Angel Sugar

「空の監禁、僕らの奔走」 第37章

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「ユキ、お前に渡した銃はどこだ?」
「腰のベルトに……挟みましたが……」
 言われるままに視線を下に向けると、名執は確かに自分のベルトに銃を差し込んでいた。
「じゃ、今からお前の腰に回している手を解くぞ。自力でしっかり俺にしがみついてろよ。分かったな?」
「はい」
 名執は今まで以上にリーチにしがみつき、目を閉じる。リーチは名執の様子をじっと見つめながら、そろそろと腰から手を離し、ベルトに挟まれていた銃を手に取り、ドアのところにいるリーダーに向けた。
 そうするとさすがにリーダーは目を見開き、顔色を変える。
「まさか、撃つ気か?」
「これ以上、空からものを落とすわけにはいけませんからね……」
「跳弾して大変なことになるんじゃないか?」
 リーダーは冗談めかしにそう言ったが、さすがに言葉は震えていた。
「実は私……黙ってましたが、本職は刑事なんです。だから撃ち損じはしませんよ」
 リーチがそう言った瞬間、リーダーの男が怒りの表情でうなり声を上げたが、何かを言葉にされる前に、引き金を引いた。瞬間、その反動が名執にも伝わり、身体が浮き上がったが、リーチは銃を持った手で、支えた。
 リーダーの男は額から血を流し、カッと見開いた目のまま床に崩れ落ちると、外へ吸い出されていった。流れた血が空中で玉のように浮かび、遅れて後を追う。
「……はあ……ようやく片が付いたな……」
 名執をしっかり支えながら、リーチは安堵の息を吐いた。
 けれど、まだ問題は残っている。
 ドアを閉めなければならないのだが、このままではとても移動できない。
「ユキ……俺を支えにして、椅子に座ってシートベルトができるか?」
「……わ……分かりません」
 勢いよく空気が外へと吸い出される気流が、身体の動きを奪うのだ。余程上手くやらないと、簡単に空の散歩へと誘われるだろう。
「俺はあのドアを閉めに行かなきゃならないんだ。けど、お前を抱えてはいけない」
「……はい」
 名執は不安げな顔をしているが、リーチが言いたいことは理解してくれているようだった。
 二人とも助かるにはあのドアを閉めなければならない。
 そのためには、名執がリーチから離れなければ、動けないのだ。
「時間はかかってもいい。お前が滑りそうになったら俺が支える。なんとか椅子に座って身体を固定してくれ」
「分かりました」
 名執はリーチの身体に掴まりながら、少しずつ腰を下ろしていった。
「大丈夫。俺が支えてるからな」
 ちょっとした気のゆるみが、命取りになるような状況だ。けれど、こういう状況に慣れない名執を、怯えさせたり、尻込みさせたりするわけにはいかない。安心させられるような言葉をかけ、リーチは急がせることはしなかった。
「……私……っ」
 中腰にまでなったが、名執はリーチにしがみついている手を離さない。
 座席に座る場合、どうしても片手を離して、ベルトを掴まなければならないのだが、恐怖心があるのか、名執の手が離れる様子がない。
「リーチ……ッ!」
 上目遣いで泣きそうな顔をしている名執に、リーチは穏やかに声をかけた。
「お前が手を離しても、俺が掴んでる。外に飛ばされたりはしねえよ。あのドアを閉めたら、俺は思う存分お前にキスするからな。今の俺は、そのことしか考えられないぜ」
 リーチが微笑すると、名執も強張りながらも笑みを浮かべた。
「……は……はい」
 名執は躊躇いがちに片手を離したが、一瞬身体が揺れた。それをリーチがしっかりと支える。片手を離しても大丈夫だとようやく理解した名執は、ベルトをまさぐって見つけると、もう片方の手でリーチの足を掴んだまま、腰を下ろした。
「気を抜くなよ……ベルトをしっかり締めてから、安心しろ」
「はい」
 名執はたどたどしいながらもベルトを締め、リーチを見上げる。頬がうっすらと朱に染まり、その表情を見ているだけでも、リーチは欲情しそうだ。
「俺はこれからドアのところまで移動する。何があってもお前は絶対にベルトを緩めるんじゃないぞ、分かったな」
「分かりました」
 名執を支えていた手を離し、リーチは座席の背もたれの部分を掴みながら、通路へと慎重に移動した。その姿を名執は心配そうに見つめている。
 まったく、どうしてドアなど開けるのだ。
 これではただでさえ不安定に飛んでいる飛行機が、ますますガタガタと上下に揺れて、下手をすると失速するだろう。
 何があっても出てくるなと言い聞かせた機長が、コックピットのドアを開けていないことだけが救いだ。もっとも、今ごろ、飛行機をできるだけ水平に飛ばす操縦に必死になっていて、外に出る余裕などないに違いない。
 リーチは少しずつ、通路を移動し、一番前の座席の並びに来ると、今度は水平に移動した。だが、ドアの近くに近づけば近づくほど、外へと出る気流の流れが速くなっていて、頬の肉がブルブルと震え、座席を掴む手に力が入る。
 開いているドアから一番近くの座席までようやく来ると、リーチはシートベルトを自分のベルトに結びつけた。後は手を伸ばしてドアの取っ手を掴んで、引っ張るだけだ。
 宙に浮いた足、伸ばした手、ベルトに結びつけたシートベルトだけがリーチを機内に引き留めている。かかる力はすべて支えている腰に集まり、砕けそうに痛い。
 指先がドアに触れるが、そこはすでに空中だ。
「くそっ……届けよっ!」
 背が低いことを恨む。
 手がもっと長ければと、悔やむ。
 牛乳を飲んでいたらよかったのか、それとも、もうあまり思い出せない両親の身長が低かったのか。
「リーチっ!」
「大丈夫……だっ!」
 ようやくドアを掴み、リーチは渾身の力で引っ張った。外へと出る空気の抵抗にあい、ドアは普通のものとは比べものにならないくらい、重い。
「俺は……ユキと……ぐっちゃぐちゃにキスをするんだ~っ!」
 勢いよくドアが閉まった瞬間、リーチは床に叩き付けられた。
「リーチ……ひっ!」
 シートベルトをしたまま立ち上がろうとした名執が、反動で座席に引っ張られ、声を上げているのが聞こえた。
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