「監禁愛5」 第25章
今朝早く、名執の自宅にシャルから連絡が入った。エリックが自殺未遂を起こしたらしく、もし会って貰えるのなら来て欲しいと言われたのだ。リーチは隣でその話を聞いて、いい顔をしなかったものの、駄目だと不思議と言わなかった。
昨晩、リーチからシャルのことを聞いて名執自身も悪い人間だとは思えなくなったのだ。なにより、エリックから名執のことを滅茶苦茶にしてくれと言われて聞いてやろうと思うシャルが、何故か哀れに思えたのかもしれない。
あいつらは俺達とよく似てるよ……
話し終えた後、リーチはぽつりとそう口にした。言われてみると確かに似ているのかもしれない。好きな相手をどんな形であっても拘束し、自分のものにしたかったのはシャルだ。自分達と決定的に違うのは、シャルがエリックに自分の気持ちを吐露できなかったことだろう。
言ってしまえばなにかが変わるかもしれない。いや、変わるに違いない。どことなく自分と重なる部分をもつエリックだ。生まれも環境も違う、血のつながりもない弟ではあったが、生まれたこと自体恨んでいるエリックと、名執はあまりにも共通点が多すぎる。
考え方は若干違うのだろうが、エリックは愛情に飢えているのだ。誰かに認めてもらいたくて仕方がない。お金が問題ではなく、愛情で満たされている相手が憎いのだろう。それは名執だけに当てはまるのではないはずだ。ただ、兄である名執であるから余計に憎しみが倍増したに違いない。
名執が同じように愛情に飢え、日々荒んだ心でいたのなら、エリックもこれほど名執を憎まなかったに違いない。自分がこれほど辛い人生を歩んでいるのだから、兄もそうあるはずだと、エリックは思いこんでいたのだ。
だが自分が想像した兄ではなかった。
「……昨晩の話を聞いて……。シャルさんのことは分かりました。」
名執の車を隣で運転しているリーチを見ずに言った。
「あいつが一言、エリックに告白の一つでもしてやればいいんだろうけどな……。それをエリックが受け入れるかどうかまで、俺はしらねえ」
淡々とリーチは言う。そこには何の感情も含まれていない。
「エリックはシャルさんのことをどう思っているんでしょうか?」
チラリとリーチの方を眺め、どういう表情になるか窺ってみたものの、特に変化は見られなかった。いつも通り幼顔の利一がそこに座っていて、黒目がちの瞳を真っ直ぐ前に向けているだけだ。
「憎しみと愛情は背中合わせになっているからな。好意があるから、裏切られたときの憎しみはすさまじいんだろうし、どうでもいい相手なら憎いとも思わないだろ」
感情の無い声で相変わらずリーチは言う。面倒臭いとは思っていないようだが、気は進まないようだ。
「エリックはどこか私の昔に似ています。シャルさんはリーチに似てますか?」
ちいさく笑って名執が言うと、リーチは今日初めて笑みを浮かべた。それはどこか苦笑したような笑いだ。
「似てるよ」
はっきりと確信に満ちた声だった。
「似てるんですか?」
「……あいつと俺が違うところはたった一つ。俺はお前に自分の気持ちを伝えた。あいつは未だに伝えられない。そんなところかな……」
笑いを納めてリーチは真剣だった。
「私は、似てるとは思わないんです。だって、リーチはとにかく何事もストレートでしたから……。そちらの方にとまどいがありました」
昔を思い出して名執は思わずくすくすと笑ってしまった。弄ばれていると思っていたら愛されていた。それを知ったときの衝撃は忘れられない。この世で一番不要な人間だと思っていた名執だ。生き方に対する考えを根本から覆したのはリーチだった。もしリーチに出会えなかったら名執は己の考えに押しつぶされて、今、生きていないかもしれない。
「あっ!似てるのはそこだけだからな。俺はあいつみたいにいつまでも愛情の返ってこない愛し方なんてできないね。てうか、あいつ、暗いよなあ。悶々と自分の考えだけで行動してさ。エリックになにを言われても、はいはい聞いてるんだぜ。プライドねえよ。ていうか、あいつを見ていて幾浦を思い出しちゃったんだよ……俺。内緒だけど」
はははと今度は声を上げてリーチは笑った。
「どうしてそこに幾浦さんが出てくるのでしょうか?」
うす茶色の瞳をぱちくりとさせて名執は聞いた。どうも、こう、沈思黙考するタイプに出会うとすぐにリーチは『幾浦にそっくり』とか、『幾浦に似てる』と言い出すのだ。特にエンジニアなど専門職に従事するタイプは全て『幾浦』だった。
「いやそれはもういいけど。まあ、俺はユキを愛していたから、どうしてもそれを返してもらいたかった。違うな。俺もお前に愛されたかった。憎まれ続けるのなら、全てを壊しても良いと思ったね。憎まれ続けながら、自分の気持ちを隠して愛し続けるのはすげえ、精神力がいるしさ。俺にはシャルみたいなまねはできないね。不毛だ」
顔を引き締めてリーチは言う。
確かに憎まれ続けながら愛するのはとても大変に違いない。多分、シャルは不器用なのだろう。本人もどうエリックに向かい合って良いのか分からないのかもしれない。ほんの少しシャルが歩み寄るなり、自分の気持ちを見せることができたらなにかが変わる可能性はある。そこまで分かっていても名執には多分言葉にできないだろう。
彼らは何年も複雑な関係を続けてきたのだ。その過程を名執は知らない。今までも関わったことがない。だから、名執が口を挟むべきことではないのだ。心配ではあるが、余計なお世話と取られ、二人から憎まれるようなことになりかねない。
本音で言うと、名執はこれ以上、彼らには関わりたくないのだ。とはいえ、自殺未遂をしたと聞かされて知らぬ振りをできなかった。
「着いたぜ」
リーチの声に顔を上げると、エリックが運び込まれたという病院の駐車場に車は止められていた。
「本当に良いのか?俺はどっちでもいいけどな。病院だから大声で喧嘩はできないしさ」
ハンドルに両手を置いてこちらを見上げるリーチに名執は頷いた。
「これで最後にします……」
そう言って名執は戸を開けた車から外に出た。日差しは柔らかく、まだ頭上に太陽が昇っている時間ではない。空気は澄んでいて、どこか透明な感じがした。
「何号室って言ってたんだ?」
スーツのポケットに手を突っ込んだリーチは駐車場の通路に立ってこちらを見ていた。その側に駆け寄って名執は、フッとリーチの肩にすり寄る。朝早いために誰もいなかったからできたことだ。
「甘えてる?」
嬉しそうにリーチは名執の髪を撫でてきた。
「いつも」
瞳を細めて名執は返す。こうやってリーチに触れていると安心ができるのだ。
「……照れるな」
「今更?」
顔を上げて名執が笑みを浮かべると、言った本人が照れていた。
「いつもな」
同じ言葉で返されたことで名執の方も照れてしまった。
「……305号室です」
名執の言葉にリーチはぽんぽんと肩を叩いて、歩き出す。その斜め後ろを歩きながら名執は、最初にどういう言葉をかければいいのか、そればかり考えていた。
ジャン・エリックという名前の札を該当の病室の前で見つけ、名執が入ろうとするとリーチに止められた。リーチを見ると口元に人差し指をあてて、『黙ってろ』という仕草をしている。名執がノブにかけた手を離すと、室内からエリックの弱々しい声が聞こえてきた。もう目が覚めているのだ。
『……シャル……僕の言い方が悪かったら……謝るよ……。僕がシャルから借りたお金も……何年かかっても……ちゃんと払う……だから……』
小さな声だった。
『金などいらん。そんな小金を貰っても困るだけだ』
相手をやりこめてしまいそうな口調で聞こえるのはシャルのものだった。
『……そうだよ……僕は愛人の子だし……母さんももういない……。財産もないし……何にもない……。あの時も……貧乏で……シャルにお情けを貰うしか……無かった……。シャルからすれば僕みたいなのは路上の石ころみたいなものだよ……気まぐれでちょっと拾ってみただけだったと思う。でもね、僕だって小さい夢もあって、それを叶えたいと思ってた。今、やっと夢が形になってきてる。それを叶えたいと思っちゃ駄目なわけ?』
涙声のエリックが一体どんな表情でそれを言っているのか名執には想像ができなかった。だがとても寂しげな顔をしているに違いない。
『店が欲しかったのなら何故言わなかった?一軒だろうと二軒だろうと何とでもしてやった』
意外にシャルは穏やかにそう言う。多分、エリックの望むことは何でもしてやりたいと本人は考えているのだろうが、それが伝わっていない。エリックはお金が欲しいわけでも、店が欲しいわけでもないのだ。自分の居場所を必死に見つけようとしているだけ。
名執には手に取るように分かった。
自らが望んできたことと同じだったからだ。
『……知らないと思ってるの?シャルは確かに何軒もの店を持つオーナーでお金だって一杯持ってる……。で、シャルの取り巻きは僕のこと何て言ってると思ってるんだ!否定はしないよ……僕は身体をシャルに売ったんだ。そうだよ……その通りだよ。お稚児さんとか玩具とか色々言われたよ……でもね耐えたんだ。そんなシャルから店を一軒任されたら今度僕は何て言われると思ってるんだ!僕は……僕は……嫌なんだ。だから……もう……僕を捨ててよ……。もう僕の前に姿を見せないでよ……。僕は自分の過去を全部精算したいんだ。過去は残るけど……この先は胸を張って生きていきたいんだ。僕みたいなやつはそこらじゅうにいるよ……代わりはいくらでも利くんだから……さ』
感情が高ぶっているのか、エリックは涙声だ。
『言ったはずだ。お前を手放す気はないと……』
当然のようにシャルは言った。
『僕は……シャルを殺してやりたい……。出来ないけど……出来ないけど……僕は……こんなの……嫌だ……』
『嫌だろうが何だろうが、お前から交渉してきたんだろうが。私はそれを了承した。今度はお前の勝手で反故にしようとしている。それが通ると思ってるのか?』
シャルは冷たくそう言った。
これで本当にエリックを愛しているのかどうかなど、分かるわけなど無い。単に玩具にされていると取られても仕方がないだろう。リーチもそれは感じたのか小さな声で『なんて不器用なんだ……』と、呆れていた。
『……何処に……行くの?』
エリックの言葉からシャルが立ち上がったことを二人は知った。
『社に朝の連絡を入れるのを忘れていたんだ……。すぐ戻る』
靴音が扉の方へ近づくと、リーチは名執の身体を扉から離し、二人ともエリックから見えない位置へと移動した。
出てきたシャルは隠れるように立っている二人を見つけて目を見開いたが、口を開く前にリーチがシャルの手を掴んで廊下を引きずるように連れ出した。