Angel Sugar

「監禁愛5」 第21章

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『やめて……下さいっ!』
 両脚に身体を入れられ、しっかりと拘束された名執は、覆い被さっているシャルの頭を掴んで引き剥がそうとした。だが、岩のように重量のあるシャルは全く動いてくれない。
 シャルの舌が首筋を這い、ざらついた手が胸元を撫でている。その行為に、身体中の産毛が逆立つような怖気を名執は感じた。
 呼び覚まされる過去の傷が、一気に開いて血が噴き出しそうだ。あのとき感じた絶望を二度と思い出したくない。だがシャルの行為は、名執がようやく瘡蓋にした傷跡を、無理矢理引き剥がす行為った。
『……悪いと思っているが、適当に愉しんでくれたらいい。一晩だけの遊びだと、大人なのだから割り切れるだろう』
 顔を上げ、シャルは淡々とそう言った。
 一体どういう考えの持ち主なのか、名執には理解できない。エリックが欲しいと言った口が、大人だから割り切れるだろうと言うのだ。名執からは信じられないことだった。好きな相手以外にどうして身体を触れさせることが出来るのだろう。それが日常茶飯事のことだとでも言うのだろうか。
『何をおっしゃってるんですか?大人だから割り切れる?無理矢理犯されようとしている私が、納得できるとでも思っているんですか?』
『誰か好きな相手でもいるのか?』
 瞳を細めてシャルは聞いてきた。
『私は……その人のためだけに生きています。命すらあの人のものだと思っています』
 名執の真剣な言葉に、シャルは大声を上げて笑った。何がそれほど可笑しいのだろうかと思うほど、妙に大きな声だ。
『いいね。嘘っぽいが……笑わせてくれる』
『……冗談で言ったつもりはありません。あの人がいるから私は今、生きている。私という人間が、端から見てどう幸せに見えるか存じませんが、私も絶望を乗り越えてきました。彼が側にいたから出来たことです。もし出会わなかったら……今、生きてなどないと本当に思います』
 睫を伏せ、名執は言った。
 リーチに出会えたから、名執は生きているのだ。
 日々それを感じて、暮らしている。
 大げさだと思われるかもしれないが、名執にとって、穏やかに暮らすことは、奇跡を日々実感しているのと同じだ。リーチの顔を見て、リーチと話す。それらが僅かな時間であっても、名執は喜びに変えられる。
『……随分と、健気に尽くしていると言うわけだ』
 シャルは馬鹿にするような口調で言った。
『いいえ、尽くしてくれているのは彼です。私はいつも与えてもらっています。なのに彼は見返りを求めたりしない。私という人間以外は。だから私は彼のもので、彼は私のものです』
 伏せた瞳を、真っ直ぐシャルに向けて、名執は言った。すると馬鹿にしていたシャルの瞳に動揺が走るのが見て取れた。
『馬鹿馬鹿しい……!』
『何が馬鹿馬鹿しいんですか。私は、貴方の行動の方が馬鹿馬鹿しい。何故エリックを愛しているのに、こんな馬鹿げたことをするのです?頼まれたら何でもするのですか?貴方は……それで本当にエリックを愛しているんですか?』
『黙れっ!』
 両肩を掴まれ、名執は痛みで身体を竦めた。それでも名執は口を閉ざさなかった。
『……孤独な人間が一番欲しいのは……いつも側にいて、話を聞いて……自分だけを愛してくれる人です。違いますか?』
『……何が分かると言うんだ』
『私には何も分かりません。ただ……貴方が孤独であることだけは分かります。そして……エリックを愛していることも……』
 名執の言葉に、シャルは掴んでいた手を離すと、身体を起こして、背を向けた。
『……帰るといい。やる気が削がれた』
 ボタンの取れたシャツを掴み、シャルはこちらに差し出す。名執はそろそろとシャツを受け取って、慌てて羽織った。
『エリックを連れて帰ってくださいませんか?私には……多分、彼を本当に認めてあげることは出来ません。一緒にいるだけで……苦痛です』
 名執は身なりを整えながら、ベッドに座ってじっと黙り込んでいるシャルに告げた。
『苦痛か』
『……あまりにも時間が空きすぎてしまったのだと思います』
 時間ではない。
 血のつながりがあるかという問題でもない。
 リーチのことを話すエリックに耐えられないのだ。もし、互いに認めることができたところで、こればかりは譲ることなど出来ないだろう。いや、何を失ったとしても、リーチだけは失いたくないのだ。
『そうか』
『連れて帰ってください』
『……ああ。エリックは望まないだろうが、無理矢理にでも連れて帰る気でこっちに来た。目的を果たさず帰ることはない』
 小さなため息をついてシャルは呟くように言った。一体この二人はどういう関係なのだろうと名執は気になったが、聞かないことにした。聞いて、力になって貰いたいと言われても、出来ないだろうから。
 エリックを自分の目の見えるところから消して欲しいのだ。もう、ここまで亀裂が入ってしまえば、名執自身も修復することは困難だった。エリックから歩み寄ってくることも無いだろう。これを計画したのはエリックだから。
 許してやれと言われても無理な話だった。
 今頃エリックは、ほくそ笑んでいるのだろうか。
 兄である名執が、滅茶苦茶になっている姿を想像して……。
 エリックの性格にゾッとしつつも、心の底で少しだけ哀れみを感じた。
『……エリックに貴方の気持ちをきちんと伝えてください』
 ずっと側にいたのであろう、シャルのことだから、エリックも少しは耳に入れるのではないかと名執は思った。エリックがどう思っているのかなど全く窺い知れないが、名執からみてシャルは本気でエリックを愛しているように見えた。
 普通なら頼まれても、兄の名執を犯してやろうなどと思わないはずだ。にもかかわらずシャルは聞き入れた。愛情が無ければ到底出来ないことだろう。
 何処か歪んでいるものの、シャルはシャルなりにエリックを愛しているのだ。
『……話したことはない』
『どうして?』
『さあな。何を言っても聞かない男だからかもしれないが。元々は私が無理に関係を迫ったことが悪かったんだろう。やり方はあったはずなんだろうが……。もう、随分と昔の話になるが』
 顔を上げて、シャルはカーテンの下りた向こう側を見透かすようにじっと見つめた。
『……そうですか』
 何をどう、言えばいいのだろうか。
 名執には言葉が探せず、沈黙したまま、出口に向かった。
『送っていこうか。エリックに話がある』
 立ち上がったシャルは、もう、いつも通りの表情になっていた。だが、どことなく最初見たときよりもやつれたように見えたのは、名執の気のせいかもしれない。
『……いえ……タクシーを拾いますから』
 突然、シャルの気が変わることもあるのだ。次に押さえ込まれたら逃げ出すことは出来ないに違いない。だからこそ名執は今も警戒していた。
 こういう場合、最後まで気が抜けない。
『いや。もう、何もする気はない。最初から気乗りしなかったことだからな』
 笑うわけでもなく、淡々とシャルはいい、名執の背後に立っていた。
『……分かりました。信用します』
 仕方なしに名執は言って、扉を開けた。



 駐車場まで来ると、名執は後部座席に乗ることにした。助手席だとシャルが近く、気持ち的に落ち着かないからだ。先程、どうして、シャルに信用するなどと言ってしまったのか、名執自身も信じられなかった。
 あのとき振り切っていたら……。
 そう、後悔したものの、シャルの方は名執の気持ちが分かるのか、後部座席に座ることに難癖をつけるわけでもなく、無言で運転席に乗り込み、車を出した。
 そういえば……
 ここは……何処でしょうか。
 駐車場から出て初めて名執は自分が何処のホテルに連れ込まれていたのかを知った。駅に面したホテルで、自分のマンションまではすぐのところだ。これなら、数十分もかからずにうちに着くだろう。
 とはいえ、ホッとするのはまだ早かった。うちについて、シャルとエリックを追い出し、初めて名執は一息つけるに違いない。
『……一つ聞いていいか?』
 赤信号で停車したのを合図にしたのか、シャルが口を開いた。
『なんでしょう?』
『エリックと本当に兄弟か?私からは、どう見ても似てるように見えないが。いや、そちらの身上調査をしたのは私だが……。見て、初めて、思ったことだ。気を悪くしたら許して欲しい』
 バックミラー越しに名執を見つつ、シャルは聞く。
『……分かりません』
 名執は、違うと言えなかった。かといって、兄弟だと力強く言うことも躊躇われた。
『……そうか』
 信号が青に変わり、車が再度走り出す。途中、一度も赤信号に引っかかることなく車は走ることが出来た。それもあってか、シャルからの問いかけは二度と無く、互いに沈黙を守ったままの車内は妙に重い空気が漂っていた。
 名執は、気を紛らわせるように、上着に入れていた携帯を取りだした。
 ……
 あ!
 着信履歴がいくつも入っていることに名執は驚いた。一番驚いたのは、相手がリーチだったことだ。今週はリーチの週ではない。ではどうして着信履歴にリーチの携帯番号がいくつも表示されているのだろうか。
 伝言を聞こうと、名執がボタンを押してみたが、履歴だけで伝言は入っていなかった。それが益々名執を不安にさせる。
 リーチに何かあったのだろうか……
 それとも……
 エリックが他に何か……。
『着いたぞ』
 シャルの言葉が、随分遠くから聞こえるほど、名執は他のことで頭が一杯になっていた。
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