Angel Sugar

「空の監禁、僕らの奔走」 第35章

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「……どういうことですか?」
 リーチは冷静さを失わないよう、必死に自分を抑えていた。
 名執は後ろ手に縛られている。顔色は真っ青で、乱れた髪が頬にかかっていた。力を失った身体は頼りなく、ぐったりとしていた。そんな姿を目にするだけで、リーチの心はかき乱される。
「金のありかを探し回っていたら……車輪が格納されている場所に通じるドアを見つけてね。そこに入ったらこの男を見つけたわけだ。こいつはどうもお前にとって大切そうな様子だからな。人質にはもってこいだろう?」
 リーダーはクスクス笑い、嬉しそうだ。
「怪我は負わせていませんね?」
「さあな。連れ出すときに抵抗したから蹴り上げた。それが怪我に値するのかどうか、俺には分からないが」
 蹴り上げた……。
 名執の身体はようやく快復したのだ。今は一回り肉が付いたが、げっそりとやつれた姿は忘れられない。精神的に追い詰められて、随分と苦しんだ結果だった。その原因を作ったのは他ならぬリーチだ。
 だからこそ大切に大切にしてやらなければならなかった。
 リーチは名執が快復するまでの間、誰がどれほど過保護だと笑おうと、そうしてきた。名執を今までになく甘やかし、砂糖よりも甘い日常を与えていたのだ。それがリーチにとっての償いだった。
 なのに、すべてを無に帰すような行為をしているこの男が許せなかった。
「そうか……」
 握り拳から血が滲みそうなほど込められた力。張りつめた弩は今にも弾けそうだ。
「武器を捨てろ」
 リーダーは名執の身体に銃口を今まで以上に押し当てた。
『リーチ……』
 背後でトシが息を呑んでいる。
「ああ……」
 リーチはリーダーから目をそらさずに、奪った銃を床にそっと置く。
「他にもあるはずだ。全部出すんだな。おっと、上着も脱いでもらう。下に何を隠しているのか分かったものじゃない」
 言われるままにリーチは上着を脱ぎ、持っていたナイフやスパナを床に置く。今のリーチはほんの僅かな隙を狙っているのだ。そのため、精神をギリギリまで研ぎすまし、男の気のゆるみを待っている。
 人間は長い間、緊張には耐えられないものだ。例え訓練をしていたとしても、また、戦場で鍛えたものであったとしても、それらは日々、鈍っていくたぐいの感覚だ。
「これで全部だ。それで、どうします?私を殺すつもりですか?」
「俺たちの人質を返してもらおう。その代わり、この男はお前のものだ」
「どうして私にそんなことを言うんですか?人質が欲しいなら貨物庫にいくらでもいるでしょう?」
「俺たちが外から声をかけても、随分と恥ずかしがりなのか、誰も答えてくれなくて、困ってるんだ。それにドアはどこもかしこも鋼鉄だから、いったん閉じて内側からロックされると、人の手で開けるなんてのは到底無理だ。それに銃は跳弾して危なくてしょうがない」
 相変わらずリーダーはリーチの動きに神経を集中させたまま、言う。
「私にどういう役にたてと?」
「どういう事情かよく分からないが、お前が人質達を先導しているようだからな。そんなお前がドアを開けろと外から声をかければ、あっさりと入れてくれるだろう。違うか?」
 リーダーはまだ名執の側から動かない。
 この男がリーチの側までやってきて、身体の自由を奪おうとする瞬間を待っているのだが、未だに距離を取ったままだ。
 今のリーチには接近戦しか手がない。できるだけ距離を縮め、瞬時に行動を移す。
「私は何の先導もしていないんですが……私じゃなくて、他の乗客では?」
 口元に笑みを浮かべ、リーチは言った。
「食えない男だな……まあいい」
 ようやくリーダーの男は名執の身体から銃口を外し、立ち上がる。
「人質のことがなければ、お前はこの場で殺してやってもいいんだが……コックピットも開けてもらわなくちゃならないんでな。問題を次から次へと起こしてくれる、お前にはうんざりだ」
 リーダーは名執から外した銃口をリーチに向けて側に近づいてきた。
 少しずつ縮まる距離。
 もっと側にこい……。
 もっと……。
 もっとだっ!
 リーチは微笑しながら、その瞬間を待ち受けていた。
 あと少し。
 あと少しで行動に出ようとしたリーチを、名執の開いた目がとめた。
「……」
 名執はリーダーの男の行動を勘違いしているのか、必死に身体を起こして、這おうとしている。リーチは言葉ではなく、表情でじっとしていろと伝えようとしたが、名執には伝わらない。
 名執の瞳には涙が浮かんでいる。
 折れそうな腕や手は、リーダーの足を掴もう必死に伸ばされていた。
「あ……やめ……」 
 リーダーの視線は今までリーチから逸らされなかったが、絞り出すような声を上げた名執に気づいたのか、僅かながら動いた。
 その隙をリーチが見逃すわけはなかった。
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