「監禁愛5」 第13章
あいつ、どこに行ったんだ?
見回したところで名執が帰ってきた様子がない。自分たちより先に出たはずであるのに、一体どこをうろついているのだろうか。
「兄さん、どこか出かけてるのかなあ……。友達のうちに寄ったとか?」
エリックの方は心配をしている様子もなく、あっさりとそういう。だが名執にそんな友達がいるなどと聞いたことは無い。
リーチは携帯を取り出して名執の携帯をコールしたが、電源が切られていてつながるのは留守番電話だけだ。
なんかあったのか?
帰る途中、事故に遭ったとか……まさか。
とはいえ、名執のことになるとリーチは心配で仕方がない。特に名執はあまりで歩くタイプではないのだ。行くところが無いのに、帰っていないのはおかしい。
「もしかして兄さん、僕に気を遣ってくれたのかな……」
媚びるような視線を向けてエリックは言った。
「はあ?気を遣うってなんでしょう……」
リーチが問うと、エリックは頬をやや赤らめてうつむく。
「僕、隠岐さんのこと、すごく好きになってしまって……兄さんに話したんです。だから……多分それで……」
うつむいているが、ちらちらとこちらに、何かを期待するような目を向けてくる。
「え、どうしてそんなことを言えるんですか?」
「どうしてって……?」
驚いたような顔でエリックは言った。
「だって、私と先生がベッドでセックスしていたの覗いていたんでしょう?知ってましたよ。なのに、何故、私にそんなことを言えるのか不思議なんですが……」
リーチはあの夜、エリックが覗いていたのを知っていたのだ。名執のことであるから、決してエリックには話せなかったであろう自分たちの関係を、当然、リーチからであっても話すことを許してくれないと思ったから。
だからこそ、覗かれているのを知っていながら無視をしていた。普通なら、見られているのを知ったら、ぼこぼこにしていた。また、あまりにも長い間見られていたのなら、同じように殴りつけていたに違いない。
すぐに気配が消えたからこそ、腹立ちも収まっていたのだ。
「し……知りません」
あ、嘘ついてやがる……
こういうガキを見ると、リーチは泣いて謝るまで拳銃の柄でも使い、殴ってやりたい気に駆られるのだが、一応名執の弟というのもあって、衝動を抑えた。
「やだなあ、見たのを黙って下さっているのはありがたいですが、私が気づいていたんですから、ごまかすのはやめましょう。私、嘘をつかれるの、すごく嫌いなんです。それより、知っていて私に告白するってどうかと思うんですけど……。あなたに良くしてくれるお兄さんに悪いとか思わないんですか?」
むっとした口調を押さえつつ、リーチは利一特有の笑みを顔に浮かべてエリックに言った。すると、困惑しながらもどこか平然な態度でエリックは答える。
「それとこれとは違います。僕は本当に……」
なんかこいつうさんくさいな……
ていうか、こういう話をユキに何食わぬ顔で話して聞かせた訳じゃないだろうなあ……
確信は持てなかったが、二人の関係を知っていて、それでもリーチに告白するエリックのことだから、あながち的はずれな想像でもないだろう。
「……まあ、いいでしょう。私は先生を捜してきますよ。心配ですから……」
はあ……と、ため息をついてリーチは言うと、エリックの方は視線を逸らせてリビングの方に歩いていった。
エリックが何を考えているのか、今のところリーチにも良く分からない。子供の浅はかさで、単に兄を困らせてやりたいと思っただけかもしれないから、問いつめたところで無駄だ。もちろん、無理矢理吐かせる事は出来るだろうが、そうなると利一の仮面がはがれてしまう。
それは大いに困る。
利一というのは実際は、こういう性格だと全面にリーチとしての性格を出してしまっても良いのだが、名執の立場も考えて、ここは退くことにした。
エリックがこの調子であるから名執もうんざりして、今、うちに帰りたくないと思っているだけなのだろうと考えたからだ。
名執は恋愛の駆け引きが出来ない。リーチからすると、彼は私の恋人ですとはっきりと言えば済んだことなのだろうが、言えなかったのだろう。それはリーチの立場を考えるというよりも、何事に関しても強く主張する事を名執が苦手としている為だ。
全く……
どっこ、ほっつき歩いてるんだよ……
俺のうちかな?
マンションから表の通りに出たリーチは、玄関先で自分のうちに電話を掛けてみたが誰も取るものがいなかった。とはいえ、いきなり人様のうちで電話が鳴っても普通は家主でもない人間が取ることなど無いはずだ。
では、やはり利一のコーポの一室で、項垂れて座り込んでいるかもしれない。
「あいつと一緒にいるのが、限界ならそう言えよ。そうすりゃ追い出してやるのに……」
だが、暫く兄の振りをしろ、我慢しろと説得したのはリーチだった。エリックの存在が名執にとって、少しでも暖かい家族というものがどんなものであるかを感じさせる相手になればと思ったからリーチは最初説得したのだ。
だがそれは裏目に出たのだろう。
「俺が悪かったよ……」
星の瞬きが一切見えない夜空を眺めてリーチは息を吐いた。
「……そう言うことか……」
名執が話し終え、暫くすると幾浦がうなずきと共にそう言った。
「……済みません……恥ずかしい話をしてしまって……」
「いや、私なら苛々するぞ。ああ、そうだ。恭夜が帰国した日、うちに転がり込んできたが、あのときがそうだった。恭夜がトシのことを可愛いだのなんだの言う台詞、一つ一つに腹を立てたものだったよ。もちろんすぐに追い出そうとした。まあ、あのときはまだ住むところが決まっていなかったから、居座り続けていたがな……」
苦笑しながら幾浦は言った。
「そうだったのですか?」
「ああそうだ。お互い兄弟として長い付き合いをしていてもそれだ。恋愛と、兄弟の関係は違うからな。全く、さっさと出ていけと何度喧嘩したか。もちろん、トシをうちに呼べないと言うのが一番の理由だったが……。名執の場合は、突然兄弟宣言されているから遠慮があって、言えないのかもしれないが、嫌なら嫌だと言うしかないだろう。お前がストレスをためてどうする……」
「……言えないんです。喉元まで出かかっているんですが……」
顔を左右に振って名執は言った。
こればかりはどうしようもないのだ。
言ってしまいたい気持ちは、押さえ込んでもすぐに喉元まで出てくる。
どれだけ言葉を選んて言ったとしても、きっと寂しそうな顔をするに違いない。
名執もずっと独りだった。
その寂しさや、孤独感、つらさはよく分かる。自分が本当の兄弟ではないとしても、折角兄が出来たと心から喜んでいるエリックを悲しませてしまうようなことは言えない。
「まあ、リーチとその弟が二人きりになったところで、間違いが起こるとは天地が裂けても思わないが、弟の方が積極的だと、逆にリーチが切れそうな気がするぞ」
小さく笑いつつ、幾浦はアルの頭を撫でた。
「それは……」
「あいつは利一であるときは面倒見が良い人間を演じているが、リーチの時のあいつは……なんていうかなあ……かなり面倒くさがりだぞ。何とも思っていない相手に絡まれたら、苛ついて殴ってるだろう。考えなくても私には想像が付く。あいつはお前といる時間が一番優先だからな……それを一秒でも奪う相手には何をしでかすか分からないタイプだ」
今度は声を出して幾浦は笑った。
「そんなことは……」
「なんだ、私に説教したときは随分と自信ありげに話してくれたのに、自分達のことは分からないんだな。……まあ、そう言うものだとは思うが……」
「……」
名執は幾浦にどう答えて良いのか分からなかった。
「で、どうする?うちに泊まるのか?私は構わないが、それを知ったら奴は切れるぞ」
帰ることを一瞬考えたが、リーチが帰った後、結局エリックと二人きりになることを思い出して、項垂れた。
「じゃあ、今晩はうちに泊まれ。だが、ちゃんとあいつに連絡をして置くんだな。そうしてもらわなと、後で私が殴られる羽目になる」
「え……」
「いいな。弟にはしなくても良いだろうが、リーチには連絡をして置くんだ」
「はい……」
「今すぐだ」
じっとこちらを見つめて幾浦は言う。それは有無を言わせないものだった。
「……はい」
名執がゆるゆると自分の携帯を取り、電源を入れた。すぐさま留守番電話にメッセージが入っていることを知らせるランプが灯る。
確認しなくても相手が誰だか名執には分かった。
自分が自宅にいないために、リーチは名執を探していたのだろう。
灯るランプに名執は勇気づけられるように電話を掛けた。
「どこ、ほっつき歩いてるんだっ!俺は怒ってるんだぜ。分かってんのかっ!」
繋がるといきなりリーチは名執の言葉も待たずに怒鳴った。
「ごめんなさい……私……」
「何も言わなくて良いからさ、今どこにいるかだけ教えろ。迎えに行くから……」
急に穏やかな声でリーチは言った。
「……幾浦さんのマンションにお邪魔しているんです……。あの……今晩こちらに泊めていただくことになって……それで……」
名執が言い終える前に電話は切られた。もしかするとかなりリーチは怒っているのかもしれない。
どうしよう……
怒らせてしまった。
「どうだった?良いって言ったか?」
「なにも……」
「なにも?」
顔を左右に振って名執は答えにした。すると幾浦が困惑したような表情で、名執の肩をぽんぽんと叩き「もう一杯飲むか?」と、言った。
「飲みたいです。飲んで……酔っぱらってしまいたい」
このような状態ではいくら酒をあおったところで酔えないことは自分でも分かっていた。ただ、張りつめた神経を少しは緩める役目をしてくれるはず。
「じゃあ、酒盛りでもするか」
幾浦はそう言って何本もワインを机に並べて封を切る。そんな幾浦に感謝しながら、名執は朝まででもつき合うつもりで、自らワイングラスにワインを注いだが、一本二人で開けてしまう頃、玄関の扉を激しく叩く音が響いた。
「……言わなくても分かると思うが……あれはリーチだ。ベルがあるのに鳴らさないと言うことは怒ってるぞ。しかも、かなり……だ」
ガンガンと扉が激しく叩かれている音を聞きながら、うんざりしたような顔で幾浦は立ち上がる。つられるように名執も立ち上がった。
少し酔いの回った脚が頼りなかったが、よろけてしまうほどではない。
「私が……出ます。幾浦さんは、こちらにいらっしゃってください」
幾浦は暫く思案するように視線を玄関の方に向け、ため息をつくと「任せた」と、言った。
名執が玄関に向かって歩く後ろをアルがついてくる。だが、吠えるわけでもなく、かといって尻尾を振る仕草もしない。どこか緊張した面もちが感じられた。
「リーチ……ですか?」
玄関のところで尋ねるように問いかけると、扉を叩いていた音が止んだ。
「開けろ」
「……はい。でも……」
ノブに手を掛けていたが、名執はまだ迷っていた。連れ戻しに来たのは分かるが、自分のうちに帰る気はやはり起こらなかったからだ。
「でもじゃないっ!開けろって俺は言ってるんだっ!」
本気で怒っているリーチの声を聞いて、名執は反射的に鍵を外して扉を開けた。すると、真正面に不機嫌な顔をしたリーチが立っている。
「で、なにやってるんだ?」
「……今日は……こちらに……お世話になろうかと……っ!」
ガッと手首を掴まれて、名執は玄関に素足で下りた。
「リーチ……」
「靴履け。帰るぞ」
眉間に皺を寄せてリーチは言う。
「……私……」
「良いから、靴を履けって。裸足で外を歩きたいなら良いけどな」
リーチの剣幕に、名執はそろそろと自分の靴を履き、玄関から続く廊下の方に視線を向けた。幾浦に何も言わずにここから出ていくことが申し訳なかったからだ。
だが、声を出そうとした瞬間に、リーチに引っ張られ、結局、お礼の一言も言えずに通路に連れ出された。
「リーチ……嫌です……」
前を歩くリーチに名執は訴えるように言った。だがリーチは答えない。
「嫌なんです。今日だけで良いですから……私……」
それでもリーチは答えない。
「……嫌です。帰りたく無いんです」
グイグイと引っ張られ、通路を無理矢理歩かされながらも名執は言った。
「だったら……」
ようやく足を止めてリーチはこちらを振り返った。
「嫌だったら、どうして俺のうちに来ないで、幾浦のうちにいるんだよ。それがどう考えても俺は納得いかない」
ムッとした顔でリーチは言う。
「それは……」
「もういいよ。自分ちに帰りたくないなら、俺んちに来い。幾浦のうちは駄目だ。それなら良いな?」
今度は、優しげな口調でリーチは言ったが、不機嫌な顔つきは相変わらずだった。
「はい……」
それから一言も交わすことなく、一階まで下り、エントランスを抜けてマンションを出る。冷たい夜の空気が、名執の心を更に冷えさせた。
幾浦に迷惑をかけ、リーチにまで面倒を掛けてしまった。そのことが辛いのだ。
ここから随分とリーチのコーポまで距離があるのだけれど、捕まえようにもタクシーなど走っていない。手首を掴まれたままの名執は言葉を発しないリーチの背を見つめながら、途方に暮れたように歩くしかなかった。
暫くすると、リーチは手首から自分の指を解いて、名執の指に絡めてきた。ギュッと握りしめてくる手は大きくて暖かい。
「……な、俺達、結構長い付き合いになってるよな?」
突然リーチはそんなことを言った。
「……」
「言いたいことがあったら、素直に言っても良い付き合いしてると思うぞ」
語る口調は優しかった。
「……はい」
「まあ、俺が最初に我慢しろって言ったからな……。でもさあ、限界が来たらそう言わないと……。俺は強制したつもりはなかったんだって。それを誤解されたら困るんだけど……。う~ん……俺が言うと聞こえるか……」
てくてくと歩きながらリーチは笑った。
今、リーチがどんな顔をしているのか、背を向けているために名執には見えない。それでも多分、苦笑しているのだろうと名執には想像がついた。
「……私……」
「どう思ってる?素直に言えよ……」
「……」
「言えって……この先にタクシー待たせてるんだから、着くまでに言え。タクシーに乗ったら話せないだろう?」
リーチが言ったように、水銀灯が照らし出す歩道の先にある角にタクシーが停まっているのが見えた。
「なあ……聞かなくても分かってるけど、お前の口から聞きたい。言って置くけど、うちに帰ったら俺はお前とは別にすることがあるから、ゆっくり話し合いは出来ないぞ。ここだから俺の理性が保ってる」
何処か嬉しそうにリーチは言った。
「……私……私は……」
吐き出しても良いのだろうか?
嫌な人間に見られたりしないのか?
軽蔑されたらどうする?
知らずに名執は頬に涙を伝わせていた。
「良いよ……聞かせてくれ……」
「私……エリックと二人っきりになるのが嫌なんです」
「……うん」
「堪らないんです……」
「分かった」
「……辛い」
「どうにかしてやるから……もう泣くな」
自分ですら気付かなかった涙のことを、リーチは振り返ることなく指摘した。
名執は、余計に涙が止まらなくなった。