Angel Sugar

「空の監禁、僕らの奔走」 第7章

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『何を欲しがっているのか私にはよく分からないが、君達のいうものを渡したとして、乗客の安全は保証してもらえるのか?』
 機長は慌てることなく冷静な口調で言った。
「とぼけてやがる。まあいい。そうだな、俺たちが無事にここから逃げ出せたら……というのが条件に入るがね」
『何を持ち出す気でいるのか知らないが、この空の上で、どうやって持ち出す気でいるんだ?』
「あんたらに心配されることじゃない。そういった指示は俺たちが出す。だから、ここを開けろ。こっちにもパイロットがいるんだ。代わってもらう」
 犯人はそう言って、ドアを蹴った。
『……規定でここを開けるわけにはいかないが、君達の要求は了解した。しばらく時間が欲しい』
 機長はそう言うとアナウンスを切った。当然、犯人達が納得するわけなどなく、また声を上げた。
「時間稼ぎをしようとしているんだろうが、無駄だ。最初に言ったはずだ。ここを開けなければ、犠牲者が増えるだけだとな。もっとも、俺たちが全員をやっちまって、それでもドアを開けないというなら、そっちの勝ちだ。だけどな、あんたが最後に見るのは俺たちが逮捕された姿じゃなくて、機内に散らばった大量の死体だけだぜ。ああ、俺たちの死体は混じってねえから、安心してくれ」
 犯人達は逃げ道をすでに確保しているのか、余裕の口調だ。どうやってこの大空から逃げ出せるのか分からないが、何か手があるのだろう。
 また、銃声が響き、前方から悲鳴が上がった。
『どこへ行けばいいんだ?』
 また機長が問いかけた。
「先にここを開けろ。話はそれからだ。いつまでもそっちが籠もる気なら、まだまだ死ぬぜ。機体に穴を開けるわけにはいかないから、人間を撃つしかないだろう?」
『――分かった』
 機長は苦渋の決断とでもいうように、絞り出すような声を発した。
 名執はじっと足元を見つめながら、時間が過ぎるのを待った。恐怖が身体を覆っていたのだが、時間が経つと慣れてくるのか、少しずつ落ち着きを取り戻している。隣に座る幾浦も無言のまま足元を見つめていた。話しかけたいのだが、真横に犯人が立っているためにそれはとてもできない。
 どうなるんだろう……。
 無事に生きて帰ることができるのだろうか。
 名執にはそのことしか頭になかった。犯人達が何を目的にしてこの機をハイジャックしたのかなど、どうでもいい。欲しいものがあったらさっさと持ち出して、ここから出ていって欲しいだけだ。
 だが、どうしても気になるのは、彼らは誰一人として顔を隠していないことだった。名執のように、乗客の中には彼らの顔を見た人間が多数いるだろう。犯人達にとって不利になる目撃者を、無事に解放するとはとても思えない。
 やはり殺されてしまうのだろうか……。
 絶望的な気持ちに囚われそうになった瞬間、前方からもめている声が響き、次に機体がガクンと傾いた。
「名執っ!シートベルトをしろ!」
 つんのめった名執の身体を捕まえて、幾浦は自らのベルトを締めていた。言われるままに名執もシートベルトをしたが、シートに押しつけられる力が前方から働いていて、手がうまく動かせない。
「手が……っ」
 名執が片方のシートベルトの端を掴んでいるのを見た幾浦が、もう片方のベルトの端を掴み、ようやくはめることができた。名執がホッとするのも束の間、今までシートベルトのことばかりに気を取られていたため、聞こえなかった人々の叫び声が突然耳に入ってきて、誰かが床を転がるような音もする。
 飛行機が急激に高度を下げていたのだ。
 空中には機内に設置されているパンフレットや、紙コップ、トレーに、荷物が飛び交い、頭を上げていると危険な状態だった。機内の明かりは、期限の切れかけた白熱灯のようにチカチカと点滅していて、人々の悲鳴がそこら中から聞こえる。名執は耳にした悲痛な声に、シートベルトをしているのも係わらず、思わず立ち上がろうとしたが、幾浦にとめられた。
「とにかく、頭を前に倒した方がいい」
 幾浦は顔を青ざめさせてはいたが、冷静に名執に言った。
「え、ええ……」
 名執は前方からかかるGに逆らうようにして身体を前に倒すと、両手で頭を保護して目を閉じた。一度収まったはずの不安が急に身体を襲って、心臓の鼓動が激しくなる。ゴーッという耳鳴りに似た音が響いて、耳の奥が痛い。頭を両脚の間に挟み、手で後頭部を押さえているのだが、身体が後ろへ引きちぎるように引っ張られていた。
 このまま海に落ちたらまず助からないだろう。もう二度とリーチには会えないのだ。こんなことになるのなら、リーチが駄目だと言っても、最後に抱き合ったらよかったと、名執は心の底から後悔していた。
 飛行機はガタガタと機体を小刻みに震わせ、ますます高度を下げている。そして聞き慣れない、ドンっという機体までも揺るがす大きな音が響き、名執は思わず声を上げた。
「幾浦さん……怖い……っ!」
 頭を覆っていた手を幾浦の方へ伸ばすと、幾浦は名執の手をギュウッと握りしめた。伝わる手の温もりが、僅かながら名執の高ぶった気持ちを落ち着ける。
「ああ、俺も怖い」
「……私は死にたくないですっ!」
「俺もだよ、名執。だが最後まで諦めるな」
 機体は悲鳴のような音をそこらじゅうから発して、その身体をガタガタと揺らしている。上から何かチューブのようなものがブラブラと頭に当たるのだが、それが何か確かめる余裕すらなかった。
 名執の閉じた目に滲むのは涙だった。



 言われるままリーチは服を着替え、両手を平行に上げた状態で立たされた。するとヒューイと他の隊員が、戦闘機に乗るための装備を整えてくれた。けれどリーチが想像していたよりも装備は重く、リュックサックに鉛を何キロも入れて背負っているような感じだった。
 問題はどのつなぎもサイズが合わなかったことだ。とりあえず一番小さなサイズのつなぎを腰のサイズで合わせてファスナーを上げることはできたのだが、布があちこち余り、不格好だった。ブーツに至っては足先に布を詰めていた。ヘルメットもやや大きいが、日本人のサイズなど常備されているわけなどないのだから、この際、仕方がないとリーチは諦めることにした。ただ不思議なのはベルトのところにナイフを携帯させられたことだった。
 最後にヘルメットのチンガードを思いきり締め上げられて、準備は整った。
 歩くとベルトの金具が前後で揺れてチャラチャラという音が鳴り響き、太股から腰に繋がるベルトが自らの雄の側面を擦って、少々痛い。締めすぎじゃないのかとヒューイに聞いたリーチだったが、痛いくらいがちょうどいいと言われ、緩めてはくれなかった。
 リーチは身体中を縄で縛られているような気分で、突っ立っていた。
「ヘイ、オーキ。本当に大丈夫か?」
 ジープに乗って五番ハンガーにやってきたトーマスが、車から軽やかに降りて、近づいてくる。リーチと違ってトーマスは背も高く、装備を整えた姿は精悍だ。
「は……はい。なんとか。それで、このサバイバルナイフは何に使うんですか?」
 腰のベルトにつけられたナイフの柄を指さしてリーチは聞いた。
「緊急事態で脱出したとき、そこが平地なら問題はないが、とんでもない場所にパラシュートが落ちることがある。そういうときにナイフを使ってパラシュートを切り離すんだ。銃を携帯することもあるが、今回は必要ないだろう。それにしてもオーキ……」
 トーマスはじっとリーチを見下ろして、品定めするように見つめる。
「はい?」
「率直に言わせてもらうが、君には似合わないね」
「……刑事を選んでよかったと思います」
「はは。そうか。ところで、気分は悪くないか?」
「ええ。重いことは重いですが、なんとか立っていられます」
「このハンガーの一番端にある黒い機体に私たちは乗る。君は後ろだ。さあ、あそこまで歩いていけたら、約束通りオーキを乗せて飛ぼう」
 トーマスはニヤリと笑って五十メートル先にある、黒い戦闘機の機体を指さした。
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