「空の監禁、僕らの奔走」 後日談 第1章
「……元気にしていたか……という言葉はこの場合、不適当になるんだろうな」
管理官の田原は、一ヶ月も行方不明だった利一の姿を見て、一瞬、驚いた顔を見せたが、すぐにいつもの穏やかな表情へと変わる。
「長い間、ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」
トシは深々と頭を下げて、硬い面持ちでそう言った。
日本にあるアメリカの基地を経由して、リーチはようやく戻ってきた。けれどまだ名執には連絡をしておらず、まずは警視庁に足を向けた。
どのような嘘を並べるのかを、リーチは充分トシと打合せをした。本当のことは絶対に話せない。また、嘘を信じてもらおうと思っているわけではなく、不審に感じている人達を納得させるためにも、失踪した理由付けをしておきたかっただけだ。
こういう場合、リーチよりトシの方が上手い。リーチは背後から田原の様子をじっと窺っていた。
「まずは座りなさい。……それで、納得できる理由を話してくれるんだろうな?」
田原は椅子に座るよう促すと、自らはソファに浅く座る。
「話せば……とても長くなります。私も未だに自分がどういう立場に立たされていたのか、よく理解できないんですが……」
「長くなっても構わんから、ゆっくり話してくれるといい」
そう言って田原は微笑した。
「私がどこの誰とも分からない人物に命を狙われていたことは、すでにご存じの通りです。私はその人物に拉致されて、日本ではない、どこか、外国に連れ出され、命を狙っていた人物と接触をしました。接触というより、無理やり引き出されたという感じですね」
トシは注意深く言葉を選んで話す。田原はじっと耳を傾けているようだ。
「……私はその人物のことなど今まで会ったこともなければ、見たこともない人物でした。けれど、向こうは逆に私が命を狙ったのだと、誤解していたんです。だから、私を始末しようとした。もちろん、私は否定しました。私が見知らぬ人の命を狙うなんて、どう考えてもあるわけないからです。しかも向こうは外国の方です。どうして私が命を狙ったなんて、突拍子もない言いがかりをつけられるのか、私はその説明を求めました」
「それで、どう説明されたんだね?」
嘘だと言って笑い飛ばすこともなく、田原は興味深い顔でそう言った。
「私がFBIへ研修に出たときに、狙ったと言うんです。言いがかりもここまで来ると、本当に呆れてしまいしたが……。狙撃があった当日、目撃されたのは東洋人で、私にかなり似ていたらしいです。似顔絵を見せてもらいましたが……確かによく似ていました。それを世界中にまき散らし、数年後、私を日本で見つけ、狙撃があった日にアメリカにいたことを確認して、暗殺命令が出たそうです。私じゃないんですが……」
「相手は名前を言ったのか?」
「いいえ……ただ、あまり明るい商売をしているような人物には見えませんでした。もっとも対面したと言っても向こうは薄暗がりの中にいたので、顔が見えなかったんです。分かったことと言えば、声のトーンで高齢の方であること、金持ちであること、暗殺が簡単に行える力を持っていること……くらいです。そこで私が人違いだと言うことを説明して、それが確認されるまでの間、ずっと拘束されていたんです。無実が確認されて、ようやく解放されたのはいいんですが……解放すると言って眠らされ、ようやく意識が戻って目隠しを外されたときには、ぽつんと見知らぬベンチで座ってました。……驚愕しました。ポケットに僅かですがお金が入れられていたので、電車でここまで戻ってきたんです。こんなことを信じてくれといっても、あまりにも突拍子もない話だから難しいことなんでしょうが、本当です」
トシは一気にそう話し終えると、息を吐く。田原は顎を撫でて視線を彷徨わせる。
『……やっぱ、でっち上げた話は胡散臭すぎるか?』
リーチは田原の仕草を追い、どう考えているのか、予想しようとしていた。けれど、田原はもともとポーカーフェイスで、何を考えているのか、予想するのが難しい。
『本当の事を話しても、でっち上げって言われるよ……』
確かにトシの言うとおり、何をどう話そうとでっち上げといわれるだろう。しかも、ハイジャックまでことが及ぶと、もう、頭は大丈夫かと逆に心配されそうだ。
「正直言って、もし、今の話だけを聞いていたら、私は隠岐君を信じられたかどうか分からない。だが、撃たれた警官のもとにとんでもない物が届いたと報告を受けていて、その話を信じざるを得ない」
田原は苦笑し、また手で顎を撫でた。
『金じゃねえのか?俺が怒鳴ったから、あのじじい、ご丁寧に金を送ったんだぜ……きっと。ほら、話しただろ?慰謝料を払えって話』
リーチの言葉にトシも頷く。
「とんでもない物……もしかしてお金でしょうか?」
「なんだね、よく知ってるな」
「……全くの事実無根の罪で私は襲われたんです。それに巻き込まれた警官はまだひよっこで、アメリカと違って銃に撃たれるって事はまずないことを説明しました。そんな中、心の準備のないままに撃たれ、それが日常生活にどれだけ支障を来すことになるかを話し、慰謝料を払ってやってくれと言ったんです。いくら支払われたんでしょう?」
「普通の宅急便の袋に日本の旧札で一千万の札束のブロック入っていたそうだ。ご丁寧にメモも入っていた。『人違いで怪我をさせてしまって、申し訳ない。僅かだがこれを治療費に使ってくれ』とね。メモは汎用のプリンターから出されたもので、特定できず、宅急便の差出人もない。受け付けた地域は特定できても、誰がその荷物を送ったのかは分からなかった」
「それにしても一千万……ですか」
トシは羨ましそうに言った。
確かに二人にはとてつもない大金だ。
「ああ。警官達もびっくりしていたそうだよ。一応、警視庁で預かっているが、いずれ彼らに戻すことになるだろうね。犯罪に関わりがないと判断されたら、当人の自宅へ送られた物を警視庁が預かるわけにもいかなからな。もっとも贈与になるため、いろいろと違う問題がでてくるだろうが」
「……彼らにとって負傷した警官の住所を知ることなど、朝飯前なんでしょうね。考えると恐ろしいです。私も……よく生きて帰ってこられたと……本当に今、ホッとしています」
トシは微笑したが、田原の表情はやや強張ったものへと変わった。
「問題がある」
「はい……」
「君は見ず知らずのアメリカ人によって拉致され、国外へと連れ出された。許されるべきことではない。どうする?」
この問題を公にするかどうか、田原は聞いているのだろう。
「……このまま終わらせたいと思います。私がどうやって日本から連れ出され、戻されたのか、きっと調べても出てこないでしょう。死者が出ていたのなら、私も許せませんでしたが、幸いそういったこともありませんでした。今のところ、相手を特定することもできません。確かに間違われて狙われたことは腹立たしいことですが……下手に突いて国際問題に発展するのも、あまりいいとは思えないんです」
リーチの中ではもう終わっている出来事だ。
トシは納得していないところがあったのだが、リーチは興味を失った。名執を無事に取り戻したことで、すべてが終わってる。警察が例え動いたとしても、名執のこともあり、あの老人の存在は表に出すつもりはない。
「隠岐がそう言うのなら……そうしよう」
田原はどこかホッとしたような顔で、頷いた。
「でも……私、警視庁に足を踏み入れた瞬間から、大騒ぎになりました。この拉致されていた一ヶ月の間の理由を、何か考えて下さるととても助かるんですが……」
「……君が行方不明になった時点で、すでに事件として捜査している。何者かに拉致をされたということは揺るがせない事実だが、隠岐君は無事に戻ってきた。表向きは捜査を継続するが、今後は少しずつ規模を縮小していく方向に向かわせるのが一番だろう。まあ、しばらくは仕事には参加させられないが、君が戦力として戻ってきてくれて、助かるよ」
田原は安堵のため息をついていた。
「私も……また日本に戻ってこられて、ホッとしています」
「新聞や週刊誌に君のことが大々的に載った。しばらくは周囲も五月蝿いだろうが、落ち着くまで自宅待機してもらおう。ああ、一課内での話を合わせるために、係長の里中と打合せをするから、今日のところは一課には顔を出さないように。自宅へは送らせるよう、手配する。地下駐車場で待っていなさい」
話は終わりだというように、田原はそこまで言うと、内線の受話器を上げた。
「それで……田原さんは納得されたのですか?」
名執の身体を気遣いながらリーチは衣服を脱がし、生まれたままの姿になってからも、性急に求めてくることなく、愛撫の手や唇は、緩やかに身体を這う。その間、リーチは日本に帰ってきてからのことを、話して聞かせてくれていた。
「さあな……だが、事実を知ったところで、どうしようもないさ……。こんなふうに忘れ去られるのを待つことが、一番いいこともある……」
リーチはそう言って名執の乳首をきつく吸い上げた。股間に回されている手はずっとそこで名執の雄を弄っていて、あふれ出る蜜を使って周囲を濡らしていた。