Angel Sugar

「空の監禁、僕らの奔走」 第40章

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『機長の狩谷貢です。現在この機は一番近い飛行場へと向かうよう、指示を出されたものの、燃料タンクに不具合があり、そこまで保ちそうにありません。協議の結果、海面への着陸を試みることになりました。すでにこの海域には軍の船が乗客を救助するために向かっています。客室乗務員の指示に従い、救命具を身に付けてください』
 放送は無情にそう告げると、切れた。同時に動ける客室乗務員が自分達の仕事を思い出したかのように立ち上がり、床に落ちていたり、未だ頭上の棚に収まっている救命具を手に取り、客達に配り始めた。
「……幾浦、だってよ。どうする?」
 客室乗務員に救命具を二つ渡され、一つを名執に手渡して、リーチは言った。
「……ごちゃごちゃ言う前に、代われ」
「仕方ねえなあ……ほら、ユキ、ちゃんと着ろよ」
 リーチは名執の救命具を先に着せてから、トシと交替した。背後でトシが五月蠅かったのも理由だ。ここまで来たら、少しくらいの時間、身体の主導権を渡しても問題はないだろう。
「……トシ?」
 幾浦は両手を挙げたまま、目の前にいる利一が本当にトシなのかどうか確認している。それを花畑で眺めながら、いつになったらこの男に二人の区別がつくのかと、リーチはため息をついていた。
「……うん」
 誰も自分のことなど精一杯の状況で、トシや幾浦が何をしようと、わずかの関心も惹かないだろうが、トシは幾浦に抱きつくことなく、ただ、頷いた。そんなトシの背に幾浦はそっと手を回して引き寄せる。名執といえば、利一の身体を支配しているのが今はトシだと理解しているのだろうが、やはりあまり気持ちのいいものではないのか、小さな窓へ視線を向けていた。
 リーチも本当は、名執の前でトシとは交替したくない。
 いや、どちらの立場であっても、あまりいい気持ちはしないだろう。
 四人がそろったとき、主導権の交替は余程の事情がないかぎり、しない。といった、約束ごとを増やした方がいいのかもしれない。リーチにしても、状況が状況なだけに、スリープができず、トシの背後で幾浦の抱擁が間接的に伝わってくるという、嫌な目に遭うのは、二度とごめんだった。
『トシ、もういいだろ……。人目もあるんだから、帰ってからゆっくりやれよ。それより、ちゃんと救命具を身に付けて、着陸に備えた方がいいんじゃねえのか?』
 二人はキスこそしないが、リーチはあまり間近で幾浦の顔を見たくなかった。身体を二人で共有する弊害の一つだ。
『分かってるよ。でも、僕だって恭眞に抱きしめられてホッとできるんだから、邪魔しないでくれる?』
 そう言いつつも、トシは嬉しそうな顔をしている。
 トシが幸せなのは大歓迎だが、リーチはスリープしたくて仕方がない。できるものなら、さっさと意識を手放していただろう。
『……帰ってからにしてくれよ……』
 はあ……と、ため息をつくと、ようやくトシは幾浦の身体から離れた。
『もちろん、帰ってからゆっくりさせてもらうよ。リーチは僕に借りがいっぱいあるし、ちゃんと返してくれるだろうからさ。……あ、でも、このまま交替したままでもいいんじゃないのかな?』
 その話題はしばらく忘れたいのだが、トシはリーチが忘れないようにとでもいうように、借りという言葉を強調して言った。
 確かに借りは返す気でいるが、名執の体調が未だ戻らないため、リーチが望むような行為には至っていない。しかもどちらが楽しんでいたかというと、トシ達のはずだった。リーチは名執の面倒を見ることで時間を使っていた。だが、昼間はトシ達に時間を譲っていたから、幾浦と充分いちゃいちゃできたはずだ。だから借りなんてものがあったとしても、すでにチャラになっている。
 ただ、今それを言い出すと、険悪になりそうだから、リーチは触れなかった。主導権さえ自分にあれば、トシが何を言おうと、こちらのものだし、トシから主導権を奪うのは、容易い。
『着水時に何かあったら、お前じゃ対応できねえだろ……』
 客室乗務員の説明を聞く限り、飛行機が例え海に着水しても、すぐには沈むことはなく、外へ出る時間はたっぷりあるらしい。けれど、多分とか、らしいとか、確実ではないことを信じられるほど、リーチは素直な性格をしていない。起こりえないといわれていることを、あえて想像して身構えるのがリーチだ。
『そうだけどね……じゃあ、交替するよ』
 トシは渋々という様子でリーチに主導権を渡した。
「なあ、海に着水なんて聞いたことがないが、そんなに簡単にできるものなんだろうか……」
 幾浦は救命具を身に付け、シートベルトを確認していた。客室乗務員は声を張り上げて、救命具の使い方を説明している。けれど中には意識が戻らず、昏睡状態のまま救命具をつけられて、着水を待つ客もいて、そういった人には動ける客室乗務員が側についていた。
「中は空洞なんだから、しばらくは浮いてるんだろうよ。もっとも、ハイジャック犯に後から銃を突きつけられたまま、着陸するよりはましだと思うけどな……」
 リーチも救命具を身に付け、もう一度名執の装備を確認してから、シートベルトをした。
 ここまで来たら、運を天に任せるしかないのだ。
「確かにそうだな」
 幾浦は流れていくちりぢりの雲を眺めている。その表情が硬く強張っているのは、極度に緊張しているからだろう。
 いつもなら、そんな幾浦をからかっているところだが、普段は退屈なプログラムを組んでいる男だ。身近なところに危険など転がっていない環境で生活をしている幾浦にとっては、今回の件は少々荷が重すぎた。今日は少しくらい、気遣ってやってもいいのだろう。
「俺たちは、死んでいたかもしれない状況でも、まだ生きてるんだぜ。そう、簡単には死んだりしねえよ……」
「ああ……」
「お前も、ここまできて過度の心配をするなよ」
 その言葉に、名執はリーチの手を再度握りしめた。
『ねえ、リーチ。着水するってことは、トーマスさんに話していたように、貨物庫から車輪の格納庫に移動はできないよ』
 トシの言葉にリーチは頷いた。
『あ~……そうだったな。まあ……とりあえずなんでもいいから、降りて外に出たいな。当分飛行機はいいよ……』
 うんざりしたようにリーチが言うと同時に、飛行機の高度は下がり始めた。
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