Angel Sugar

「空の監禁、僕らの奔走」 第11章

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 吐きそう……。
 先程から飛行機は、降下しては水平を保ち、しばらく普通に飛んでいたと思ったら、また降下するという動きを繰り返していた。地面の底が抜け、暗闇に向かってどこまでも落ちていくような感じだ。三半規管が自らの仕事を忘れたのか、椅子に座っているはずの身体は宙に投げ出され、いつまでも両脚が地を捉えることがない。そんな永遠とも思えるトリップに悲鳴を上げたくなる。
「名執、大丈夫か」
 ザワザワとした声が混ざり合う中、小声であるのに幾浦の声だけは、なぜかはっきりと聞こえた。
「はい……はい、大丈……っ」
 内臓が口から出てきそうな気分に陥っていた名執は、手で口をしっかりと押さえて、酷い吐き気を堪えた。目は未だに閉じている。それでもなお、瞼によって作られた暗闇の中に、眩しく散る火花をいくつも見た。
「飛行機は大丈夫だ。墜ちてはいない」
 幾浦の声には安堵が含まれていたが、名執にはまだ飛行機が揺れているような気がして仕方がなかった。
「おい、本当に大丈夫か?」
「……なんとか……」
 震える唇から手を離し、名執は薄く息を吐いて、ようやく目を開けた。あまりにもしっかり目を閉じていたからか、視界はぼんやりしていて、白っぽいものや長細いものが見えた。それが何であるのか確認しようとして、名執は眼を擦ろうとしたが、指先が震えて動かすことが困難だった。そんな名執の手を幾浦は掴み、何かを確かめるように数度撫でて、放す。
「おい、手が冷たいぞ、本当に大丈夫か?」
「多分……ショック状態……です。何か……羽織るものが……欲しいのですが……」
 ホッとしたのも束の間、震えから噛み合わせがカチカチと音を立てていて、身体の自由が利かない。
「そうだな……。今、気が立っている犯人達が走り回っているようだから、立ち上がるわけにもいかない。ああ、ちょっと待てよ」
 走り回っている?
 まだ身体を倒したまま、名執はそろりと通路の方へ顔を向けた。すると、折り重なっている死体が目に飛び込んできて、すぐさま視線を逸らせる。日常、人の身体をメスで開き、閉じている名執だ。血は見慣れているものの、恨みがましい目で死んでいる人間は、凝視できない。
「……っ」
「見ない方がいいぞ」
 そう言って幾浦は自ら脱いだ上着を、名執の身体に掛けた。
「そう……そうですね」
 もう一度床に目を落とすと、先程ぼやけていたものがはっきりと見えた。誰かの書類や、使用していたであろうペンだ。他に割れたグラスの破片もそこかしこにあった。
「なにをこそこそと話しているんだっ!」
 犯人らしき男の声が響くと同時に、幾浦が名執の背に手を回して、押さえ込んだ。名執は顔を上げることもできず、ただひたすら床を見つめていた。
「いえ、何でもありません」
「妙な仕草や、行動に出ようとしているとこっちが判断したら、あの世にすぐさま逝ってもらうことになるぜ。それが嫌ならおとなしくしているんだな」
 俯いている名執の真横で銃が左右に振られているのを、目の端で捉えつつも視線は床に向けていた。
「分かってます……」
「分かってるのならいいが……」
 銃口で名執の髪を撫で上げようとした犯人の手を、幾浦が押し止めた。
「なんだ、分かっていると言いながら、お前は分かってないようだな」
「彼は病人なんです。そっとして置いてやってください」
「彼?男か?」
 犯人の声には、やや驚きが含まれていた。
「そうです」
 名執は幾浦と犯人の会話を耳にしながらも、俯いたまま顔を上げなかった。いや、上げようとしても幾浦の手がしっかりと押さえていてできないのだ。けれど、睨め付けるような視線がヒシヒシと感じられて、名執は顔が青ざめた。こういう視線を感じたことがあるのる。祖父や宮原が持っていた、今では思い出したくもない、視線と同じ。
「おい、お前、なにやってるんだ。そいつらがどうかしたのか?」
「いや、なんでもねえ。機長はどうなったんだ?」
「死んだかもしれないな。リーダーが強情な機長を撃っちまったから」
 二人は話しながら、名執達が座っている席から離れていった。
「……大丈夫か?」
 ようやく名執から手を離し、幾浦は安堵しながら額を拭っていた。
「私は……大丈夫です」
「名執、お前はあまり顔を見せない方がいい。お前は見えなかっただろうが、奴らの一人がいやらしい目でお前の横顔を見つめていたからな。仲間が来なかったらお前の顔をよく見るために、無理にでも上げさせていただろう」
「……気付いていました」
 寒さでも、ショック状態からでもない震えが、名執の身体を覆う。どうしてこうも目をつけられやすいのか、名執は自分で自分の容貌が嫌になりそうだ。いや、すでに自らの容貌や体型は好きではない。こんな名執を好きだと言ってくれるのはリーチだけ。そしてリーチからの言葉だけが、名執を心地よくしてくれる。
「そうか。じゃあ、膝掛けを頭から羽織って、窓側に凭れて眠っている振りをしていた方がいい」
「はい」
 嫌な予感は拭えないが、今は幾浦の言うように、できるだけ小さくなって、犯人達の目に留まらないようにするしかないだろう。
「大丈夫だ。なんとかなる」
 幾浦は、身を縮めるようにして膝掛けにくるまっている名執の背を何度も撫でた。大きな手が背に触れるたびに、温もりが伝わってくる。けれど本当に安堵できる手はここにはない。名執を心から安心させてくれる相手はリーチだけだった。
「……はい」
 名執は目に涙が浮かんだ。泣いたところでどうしようもないことは分かっている。だから必死に涙を止めようとするのに、一度浮かんだものは流れ落ちるまで消えてくれない。
 ここで死ぬもの怖い。リーチに会えなくなるのが怖い。名執は生きてリーチに再会したかった。けれどリーチ以外の男に触れられたら……。想像もしたくない事態がこの先待っていたらどうすればいいのだろうか。
「名執……そう、考え込むんじゃないぞ。奴らは欲しいものを手に入れたら帰っていくだろう。それをじっと息を潜めて待つしかないんだ」
 幾浦の言葉に名執は弱々しくも頷いた。
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