「監禁愛5」 第22章
名執は玄関の扉を開けようとしたが、鍵は開いていた。そっと押し開けて、中にはいると、自分のうちであるはずなのに、他人の家のような気配が漂っている。真っ先に目に付くのは、玄関に置かれたエリックの靴と、良く見知ったリーチの靴だ。
靴が並んでいるのを見ただけなのに、名執は身体が震えて、そこから一歩も動けずにいた。すると、シャルが声を淡々とした口調で名執に言った。
『入らないのか?』
もし、自分の恋人が、他の誰かと寝るような計画を立ているのなら、この、シャルという男が平然としていられるわけなどない。とはいえ、好きな相手に命令されたからと言って、名執を強姦しようとしたのだから、信用は出来ないだろう。
『……ええ……』
明かりがついているのは、リビングの方だ。寝室の扉は少しだけ開いているのが見えたが中は真っ暗で、ひとまず名執は安心することが出来た。だが、廊下を歩き、リビングに近づくにつれ、すすり泣きのような声が聞こえてくると、また名執の歩みがとまった。
鼓動が早く、息が浅くなる。
なにがリビングで行われているかを、想像してみたものの、最悪のことしか思い浮かばないのだ。リーチのことを信用しているが、どういった条件をエリックが出したのかを考えると、思考がそこで停止して、なにも考えたくなくなってしまう。
『どうした?入らないのか?』
後ろを歩いていたシャルが、名執を横切ってリビングの扉の前に立つ。扉は下半分が木目になっていて、上部がガラス張りのタイプだ。そこからシャルは中を覗いて、表情を曇らせた。
『……あの……』
シャルはガラス窓から顔を背け、一度はノブにかけた手を離すと、こちらに戻ってきた。そうして名執を通り越し、少し離れた位置で立ち止まる。
『あの、馬鹿が』
名執の方など見ずに、シャルは床を見つめたまま吐き捨てるように言った。
『……あのう……』
自分で覗いて見る勇気が出ずに、名執はシャルに声をかけたが、なにも答えてくれない。ただ、響き渡るエリックのすすり泣きが、相変わらず塞ぐことを忘れた耳に入ってきて、名執を苦しめた。
自分で確かめるしかない。
自分で……。
両腕を交差させ、腕を掴みつつ、名執はリビングの扉に近づいた。益々大きくなるエリックの声が、酷く耳に響いて木霊する。このまま逃げ出したいのだが、確かめなければ信じられないという気持ちもあり、名執は意を決してガラス向こうの様子を窺った。
……っ!
エリックは素っ裸だった。まず目に入ったのはそんな姿だ。
リーチは、ソファーの腕の部分に背をもたれさせていた。片足は立て、もう片方をだらしなく床にのばしている。
その上にエリックが四つんばいになって乗り上がり、尻をリーチの方に向けて、必死にペニスを銜えてしゃぶっている。こんな姿を見せられるとは夢にも思わなかった。
愕然としていると、リーチは名執の姿をガラス越しに見て、分かっていたように、ニヤリと笑った。ゾッとするような笑みに、そこから一歩も名執は動けなくなった。
「ユキ。なにつったってんだ。入って来い」
命令でもするような口調でリーチは言う。だが、名執はショックが大きすぎて言葉すら出ないのだ。どうして脚を動かせることが出来るのだろう。
「入って来いって言ってるだろっ!」
怒声が響き、名執はようやくノブにかけた手を回して、扉を開けるとリビングに足を踏み入れた。それはまるでロボットが歩いているようなぎくしゃくした動きだった。言われるから歩いただけで、名執の意志はそこにはなかった。
リーチが言うから歩いた。
本当にそれだけだ。実際はここから走って逃げ出したいほど、胸が痛んでいるのだ。このまま死んでしまったらどれほど楽だろうと思うほどの苦痛が名執を襲っていて、言葉など一言も出せない。
「こいつ。下手くそなんだぜ。俺の息子を勃てることすらできないんだ。さっきから舐められてるけど、ちっとも感じないぜ」
エリックはリーチの言葉が聞こえているはずなのに、涙でグシャグシャになった顔を隠すことなく、相変わらずリーチのペニスを銜えていた。
「……これは……一体……っ……」
どういうことなんですか?と、リーチに聞こうとしたのに、急に涙が溢れて名執は声を失ってしまった。
「もういい。遊びは終わりだ」
エリックの身体を突き飛ばし、床に転がすと、リーチは身体を起こしてソファーに座り直す。エリックは名執の方など見ずに、床の一点を見つめながら、声を出さずに涙を落としていた。
「ユキ……来いよ」
逸物を出したまま、堂々とした様子で、リーチは名執に言った。もちろん、名執は声に誘われるまま、ふらふらとリーチの側まで歩いて、立ち止まる。
足下にエリックがいるのだ。眺め下ろすと、下からエリックが憎悪の瞳を向けて、名執を睨んでいた。こんな風に恨まれるとは思わなかった。
「構うな。それで、なにもされてないな?」
リーチの言葉に名執は思わず、ボタンの引きちぎられたシャツが上着から覗いている部分だけを手で掴んで隠した。その行動に不審なものを感じたのか、リーチは片眉を上げる。
「……ユキ。いいから。俺の所に来い」
声に反応して、足だけが動こうとする。ただ、エリックが足下にいるために動けないのだ。
「あ、そいつ蹴りとばしてやってもいいぜ。その方がお前もすっきりするだろう」
残忍な目つきをエリックに送り、リーチは酷薄な笑みを浮かべる。滅多に見られない凶暴な面が表に出ていることだけは名執にも理解できたが、それだけだ。リーチのそんな姿を見たからと言ってこの状況の全てが説明された訳ではない。
『殺してやりたい……』
呻くようにエリックは名執に言った。瞳はぎらぎらとしていて、これが本当にあのエリックなのかどうか判断が付かないほど、憎しみを込めた目つきをしていた。エリックは、今名執に向けている憎しみを抑えながら、ここに暮らしていたのだ。それを考えると背筋が寒くなり、ひどく悲しかった。
一瞬でも弟だと思ったのだ。
違う。
思いたかった。
「俺が殺してやってもいいけどな。それより、何度も同じことを言わせるなっ!来いって言ってるだろうっ!」
チラリとエリックの方を見たリーチであったが、すぐに視線を名執に移して怒鳴った。名執は、エリックを越えていくことができず、ソファーの端に登り膝を折ると、そろそろとリーチに近寄った。だが、リーチの少し手前で、名執は正座したまま動けなくなってしまった。目に入ったリーチのペニスが、名執を拒否しているように見えたからだ。
「そこじゃねえだろっ!」
リーチは近寄ってきた名執の腕を掴んで、グイと力任せに引っ張る。名執は反動で、リーチの胸に飛び込む形になった。
「大丈夫か?なにもされてないな?」
名執の無事を確認するように、リーチの手は、名執の上着を剥ぎ取り、ボタンの取れたシャツを見て、目の色を変えた。だが、はだけた肌に、それらしき痕跡が無いことを見て取ると、ふうっと息を吐く。
「……リーチ……」
抱き留められた安堵感から、名執はぼろぼろと涙がこぼれ落ちた。こんなショックは今までになかった。辛いことは色々とあったが、今が一番辛い。どうしてリーチがエリックとセックスをしようとしていたのか、それを考えるだけで、身が裂かれそうなほど、苦しくて痛い。
『……隠岐さん……どうして?』
蹲るようにしていたエリックが涙も拭かずに顔を上げて言う。しかし、リーチの表情は名執に見せた表情とは違い、エリックに対しては、冷たく凍った軽蔑の眼差しだけだった。
『分かっただろ。俺は、お前みたいなガキには勃たねえんだよ。てめえの誘い程度じゃ、余興にもならないぜ。ガキはさっさとうちに帰るんだな。もう二度とこういうことはするんじゃねえぞ。ユキがまともな姿で帰ってきたから、お前は無事だった。どうせ本来の保護者が来てるみたいだから連れて帰って貰おうか』
廊下に佇むシャルにチラリと視線を向け、リーチは言った。
『……シャル……どうしてなんだよっ!ちゃんとやってくれるじゃなかったのかっ!』
エリックもシャルの姿を見て、立ち上がった。自分が素っ裸であることも忘れているようだ。
『もういい。帰ろう』
どこか悲しげな表情で、シャルはリビングの外に立ったまま言う。
『嫌だっ!僕は、兄さんを滅茶苦茶にするまでここを動かないっ!幸せそうな顔して、満たされて……こんな奴っ!こんな奴!死んじゃえばいいんだっ!』
エリックの言葉にリーチの持つ何かが部屋の温度を下げた。冷えた眼差しは名執を映していない。そんなリーチの姿に、エリックは気がついていなかった。
「リーチ……いいんです。大丈夫ですから……私は……私は大丈夫です」
リーチの首に腕を巻き付けて、名執はギュッと身体を押しつけた。このまま暴走してしまったら、行くところまでリーチは突き進んでしまう。止められるのは自分だけだと名執は己に言い聞かせて、今、どれほどショックを感じていようと、リーチを本気で切れさせるわけにはいかないのだ。
『エリック。帰ると言っているだろう』
シャルの方もリーチのただならぬ様子に、慌ててリビングに足を踏み入れると、我を忘れて怒鳴り散らしているエリックの腕を掴んだ。
『嫌だって言ってるっ!僕から、父さんを奪ったこんなやつなんて……絶対に認めないっ!どれだけ僕が肩身の狭い思いをしたかなんて、分からない奴の同情なんて吐き気がしそうだっ!』
名執が押さえているにも関わらず、リーチはしがみつく名執を脇に追いやると、止める暇もない一瞬の間に、思いきりエリックの腰に蹴りを入れた。転がるエリックにまたリーチが蹴りを入れようとしたところで、名執はすぐさま立ち上がって、しがみついた。
「リーチ……お願いです。お願いですからやめてください」
『……血のつながりなんてねえよ。さっさと帰れ。どうせ赤の他人だ。最初からここにお前が居座る方がおかしな話だったんだ』
吐き捨てるようにリーチが言うと、痛みで転がっているエリックの表情は強張った。
「リーチっ!止めてくださいっ!」
『血が繋がってない?』
エリックはぼんやりとした顔でそう言った。
『……出ていけ』
静かにリーチは言った。だが怒りがまだ収まっていないことを名執だけは分かった。
『そんなはず……じゃあ、僕は……父さんの子じゃないの?だから遺産も……。だったら僕は誰の子供なんだよっ!』
そう言う意味ではなかったが、エリックは自分が父親と母親の子で無いのだと思ったようであった。実際は名執が父親の血を引いていないのだが、このような状況であっても名執はどうしても開かすことが出来ない。
『……僕は……生まれてからずっと……独りぼっちだったんだ』
エリックは涙をポロポロこぼしてそう言った。
「……」
名執には、エリックに背を向けたまま、左右に首を振ることしかできいない。
『さっさと連れて行きやがれっ!俺がこいつを蹴り殺してしまわないうちになっ!いい加減にしないと、本気で俺はお前ら二人ともぶっ殺すぞっ!』
「リーチっ!お願いです……お願いですから落ちついてください」
『悪かった。連れて帰る』
ぼんやりと座り込んでいる、エリックの肩にシャルは自分の上着をかけると、そのまま、抱き上げてリビングを出ていった。
「……追いかけて殺してやってもいいぜ」
冗談ではないリーチの声が名執の耳に響く。名執はリーチの胸に顔を埋めながらも、顔を左右に振った。
「怒りがおさまらねえんだよっ!それとも……お前がなんとかしてくれるか?」
グイッと顔を上げさせらた名執は、こんな状況であるのに、リーチの瞳に浮かぶ飢えたものを見て取り、呆れるよりも安堵した。