Angel Sugar

「監禁愛5」 第9章

前頁タイトル次頁
「……ちょっとした意見の食い違いなんだ……」
 どちらかというと困ったような顔だ。
「あちらは酷く怯えていましたが、暴力を振るったり、脅したりしたわけではないのですね」
「そんなことはしていない。もちろん、少し声高になったのは認めるが……こんな所に連れてこられるような事などしていない」
『……なんか……こいつ悪い奴って感じがしないな……』
 リーチがシャルを見ていてそう言った。
『うん……僕もそう思うよ……ただエリックの方はものすごく毛嫌いしているみたいだけどね』
『うーん……どういう関係かは何となく分かるけどさ、どうする?』
『釈放するしかないでしょ……こんなの立件できないし、時間と労力の無駄だよ……』
『確かにな』
「これだけは言っておきます。最近外国人のグループがスリや金品強奪する事件が増えているんです。貴方達をそうだとは申しませんが、そういう状況で目立ったことをされるとピリピリしている警邏中の警官は真っ先に連行するでしょう。確かに貴方の国では大声で喧嘩をするのは日常茶飯事かもしれませんが、ここは日本です。今後こういう問題は穏やかに話し合うか、出来ないのでしたら帰国してから十分に話し合って下さい。とにかく日本滞在中は観光をして良い思い出を作って帰って下さい。いいですね。次に私が呼ばれても弁護はいたしません。分かりましたか?」
 シャルは仕方無しに頷いたように見えた。そうして、トシは立ち上がると松野に外で話したいといって廊下に出た。
「なんと言ってるんですか?」
「……どうもこうも……痴話喧嘩に巻き込まれたんですよ」
 大事にならないように軽くそうトシは言った。
「は?痴話喧嘩ですか?」
 松野の方は驚いた顔でトシを見る。
 確かに男同士の痴話喧嘩などにわかに信じられないだろう。
「ええ、呆れる話なんですが、別れる別れないでもめていたようです。まあ、あちらの人はとても声が大きいので、目立ったかもしれませんが、彼らにすれば普通の話し合いだと主張してます。ただ、エリックさんはかなり参っているようですので、私が彼のお兄さんの家に直接送って行きます。ですので、先にエリックさんを帰らせて、三十分ほどしたらもう一人の、シャルさんを帰らせて貰えますか?」
「隠岐さんがそうおっしゃるのならそうしましょう。なにぶんこういうのはデリケートですから……。うーんそれにしても男同士で痴話喧嘩ですか……。外国の人は分からないですね」
 松野は複雑な表情でそう言った。
「下手に騒ぐととばっちりを受けてしまいますしね」
 トシは言って笑う。
 とはいえ、内心はそうでもなかった。
 普通男性同士の話になると、こんな風に一般の人間は困惑するのだろう。そう思うと人ごとには思えなかった。
『さっさとエリックを連れ出そうぜ』
 急かすリーチにトシは心の中だけで頷いた。



 トシはエリックと一緒に交番を後にすると、名執の家に向かった。エリックはタクシーの中ですら何度も後ろを振り返って不安そうにしている。その為、ずっとエリックはトシのスーツの袖を握りしめて離さなかった。  
 何があったかを話そうという気持ちがエリックに見えなかったのでトシは何も聞かずに名執のマンション前まで送った。
「あの……兄さんには……」
「大丈夫。何も話しませんよ。話したくなったらいつでも相談に乗りますから。これ私の携帯番号。いつでも連絡して下さって良いですよ。もちろん事件の渦中では私もお話は出来ませんが、後で折り返し電話をしますから……ね」
 笑みを見せてトシは携帯番号の書いた名刺を渡した。それを受け取りながらエリックも堅いながらも笑みを浮かべて、マンションへと入っていった。
『なあ、どう思う?』
『分からないけど、なんか深刻そうだね。どうもエリックさんの方が立場的に弱そうだったけど……』
 トシは警視庁へともどるため、待たせていたタクシーに乗り込みながらリーチに言った。
『……ああ。もしかして恋人から逃げてきたとか?でも店を開店する話は本当だったみたいだけどな……』
『シャルさん……結構年上だったよね』
『四十いってるかいってないかだろ……多分……俺が見た感じじゃ、シャルって奴の方がエリックに惚れてるな。ただエリックはものすごく毛嫌いしている』
 う~んと唸ってリーチは考え込んでいた。
『……事情が分からないとさ。どうしようもないんだけどね』
『エリックが相談に乗って欲しいと思ったら相談してくるだろ』
『それにしても、エリックさん、なんだか見ていて可哀相になるくらい怯えてたね……』
『ああ……力になってやれるものならなってやるけどな……』
 仕方ないという感じでリーチは言う。
 結局はそうなのだ。
 相手が助けを求めてこない限りこちらからは何もしてやれない。たとえしてやっても迷惑になるだけだ。
 二人は複雑な思いを抱えながら警視庁に戻った。



 ただいまも言わずにエリックが帰ってくるとすぐに部屋に閉じこもってしまった。心配した名執は扉の前で声を掛けた。
「エリック……どうしたのです?」
 一呼吸置いてエリックは「ちょっと疲れたので、もう寝ます」と言った。
「夕ご飯はどうします?」
「食欲ないし……明日にします……」
 それだけ言うと、もう会話はしたくないという雰囲気があったので、名執は仕方無しにリビングへと引き返した。
 何かあったのだろうか?
 色々考えるが、当然何も浮かばない。
 今朝はいつも通りだったから。
 外に出て何か嫌なことでもあったのだろう。その程度しか名執には考えられなかった。
 仕方がないので名執は食事の用意だけする事にした。何でも良いから作っておけばお腹が空いたときに食べられるだろう。
 話したいと思えば話してくれる。
 そう思うしかない。
 一緒に暮らしていると言っても所詮他人だった。多分、エリックの方もそう感じているから名執に相談できないでいる。
 何となく重い気持ちで名執は簡単に豚肉を炒めると、刻んだ野菜と共に皿に並べてラップをかけた。どうせ朝になってもこのラップは取り払われることなど無いだろう。分かっていても、落ち込んでいるように見えるエリックに名執は何かしてあげたかった。
 そこに電話がかかった。
「もしも……リーチ?」
 相手はリーチだった。
「あのさ、エリックのことだけど、帰ってきてからの様子はどうだ?何か相談でも受けたか?」
「……ええ。夕飯はいらないと言って、部屋にこもってますが……。リーチは何かご存じなのですか?」
 タイミングが良すぎたため、名執はリーチがかけてきた電話に不審を持った。
「……あ~……ちょっとな。さっきまで一緒だったんだ」
 さっきまで?
 どういう事なのだろう。
「一緒?エリックとですね。どうしてお仕事中のリーチがエリックと一緒だったんですか?」
「……いや、その。まあ、色々あってさ。あいつが交番に拘束されていたのを俺が上手く言って釈放してもらったって言うわけ」
 ……
 何か変です。
「拘束って……エリックが何かしたのですか?」
「いや。エリックは何もしていなんだけど……あ~また電話するよ。実は仕事中でさ。あんまり長く話は出来ないんだ。また今度事情を説明するから。あ、お前も病み上がりなんだからゆっくりしろよ。じゃ」
「……り……」
 呼び止めようとしたが、先にリーチから電話が切られた。
 ……
 何があったのだろう。
 リーチはよほどのことが無い限り、仕事中に電話をしてくることなど無い。しかも今週はトシの番だった。なのにどうしてリーチが電話を掛けてくるのだろうか。
 ぼんやりと椅子に座り、名執はラップをかけた皿を眺めて息を吐いた。考えたところで、知っているはずのリーチが何も話さないのだから、いくら考えても答えなど出ない。
 小さくため息をつくと、エリックがおずおずとキッチンに入ってきた。
「ごめんなさい……兄さんにあんな風に言って……僕……どうかしてたんだ」
 下から見上げるような視線を向けて、エリックは言った。
「誰でも気分の優れないときはありますよ。無理しなくても良いんです。ただ、いつも元気な貴方がそんな風に肩を落としていると気になります。何か理由があるのですか?私で良ければ話を聞きますが……。あ、もちろん、話せないのならそれはそれで構いません」
 名執は笑顔をエリックに向けた。すると、前の席にエリックは腰を掛け、テーブルの上で手を組んだ。
「……僕……」
「何でしょう……」
「人を好きになったんです」
 俯いていた顔を上げると、エリックは真っ直ぐ名執を見つめてくる。
「……そうですか。その方に振られたのですか?」
 名執が聞くとエリックは顔を左右に振った。
「違うんです。まだ告白だってしてない……」
 やや目線を落とし、エリックは組んだ手を見ている。
 一体誰のことだろう。
 日本に来てまだそれほど経っていないエリックが誰かを好きになると、名執には考えられなかった。
 最近、出会ったのだろうか?
 別にエリックが誰を好きになろうと名執には関係がないのだが、何となく嫌な予感がした。互いが知っている男性は一人だったから。
「どなたでしょうか?私が知っている人ですか?」
「多分。ううん。兄さんの知ってる人」
 俯いたままエリックは言う。
 名執は急に鼓動が早まった。
「……どなたです?」
 平静を装いながら名執は聞く。
「……ねえ兄さん。男同士ってどう思う?」
 問いかけに答えずエリックは逆に名執に問いかけた。こんな風に切り替えされるのは苦手だ。
「別に私は男同士であっても偏見は持っていませんが……。お互いの問題でしょうし……。それで、貴方は誰が気になっているんです?」
「……別に……良いんだ。きっと兄さんにも軽蔑される……」
 も、というのは誰かに軽蔑されたのだろうか?
「いいえ。そんなことはありませんよ」
「もしかして兄さんの恋人も男だからそう言えるの?」
 分かっているのか、それとも知らずに口に出しているのか、エリックの真意が分からなかった。
「……そう言うわけではありません」
 エリックに名執とリーチがつき合っているなどと言えるわけなどない。
「……兄さんは普通の恋愛をしてるんだね。でもその方が良いと思う」
 チラチラと名執を窺いながらエリックは言う。
「もしかすると隠岐さんでしょうか?」
 自分から言いたくはなかったが名執は、強張りながらも笑みを浮かべて聞くと、エリックは照れくさそうに微笑んだ。
「うん。僕、隠岐さんが好きになったみたい」
 今まで言いにくそうにもごもごと話していたはずのエリックだったが、最期の言葉は、はっきりと聞き取れる声で言うと、何か言い含めたような視線を名執に向けた。
前頁タイトル次頁

↑ PAGE TOP