Angel Sugar

「空の監禁、僕らの奔走」 第36章

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 リーダーは飛びかかってきたリーチにすかさず銃を向けた。だが、リーチは向けられた銃のグリップを掴んでなぎ倒すと、そのまま右腕を折ろうとした。
「――っちぃ!」
 リーダーは押さえられた右手とは逆の左手にナイフを持ち、リーチの脇腹を狙ってきたが、膝で腹を蹴る。体勢を崩して倒れそうになるリーダーから銃を奪うと、リーチは名執を抱えてその場から離した。
 一瞬だけ抱きしめた名執の身体は、何度も恐れたように冷えたものではなく、確かに温もりのある身体だった。
 このままずっと抱きしめていた身体。
 嗅ぎ慣れた名執の香りが心地よく、このまま浸っていたくなる。
「ユキ、ここでじっとしてろ。いいな、何があっても動くな。お前に向かってくる奴は、これで撃ち殺せ。引き金を引くだけでいい。だが、俺を助けようとして、勝手に動くんじゃないぞっ!」
 素早く名執の唇にキスを落とし、最後尾の座席に名執を座らせると、震える手に銃を握らせた。
「ユキッ!分かったな」
 大声を上げると名執は怯えていた瞳に、ようやく生気を灯し、小さく頷いた。
 名執に背を向けて、迫ってくるリーダーに飛びかかった。
 さっさと気を失って倒れるか、死んでくれたらいいのだが、さすがに犯人達のリーダだ。身のこなしは軽やかで、なかなか簡単に倒せない。
「何故、お前は邪魔をするんだっ!お前さえいなければ、この計画は上手く行った。なのに、なんなんだ、お前はっ!」
 ナイフを繰り出しながら、リーダーは叫ぶ。リーチはナイフを避けながら、答えた。
「貴方がこの飛行機に乗り込んでいなければ、私はようやく自分の日常に戻れたんですよ。それを引き延ばされている今の状況が、どれほど腹立たしくて、苛立つことか分かってます?」
「じゃあ、こうしよう。俺たちはお前達にはこれ以上手を出さないことを約束する。その代わり金を手に入れさせてくれ」
 リーダーがナイフを持つ手首を掴み、ねじり上げようとした。けれど、力が拮抗していて、それができない。
「そういう……取引には応じられませんね。私、犯罪者とは手を組む気はありませんから。まだ誰も殺されていなかったら、考えましたけど、貴方達は殺す必要のない人をたくさん殺しています」
「……誰も殺してなかったとしても、お前は味方にはならなかったろう……なっ!」
 いきなり後退され、今度はリーチが体勢を崩しそうになった。グラリと前につんのめりそうになるのを堪え、リーチが顔を上げると、リーダーは乗降ドアの前に立っていた。
「力ではどうも勝負がつきにくい。だが、何時間もお前に構っているわけにはいかないんだよ」
 乗降ドアを開くレバーを引っ張り、リーチが阻止する前にドアが開いた。すると機内の空気が勢いよく外へと吸い出され、急激な気圧の変化から、座席の上部に取り付けられている酸素マスクが一斉に下り、客の荷物は床を激しく転がって、座席のクッションの覆うドレスカバーが空中を舞った。
「何をっ!」
 外へと放り出されないよう、リーチは座席についているシートベルトを掴んだ。けれど吸い出る勢いは、空気の流れによってできる筋が見えるほど激しく、あらゆるものを外へと連れ出していく。
「きゃああっ!」
 名執の悲鳴でリーチは慌てて振り返った。シートベルトをつけていなかった名執が、床から少し浮いた状態で、開いているドアに向かっている。リーチは名執が真横にきた瞬間を狙って服を掴むと、空中に浮いている名執を引っ張った。
「リーチッ!」
「今は両手が使えません!自分でこちらの首に掴まりに来てください!」
 空気が悲鳴を上げながら外へと吸い出されていく。名執の身体も宙に浮いて、まるで風にはためく旗のように揺れている。
「……は……はい」
 名執は弱々しい力でリーチの腕を掴み、少しずつ近づいてくる。けれど、ちょっとしたことで、離れそうなほど、その力は弱かった。
「さっさと諦めて、外へバイバイしてくれないかっ!どうせお前達は外へ放り出される運命なんだよっ!ああ、そこのヒーローを助けたいのなら、弱ったお前が手を離せば、少しは時間が稼げるかもしれないぞっ!」
 リーダーはドアの脇にあるクルー用のシートベルトを掴み、ポールにもう片方の腕を絡めて、笑っていた。
「リーチッ!」
 名執がリーダーの言葉に惑わされている。そんな名執にリーチは怒鳴り、意識をこちらへ向けさせた。
「いいから、こっちに集中しろっ!」
「リーチ……」
「さっさと俺に掴まるんだよっ!分かったかっ!」
 名執の気持ちをよりこちらへ向けさせるため、リーチはリーチとしての言葉遣いで叫んだ。こんな状態で利一を演じることに、意味などないからだ。
「……あっ!」
 名執の掴む手が外れそうになったのを、リーチが二の腕を掴んだ。痛みを伴うほど力強く掴んでいるためか、名執の表情は苦痛に満ちたものになった。
「ユキ、落ち着け。落ち着いて、俺を掴め。滑っても俺が掴んでやる。絶対にお前を空へ放り出させない。もちろん、俺も外へダイブする気はねえ。二人で助かるんだ。いいな?」
「は……はい」
 真っ青になりながらも、名執の瞳はリーチに向けられ、そこには絶対的な信頼があった。
「さっさと俺の飛行機から出て行けっ!」
 リーダーは相変わらずドアの脇で怒鳴っている。向こうもいつ外へ放り出されるか分からない状態だ。立場は同じ。最後まで耐えられた方が勝ちなのだ。
「……くっ」
 空中を舞う荷物やクロスが身体にぶつかり、張り付いて視界を邪魔したり、青あざを作る。急激な気圧の変化で、飛行機も上下に揺れていた。このまま失速するかもしれない状況だ。
「あ……もう少し……」
 名執はリーチの襟を掴みつつ、手を首に回そうとしていた。近づいた名執が飛ばされないよう、リーチの手は名執の背を掴む。
「ユキ……ッ!」
 ようやく名執はリーチの首に両手を巻き付け、その左足に自らの両脚を絡めて身体を支えた。
 名執の体重がベルトを掴む手に一気にかかり、手首が震える。けれど、死んでもこの手は離せない。
「……リーチ……リーチッ!」
 名執の頬がリーチの頬に擦りつけられる。こんな状況下でだっても、その仕草がリーチには愛おしい。
「よくやった。しっかり掴まってろよ」
「はい」
「どこまで持つかな?」
 リーダーは不敵に笑うが、その表情は引きつっていた。
「そっちこそ」
 いずれどちらかが放り出される運命になるのだろうが、このままにらみ合っているわけにはいかない。どうにかして開かれた乗降ドアを閉め、飛行を安定させなければ、いずれ全員が死ぬことになる。
 リーチがそんなことを考えていると、この場の状況を知らずにやってきた、ハイジャック犯の一人が吸い出されようとした。一瞬、乗降ドアの縁に手をかけたのだが、リーダーによって蹴り出されたのだ。
 残酷な男だ……。
 リーチは怒りで頭をいっぱいにしつつも、ふとあることを思い出した。
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