「空の監禁、僕らの奔走」 第34章
『コックピット奪還できそう?』
トシがそっと囁くように言った。
『するしかねえだろ。可及的速やかに……だ』
リーチは足音をさせずに歩き、レストルームからトイレの前に移動し、そっとコックピットを窺う。すると犯人の一人に銃を突きつけられた中年の男性と、床にうつ伏せに転がっているやや若い男性の姿が見えた。
『一人だよ。チャンスっ!しかも、背を向けてるっ!』
『分かってる』
リーチは銃を向けている男の背後から手を伸ばし、顎を掴むと思いきり後ろへ回転させた。男の首はゴキリと鈍い音が鳴り、呻き声を上げる暇もなく、床に崩れ落ちた。
『……殺さないつもりじゃなかったの?』
『情をかけて生かしてやったら、何度でも復活して邪魔をする。うんざりだ』
残酷な目を向けてリーチが心の中でそう言うと、銃を向けられていた機長が振り返った。
「あっ……貴方は?」
「飛行機の脚が出ていませんか?もしそうなら、早く格納してくださいっ!」
リーチの剣幕に、機長はすぐさま答えた。
「ここでもみ合いになったときに格納の扉が半分開きましたが、出ることはありませんでした。先ほど閉じましたよ。どうしてそれが気になるのです?いや、貴方は誰ですか?ハイジャックをしている男たちとは若干様子が違うようですが……」
そう言いながらも機長は手を挙げている。
「そ……そうですか……ならいいんですが……。私は……名前は明かせませんが、味方です。安心してください。もっとも顔を隠しているので怪しく思われても仕方ないんですがいろいろ私も事情がありまして……。これはもう、信じてもらうしかないですね」
毛糸の帽子を被り、黒いサングラスをかけ、手袋をはめている。そんな男がいきなりやってきて、手際よく人を殺したのだ。信じろといっても難しいかもしれない。
「……私は機長の狩谷貢。床で伸びているのは中路省吾。この機の副パイロットです。彼は銃のグリップで首の後ろを殴られてから、目を覚まさないんです」
狩谷の言葉に、リーチは中路を揺さぶってみたが、『うー』と呻くだけで、目を覚ます様子はなかった。
「脳しんとうでしょう。もっとも、重大な内出血を起こしていたとしても私にはどうしようもありませんが。飛行機を下ろすのに彼の手は必要ですか?」
「いえ、私一人でも大丈夫です」
「分かりました。ではお任せします。私がここから出て行ったら、内側からしっかりと閉じてください。外で何があろうと開けないでください。ここを乗っ取られたらどうしようもないんですから……。乗客はすでに倉庫に移動させて、隔離していますから安心してください。貴方はすぐに地上と連絡をして、この機を着陸させてくださいね。よろしいでしょうか?」
リーチはチラチラとコックピットの入口を気にしながら狩谷にそう言った。
「ええ……分かりました」
「ところで、どこに下りろと指示されたんですか?」
「トルコです。細かい指示はまだ出されていませんでしたので……どこに下りるのか、はっきりとは分かりません」
「いいでしょう。それも含めて地上と連絡を取って下さい」
「分かりました」
「それで、この機には随分とたくさんの金が乗っていると聞いてるんですが……金があればそれを守る人間が必ずいる。なのに、この状況を全く無視している、非人間の彼らはどこです?」
リーチが苛々とした口調で問いかけると、狩谷は肩を竦めていった。
「こう言ったことも想定して、内側からは開けられない格納庫に、金とともに彼らは乗っています。もし、こちらの様子を察知しても、どうにもできないんですよ。同じように、こちらからも連絡はできませんし……」
「……多少、そういった状況を想像していましたけど……そうでしたか。犯人達はそれを知ってるんですか?」
「いいえ。話していません。内側から開けられないことを知って、暴れられると困りましたので……」
「賢明でした。とりあえず、私はここから出て、できるだけ奴らを排除してきます。私がここから出たら、外でどれほどの悲鳴が聞こえても、絶対にここへのドアを開けないで下さい。いいですね?」
リーチの言葉に、狩谷は頷いた。
「どこのどなたかは存じませんが、よろしくお願いします。私は必ず無事にこの機体を着陸させます」
青い顔をしているが、意外にしっかりとした口調には、冷静さが感じられた。
何百人もの乗客の命を預かる機長だ。飛行機が墜落しようと、最後の最後までコックピットで操縦桿を握る人間の精神力は並大抵のものではないのだろう。
「じゃあ。私は行きますね」
リーチは死んだ男の手から銃を奪い、ベルトに差し込む。
「あの……機体が着陸態勢に入る場合、シートベルトをして頂かないと大変危険です。貨物庫にはそういったものがないのですが……」
「……できるだけそれまでに、この機を制圧して、座席に戻ってもらえたらいいんですが、あまり状況はよくないです。着陸する少し前にアナウンスをしてもらえますか?」
「分かりました」
「なんとか努力しますが、期待しないで下さい。貴方にとって今必要なのは、この機を飛行場に下ろすことなんです。多少の怪我は皆さんも覚悟されているでしょうから」
今度はリーチが肩を竦める番だった。
楽観的に考えたとしても、こんな状態で、もう一度座席に戻れるわけなどない。乗客達には貨物庫で我慢してもらうしかないだろう。多少、打ち身ができたとしても、銃で撃ち殺されたり、殴り殺されたり、人質として引きずり回されるよりは、ましなはずだ。
「そうですね……」
狩谷は少しばかり唇に微笑を浮かべて、すぐさま顔を引き締めた。
「しっかり戸締まりはして下さいよ。またここを占拠されると、次は奪還できないかもしれませんから……」
リーチはそう言って狩谷に背を向けると、コックピットを出た。
すると背後で鍵が下ろされる音と、他にガチャガチャという金属音が響く。狩谷なりに鍵以外の保証をつけているのだろう。
リーチが貨物庫に向かうために、通路を走っていたが、その突き当たりに名執の姿を見つけて足を止めた。
「人質をかっさらった見事なやり方には拍手をするよ。だがこいつは捕まえた」
リーダーは気を失っている名執の身体を床に転がし、その細い身体に銃を押しつけた。