Angel Sugar

「空の監禁、僕らの奔走」 第25章

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「リーチ……あの……」
「いいから。ついてこい」
 背を向けて前を歩くリーチから、ややおさまったとはいえ、何か異様な雰囲気が漂ってくる。本当に幾浦とのことを理解してくれたのか、名執には判断がつかない。とはいえ、後で聞かされて知るより、目撃してしまったのだから、仕方ないのだろう。けれど、気持ちがもう少し落ち着けば、あれはどうしようもなかったことだったと、賢明なリーチのことであるから、理解してくれるに違いない。
 そう、名執は思いたかった。
 リーチが暴走すると、名執ですら抑えきれないのだ。
「ここだ。はしごで下りたら、下で待ってるんだぜ。そっから動くな。安全になったら迎えに来るから。……アルは駄目だな。はしごを下りることができないし……。ユキだけ下りるんだ」
 貨物庫の一番奥の床にバルブがあり、リーチはそれを回転させて、分厚い鉄板の扉を開けた。真っ暗なそこは、貨物庫の明かりが差し込み、大きな車輪が浮かんで見える。それを眺めていると、なんだか自分がものすごく小さくなったような気がした。
「……リーチ……」
 窺うようにリーチの顔を見ると、真剣な面持ちをしていた。嫌だと言っても聞き入れてくれないことだけは、たやすく想像ができる。
「ここにいると何があるか分からないからな。俺は一番の心配ごとになっているお前をここに置いて行かなきゃならないんだ。だから少しでも俺が安心できる場所に、お前はいて欲しいんだよ」
「分かります。でも……」
 はしごは途中で闇に消えていて、一番下がどこまで続いているのか見えないのだ。そんなところを下りて行くのは、怖い。その上、リーチはこの扉を閉めるつもりでいるだろう。となると、完全な闇に名執は取り残されてしまう。
「でもは聞けない。お前の安全が確保されていないと、俺は安心して行動に出られないんだ。それは分かるな?」
「……はい」
「だったら、今は何も言わずに従ってくれ」
「リーチ……私……」
 名執はリーチから離れることが怖いのだ。例えどんな状況であっても、リーチの側にいられるだけで、名執は安心ができる。そのリーチと離れることが耐えられない。
「貨物庫の上で五月蠅くしてやがる奴らを始末したら、すぐに戻ってくる」
 ギュッと抱きしめられた名執は、自らもリーチにしがみつき、「はい」と答えた。こういう状況であるからこそ、リーチの言うとおりにしなければならないのだ。どれほど今、不安を感じていても、いずれすべてをリーチが払拭してくれるはずだから。
「そろそろ、行くんだ」
 身体を離したリーチは、すでに貨物庫の扉の方を向いていた。未だに外で扉を叩いて声を張り上げている犯人たちが気になっているのだろう。
「ええ」
 名執は今度こそ、リーチから離れて、言われたようにはしごを下りた。リーチは上からじっと名執の姿を追ってくれている。それだけを頼りに、萎みそうな気持ちを奮い立たせ、下りた。
 両脚が一番下の床に着くと同時に、頭上で扉が閉められた。闇に包まれた周囲から逃れるように、名執ははしごを掴んだまま座り込み、両脚を抱えた。ゴオッという風を切る音が聞こえていて、ゴトゴトと小さな振動が床から伝わってくる。最初は真っ暗で何も見えなかったのだが、頭上に小さな明かりがあって、闇の濃さを薄めていた。
 今ごろリーチは貨物庫で犯人たちと格闘しているに違いない。
 本当にリーチは大丈夫なのだろうか……。
 名執は抱えた膝に顔を擦りつけ、ため息をついた。
 耳に入ってくるのは飛行機が大気をかき分けて飛ぶ音だけ。あとは何事もなく、他に気になる音など入ってこない。
 名執は膝に押しつけていた顔を上げて、見上げた。
 あと少しすればあの扉が開くのだ。
 こうして待っている間に、すべてが終わるはず。
 気が付けば、閉ざされた扉が開けられ、リーチはにこやかな笑みを浮かべて、名執を呼んでくれるに違いない。そう、名執が心配することなどないのだ。リーチには春菜がついているだろうし、彼女が守っている限り、危険はない。
 ギインと何かが擦れ合わさるような音が響き、名執は身体をビクリと震わせて、周囲を見渡した。けれど音の原因になるようなものを名執はこの暗闇の中で見つけることができず、奇妙な緊張感と、一度抑えた不安が復活し、額に汗が浮かんだ。
 名執は震えていた。
 必死に自分を励ましてみても、どんな言葉も名執を奮い立たせるものにならない。
 名執は抱えていた膝から手を離し、はしごを登った。扉が開かれたらすぐにここから出られるように、少しでも貨物庫の側で待っていたかったのだ。
 リーチはここで待っていろと言った。
 だったら、この場所のどこで待とうと構わないはずだ。
 名執は扉のところまで登ると、そこではしごに掴まったまま、息を吐いた。下にいたときよりも少しだけ気持ちが落ち着いている。この扉を一枚隔てたところにリーチがいるからだろう。
 かなり高い場所に位置するのだが、暗いためか怖さはない。
 名執は足をかける部分に腕を絡ませて落ちないようにはしごにしがみつき、ただ、じっと待つことにした。
 また、ギインというひときわ高い音が聞こえ、名執は暗闇の中で目を凝らした。ゴトゴトという飛行機が飛ぶときに聞こえる音以外のものを、ここで耳にすると、なんだか気味が悪い。しかも上からではなく下の方から聞こえるのだ。
 何の音でしょう……。
 空き缶が転がって壁に当たっているような音ではなく、分厚い鉄が擦れ合わさっているような感じだ。
 飛行機は鉄で造られた乗り物だ。こういった軋みもあるのだと、名執は自分に言い聞かせた。



 名執を安全圏に置いてから、外で五月蠅くしていた犯人たちを片づけてやろうと、リーチが扉に近づくと、同時に音が止んだ。怪訝な表情で扉の右側の壁に張り付き、しばらく耳を澄ませていたが、気配がない。
 出てこないことで、向こうは諦めて帰ったわけではなく、何かを企んでいるのだろう。
『リーチ……ねえ、いい?』
『あ?ちょっと黙ってろよ。次の手を考えてるんだから……』
 自ら打って出るか、それとも向こうの出方を見てから行動するか、リーチは悩んでいた。
『……恭眞のこと、ちゃんと理解してくれたんだよね?』
『それは後にしてくれるか?』
『どうして?理解してくれてないからそんなこと言うの?雪久さんだって、ちゃんと説明してくれたじゃないっ!』
 背後で叫ぶトシの声は、耳で聞くよりも心の方が、脳に響くのだ。
『五月蠅いって言ってるだろっ!』
『……やっぱり……リーチ、恭眞に何かするつもりでいるんでしょ?違う?』
『だから黙って……』
 リーチが待ちきれずに扉を開けようとしたところで放送が流れた。
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