Angel Sugar

「監禁愛5」 第10章

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「隠岐さんは会う人誰もが好きになるような……そんな方ですから、貴方の言うことも分かりますよ。ですが、確かつき合っている人がいたはずです」
 自分のことだとは言えなかったが、とりあえず名執はそう言って誤魔化した。
「……多分そうだと思ったけど。だって本当にいい人ですよね?じゃあ、僕がアタックしてこっちに惹きつけることは出来ないのかなあ……」
 チラリとまた意味ありげな視線を送りながらエリックは笑みを浮かべた。
「無理だと思いますよ」
「僕、諦めるの嫌なんです。だからアタックしてみて駄目だったら諦めます」
 エリックはそう言って立ち上がった。
「エリック。隠岐さんに迷惑を掛けては駄目ですよ」
「迷惑は掛けません。だって僕の好きな人ですから……」
 振り向かずにそう言ってエリックはキッチンから出ていった。
 ……
 本気なのだろうか?
 名執には分からなかったが、冗談を言っているようには見えなかった。では、エリックは本気でリーチにアタックする気でいるのだろうか。
 あ……
 名執はあまりの出来事に、エリックが交番に拘束された話を切り出すことを忘れていた。
 明日……
 聞けば良いのでしょうか?
 折角、風邪が治りつつある身体がやけに重く感じる。
 今日は何も考えずに眠る方がいいのかもしれない。
 名執は自分も立ち上がって寝室に向かうと、電気も付けずにベッドまで移動して倒れ込むように横になった。
 リーチに電話をしたいと心の底では思いながら、結局名執には出来ず、寒くもないのに毛布にくるまって自分を抱きしめるように丸くなる。
 ここに、リーチがいてくれたらきっと安心して眠れたはずなのに……
 なかなか寝付けない中、名執は無理矢理目を閉じた。



 言ってしまった……。
 だけど本当の事だった。
 エリックは少しだけ名執に申し訳ないと思いながら敷き布団に身体を伸ばしていた。
 それでもあまり悪いという気持ちは起こらない。
 今の心配の種はシャルのことだった。
 ここならシャルは追ってこないと思いながらも怖くて仕方なかった。何も言わずに日本に来たが、追ってくるとは思わなかったのだ。
 確かにフランスを出るときにシャルにもう一人で生きていけるから放って置いてくれと必死で言ったのは覚えている。その答えをシャルがなんと返したかエリックは余りよく覚えていなかった。
 駄目だといっただろうか?
 それとも何も言わなかっただろうか?
 何故飽きて捨てないのだろう?
 捨ててくれていいのだ。それとも飽きてはいるが、自分の思い通りになる人間を手放すのが惜しいのだろうか?
 そうなのかもしれない。
 シャルはどんなに抵抗しても自分がこうしたいと思うことは必ず実行に移す男だ。
 母親が死んだときもシャルはエリックに無理矢理足を開くことを命じたのだ。悲しみに浸る事すら許さない男だった。少しは慰めてくれるのではと言う期待が何処かにあった。だがシャルに人間的な優しさを求めることがそもそも間違いだったのだ。
 あんな人の多い路上で怒鳴るなんて……
 エリックは昼間のシャルを思い出して唇を噛んだ。
 フランス語でまくし立てられた為に、英語すらまともに理解できない日本人には何を話しているか分からなかっただろう。それが唯一助かった事だった。

「兄さんだと?嘘をつくな。どうせ尻軽な男にくっついて来たんだろうが」
「本当だよ。僕には兄さんがいるんだ。母さんに聞いて半信半疑だったけど、調べて貰ったんだ。そして日本で住んでいる事が分かった。今は兄さんの所に世話になってる。信じて貰えなくても構わないよ。どうせシャルは僕が何を言っても嘘だとしかとらないからね。信用なんか一度だってしてくれたことがないもの」
「なんだって?誰がお前を養ってきたと思っているんだ」
「養う?何が養うだよ。支払いはあんたが望んだ通りに僕の身体で支払ってきただろ。養うって言うのはそういう下心無しの行為を言うんだ。あんたのやったことは犯罪だよ!」
「お前が望んだはずだ」
「望んでなんか無い」
「エリック……」
「でも兄さんは僕を優しく迎えてくれたんだ……何も僕に望まなかった。ちょっと遅く帰っただけで心配だってしてくれる……。たったそれだけのことが僕には嬉しかった。片親だけの血のつながりだけど……他人のあんたとは違う。全然違う!僕にいつも何かを差し出せと言うシャルが僕は憎かった。それも何も持っていない僕にだ!あんたがいなければそりゃ僕は今頃どういう生活を送っていたかは分からないけど……。感謝なんかしてない。反対に感謝するのはあんたの方だ。どんなときでも言うことを聞いてきたんだから……」
「誰にそんな偉そうなことを言っているんだ!」
「偉そう?本当のことを言ってるだけだろ!」

 結局、怒鳴りあっている所に警官が来た。
 相手が警官であるのにエリックはホッとした。
 シャルにあれだけ反抗したのは初めてだったから。
 必死におれるものかと踏ん張っていたが、くじけそうだった。警察も怖いがシャルも怖かった。
 怒れば何をするか分からない所があるから。
 交番で制服の警官にじっと見つめられて本当に怖かったが利一は来てくれたのだ。
 利一の顔を見た瞬間何かが崩れた。泣くものかと思ったが、安堵の涙が思わず流れた。
 利一は何も聞かずにそこから連れ出してくれた。
 それが本当にありがたかった。
 ただ、利一がシャルと何を話したのかは聞けなかった。聞くのも怖かった。
 もしかするとシャルは自分の都合の良いように話したのではないか?
 利一もそれを聞いて実は軽蔑しているのではないか?
 そんなことばかり考えてしまう。
 最悪の場合は名執にも話すのではないか、それは絶対避けたかった。
 知られたくない。
 話さないと言ってくれた利一を信用しよう。
 もし何かシャルに聞いていたとしても、利一なら誰にも言わないと思うから。
 利一のあの雰囲気……小さな事など気にしない度量が感じられる。どんなことにも動じない強さがあった。名執が利一に対して信頼を寄せている理由も分かる。
 シャルではなくああいう男性に何故会えなかったのだろうとエリックは思った。
 利一なら見返りを求めたりしないだろう。
 きっとどんなときでも側にいて力づけてくれるのだろう。
 それを思うと名執が羨ましかった。何もかも手に入れている。
 地位も金も優しい恋人……何度考えても不公平だ。
 同じ人間なのに何故こんなに差があるのだろう?
 納得できない。
 母親が妻のある男性を愛して自分が生まれたことが罪なのだろうか?
 その償いのために不幸を甘受しなければならないのだろうか?
 そんなことは無いはず。
 生まれたくて生まれた訳じゃない。温かい家庭に生まれたいと思っても選べないのだ。
 優しい兄……恵まれているからこそ優しくなれるのだろう。
 エリックのような人生を送って優しくなどなれないはずだ。不平不満が無い毎日を送る事を当たり前と思っている。
 そうだ……
 シャルは綺麗な男が好きだった。
 なら、兄である名執を押しつけたらいい。
 交換条件を出せば、自分は自由になって、利一を手に入れる事が出来るだろう。
 それが良い。
 エリックはようやく見つけた方法に笑みを浮かべながら、久しぶりにゆっくりと眠ることが出来た。



 意外に早く目が覚めた名執はキッチンで朝食の準備をしながらエリックが起きてくるのを待った。昨日のことは何も聞かなかったという態度で挑むつもりだったのだ。
 蒸し返したところで名執自身が落ち込むことにしかならない。
 なにより、例えリーチにアタックしたところで、エリックが望むような結果になると、到底思えない。
 名執はリーチを信じていた。
 リーチ自身から別れを言い出されない限り。
 暫くするとエリックがキッチンに入ってきた。。
「気分はどうですか?もしかして私の風邪がうつりましたか?」
 心配そうに名執は言った。
「いえ、ちょっと疲れただけで、もう大丈夫です。心配掛けてごめんなさい」
 エリックどこか、名執の視線を避けるように目線を逸らせる。
「そんな風に謝って頂かなくても、いいんですよ。そうそう、食事の用意が出来ましたので朝はつき合って下さいね」
「頂きます」
 今度、エリックは笑みを返してきた。
 朝食は温かいクロワッサンとミルクのたっぷり入ったカフェオレ、オリーブオイルであえたサラダであった。
 名執がエリックにあわせたのだ。
「……美味しそう……」
「遠慮しないで沢山食べて下さいね」
「はい」
 クロワッサンを食べるエリックは昨日のことなど何もなかったように振る舞っている。自分が何を言ったのか忘れたとは思えないが、名執は忘れた振りをしていた。
 すると、エリックは口をモグモグと動かしながら、周りを見回している。
 何を見ているのだろうかと名執は気になった。
「どうしました?」
「え、うん……なんだか兄さんは恵まれていて羨ましいなって思ってたんです」
「そうですか?そんな風に見えますか……」
 知らない人間から見えると恵まれているように思えるのだろうか。
 話せないことではあるが、そう思われているのも辛い。
「兄さん、隠岐さんってどういう人なの?」
 出して欲しくない話題をまたエリックは出す。かといって無視することも名執には出来ない。
「……そうですね……とてもいい人ですね……ご両親や親戚がいらっしゃらないので苦労された分、とても人に優しい方ですよ」
「え……それってその……両親が事故とかで亡くなったとか?」
「いえ……。二歳の時から施設で過ごした事は聞いていますが、その辺はちょっと……」
「……何か悪いこと聞いちゃった……」
「いいんでよ。隠岐さんはそう言うことで気を悪くしたりされませんから……ですが、私から聞いたことは黙って置いて下さい」
「はい……もちろんです」
「隠岐さんが本当に気に入ったみたいですね」
 言わなければ良いのに思わず名執はそう言っていた。
「気に入ったじゃなくて好きなんだ。昨日話したはずですけど……。隠岐さんといると安心できる。頼りがいがあるっていうか……えーと……話しもおもしろいし、ああいう人に会ったことが無かったから余計にそう思うのかな……」
 ……
 リーチを褒められるのは嫌ではない。
 ただ、エリックが好意を持っているから嫌なのだ。
 彼らの作り出す利一という人格は誰にでも好かれる性格をしていて、もちろん名執の知らないところで利一に好意を持っている人もいるだろう。
 分かっているのだけれど、そういう人間を目の前にするのが辛いのだ。
「隠岐さんに会った方は皆さんそうおっしゃいます。彼の生まれ持った人徳でしょうね」
 自分で空しい会話を続けていることに苦痛を感じながらも名執は言った。
「いいな……兄さんは隠岐さんと友達だから……」
「貴方のこともきっと可愛い弟だと思って下さっていますよ」
「恋人になれたら嬉しいな……」
「……それは無理でしょうが……」
 名執はそう言って笑みを見せると、エリックがムッとした表情になったが、それは一瞬の事ですぐにいつもの表情に戻った。
「あれ、兄さん時間大丈夫?」
「あ、そろそろ出ないと……」
 名執は慌てて立ち上がった。
「そうそう、今晩は夕食を外でしましょうか?七時頃には戻ります」
「本当に?嬉しいな……あ、後かたづけは僕がします。お世話になっているしそのくらいやらなくちゃ。じゃ、今晩楽しみにしてます」
「ええ、期待して下さい。後かたづけのことお願いしますね」
 と、言ってスーツの上着を羽織ると逃げるように名執はマンションを出た。
 エリックと一緒にいる空間が苦しかったのだ。
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