Angel Sugar

「監禁愛5」 第5章

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 車に乗り、向かったのは自然栽培の野菜を売っている八百屋だった。以前、この店前で喧嘩を収めたことがあり、それ以来顔見知りになっていたのだ。
「隠岐さん久しぶりですねぇ」
 リーチに気がついたおやじがこちらを向いて笑みを向ける。もうすぐ五十になるこの頭の薄くなったおやじは水上といい、人の良い笑顔を見せた。
「こんにちはおじさん。今日はちょっとお願いがあってきたんです」
「隠岐さんの願いなら何でも聞いて差し上げますよ。なんたって、もう少しで店を破壊されそうな喧嘩を収めてくれたんですからねぇ」
「おじさんの所のわさびは確か弟さんが長野で作ってるものでしたよね」
「そうです。他にも芋や人参トマトとか色々作ってますよ。ここの商品もほとんど弟から送られてくるものですからねぇ。弟は都会でも美味しい野菜をたべてほしいという願いから、わしはここで売って弟が野菜を作る共同経営というのは以前お話ししましたね」
「ええ、それを当てにしてきたんです」
 そう言ってリーチはニコリと笑った。
「というと?」
「こちらの……友人の弟さんなんですが、エリックさんという方です。その、わさびの良いものが無いかと探しておられるんですが、私は野菜で良いものを売っているというのはここしかしらないので、おじさんを頼りにやってきたんです」
 リーチはそう言って後ろでぴょこんと立っているエリックを紹介した。
「それはいい判断でしたよ。今朝弟からいいわさびが届いたんです。それをお見せしましょうか?」
 水上がそう言うと、リーチはエリックに通訳する。そのとたんエリックは破顔した。「いいんですか?見せて欲しいです」
 エリックが言ったことをリーチが水上に言うと、他にいる客をアルバイトに任せ、一旦店の奥に引っ込んだ。暫くして戻ってくると小さな箱を持ってきてリーチとエリックの前に置いた。
「なかなか大振りで出来がいいですよ。ここまで育つのに、綺麗な水と空気、そしてかなりの年月がいるんです」
 水上は手の平程のわさびを一つ掴んでエリックに渡した。
「すごく綺麗だ……。それにずっしりとしていて、香りもいい、これソースに使いたい……」
「……って言ってます。あっと、エリックさんはフランス料理人です」
 リーチは水上にエリックの感動を伝えると、照れたように笑う。
「嬉しいですね。外人さんにもそれが分かるなんてねぇ」
「隠岐さん。帰るときに箱一杯くらい持って帰りたいんですが……交渉していただけませんか?」
「私は良く分かりませんが、わさびは結構高いですよ」と言ってからおやじに「一つどれくらいするんですか?」
「まあ……隠岐さんのご友人の弟さんですからね……」
 と言って通常の半額の値段を言った。
「……それを一箱くらい頂きたいそうです」
「え?うーん。良いでしょう。いつ頃までに用意させて貰いましょうか?」
 リーチがエリックに聞くときっかり一ヶ月後であった。だがこういう生ものをどう国にに持ち帰るのだろうかという疑問がふとリーチの頭に浮かんだが、日本でも外国の食材を個別に取り寄せているレストランは多い。
 決まりに関してリーチが気を揉まなくても、エリックはそれなりのルートや方法を知っているのだろう。。
「お金は日本の札でお願いしますよ」
 おやじはそう言い、エリックは嬉しそうに頷く。
「ま、代金としてはわしもきつい金額だが、空を飛んで遠い国で喜んで貰えるとなれば満足ですな。きっと弟も喜んでくれると思います」
「そう言っていただけるとありがたいです」
 リーチは感謝してそう言った。
「その代わり、又何かあったときは頼みますよ」
「分かってますよ、じゃおやじさん、又来ますね」
 リーチが立ち去ろうとすると、おやじは店に積んであった野菜をいくつか袋に入れて渡してきた。それを受け取り、もう一度二人は礼を言って車の所に戻った。
 すると置いてけぼりをくらったアルが後部座席でむっすりした顔をしてこちらを見ているのにきがついた。
 だがいくらなんでも八百屋に犬を連れて行くわけにはいかない。
「ゴメンねアル」
 リーチはそう言ったが、アルは無視とばかりに目を逸らせて低く唸った。
「済みません……僕が余計なことをお願いしたばっかりに……」
「いえ、気にしないで下さい。このくらいのことで本当に怒るようなアルじゃないですから……。そうだ、時間も時間だし、夕食を一緒に食べませんか?せっかく今日会えたことですし……あ、先生も呼びましょうか?」
 リーチの目的はそこにあった。
 エリックには悪いが出しに使わせてもらおうと思ったのだ。
「兄さん病院が忙しいみたいで毎日遅いんです。だからこんな時間に一緒にご飯を食べたことはないです……」
 ちょっと寂しそうにエリックがそう言うのをリーチは複雑な気持ちで聞いた。
 やはり名執はエリックを避けているのだろうか?
 それとも本当に忙しいのだろうか?
 名執は気が乗らないと仕事に夢中になるふりをして逃げるところがある。かといってそんな態度は駄目だと口で言ったところで元々の性格なのだからなかなか治らない。
 結局は自分自身の事は自分で判断して決断するしかないのだろう。
 それをよく分かっているリーチは強制したことは未だかつて無かった。
「そうですか……じゃ、二人と一匹の入れる店に行きましょうか?ペットオーケーの店もあるんです。そこならアルの機嫌も治るでしょうしね」
 そう言うとアルは先程までの不機嫌が嘘だったかのように、嬉しそうに一声上げた。
「このワンちゃん。今言った言葉を理解してるみたい……」
 エリックは後ろにいる毛足の長いアルを見ながら驚いたようだった。
「飼い主によれば人間の言葉を理解しているそうです」
「そんな気がします」
 アルの意外に大きな瞳を見てエリックは感心する。
「さあ、美味しいものを食べに行きましょう」
 ようやくリーチは車を出すことが出来た。
 


 名執が十二時近くに、くたくたになってマンションに戻ると、エリックはまだ帰っていなかった。メモも置いていなかったため、急に名執は心配になった。
 本人は大丈夫だと言っていたが、土地勘も無い上に言葉もなかなか通じないところで、こんな遅くまでうろうろとしているとは考えられない。
 何かあったのだろうか?
 名執は急に不安になった。
 何処かで事故にでもあったのかもしれない。そう思うといても立ってもいられなくなった。だからといってどうしたらいいのだろうか?
 今になってエリックの携帯番号すら知らなかったことに名執は気が付いた。何より携帯を持っているのかどうかも定かでない。
 しかもこちらの電話番号も教えてもいなかった。八方ふさがりとはこのことだろう。
 だがリーチであれば刑事という特権で何か手を打てるのかもしれない。
 名執は慌ててリーチの自宅に電話を入れたが、留守であった。携帯にかけるとしてもリーチが事中だとすると余計な心配をかけてしまうので、止めた。
 次に幾浦の家に電話をすると、驚いたことに事情を知っていた。
「アルを連れて散歩に行った先でお前の弟に会ったらしいぞ。それで一緒に夕飯を食べてくると言っていた」
「え?今日、リーチはお休みだったのですか?」
 そんな話は聞いていなかった。
「前の晩に急に休みを貰ったようだ。暫くしたら帰ってくるだろうから心配する必要はないだろう」
「そうですか。安心しました。じゃあ……」
 話し終えると心配した自分ばかばかしくなった。
 珍しく苛々としながらリビングのソファーに座り、小さくため息を付く。
 それならそうと連絡をしてくれたら良いのに……
 名執はホッとすると今度は腹が立ってきたのだ。リーチもリーチである。休みなら休みと連絡をくれても良いのだ。なによりエリックと食事をするなら自分も誘ってくれても良いはずだ。
 しかし、リーチは連絡をくれなかった。
 エリックもメモくらい残して置いてくればこれほど心配しなくても良かったのだ。
「ただいま……遅くなって済みませんでした」
 そこにエリックが帰ってきた。
「心配したのですよ。こういう時は連絡をして貰わないと……」 
 困惑したように名執はエリックを見つめると、楽しかったのか表情は明るい。
「ごめんなさい。僕、考えてみるとここの家の電話番号知らなかったから……」
 それならば何故、一緒にいたリーチに聞かなかったのだ。腹が立つ気持ちと、のけ者にされたような寂しさが名執の心の中にわき上がる。
「教えておきます」
「兄さん……その……。下で隠岐さんが待ってるんですけど……。ここまで来て挨拶も無しじゃ悪いからって……」
 申し訳なさそうにエリックがそう言うと同時に名執はマンションを飛び出していた。いつもならすぐそこあるはずのエレベーターがやけに遠く感じる。
 はやる気持ちを抑えて名執は一階を押すと、先程まで苛ついていた気持ちが今では喜びで高揚していた。

 リーチは玄関の所にアルと一緒に立っていて、走る名執を確認するとニコリと笑みを見せた。
「ごめんなユキ。エリックを引っ張り回して……」 
 ちょっと反省した顔でリーチは言ったが本心は全く悪びれていないことを名執は知っている。
「どうして連絡してくれなかったのですか?帰ってみるとエリックが帰っていなくて本当に心配したのですよ」
 食事の誘いもしてくれなかった。
 それが一番名執はショックだったのだ。
「うーん……そうなんだけど、お前は最近帰ってくるのが遅いってエリックが言ってたからな……。誘わなくて悪かったと思ってるよ」
 エリックがそんなことを話したのか。
 だからリーチは連絡をくれなかった?
 しかし、忙しかったのは本当のことで、毎日帰宅の遅い名執を見ていたのもエリックだ。嘘を付いたわけではない。だから怒るのは筋違いだろう。
「別に……誘って欲しかった訳では……」
 何となく意地になって名執は言ったが、実はそうは思って無いだろう?と、いう表情でリーチは口の端を少し上げると目を細めた。
 リーチには嘘はつけない。
 こちらが今、どんな風に思っているかなどお見通しなのだろう。
 自分の醜い部分を見られたような気がした名執は羞恥で顔が赤くなりそうな気がした。
「じゃ、そろそろ帰るか。アルも疲れたみたいだしな」
 アルの額をリーチはポンポンと叩く。するとアルは小さなあくびをして、瞳を眠そうに潤ませた。
「リーチ……」
 そんなにすぐに帰ろうとするなん酷い……そんな言葉が口に出そうになった名執であったが、ぐっと堪えた。
「あ、忘れてた。あのさ、俺達金穴で……食事代とかカード使わせて貰ったんだけど……ゴメン」
 ソアラの助手席に半分身をかがめながらリーチは肩越しに言う。
「それは構いません。気にしないで下さい。あの……」
「なに?」
「その車はどうしたのです?」
 何か話していないとすぐにリーチが立ち去ってしまう。
 それが嫌な名執は何でも良いから話し続けた。
「幾浦のセカンドカーだってさ。金持ちは違うよな。だってあいつベンツも持ってるんだぜ。羨ましいよ全く」
「車が欲しいのですか?」
 リーチ達は車を持っていなかった。維持費にお金がかかるのと、自分の車を乗る機会が無いからだ。
「いや、欲しい訳じゃないよ。多分この車、トシにプレゼントしたつもりなんだろ。だから実際は俺達のものだと思ってるし……」
 言いながらリーチが扉を閉めようとしたのを名執は窓に手を掛けて阻止する。
 もう少し。
 もう少しだけ話をしたい。
 ただそれだけの気持ちで名執は行動していた。
「……ユキ?」
「もう帰ってしまうんですか?」
「あんまりここでお前が長居をすると上にいるエリックが心配するぞ」
「……」
「それにな、ちょっと聞いたけど、お前最近帰るの遅いんだって?医者が忙しいのは分かるけど、たまにはエリックと夕飯を一緒に摂ってやれよ。エリックは気にしていないふりをしていたが、さみしそうだったぜ」
 この男はこちらの気持ちを知っているのにどうしてそんなことを言うのだろう。
 名執にはリーチが何を考えているのか分からない。
「お休みなさい……リーチ……」
 ドアに掛けた手を引っ込めた名執は仕方なしに言った。どんな言葉で引き留めようと、リーチは既に帰る体勢を整えている。
 結局、引き留めても無駄なのだ。
「お休み」
 リーチは戸を閉めると早々に車を発進させた。去っていく車を後ろからずっと眺めながら名執は悲しいわけでも無いのに何故か涙が零れそうになる。
 そんな気弱な自分を叱咤しながら部屋に戻ると、エリックが心配そうにしていた。
「隠岐さんを怒ったんですか?」
 エリックオロオロとしている。
「いいえ……お礼を言っただけですよ」
「良かった……僕の所為で隠岐さんが怒られたとしたら申し訳なかったから……」
「今度からは連絡して下さいね」
 やや突き放すような口調になったが、エリックは気が付かなかったようだ。
「なんだか嬉しいな……」
「何が嬉しいのです……」
「こんな風に誰かに心配して貰えるの、久しぶりだから……」
 無邪気にそう言うエリックに名執は苦笑するしかなかった。
「それで……楽しかったですか?」
「楽しかった。隠岐さんのお陰で良いわさびも持ち帰ることも出来そうですし、東京タワーも登って、なんだか色々案内してくれて……もう感激でした」
「わさび?」
 名執が不思議そうに聞くと、今日の出来事をエリックは話し出した。
 終始エリックは満面の笑みで話し、やや口調が興奮状態だったことから、リーチと一緒に行動して本当に楽しかったのだと分かる。
「良かったですね」
「兄さん……隠岐さんって本当にいい人ですよね。一緒にいると楽しいし、なんだかホッとするような雰囲気も持ってる」
 憧れるような瞳でエリックは言う。
「いい人ですよ……。さあ、シャワーでも浴びてもう眠った方がいいです。疲れたでしょう?」
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