Angel Sugar

「監禁愛5」 第18章

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「隠岐。マジでなに?」
 一度は張り込みの体勢に戻った篠原だったが、よほどリーチが挙動不審に見えたのか、仕方ないというふうに聞いてきた。
「……あの……。私用でちょっと電話を掛けても良いですか?」
 窺うようにリーチは篠原に聞く。
「は?そのくらいすぐにしたら?」
「……それが……ここではちょっとかけにくいです」
 もごもごとしかリーチは答えられない。
「車から降りてもいいけどさあ。あんま目立つようにくっちゃべんなよ。いつ被疑者が現れるか分からないんだからさ」
 篠原はそう言いつつ顔は笑っていた。怒っているわけではないのだ。どちらかと言えば苦笑に近い笑顔だった。
「済みません。本当に申し訳ないです……」
 肩を竦めながらもリーチは助手席の扉を開けて外に出ると、立っていると目立つため、身体を車の影に隠すようにその場に座り込む。これなら電話をしていても小さな声で話せば問題は無いだろう。
 ふと視線が気になって顔を上げると、篠原が運転席から身体を伸ばしてこちらを覗き込んでいる瞳と目が合った。利一として出来る精一杯のにらみを利かせると、頭を掻きつつ篠原は顔を引っ込めた。油断がならないというのはこういう事を言うのだ。一体どういう想像をしたのかは分からないが、それは後回しにしてリーチは携帯を取りだし、名執の携帯をコールした。だが、携帯の持ち主が出る様子もなく、コールが空しく響く。
 数度、かからない番号にかけなおしてみたものの、名執が出てくる様子は全く無かった。
「……かからない……」
 リーチは自分のコーポの方に携帯を掛けてみたがやはり誰も出ない。最後に幾浦の方にもかけてみる。
「そっちにユキが行ってないか?」
「あ?来てないな。それより、うちの玄関が凹んでいたんだぞ。どうしてくれるんだっ!弁償しろ、弁償」
 幾浦の言葉にリーチは答えもせずに携帯を切った。
『玄関が凹むって……何かやったの?』
 トシにはこの間、幾浦のうちに行って、玄関を蹴り上げたことを話していなかったのだ。話すと名執の事を話さなければならないから。
『なんでもねえよ。それより……あいつ。何処に行ったんだ?一体誰と一緒にいる?』
『ね、雪久さんがどうしたの?』
 トシが心配そうに聞いてきた。今まで黙っていたが、とても傍観できないと思って心配してくれているのはリーチにも分かったが、トシに説明している暇はなかった。
『なんでもねえよ……』
『なんでもないって……恭眞怒ってたでしょ?』
『あいつはいつでも俺に怒ってるだろうが。黙ってろっていってるっ!』
『……ごめん』
 半分泣きそうなトシに気がついたリーチは慌てて言った。
『悪い。俺……ちょっと、ほら、例のエリックとトラぶってるんだ。さっきの電話でも分かっただろう?ユキが不味いことになってるみたいで、心配してるんだ。詳しいことはユキを捕まえたら話すから……暫く待っててくれないか?』
『……うん。何となく分かったけど……。後で教えてね?』
 小さな声でトシは言って肩を竦ませた。トシに当たっても仕方ない。ただ、苛ついている所為で思わずリーチは叫んでしまっただけだ。本当ならトシにスリープしてもらいたいのだが、仕事中は言い出せない。
 リーチは名執が見つけられないことで、携帯を握りつぶしてしまいそうな程、力を込めていた。時間だけが刻々と過ぎていく。
 仕方ない……
 エリックにリーチは再度携帯をかけることにした。
 肝心なことを話さず、のらりくらりとこちらを交わす様なことばかりエリックが話すなら、半殺しにしてやると、本気でリーチは考えていた。もちろんエリックも彼の生い立ちから多少の同情はしていたがリーチにとって大切なのは名執であり、彼を傷つけるものは全てがリーチの敵になる。小さな傷でも赤の他人からつけられたことを知れば、きっと原因になった相手を捕まえて数倍以上の怪我を負わせるに違いない。
『もしもし……利一ですが……』
『あ、やっぱり掛けてきてくれたんだ』
 エリックは本当に嬉しそうにそう言った。それがリーチの神経を逆なでする。一体どういう神経を持っているのだと不審に思うほど、エリックは今の状況を楽しんでいるようだった。
『先生はどなたと出かけられたのでしょう?連絡を取りたいのですが……』
『内緒』
 ……
 くそ。
 切れそうだ。
 目の前でエリックに言われたのなら、ビンタが飛んでいたに違いない。それこそ、部屋中を引きずり回し、吐くまで縛り上げていただろう。
『そういう言い方は今、不適当でしょう?私、これでも怒っているんですよ』
 何処か可愛く振る舞おうとしているエリックに、怒りを抑えつつリーチは言った。携帯を握りしめている手がブルブルと震えていることなどエリックには見えないのだから、こちらの怒りのすさまじさなど分かるわけがない。
 それが幸せなことであると当然、エリックは知らなかった。
『でも、兄さんがついていったんだし……。僕は知らないです。きっと話が盛り上がって楽しかったんじゃないですか?』
 そんな男じゃないと喉元まで迫り上がってきたリーチは、押さえた言葉の分だけ顔が紅潮した。
『先生は何処にいるんですか?』
『こっちに来てくださったらお話しします』
 エリックはガンとして譲らない。じりじりするような焦りと、殺意まで沸いてリーチは歯を食いしばった。一体エリックは何をしたいのか、今のところ不明なのだが、名執が危険な状況に置かれているのではないかと確信していたのだ。いくら電話口で脅そうと、エリックは答えないに違いない。なにより、気に入らなければ向こうが電話を切ったらそれで終わりだから。とはいえ、この場から離れて名執のマンションに向かうことは仕事を放棄することになる。後々、謹慎を食らおうが、階級を下げられようともリーチは痛くもかゆくもないが、篠原に迷惑は掛けられないだろう。
 基本的に張り込みは最低二人はいなければならないのだ。これは互いが了解していたら構わないと言うものではない。被疑者は拳銃を所持している恐れがあったから、可能性は低いとはいえ、もしこのうちに戻ってくるようなことになれば、篠原一人ではどうしようもないのだ。
 戻ってきたら篠原が撃たれて死んでいた……と、いうような事態になったらそれこそ謹慎どころでは済まないだろう。それはリーチも望まないことだった。謹慎が嫌なわけではない。篠原を自分の責任で失ってしまったら、とても責任など取れないのだ。
『……今晩……遅くなってもお伺いします……。これだけは約束してください。先生にそれまでに何かあったら……私はエリックさんを許しませんよ。はったりでもなんでもない、本気です。しかも銃の所持を今回は義務づけられていますので、私が貴方に何をするか保証は出来ません。いいですか。私は嘘は付きません。貴方は嘘つきですが……』
 瞳を細め、リーチは低い声で言った。それは利一とは違うリーチ自身の声だった。エリックの方と言えば、何も言わずに携帯を切る。ツーという音を耳にして、リーチは携帯を地面にぶつけてやろうと手を振り上げたとき、助手席の窓が開いた。
「隠岐。まずい。こっちに帰ってきたぞ。俺がちょっと様子を見てくるから、お前は捜査本部に連絡をして応援を寄越してもらうように言ってくれ」
「いえ。篠原さんが連絡をしてください。私の方が先に見てこられるかと思います」
 顔を引きつらせながらも、リーチは座り込んだままそう言った。
「え……。お前が……か?なんか顔色悪いし、あんまり調子良さそうに見えないから俺が様子を見てこようと思ってるんだけど……」
 相変わらず篠原は、こんな状況であってもリーチ達のことを心配しているのだ。それなのに、リーチは自分のことで一杯になっていて無用な心配だった。
 被疑者さえ捕まえてしまえば、後は自由になれる。
 応援などリーチには待っていられない。それよりも様子を見に行くと言ってさっさと捕まえてしまう方が得策とリーチは考えた。ただ、逮捕状がこちらに無いために、多少問題が出る可能性があったが、向こうは銃を所持していて、リーチが相手に撃たせるような行動を取ることで、先に発砲すれば都合が良い。
「大丈夫です。様子、見てきますね」
 さっさと終わらせて名執のマンションに行かなければならない。
 リーチはそろそろと、道を浮かび上がらせている電灯を避け、闇になっている部分を駆けた。そうして、被疑者自宅の垣根に身を寄せて、顔を上げる。カーテンが下ろされている二階にぼんやりとした電灯が灯っているのを見ると、被疑者は二階にいるに違いない。リーチは携帯を取りだして篠原に連絡を取った。
「篠原さん。二階にいるみたいです。人の影がチラチラ左右に揺れていますが……。ただ、私たちがこちら側を見張っていて誰も見あたらなかったと言うことは、玄関から入った訳ではなさそうですよ。裏口でしょうか?」
「多分、そんな感じだな。家の見取り図から見ると台所の隣から外に出られる裏口がある。家が建っているから見えなかったけど、向こうの垣根を越えて家に入ったんじゃないか?あ、今捜査本部に連絡を入れたから。逮捕状と捜査員を向かわせてるってさ。もちろんパトカーの音は消してくれる手はずになってる」
「女の所に戻ると思われていましたからね。あそこのマンションからだと、三十分くらいでみなさんが到着するでしょう。それより被疑者は逃げませんでしょうか?どうかんがえても長々とここにいないでしょう。篠原さんは玄関をよろしく。私、裏口の方を見張ってます」
「分かった。あ、お前、無茶するなよ。大丈夫だと思うけど、裏口から被疑者が出てきたら、後をつけるくらいにして置いた方が良い。深追いするとあいつは撃つぞ」
「分かってますって……」
 既に裏口まで移動しながらリーチは言い、携帯を切った。
 家の角を曲がると垣根の所に自転車が停められているのが見えた。それを使って垣根を越え、敷地に入ったのだ。リーチは自転車に登り、垣根を飛び越えると音も立てずに敷地に着地した。すると目の前に裏口があった。上手い具合に扉は開いたままだ。
『リーチ……どうする?入る?さっさと片づけたいでしょ?』
 いつもなら、危険であるから様子を見た方が良いだの、応援が来るのを待たないと駄目だと、小うるさく言うトシなのだが、今日は違った。事情がよく分からなくても、リーチが切迫している事だけはトシも気付いているのだろう。
『悪い。ちょっと無茶するかもしれないけど、どうしても俺はここを片づけたいんだ』
 家の側面に張り付いて、放たれた裏口の方を覗き込みながらリーチが言うと、携帯がブルブルと震えていることに気がついた。
「隠岐。答えなくて良い。二階の電灯が消えた。下りていくぞ。鉢合わせになるなよ」
 それだけを言い、篠原は携帯を切った。
 だが、リーチにとって被疑者と鉢合わせすることは願っても無いことだった。
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