は更に言った。
「病院は行ったか?」
「え…あ、はい」
 そう宇都木が言うと、如月は溜息をついた。
「その顔は行ってないな……」
 両手を机の上で組み、如月はそう言って宇都木を見つめた。その瞳を避けるようにやや視線を落とし、宇都木は言った。
「……あの……少々用事がありまして……」
「……どうして身体を大事に出来ない?お前は自分が突然倒れた時のことを考えたことがあるのか?休みを取ると言って先に予定を立てて休まれるのと、突然倒れられるのとでは違うぞ。その辺りの重大さが分かってるのか?」
 机の上で組んだ如月の手は親指だけがせわしなく上下に擦り動かされている。かなり如月が苛ついている事がその仕草で分かった。 
「済みません……明日には必ず時間を取って行って参ります……」
 とは言ったものの、行けるかどうか宇都木にも分からなかった。今予定が一杯一杯なのだ。だがそうでも言わないと、如月がもっと不機嫌になりそうで恐かった。
「……はあ……もう……。仕事熱心なのはありがたいが……、ほとんどお前に取り仕切って貰っている私のことも考えてくれないか……。お前がばったり行けば、私が今度慌てふためくことになるんだぞ。それは困る」
 ふうと息を吐いた如月が、困ったような表情でそう言い、組んでいた手を解いた。
 仕事……
 私のことを心配してくれていると思ったのに……
 仕事が……
 ふと思った宇都木はそんな気持ちを振り払った。
 当然のことを如月は言っているのだ。別にその事に対し、今更落ち込んだりしても仕方ないと宇都木は思った。
「充分、心しております……。ご心配なさらずに……」
 そう言って席に戻ろうとすると如月が呼び止めるように言った。
「宇都木……」
「……はい?」
 チラリと振り返り、如月の方を宇都木は向いた。
「帰りに飯でも食べて帰ろうか?」
 やや笑みを戻した表情で如月がそう言った。
「……いえ……これが済めば人様のお宅に伺う用事があるので、また今度誘って下さいますか?」
 会社帰りにそのまま東の屋敷に行こうと宇都木は思っていたのだ。とにかく祐馬が馬鹿なことをしないうちに手を打ってしまいたかった。
 真下さんにも相談しないと……
 もし知っていて傍観しているならその理由も聞いて置いた方がいい……
 そう宇都木は思っていたのだ。
「……そうか……又今度な……」
「済みません……」
 言って宇都木は自分の席に戻り、明日の予定表を組むことに専念した。何となく如月がこちらを見ているような気がしたが、宇都木は気のせいだと思うことにした。
 
 九時すぎに業務を終え、宇都木は如月を自宅まで送ると、そのまま東の屋敷に車を向かわせた。
 随分遅くなった……
 東の屋敷には先に連絡を入れて置いた為、玄関で警備員に止められることもなく、屋敷内に入ることが出来た。
 宇都木は廊下を歩き奥にある真下の部屋を尋ねた。
「宇都木です……済みません遅くに……」
 そう扉の前で言うと、真下が「入って良いよ……」と言った。
「随分慌てて……どうしたんだ?」
 真下は既に十時を過ぎているにも関わらず、まだスーツ姿であった。その真下は机の方ではなく、ソファーに座り、自分でコーヒーを作っていた。
「ああ、宇都木の分も作ってやろう……あ、眠られなくなるな……」
 言いながらミルクを二つ入れている真下は相変わらずだ。
「私は構いません……座って良いですか?ご相談したいことが……」
「なんだ?又なにかあったのか?いや……宇都木……お前随分体調が悪いんじゃないのか?顔色が悪い……痩せたぞ」
 コーヒーのカップを持ち、真下はそう言って宇都木がソファーに座るのをじっと見ていた。
「え、いえ……気のせいですよ……私は大丈夫です……」
 笑顔で宇都木はそう言った。
「……まだあの男は邦彦のうちに居るんだろう?それで気になっているのか?」
 こちらを見ずに真下はコーヒーの揺れる表面を見ながらそう言った。
「まさか……。それはもう良いんです。私は……今のままで充分幸せですから……。お話はその事ではなくて……祐馬さんのことなのですが……」
 そう言うとチラリと意味ありげな目線を真下は送ってきた。だがその意味が宇都木には分からなかった。
「あの……」
「あ、ああ……あの件な……。何か祐馬さんに相談されたか?」
「御存知だったのですか……」
 やはり知っていたのだ。
「まあな……ただ、あれは祐馬さんが追いだした形になっているから、なかなかね……」
 真下は苦笑した顔でそう言った。
「……何があって、そんなことになったかを……聞いておられますか?」
「……ん?それを聞いたのか?」
 眼鏡をかけ直して真下は言った。
「ええ……。ちょっと祐馬さんが暴走されそうなので、何とかして貰おうと思いまして……」
「暴走?穏やかじゃないな……なんだ、痴話喧嘩じゃなかったのか?」
「それが……」
 宇都木は夕方祐馬に聞いた話を真下に聞かせた。すると真下は目をまん丸にして驚いた顔になった。持っているコーヒーを口に付けることも忘れている様子であった。
「……それは知らなかったな……」
「それで……どうも祐馬さんが、そんなことをした相手に何かしでかす気でいるようで……暴力沙汰になるような事は無いとは思うのですけど……今日お会いした印象では、かなり思い詰めておられるご様子でした」
 宇都木は夕方会った祐馬を思い出しながらそう真下に言った。
「問題の二人だが……近くに居て貰うと……困るな……」
 真下はそう言って目を細めた。
「出来たらどういう人物か……少々調べさせていただきたいのですが……」
「ああ、ちょっと待ってくれよ……」
 言って真下はソファーから腰を上げると、自分の机に戻り、デスクトップのパソコンのキーを叩いた。ロックがかかっているのを外しているのだ。
 幾ら宇都木でもその解除キーは知らない。知っているのは多分真下位ではないかと思うほど真下は東に信頼されていた。
「いいぞ、ほら……席を替わろう……」
 モニターの左から顔をチラとこちらに向け、真下が呼んだため、宇都木は自分も立ち上がり、真下の所に向かった。
 画面にはものすごい量の情報を検索できる様になっていた。宇都木は真下と席を替わり、パチパチとキーを打つと、問題の人物二人が写真と共に出てきた。
 何時も、一体この情報は何処で集められ、ここに入れられているのだろうと不思議に思うのだが、聞くことはしなかった。
 聞いてはならないことがこの家には沢山あるのだ。それは小さい頃に学んだ。
「ああ、笹賀の家木は……簡単だな。父親の方が東都系列の子会社にいる。そっちから当たるか……。いや……笹賀の会長と東様はご友人だから、どうせならそっちから何処か地球の裏にでも飛んで貰うか……。なんだか色々問題を起こしている男のようだから、何処にでも飛ばしてくれるだろう……問題はアルファクレールだな……外資系か……」
 家木の経歴と一緒に、家木が起こしたトラブルの数々もファイルに出ている。強引に仕事を取ってきたのは良いが、大阪で問題になったことも何度かあったようだ。
「アルファクレールの親会社はトレインですね。トレインの会長はトビー・トレインです。こちらは確か東都アメリカで何とか出来るのではないですか?」
 宇都木が後ろから覗き込む真下にそう言った。
「ああ、そうか、確か……トビー・トレインは、何処かで繋がりがあったぞ……。弱みを握っている筈だ……。それでニューヨークでの大型発注をうちが取った。う~ん……恨んでそうだな……。もう一度使える弱みなら良いんだが……」
 唸りながら真下はそう言った。
「こいつはかなりややこしいな。アルファの方は直接東様にご相談するよ。その方が良いだろう。家木はざこだ……」
 言って真下は横から手を出し、画面にでたものをプリントアウトするようにカチカチとクリックした。
「後は私が何とかする。ケリが付いたら宇都木に連絡するから、この事はもう忘れるんだよ。宇都木は本来もうこんな事をしなくても良いんだから……」
 ニコリと笑って真下は言った。
「……ええ……ただ……」
「ただ?」
「もしかして私は……邦彦さんにとって、余計なことをしているのではないかと……」
 モニターから目を離さずそう宇都木は言った。するとモニターに映った真下の顔がまた驚いた顔をしていた。
「何が余計だ?」
「……いえ……何でもありません……」
 椅子から腰を上げて宇都木はそう言った。
「宇都木……邦彦と戸浪という男はどうせ上手くいかんよ……」
 言って真下は笑った。
「上手くいかないとは?」
 今幸せにしている筈の如月を知っている宇都木には、真下の言っている事が信じられないのだ。
「まあ……間違って何かあったとしても長続きしないということだ……」
「……それはどういう……」
「二人をあれ程良く見ていているお前が何故分からない?あの二人は似て居るんだ。恋愛に対して求めているものが似ている場合は、そこで反発してしまう。だから長続きしないんだ」
 何となく真下はしみじみとした口調で言った。
「似ている?邦彦さんと……戸浪さんが?」
 戸浪と如月の何処を見て真下が似ていると言っているのか宇都木には全く分からなかった。
「……それが分かったら宇都木も自信がもてるよ。ゆっくり考えてみるんだね。ああ、祐馬さんのことは心配しなくていい……。それより宇都木は少し身体を休めるんだ。いいね?」
 こちらを心配してくれる真下の言葉に感謝しながら、宇都木は頷いた。真下だけがいつも心配してくれる。それはどんなときでも宇都木を力づけてくれた。
「それと……宇都木……」
 今まで笑顔だった真下の顔が急に真剣なものに変わった。
「はい……?」
「辛くなったら……ここに帰ってくるんだよ。東様が口を酸っぱくしていつもおっしゃっているね。ここがお前達の家だって……。それを忘れるんじゃないぞ。何もかも捨てて逃げ出したくなったら、ここが避難先なんだから……それを忘れたら駄目だ。いいね」
 宇都木の痩せた肩を叩きながら真下はそう言った。その言葉に何故か宇都木は涙が零れそうになった。
「はい……大丈夫です。私……今はとても充実して居るんです……」
 折角許しを貰ってここから出ることを許されたのだ……
 それに恥じるような生き方はしない……
 宇都木はそう心に誓って、東の屋敷を後にした。
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