Angel Sugar

「空の監禁、僕らの奔走」 第8章

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『リーチ、大丈夫?』
『……まあな。もし、立って歩けなくなったとしても、俺は這ってでも行くぜ』
 リーチはそう言って、ゆるゆると歩き出した。
 これで走れと命令されると困るが、歩くだけならば普通に歩ける。ただ、真っ直ぐ歩くことが非常に難しく、気をつけないと斜めに歩くことになり、機体までの距離がますます開く。
「オーキ、無理をするなよ」
 トーマスはリーチの姿を背後から眺めながら、つきそっていた。
「大丈夫です」
 最初はよかった。
 けれど黒い機体に近づけば近づくほど、身体が重くなっていく。まだ軽いと思えるうちに一気に走った方がよかったのかもしれない。
 リーチは黒い機体を視線の先に捉えたまま、それを目標にして歩いた。時間が経てば経つほど身体が重く感じられて苦しい。しかも歩くごとにベルトが身体を擦り、ジワジワと締めあげていくような気もした。
「オーキ、もうすぐだぞ」
 黒い機体でスタンバイしている隊員が、やってくるリーチの姿を、笑いを堪えつつも応援してくれていた。自分では普通に歩いているつもりなのだが、周囲から見ると滑稽な姿に見えるに違いない。
 遠くから見ていると黒く見えた機体だが、近づけば銀灰色に変化した。映画で昔、この戦闘機を見たことがあったが、近くで見ると迫力が違う。機体が滑らかな流線を描き、風の抵抗を極力無くすためのデザインは美しく、これもまた一種の芸術なのだろう。
 感動しつつも、ようやく機体の下までやってくると、背後からトーマスが肩を思いきり叩いて「よくやったぞ」と褒めた。けれど、リーチはその勢いで膝が折れそうになるのを、なんとか耐えた。ここで座り込んでしまったら、トーマスの気が変わるかも知れないからだ。
 だいたい、歩くことに集中しているリーチの肩を、思いきり叩くトーマスも分かっていてやっている節がある。
「はい」
「じゃあ、タラップを上がって、乗り込むんだ。あとは隊員が最後の装備を整えてくれる」
 トーマスはすでにタラップを上がり、前の席に滑り込むようにして座った。リーチもタラップを上がって後ろの席に身体を押し込んだ。思っていたよりコックピット内が狭く、身体が左右から押されているような気分だった。
 タンデムといえど何かあれば自分で対処しなければならないのだと、リーチであっても冷や汗が浮かびそうだ。なにせ、目の前のパネルや各種のスイッチは整然と並んでいて、こういう機械類に弱いリーチは、見ているだけでもげんなりする。
『リーチ、ここ僕が変わる?』
 突然嬉々とした声でトシが言った。
『別に変わってもいいけど、どうした?』
 隊員がタラップを上がってきて、リーチにマスクの付け方や、緊急脱出の方法を脇で説明しているのを耳にしながらも、トシとも話していた。
『こういうの、やってみたかったんだ~』
 トシだけがなんだか嬉しそうだ。
『やってみたいって、お前……戦闘機だぜ。俺だってよくわからねえ』
『ゲームといっしょだもん』
『は?』
『戦闘機やジャンボの操縦を体験できるパソコンゲームがあるんだ。僕や恭眞は一時期はまったよ。だからかな、本物見ると、うずうずしちゃって……』
 トシと幾浦はパソコンおたくのカップルだと、常々リーチは考えていたが、これほどとは思わなかった。きっと外にデートへ行くことより、自宅に籠もってパソコンで遊んでいるのだろう。リーチからすると考えられないことだが、互いに楽しめるのならいいのだろう。ただ、リーチには考えられないデートだ。
『……おたくだな……おまえら。もっと健康的なデートしろよ。そりゃ、うちに籠もるなっていわねえけど、それならそれで他にやることがあるだろうが……』
 いや、名執のうちに居座っているときのリーチもあまり外へは出ずに、べたべたしているか、ベッドでエッチしているかだ。これが健康的に入るのかどうか、分からない。けれど男同士がパソコンにへばりついて、延々とゲームをやる姿も、健康的には思えなかった。
『僕たちがどういうことを楽しもうと、リーチには関係ないだろ。それより、ねえ、お願いだから代わってよ。だって、本物が目の前にあって、僕はここにきてからず~っと感激してたんだ~』
『代わってやってもいいけど、お前さあ、あちこち触るなよ。お前の責任でこいつが落ちることはないと思うけど……』
『大丈夫だって~』
『じゃあ、代わるよ』
 リーチにとって居心地の悪い場所だ。代わってもらえるのなら、代わって欲しい。
 互いの意見が一致したところで、リーチはトシと主導権を交替した。
『わ~すごいね、リーチ。トムキャットって、海軍機なんだ。だから空軍で乗れると思わなかったよ。空軍のイーグルも乗ってみたかったけど、やっぱりファンは零戦、ファントム、トムキャットだよね。そのうちのトムキャットに乗ってるんだよ、僕。トムキャットは翼が可変することができる戦闘機で、四半世紀以上現役なんだ。すごいよね。ほんとうに、僕、好きなんだ~』
 トシは自分の置かれている立場を忘れて嬉々としていた。
『はいはい。お前は本当になんていうか……妙なものに興味を持つよな。銃の種類にも強いけど、戦闘機やジャンボまで好きだったとは思わなかったよ……』
『電車も好きだよ。そういうソフトがあるんだけど、恭眞とね、電車を走らせるんだ。どちらの点数がいいか、競うんだよ。でも、最近は船かな……』
 トシの話を聞いているとだんだんマニアックになってくる。
『……なんだかな……もういいよ……俺には理解を超えた世界だ。二人で根暗にこれからも楽しんでくれ……』
『……そんな言い方ないでしょ』
「マスクをつけて宜しいですか?」
 隊員がトシにマスクをつけようとしているのに、トシが興奮してリーチと話していたので、気付かない様子だった。
『まあな……ほら、マスク、マスク』
「あ、はい」
 隊員はトシにマスクを手際よく装備すると、トーマスへゴーサインを出す。
「オーキ、そろそろ行くぞ」
 耳に付けられた無線からトーマスの声が響いた。
「はい」
 二人の準備が整ったところで、隊員は下へおりて、機体に添わせていたタラップを移動させた。同時にキャノピーが閉じた。
「一気に飛び立つからそのつもりでいてくれよ。先に向かったチームから無線が入ったんだが、状況が悪いらしい。数分で到着する予定にしているが、それまで向こうが飛んでいるかどうか……だな」
 エンジンがかかると、タービンの回転音が響きわたる。それは、すぐさま高音になり、高い音へと変化した。
「悪いって?どういうことですか?」
 トシはトーマスに聞いた。背後で聞いているリーチは気が気ではなかった。
「機体が急降下しているらしい。その最中に前輪と後輪が飛び出したまま、ひっこまないそうだ。失速はしていないが、何かあったようだな」
「そんな……」
 ハンガーのドアが開かれ、太陽の光が機体を照らす。隊員が指示機を振って、滑走路への道のりを指示していた。
『リーチ……どうしよう』
『まだ墜落した訳じゃない。とにかく自分の目で見ないと納得できないな』
 機体は広々とした滑走路へと出て、一旦止まると、タービンの音が今までになく高く響いた。
「オーキ、気を失うなよ。悲鳴くらいなら黙って置いてやるが」
 トーマスは笑いながらそう言ったが、そこでリーチはようやく気付いた。
 主導権を交替したのはいいが、トシがGに耐えられるわけなどない。そのことをすっかりリーチは失念していたのだ。
『おい、トシ、もう一度代わるぞ』
『え? どうし……』
 機体が飛び立つと同時に、トシの悲鳴が――利一の悲鳴として――上がった。
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