「空の監禁、僕らの奔走」 第4章
飛行機が飛び立ちしばらくするとシートベルトの着用ランプが消え、名執は腰を締め付けていたベルトを解いた。窓から見える景色には興味を示さず、シートをやや下げて身体を深く凭れさせた。
飛び立つ前に飲んだ薬が効いているのか、気圧の変化に対してなんら不快感も感じず、夢の中にいるような気分になっている。睡魔に誘われるまま、眠ればいいのだろう。
「名執、ちょっと席を外す」
幾浦がシートベルトを外して椅子から腰を上げた。
「ええ」
通路を歩き前方を行く幾浦の背から視線を逸らせ、名執は周囲を窺った。名執は二列の席だが、通路を挟んで向こう側に五列、また通路を挟んで三列席がある。真ん中の席にはサラリーマンらしき男性が間を挟んで三人座っていて、手前の日本人らしき男はすでに寝る体勢に入っているのか、シートを倒して目を閉じている。真ん中の男は白人で、なにやらテーブルに広げて、工作に励んでいた。端の男は中国人でパンフレットを眺めている。通路を挟み、一番向こうの三列には日本人の女性と子供が座っていた。彼女は母親らしく、窓側に座る、窓から外を眺めている子供に、『綺麗ね、すごいね~』と声をかけていた。
微笑ましいですね……。
子供はカメラを窓に張り付けて、外の景色を何枚も撮っていた。そのカシャカシャという音が気になるのか、真ん中の席に座る白人の男が手元で何かを作りながら、何度も子供に視線を向けていた。神経質な男なのだろうと、名執が白人男性を見ていると、こちらに気付いたのか、男はジロリとこちらを睨んだ。
「どうした、名執」
戻ってきた幾浦が椅子に座り、窓の方を向いている名執に声をかけてきた。
「いえ……ちょっと。見るつもりはなかったのですが、目があってしまって……」
そろそろと前を向き、先程視線があった男の様子を窺ってみたが、何事もなかったように工作に励んでいた。
「誰とだ?」
「し~。幾浦さん、大きな声でおっしゃらないでください」
「すまん。ああ、膝掛けをもらってきた。使うといい」
幾浦は名執の膝に、朱色の毛布を掛けた。空調がきいているため寒いわけではなかったが、膝下を包む毛布から伝わる温もりに、ホッとしたものを感じた。
「お気遣いありがとうございます」
「いや、気にするな。ところで、目が合ったとはなんだ?変な男に目をつけられた訳じゃないだろうな?」
「いえ、違います。通路を挟んで向こうの席に、何か工作している白人男性がいらっしゃるでしょう?彼と目が合ったんです」
幾浦は名執から聞くと、そろりと向こうを窺い、また視線を戻した。
「……何か流行のプラモデルでもあるんだろうか」
突然の言葉に名執は「は?」と思わず口にしていた。
「いや、トイレに行って来たんだが、名執が目があったという男と、同じ男を数名見たんだ」
「同じ男?双子とか三つ子とか……そういう意味ですか?」
真面目に答えた名執に、幾浦は笑いを堪えていた。
「いや、顔が似ているじゃなくてな。隣の列の真ん中で一人、同じこの列で一番前の席に座る白人男性がやっぱりプラモデルを作っていたんだ。なにもこんな狭いところで作ることもないんだろうが……何かのマニアだろうか?」
「……大人がプラモデルですか?」
プラモデルを知らないとは言わないが、飛行機に乗って作るものではないはずだ。それとも今何か流行のプラモデルがあって、ようやく手に入れた男たちが、どうしても早く完成させたくて作っているのだろうか。
「設計図……というか、作り方が書かれた解説書を前の席に張り付けて、それを見ながら格闘していたよ。不思議な光景だったな……」
顎を撫でながら、幾浦は首を傾げていた。
「解説書にはどういう完成図が書かれていたのです?」
「飛行機の図が書かれていたな」
「飛行機ですか?ロボットとかそういうのではなくて?」
「ああ。まあ、この飛行機は最新型だから、宣伝目的でプラモデルが売られているのかもしれない。空港で買ったんだろう」
名執が思い出せる範囲だが、プラモデルが売られている店などなかった。
「飛行機のプラモデルって空港で売ってるんですか?」
「さあ、まあ、アメリカは何でも商売にする国だから、どこかでマニア向けに売り出してるんじゃないか?よく分からないがね……もっとも、出張先の空港でそんなものは見なかったが」
もう一度男の様子を窺おうとしたが、幾浦の身体で阻まれた。
「やめておけ。変に目をつけられると困る。特に名執は座っていても妙な虫が寄ってきそうだからな」
「え?」
「自覚して置いた方がいい。普段も確かにリーチが心配するほど、お前はこう、なんていうか、それっぽい男が寄ってくる容貌をしているが、今のお前はもっとすごい。ああ、気に障ったら謝るぞ」
「謝ることはありませんが……何がすごいんです?」
「……何かが漂い出てる」
ごほんと咳払いを一つして、幾浦は体勢を戻してシートに凭れる。
「私……何か匂います?」
クンクンと鼻を動かして名執は自分の腕や胸元を匂ってみたが、漂い出るような香水もつけていないし、匂いを放つようなものは持たない。
自分の体臭は自分では分からないものだが、もしかして匂っているのだろうか。だが普段から名執はそういうことに気遣い、いつも清潔な洋服をきているし、余程の事情がない限り、風呂にも毎日入る。
「いや……そういう意味の匂いじゃないんだ」
幾浦はもごもごと言葉を濁して、また咳払いをした。
名執はもう一度自分の姿を上から見下ろし、首を傾げた。漂い出てるといわれても、それが何かは分からないし、幾浦の言葉がやけに気になる。
「幾浦さん、はっきりおっしゃってください。何が漂い出てるんですかっ!」
幾浦の言葉で名執の眠気は吹っ飛んでしまった。
「いや、別にたいしたことじゃないんだ」
肩を竦めて幾浦は苦笑いを浮かべる。
「……大したことではないんですね。じゃあ、おっしゃってください」
幾浦は仕方なしに口を開いた。
「実はな、こう、いつも感じるものより、もっとこうすごい、ムッとした色気が漂ってるんだ。私もこういう人間に出会ったのはお前くらいしかいないから、どう表現していいのか分からないんだが……」
「色気って……私は男性ですよ」
思いも寄らない言葉を聞かされ、名執は唖然としてしまった。自覚がないわけではないが、幾浦から漂い出てるとまでいわれるとは思わなかったのだ。
「……リーチが心配するはずだ……。何か飲むか?」
フウッと息を吐いて、幾浦は微笑した。
「オレンジジュースを頂きます」
名執がそう答えるのと同時に、悲鳴が響き渡った。