Angel Sugar

「監禁愛5」 第4章

前頁タイトル次頁
「そんな短い電話で良いのか?」
 珍しく心配そうに聞いてくる。明日は嵐になるかもしれないと思いつつリーチは答えた。
「なんで?」
「寂しいだろうに……」
 言ってニヤリと口元を歪ませる幾浦はただのスケベなおっさんだ。
「……お前さ、俺のことなんかものすごい欲求不満に思ってないか?」
「違うのか?」
「お前と一緒にするなよ」
 ケッと吐き捨てるようにリーチが言うと、一つ咳払いをして幾浦はばつの悪そうな顔をする。
「……言って置くが、ここをホテル代わりにしたら窓からたたき落としてやるからな」
「するか!」
「ならいいが」
 するとそこで携帯が鳴った。
「はい……隠岐です。もう暫くしたらそちらに向かいますが……え、いいんですか?はい。ありがとうございます」
 リーチは満面の笑みで携帯を切った。
「なんだ嬉しそうだな」
「帰ってこなくて良いって言われてさ。それと明日は休んで良いって」
 久しぶりの休みにリーチは思わず笑みが漏れた。
「……どうしてお前達はいつも突然、休みがとれるんだ……」
 半ば諦めたような口調に、毎度振り回されているであろう悲哀が滲む。
「仕事柄それは仕方ないって……。ま、休みと言われても何時呼び出しがかかるか分からないしさ。待機って形の休みだよ。明日は一日ゆっくりしてるさ」
「うーむ……私の方は急に休みは今の時期難しいからな……」
 まさかリーチの休みにつき合ってやろうと思っているのだろうか。
 それともトシと代われと言いたいのだろうか。
 どちらにしてもリーチは断るつもりだ。
「別にお前が居なくてもいいよ。明日まで俺のプライベートだし」
「誰もトシに変われと言っているわけじゃない。そうだな、行くところがないのなら、アルを公園にでも連れていってやってくれ。最近外に連れ出していないからストレスが溜まっているに違いない」
 幾浦の言葉にソファーで寝そべっていたアルが顔を上げて尻尾を振った。当然リーチの方を向いていた。
「いいぜ。どうせ暇だし……昼頃まで寝て、それから散歩に連れ出してやるよ」
「じゃ、車のキーを渡しておこう」
 そう言って幾浦はリーチにキーを渡した。
「え、いいのか?お前はどうすんだよ」
「トシは言わなかったのか?もう一台車を買ったんだ。そっちは国産だがね」
 自慢するように言う幾浦は嬉しそうだが、こちらはあまり嬉しくない話題だ。
「良いよな……金持ちは……」
「嫌みを言うのなら貸さん」
「いやーエリートはさすが違いますね旦那~」
 リーチは手を擦りあわせながら言う。ここでへそを曲げられると困る。
「それで褒めて居るつもりか。まあいい。地下駐車場の西の端に置いてあるソアラだ。ああ、アルは車が好きだが、窓は閉めて連れていってやってくれ。危ないからな」
 何故かため息をつく。
「ソアラ……やっぱ金持ちは違うな」
「車の中でも駄目だからな」
「……お前って俺のことやっぱりそう言う目で見てるな……」
 今度はリーチがため息を付く番だ。どうしてこう誤解されているのかリーチには分からない。普通の付き合いを名執とはしているはずだ。
 エッチの回数も普通だとリーチは思っている。それがどうしてこう、欲望のままに流されているような人間に幾浦から思われているのか不明だ。
 多分、トシが幾浦によからぬ事を話しているにちがいない。
「信用ならないからな……」
 するとインターフォンがなった。
「こんな時間に誰かな~」
 ニタリとした表情で幾浦を眺めるとアルが吠えながら玄関に向かって走り出す。その吠え方は尋常ではない。
「おい、リーチ。アルを捕まえて置いてくれ」
「え?」
 訳が分からなかったが、とりあえずリーチが玄関に向かうと、アルは歯をむき出してうなり声を上げていた。そんなアルを見たことがなかったリーチではあったが、尻尾を掴んで引っ張っることにした。
「アル……何でそんなに怒ってるんだよ」
 ぐるるるる……がるがる~
 尻尾を掴んでいるのに、長い顔を全面につきだし、歯をむき出している姿は、からかっているときに見せる姿ではない。これはかなり怒っているのだろうと予想されるのだが、外にいる人物が誰かというのは見えないのだ。にもかかわらずこれほど怒っている原因がリーチには分からなかった。
「そいつはこの家に入ろうとする人間を昔から片っ端から追いだしているんだ」
「なんで?」
「後でな」
 そう言って玄関を開けると、回覧を持った中年の女性が立っていた。それを見た瞬間、飛びかからんばかりの勢いでアルが更に歯をむき出して、ものすごい剣幕で吠えだした。
「あ、あのう……これ、回覧です……」
「済みません。ありがとうございます」
「その犬……本当に慣れないですね……」
 迷惑気にその女性は言う。
 いや、迷惑どころではないだろう。
「本当に申し訳ないことで……」
 幾浦が謝罪している間も、アルは気が狂ったように唸っては吠えるを繰り返す。当然、早々に女性が帰り、玄関が閉められると急にアルは唸るのを止め、いつも通りに尻尾を振った。
「なんだよこいつ、どうしたんだよ」
 アルの急変にリーチは驚いた。
 こんなアルを見たのは初めてだったからだ。
「ああ、こいつは家に入ろうとする私の友人から会社の人間まで全部追い立てるんだ。多分テリトリーを守っているんだろうと私は思っているんだが……。この家に入る事が出来るのはトシとお前、それと母親だけだな。恭夜は実力行使で入るが……」
 そう言って苦笑した。
「へー」
「だから人を呼べないんだ」
「と言うことは今まで、女とかも連れ込めなかったんだろ」
「そうだ……。お前な……」
 ジロリと幾浦はリーチを睨む。余計なことは言うなと言うところだろう。
「でもさ、何で利一はいいんだ?」
「さあな、トシを最初に連れてきたとき初めて他人を好意的に迎えてくれた。アルがトシを気に入ったのだろうな」
「まさか、俺のこともトシだと思ってるのか?」
 尻尾を振っているアルを見ながらリーチが言うと、違うとでも言うようにアルは軽く唸る。一応見分けているようなそぶりだが、人間でも分からない二人の違いをアルは見分けているとでもいうのだろうか。
「いや、それは無いな。トシに対する態度とお前に対する態度は明らかに違うからな。リーチもアルに気に入られたと言うことだろう。信じられないが……」
「ふーん……良い奴じゃんか」
 アルが二人を見分けているという事実がリーチにとって嬉しかった。目の前にいる男はいつまで経っても二人の区別がつかないにもかかわらず……だ。
「だけどよ。そんなに吠えるんだったら、鎖に繋げばいいだろ」
「鎖も紐も、口の中を血塗れにしてまで外そうとするんだ。だからアルを繋いだことはない。そうだった、散歩は良いが、鎖や紐で繋いだりしないでくれよ。こいつは犬と扱われる事が死ぬほど嫌な様だからな。繋がなくてもきちんとこちらの言うことは聞いてくれるから安心してくれ」
「主人に似ずお前って滅茶苦茶賢いんだな……。そう言えば銃を持った蘭にも果敢に向かっていったよな……。うん偉い奴だ」
 リーチがアルの額を撫でると誇らしげに鼻を高々と上げた。
 褒められて嬉しいのだろう。
「主人に似ずと言うのは余計だ。そんなことより夕飯にするぞ」
「今晩何食わせてくれるんだ?」
「適当にな」
「これがトシだったら豪華な食事になるんだろうな~。差別だ差別」
「余計なことは言うな」
 だがこういう会話も意外に楽しいものだとリーチは思い始めていた。



 翌日、リーチは昼近くに起床した。
 当然、幾浦は会社に出勤していったようで姿は無い。
「ふあむ……」
 目を擦りながら布団から身体を起こすとアルが同じように足下で頭を上げる。アルの方も眠そうだった。
「むー……お腹空いた……」
 そうリーチが呟くとアルも一声上げた。多分、アルもお腹を減らしているのだ。
「シャワーでも浴びてから飯食うか……」
 リーチは呟くように言い、バスルームに向かった。そこで熱いシャワーを浴びて、眠っている間に下がった体温を一気に上げた。すると振り落ちてくる熱い湯が身体の細胞を目覚めさせるのが分かった。
 風呂場から出るとギンガムチェックのシャツを着て、ジーパンをはく。裸足の足には靴下をはかない。
 リーチは裸足で歩くのが好きだったから。
 ぺたぺたとキッチンに向かい、冷蔵庫から適当に冷凍食品を出して、レンジで暖める。
 チキンピラフと、エビのフライ。そして適当にちぎったレタス。
 それを大皿に全部乗せて、脇にミネラルウオーターを挟んでリビングに戻る。
 手の込んだ物を作るのは一人だと面倒だ。誰かが側にいるのなら、手の込んだものを作るのだろうが今、リーチは一人だった。
 いや、正確には一人と一匹。
 ソファーに腰を掛け、スプーンでピラフを口に運ぶ。すると横でじっと待っているアルの視線に気が付いたリーチは、食べながらもう片方の手でエビのフライを一つ、二つやり、食事を済ませた。
「なあんか……いい気分だなあ……」
 満腹状態で身体をソファーに伸ばしてリーチは一人呟いた。
 暑くも寒くもない丁度良い季候が身体に優しく感じる。
 幾浦の家は全室採光出来るようになっていて、暗い場所がない。何処にいても太陽の光が自分を追いかけてきて部屋を明るくしているのだ。
 その光がリーチには心地よかった。
 名執の家でもくつろげるリーチではあったが、幾浦のうちも意外に気分良く過ごせることがリーチには意外であった。もちろん幾浦が自分達を個々に知っていると言うことが安心してくつろげる要素になっているのだろう。
 加えてアルというアフガンハウンドの存在も大きかった。
 安易に人をこの家に入れないというアルの性格もリーチは気に入っていた。その為に幾浦の家を不意に尋ねてくる人間はいないからだ。
 リーチは人間嫌いでは無かったが、利一という人格を普段演じている所為か、プライベートくらいは本当の自分でありたい。それはトシも同じ気持ちであろう。
 だが本当の自分をさらけ出せる場所はとても少ない。
「散歩に行くか……」
 そう言うとアルが嬉しそうに尻尾を扇風機のように回転させた。



 地下駐車場に置いてあったソアラを見つけてロックを外し、アルを助手席に、リーチは運転席に座った。慣れない人の車を運転することに抵抗のある人間もいるだろうが、リーチは別に気にならないタイプだ。
 警視庁にいると空いている覆面パトカーに乗ることがしょっちゅうで、初めての車を配車されることが日常だから。
「公園……公園ね……」
 車を発進させて地上に出ると青空が広がり、太陽は温かい光を降り注いでいる。ボンネットに反射する光は眩しいほどだ。
 いい天気だなとリーチは思いながら隣に座っているアルを横目で窺うと、嬉しそうに尻尾を振りながら窓の外の景色を見ていた。
 流れる景色を追うように頭を左右に振っているところを見ると人間の子供がよくやるような仕草に思える。
 子供がはしゃぐようにアルもはしゃいでいるに違いない。
 公園までくると専用の駐車場に車を止めて、助手席を空ける。するとアルは勢い良く外に飛び出し、そのまま走っていった。
「アル!あんまり遠くに行くなよ」
 そうリーチが言うとアルは一瞬だけ立ち止まり、次に振り返って一声吠えると、また一目散に走り出した。リーチはそんなアルから視線を外さずに、近くにあるベンチに座って身体を大きく伸ばすと一息をつく。
 のんびりとした穏やかな時間が、犯人を追って毎日を暮らしているリーチにとって清涼剤になるのだ。何気なく視線を周りに向けると、ベビーカーに赤ん坊を乗せた主婦や、仕事をさぼっているサラリーマンが、芝生の上に寝転がっていた。
 いつも時間に急かされているはずが、ここでの時間はやけにゆっくりと時を刻んでいるようだ。
 暫くすると舌を出してアルが戻ってきた。綺麗に手入れされた毛足の長い体毛に草のかけらを所々つけているところをみると、芝生の上で転がったのだろう。
「なんか一杯つけてんな……」
 リーチはアルの身体についている草を払ってやると、又アルは走り出す。余程嬉しいのだ。
 仕方なくもう一度ベンチに座わりなおしたリーチは、明日からはトシのプライベートだということを思い出した。
 今週はユキと夜を過ごせなかったな……
 リーチは心の中で呟いた。
 今、リーチは名執に無性に会いたかった。今週互いに触れあえなかったと言うことは、明日からトシのプライベートになるため、結果、三週間一緒に居る時間が出来なかったということになる。
 正直なところ、リーチは名執にエリックをうちに上げて欲しくないと思っていた。
 それが自分勝手なわがままだと分かっていたので、撤回したが、実際は快く思えなかったのだ。自由に行き来できないというのが一番の理由。
 だがどう考えてもそれはリーチのわがままだろう。
 名執にも付き合いがある。
 友人を呼んで楽しく過ごすことも必要だ。それをいちいち嫌だとは言えないのだ。
 あのマンションは名執のものでありリーチのものではない。だから権利を主張することは出来なかった。
 最近、少しずつ名執の人間嫌いも治ってきている。いつか何人もの友人を呼んで食事をすることもあるかもしれない。それが嬉しくもあり寂しかった。
 しかし分かっていながらも随分名執を縛り付けているのはリーチだ。そんな自分の独占欲の強さをなおさなければならない。
 分かっているが、なかなかリーチにはできない事だった。
 心が狭いのは俺だ……名執を閉じこめておくことが出来るのならそうするだろう。他の誰にも見せたくない。
 例え名執が何とも思っていなくても、誰かが名執に想いを寄せることはリーチにとって許せない事だった。
 自分がこれほど嫉妬深いとは思いもよらなかった。
 名執に出会って初めてリーチはそんな自分の心の狭さと、執着心が何であるかを学んだ。だが付き合いが長くなれば次第に落ち着くだろうと考えていたが、一向に落ち着きなどしない。
 いや、益々強くなっているような気もする。
 はあ……
 俺って……駄目だなあ……
 フッと視線を現実に戻すと、向かいの木下にあるベンチに見た事のある人物が座っていた。向こうもこちらに気がついたのか、ハッとした顔で立ち上がる。
「隠岐さん!」
「エリックさん?」
 エリックはリーチを確認するとこちらに向かって走り出した。
「こんな時間に何をしていらっしゃるのですか?」
 エリックが不思議そうに聞いてきた。さぼっていると思われているのだろうか。
「本日は非番です。友人の犬の散歩をしに公園に来たんですよ」
 そう言うとアルがどこからともなく走ってきて、リーチの隣に座る。
「わっ……びっくりした。さっきからその辺を走り回っていた犬は隠岐さんの犬だったんですね」
 突然真横に大型犬が来たことでエリックは驚いた様子だ。
「友人の飼い犬です。アルという名前のアフガンハウンドなんですよ」
「可愛い名前ですね」
 そう言ってエリックがアルを撫でようと手を出すと、アルはそれをかわしてリーチの後ろに回り込んだ。
「済みません……人見知りするんです」
「え、あ、そうですか……そんなに僕は怖く見えるんでしょうか?」
「誰に対してもそうらしいですよ。だから気にしないで下さい。それはそうと、エリックさんはどうしてここに?」
「昼間は色々歩き回って、今はお昼を済ませていました」
「公園でお昼……?」
「予算がそれほど無いので、サンドイッチを買って食べていたんです」
 エリックは言いにくそうに小さな声で言う。
「そうだったのですか……お昼を誘えば良かったですね。もちろん私のおごりで」
 当然、リーチ自身も金穴だったがここは嘘でもそう言うしかない。
「いえ、そんな……」
「そうだ、隠岐さんはわさびの良いのがあるところを知りませんか?」
 突然切り出された内容にリーチは驚きながらも会話を続けることにした。
「わさび?そうですね……そういうのは長野とか京都の方ですね」
「……そっちに廻るだけのお金がないや……」
 ちょっぴり残念そうにエリックが肩を落とす。
「あーと……そうだ……東京でも手に入るかもしれない……ちょっとつき合って下さい」
「え、いいんですか?」
「今日は非番でしかも車を貸して貰っているんです。都合のいいことに私は暇。今日一日エリックさんの足に喜んでなりますよ」
 としか言えなかった。
「ほんとにいいんですか?」
「任せて下さい。アルもそれでいいね」
 リーチの後ろから顔を出してアルは渋々納得したように、くうんと鳴いた。
前頁タイトル次頁

↑ PAGE TOP