Angel Sugar

「監禁愛5」 後日談 第1章

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 エリックたちが帰国して一ヶ月ほど経った頃、名執の元に一通の手紙が届いた。もちろんそれはエリックからで、元気にしていると書かれてあったが、非常に短いものだった。そしてフランスに来ることがあったらお店に寄って欲しいと、住所付きの名刺が入れられていた。
「……なんだよ、ガキはなに言ってきたんだ?」
 名執は読んでいた手紙を目の前から避け、自分の膝でゴロゴロしているリーチを覗き込む。不機嫌な表情はどこか子供っぽさが残っていて、どこかちぐはぐな印象を受けるのは名執がリーチの本性を知っているからに違いない。
「お礼と、謝罪。今度来たときはお店に来てくださいと書いてあります。読みますか?」
「お前に来た手紙だろ。見る必要ねえよ……」
 こちらを見つめていた黒目がちの瞳が逸らされ、閉じられる。真っ黒な髪がサラサラと艶やかに光っていて、名執は思わずリーチの頬にかかっている髪を撫で上げた。リーチの髪は、まるで小さな子供のような柔らかさがあり、指の間をサラサラと流れ落ちる。その感触が気持ちよくて、名執は何度も髪を撫で上げた。
「くすぐったいな……」
 リーチは口の端を少し上に持ち上げるようにして笑った。
「あの二人はとりあえず仲良くしているようです。とても安心しました……」
 ほうっと息をついて名執は手紙を封筒に戻した。次会えるときが来るかどうか定かではないが、もしあの二人に会えることがあったら、きっと笑顔を向けられるだろうと名執は思った。
「は?仲良くね……。勝手にしてろっての。結局やつらのとばっちりがこっちに回ってきたってことだろ?てめえらの尻ぬぐいはてめえらでしろっての」
 リーチは目を閉じたままブツブツと不満げだ。
「どうして機嫌が悪いんですか?もう済んだことですし、あれから随分経つのに、リーチはエリックの名前が出ると機嫌が悪くなりませんか?」
 横を向いているリーチの顔をこちらに向けさせて名執は覗き込む。するとまた目が開いて黒目がちの瞳がじっと名執の方を向いた。
「お前を泣かせたからな。ユキを悩ませたり苦しませる相手のことは、俺は一生忘れないぜ。へらへらとした顔でまた、お前の前に現れたら袋叩きにしてやるからな。お前さ、エリックに返事を書くなら俺がそう言ってたって一言添えておけよ。ああ。目立つ色で、でっかく書いておくのもいいな」
 真面目な顔でリーチは言う。
「リーチって……」
「五月蠅いな……。文句あるのか?」
 今度はめんどくさそうに言う。
「文句はありませんが……」
「文句はあるのは俺のほうだっての」
 リーチは身体を起こすと、ソファーに座っている名執と対面した形で膝を跨いで座り込んだ。
「……あのう……」
「お前さ、エリックがいる家に帰るのが嫌だって俺に言って、えんえん泣いたこと忘れたのか?俺はね、ああいうお前を見るのが嫌なの。分かるだろ」
 確かに泣いたことは覚えているが、名執にはえんえん泣いたつもりはなかった。もっとも、リーチが真面目腐った顔をしながらどこかふざけているのは見て取れる。
「お互い誤解は解けましたから……」
「誤解は解けても、お前を泣かせた原因はエリックだ。どれだけ謝られても俺は許さないね。だってな。俺は……お前にはいつも笑っていてもらいたいんだ……」
 頬をそっと撫でられて、名執はうす茶色の目を細めた。何故かいたわるように動かされるリーチの指先が心地良い。
「リーチ……ん……」
 触れるだけのキスを落とされ、リーチの唇はすぐに離れていく。もったいぶったようなキスに名執が不満げな表情を向けると、リーチは口元に笑みを浮かべて見せた。
「……俺は、お前が笑っている顔が一番好きだよ……。だからかな……ユキが笑ってくれるようなことばかり考えてる」
 次に見せたのは優しい笑みではなく、ニヤニヤとまたなにやら悪巧みでも考えているような笑いだ。
「リーチ。また変態おじさんでもしてみせるつもりですか?あれは笑えませんから止めてくださいね」
「あれ……分かっちゃった?」
 ははっと声を上げてリーチは笑う。
 リーチは以前、素っ裸の上に名執の白衣一枚を羽織って前をはだけてみせるという、理解しがたい行為を名執に見せたのだ。あれを見て、笑えと言われても、名執は困惑するだけだろう。しかも、あのとき名執は煽られるだけ煽られて放り出され、どれだけリーチに腹立たしい気持ちがわき上がったか、今でも良く覚えていた。
「いい加減にして下さいね。白衣は仕事で使うものです。遊びに使うものではないんですよ」
「……そういえば、俺、最近、白衣が干してあるの見ないな……」
 ベランダの方を見て、リーチは怪訝な顔つきになった。
「偶然ですよ。きちんと洗っていつも干しています」
 名執はリーチが見えるところに白衣を干さず、クリーニングに出すようにしていたのだ。どうも、リーチは白衣を見るとむらむらするようで、見るとこちらが驚くようなことばかりに使用したがるために、仕方のない処置だった。
「……偶然……ね」
 ふうんと鼻を鳴らして、リーチは名執の方を見る。
「そうですよ」
「隠したな?」
 リーチは名執をジロリと睨み付けてくる。
「隠すなんて……そんなことはしませんよ。それより、白衣がどうして気になるんですか?」
「あれを見ているとむらむらするんだよ……俺」
 やっぱり……。
 隠していて正解だと名執は心の底から思った。
「どうして白衣にむらむらするんですか。私はその方が信じられませんが……」
 はあとため息をついて名執は肩を竦める。
「普通するだろ?」
 リーチは、え?という驚いた様子だ。
「しません。もう、いい加減にして下さい。白衣は仕事で使うものですから、エッチなことを考えないで下さい」
「白衣の天使って男のあこがれだぞ」
「白衣の天使という言葉は看護婦を差すのでしょう?私は、白衣の外科医です」
 名執は真面目に答えたつもりだったが、何故かリーチは声を上げて笑った。
「笑い事ではないでしょう……」
「だってさ。お前、白衣の外科医って言うから……まあ、そうなんだけど。じゃあ、俺のあこがれは白衣の外科医にする」
 また、分からないことをリーチは言って一人で納得していた。
「どちらでも構いませんが、白衣から離れて下さい」
「え~白衣ないのか?」
 子供が駄々をこねるようにリーチは白衣のことばかり口にする。ここで押し切られるとまたリーチが何をしでかすか分からないため、名執は首を左右に振った。
「ありません」
「お前が着るのが嫌なら俺が着る」
「変態おじさんはこりごりです」
 きっぱりと名執は断るが、リーチは納得しないようだ。
「お前って、遊び心ないな。それって、トシと一緒だぜ。あいつも、遊び心がねえよ。まじめ腐ったセックスで愉しむ時期はそろそろ卒業しても良い頃なのにな。でもさあ、俺達は違うだろう?」
 どうしてこういうセリフをごく普通に口から出せるのか、その方が名執には不思議で仕方ない。
「セックスはいつも真面目にしています」
 名執の答えにリーチは腹を抱えて笑い出した。だが、逆に名執は妙に悲しい気持ちに駆られた。自分はいつも真面目なのだ。にもかかわらず、リーチは違うというのなら、それはとても悲しいことだった。
「何が可笑しいんですか?それともリーチは真面目にしていないんですか?」
「いや。俺も真面目。真面目だって。ただ、ほら、白衣が……」
 あくまで白衣にこだわるリーチに、名執は腹が立ってきた。
「今からでも遅くありませんから、医者を目指せばいかがですか?嫌でも白衣を着ることができますよ」
「あ、ユキちゃん怒っちゃった~」
 リーチはふざけた口調で言いながら、ムッとしている名執の身体を抱きしめてくる。そんなリーチを名執は押しのけたが、もちろん引き剥がすことはできなかった。
「誰でも、怒ります」
「ユキって、口を尖らせてる顔も可愛いよな……」
 額や頬にキスを落とし、リーチは満足そうだ。
「可愛くなどありません」
「俺はユキのどんな表情も好きだ。ただ、泣き顔だけはやめてくれよ……」
 先程までふざけていたリーチの表情が急に真剣なものとなっていた。
「リーチが側にいてくれるのなら……私はいつでも安心して生きていけます……」
 名執も自ら手を回し、リーチの胸にすり寄った。温かい体温が衣服を通しても感じられ、名執は安心できる場所を再確認する。こうやっているときが一番名執はホッとできるのだ。リーチに会えない日、一人寂しくベッドで眠る時が一番辛い。もちろん、彼らのプライベートの取り方に文句などないのだが、それでも心のどこかで利一の身体を含めたリーチを独り占めにしたいと名執はいつも考えているのだ。
 トシや幾浦に悪いと思う気持ちと、抑えられないリーチへの独占欲は別物なのだろう。
「来年……ユキが両親の墓参りに行くと、エリックのところにも寄るんだろうな……」
 ぽつりとリーチが言った。
「日程が合いましたら、リーチも行ってみませんか?」
 リーチの胸に埋めていた顔を名執は僅かに上げる。
「刑事にそんな悠長な旅行はできないって」
 そう言ってリーチが小さく笑うとふれ合っている身体も僅かに振動する。
「そうですよね……」
 また顔をリーチの胸に埋めて名執は目を閉じた。
「エリックに会うってことは、あの鬱陶しいシャルにも会うってことだ。うぜえな。あいつ。お前に手を出そうとしたんだから……。あいつこそ、もっとぼこぼこにしてやったら良かったな。病院だから諦めたけど、今度会ったら、ただじゃおかねえ……」
 ギュウッと名執を抱きしめて、凄味を利かせた声でリーチは呟いた。
 リーチの独占欲は激しい。目に見える形でリーチは名執に見せてくれると、何故か安心できる。もちろん、名執の中にも独占欲があって、滅多に表に出ないものの、心の深いところで同じだけの強さで存在することを名執は自分で自覚していた。
「でも、リーチは最初、エリックに随分優しく接したじゃないですか……」
「ん~。無害な相手だったら、利一の態度で優しくできる。それだけだ。お前にとって無害じゃなくなったから、俺の態度は変わった。それだけだよ。別に優しくしていた訳じゃない。利一が優しいんだろ」
 リーチの言葉に名執は笑いが漏れた。
「あのさあ、ユキ……」
 かしこまったような声でリーチが問いかけてきたので、名執はまた目を開けて上を向いてリーチの見つめ下ろす瞳を受け止める。
「なんですか?」
「墓参りに行くのは良いよ。お前が決めてやってることだからさ。だけど、あいつらに会いに行くのは止めろよな……って言ってもいいか?」
 言いにくそうな様子でリーチは名執から視線を外す。
「どうしてです?」
「あいつらは、多分もう、二人とも仲良くしてるんだろうと思うけど、なんていうか、ほら、俺の手の届かないところで何かあったら嫌なんだよ……。いや、ないと思うぜ。思うんだけど……俺が安心できない。ただでさえ、お前がフランスに墓参りに行ってる間は、俺はもう、毎日心配で仕方ないんだよ……」
 ぶつくさと言うリーチがどことなく名執には可愛く見えた。
「そんな風に言われると、とても嬉しい……」
 満面の笑みを名執が向けると、意外にもリーチは真剣な顔つきで言った。
「ユキは自覚してないようだけど……いや、分かってると思うけどさ。お前は色気ムンムンなんだよ。こう、漂ってる色気って言うか、立っているだけで誘いたくなるって言うか……俺にも上手く言えねえけど、ノンケでもフラフラ~ってお前についていきたくなるほど、ユキは独特の雰囲気を持ってるんだよな。だからさ、妙な奴に目をつけられないとも限らないだろ。俺はそれが心配なんだって」
「色気ムンムンって……なんですか?私は女性では無いんですよ」
「……まあそうなんだけど。お前はどういうのかなあ……男って言われてもピンと来ないし、だからといって女って言うわけでも無いんだよなあ」
 本気でリーチが悩んでいるのを見て、名執は呆れてしまった。
「気持ちの悪いことをおっしゃらないで下さい。……もちろん、私の容姿は女性に見られがちですが、よく見るとみなさん分かって下さいますよ」
 こういう言い方もどうかと名執はふと自分の口にした言葉を頭の中で繰り返して、妙だなあとは思ったが、自分でも言いようが無かったのだ。
「胸、無いしな」
「当たり前でしょう」
「でも、お前はその薄茶の瞳だけで俺を誘うんだ……」
 ソファーに倒されて、名執はそれこそリーチを誘うように唇を舐めて見せた。
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