Angel Sugar

「空の監禁、僕らの奔走」 第33章

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 最初、何かに引っかかっているのかと思い、何度か掴み方を変えて回したが、バルブは動かない。これはただごとではないと、リーチが気づくのと同時に、機体が上下に揺れ、貨物庫にいる人々があちこちを掴んで転倒を回避していた。
「大丈夫か?」
 幾浦は壁に手をかけて、揺れる身体を支えながらそう言った。
「大丈夫です……ですが……」
 機体は小刻みにガタガタと揺れている。この振動をよく感じたのは機体の車輪が出ていたときだ。
「まさか……」
 リーチはバルブから手を離し、すぐさま出入り口へと走った。突然走り出したリーチを背後から幾浦が追いかける。
「おい、どうしたっ?」
「機体の車輪が……出ているような気がします。コックピットに向かいますので、私が戻るまでここは絶対に開けないでください。ただ、もし、機体の揺れが収まって、バルブが回せそうならそこを開けて、下にいる先生を引き上げてやってください……」
 内心、叫びたい気持ちに駆られていたリーチだが、どうにか平静を装い、幾浦にそう言った。
 もし、機体の車輪が出ていて、バルブが開かないのなら、すでに名執は外へと吸い出されているはずだ。けれどそれが事実かどうか、ここからでは車輪の様子を確認することができない。今は硬くて回らないバルブをなんとか開けようとするよりも、車輪の状態を確認するため、コックピットに向かうしかないのだろう。
「私の言ったことは理解して頂けましたか?」
 幾浦はどちらかというと心配そうな表情をしている。もし、リーチは自分の本性をさらけ出せるのなら、耳を引っ張りながら思いきり怒鳴っていたかもしれない。
「幾浦さん、今の危機を理解してもらっています?」
 苛々しながらリーチが念を押すと、幾浦はようやく「ああ」と答えた。
「……」
 リーチは扉を開けて、外へと飛び出すとすぐさまコックピットに向かって駆け出した。もちろん、周囲の気配に対しては、どういった突発的な出来事にも対応できるように、最大のアンテナを張り巡らせていた。
『リーチ、僕……怖くて聞けなかったけど……雪久さん……』
 恐る恐るトシはそう聞いてきた。
『五月蠅い。黙ってろ。俺はどういった悲観的な想像もしねえ』
 階段を駆け上がり、途中、リーチの姿を見た男が銃を向けたが、蹴り一つでダウンさせ、武器を奪ってポケットに入れると、また駆け出す。今は車輪が出てるのか、出てないのか、それだけが確認できたらいい。
 リーチがキャビン・アテンダント・シートの手前まで来ると、さすがに歩調をゆるめ、中の気配を窺った。
『リーチ、中に入れそう?人質がいなくなってること気づいてるかな?』
『わからねえ……。まだコックピットでトラブってるんなら、気づいてねえだろう……』
 チラチラと内側を覗き、リーチはキャビン・アテンダント・シートに足を踏み入れ、椅子の影に何度も身体を隠しながら、前へ前へと移動していった。
『物音は……する?』
『……音はしねえが、人の気配はヒシヒシと伝わってくるぜ……』
 リーチは野生動物のようなしなやかな動きでパイロットレストルームへと入ったが、前方から足音が聞こえたため、二段ベッドの上段に音もなく飛び移り、カーテンの引かれている側へと移動し、姿を隠した。
『リーチ、誰か来た?』
『ああ……来るぜ……黙ってろ』
 息を潜めていると、リーダーの声が響いた。
「見せしめに交代要員を殺してやったから、しばらくは黙って言うことを聞いているだろう。だが、奴らは何を企むかわかったもんじゃない。よく見張って……おい、人質はどこへ行ったんだっ!」
 キャビン・アテンダント・シートに誰もいないのをようやく見つけたリーダーの男は怒声を上げた。
「どうなってるんです……これは……」
「見張りはどうなってるんだっ!」
 リーダーとは違う慌てた声があちこちから聞こえ、リーチは内心ほくそ笑みながらも、すぐさまコックピットに移動したい気持ちを抑える。彼らが人質を捜しに消えてくれたら一番いいのだ。それもしばらくすれば叶えられるだろう。
「さっき捕まえてエコノミークラスにくくりつけた、でかいのとチビがいません」
「なんだって?他に仲間がいたのか?……なんでもいい、探せっ!」
 彼らの言う、でかいのというのは幾浦のことで、チビは利一のことなのだ。そんな些細なことに今は腹を立てている暇はないが、もう少し言い方はないのかと苛立ったのは確かだった。
 リーチはじっと耳をそばだて、犯人達が慌てふためき、後部へと走っていくのを待った。
『もう行った?』
『いや……まだだ……あちこち探し回ってるようだけど……な』
『さっさと行けばいいのにね……』
 トシも苛々している。
 あと数分待てずに行動し、失敗を余儀なくされるのは不本意だ。もともとリーチは待つことが嫌いだが、こういった場合は、歯がみしながら時が刻まれていくのを数えることにしている。
『行った……みたいだな』
 人の気配が消え、静寂が戻ってきた。
『コックピットは狭いけど、見張りは残されてるはずだよ』
『分かってる』
 カーテンの隙間からコックピットの方を眺める。すると銃を持った男がトイレの前に立ち、コックピットの方を向いていた。
『一人だけなら大丈夫だな……』
 リーチはベッドから登ったときと同じように、音を立てずに下り立った。
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