「空の監禁、僕らの奔走」 第10章
「ちょっと、待ってくれないか、オーキ。それは真面目に言っているのか?」
トーマスの声は裏返っていた。
「ええ。もちろんです。お願いします」
「お願いしますと言われても、どういうことか分かっているのか?」
「もちろんですけど……何か問題がありますか?」
「大ありだよ、オーキ。映画ならできるかもしれないだろうが、あくまでこれは想像だ。例えば一番いい失敗は何かというと、君のパラシュートが海に落ちることだ。この場合は、沿岸警備隊に連絡して救出してもらうことができるが、こいつも運がよくて……だ。その装備で海に放り出されたら、大変だからな。最悪の事態は、君が飛行機の周りで発生している気流にどういうふうに流されるか……だぞ。タービンに巻き込まれたらどうする?ジャンボの方は四機のエンジンを積んでいるから、一つくらい止まっても飛行には影響は出ないが、君は即死だ。あと、パラシュートじゃなく人間が車輪にぶつかったら即死だ。いや、パラシュートが絡んだことで車輪が引っ込められなくなったらどうする?引っ込めなくても、オーキを下にくっつけたまま着地することはできるが、そうなったらやっぱり即死だ」
慌てたようにトーマスは説明するが、失敗することばかり言われても困る。リーチとトシは本気にやるつもりだし、このままでも飛行機は墜落する可能性だってあるのだ。ならば、僅かな成功にかけるのも手だと考える。
「……トーマスさん。私は行きます。失敗してもトーマスさんの責任にはなりません。私はもともと正式な手続きで入国していませんし、もし、運悪く死んでしまっても、日本ではそのことを誰も知ることはないでしょう」
「……オーキ」
「お願いします。私が乗り込んだら、絶対に犯人達の好きにはさせません。きっとなんとかしてみせます。小柄で、ちっとも迫力のない体型をしていますが、これでもサムライの国の人間です」
リーチが必死に頼み込む間も、トーマスはじっと考え込んでいた。
「トーマスさん。お願いします」
トーマスはリーチ達に聞こえるような大きさでため息をついた。
「分かった……やってみよう」
「あ……ありがとうございます」
「ここで番号を交換するわけにはいかないから、私の携帯を渡しておく。逐一連絡をくれ。犯人の写真が撮れるようだったら、携帯についているカメラで取って、電話帳でうちの基地の番号を調べて、そちらに送ってくれるといい。名前が基地名になっているからすぐに分かるだろう。こっちで受け取ったら、すぐにFBIの方へ送って照会してもらう」
そういってトーマスは携帯を後ろの席にいるリーチに渡した。
「え、でも、飛行機の中で携帯などの精密機器は使用禁止ではありませんか?」
「高度が一万メートル以下なら通じる。それ以上は電波が飛ばないから無理だろう。飛行機内で使えないのは、飛行機会社が自分のところでつけている電話を使って欲しいからだ。あっちは使用料金がものすごく高いだろう?」
「そうなんですか?」
携帯を腕の方のポケットに入れて、リーチはチャックを閉めた。胸や足のポケットは車輪に掴まったときに潰れる可能性があったからだ。今の場合、身体の中で一番、衝撃に無縁なのは、二の腕のところにあるポケットだろう。
「ああ。そうらしいぞ」
トーマスは笑っていた。
「ジャンボが低空で、しかも安定して飛んでいる今しかないな……オーキ、チャンスは一度しかないぞ。変なところで緊急脱出したら、ジャンボにぶつかってすぐに天国だ」
「分かっています」
「……それにしても、恐ろしい男を乗せてしまったよ……」
トーマスは苦笑しながら周囲の戦闘機に指示を出し、自らの機の高度を下げた。やると決めたリーチは、失敗することなど考えていなかった。必ずできる。そう信じていたのだ。ハイジャックするような、ろくでもない犯人に天がほほえみかけると思えない。幸運は自分にこそあるのだと、リーチは強く思った。
それに自分達には春菜がいる。彼女が未だ二人を見守っているのかどうか、それを確かめる術はないものの、ベルは鳴らない。今からやろうとしていることが必ず成功するという、幸運の沈黙だ。
周囲で展開していた戦闘機が二本の列になって飛んでいた。その真ん中をトーマスの機が飛んでいる。丁度ジャンボの真下を飛んでいたが、コックピットのある先端よりやや前に位置するところに移動した。
「オーキ。覚悟はいいな?ここを飛び出したら、上まで飛んで、身体が下がりはじめてから三秒数えて、パラシュートを開け。パラシュートが開いたら、ジャンボの頭を掠めて、気流に運ばれるように後ろへと吸い込まれる。うまく引っかかって車輪にしがみつくことができたら、どうにかして身体を固定して、ナイフでパラシュートを切り離せ。でなきゃ、せっかっくしがみつくことができても、風を受け止めているパラシュートによって身体が引き剥がされるからな。そうだ、自分でよじ登ろうとするなよ。風速で飛ばされる。車輪が自動的に引っ込むまでじっとしていろ。だが車輪が折り畳まれるところに巻き込まれても死亡だ。なんだ、隠岐。死しか未来がなさそうだぞ」
「……そうですね。幸運を祈っていてください」
「これだけ怖がらせても、無駄か。特殊部隊の作戦でも聞いたことがないことをやろうとしているんだから、大したものだな。さて、いくか。合図をしたら、座席の横にある黄色と黒の金具を思いきり引くんだぞ」
「はい」
「……三、二、一、ゴーッ!」
トーマスの声とともに、リーチは金具を思いきり引っ張った。するとキャノピーが吹っ飛び、シートごと身体が空中に放り出された。やや後方斜め上に飛ばされ、途中でシートが身体から離れる。空気が薄く、息をするのも困難な状況だ。前からは猛烈な気流が顔の肉を襲い、顔かたちが分からないほど変形させて、震える。
『リーチっ!降下し始めたよっ!』
トシの声に、リーチはトーマスが教えてくれたように、三つ数え、パラシュートを開く紐を引っ張った。けれどすぐにはパラシュートが開かず、不安になり始めた頃、身体がガクンと上部に引っ張られて、急激な降下は止まった。けれど、同時に身体が水平になり、今度はジャンボが飛ぶ方向とは逆向きに、凄まじい力で引っ張られ、こともあろうかジャンボの腹の上を身体がバウンドしていた。
『なに、なに、どういう体勢になってるの?目、目が回るよっ!』
お前が目を回してどうするんだっ!と叫びたいがとても声など出せる状況ではない。まるでチューブの中に吸い込まれていくような感覚に、リーチは必死に気を失わないよう腹に力を込めた。抵抗できない力に覆われている今、自らの意志で何かをしようとするのは無駄だった。ひたすらジャンボを取り巻く気流に身体を任せるしかない。
ゴリゴリとジャンボの腹を擦りながら、尾翼の方向に向かってリーチは転がっていった。飛んでいるという感覚はない。気流のせいで地上の向きが逆転している。
フッと黒いものが視界を過ぎり、それが車輪であることが分かった。身体が車輪の間をすり抜けて、更に後方へと流されていく。頭上にあるパラシュートが引っかかるように祈っていると、幸運なことに、補助パラシュートが引っかかった。安堵するのも束の間、今度は身体が回転し始めた。
『リリリリ……リーチっ!グルグル身体が回ってるよ~!』
だから、でかい声で叫ばなくても俺も分かってるっ!
リーチは駒のように回転しながらも、傘に繋がるナイロン製の紐を掴んで、車輪に向かって移動し始めた。噛み合わせた歯がギリギリと音を立てそうだ。風が吹いてくるというより、重量のあるゼリーが身体にまとわりついているようにも感じる。
『リーチ頑張って。もう少しだよっ!』
ジリジリと紐をたぐり寄せ、リーチがようやく車輪に手をかけると、また飛行機が一気に降下した。