Angel Sugar

「空の監禁、僕らの奔走」 第21章

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 アルに騙されてやってきた男をまた一人倒し、リーチは後部のレストルームに閉じこめた。内心では拘束するより、殺してしまう方が楽なのだが、十人からいる人間を全員殺すのもなんとなく目覚めが悪い。
 この飛行機がどういうかたちで地上に降りるのか、今のところ全く予想が立たないが、全てが終わったとき、犯人たちの死体がゴロゴロと転がり出てくる状況は、機内を捜査する警察も泡を食うだろう。もっとも、それまでにリーチたちは、なんとしてもここから姿を消さなければならないが。
 できたら日本じゃなくて、アメリカのどこかに飛行機が下りるといいんだけどなあ。
 リーチはそんなことを考えて、またのこのこやってきた男を捕まえた。
「なっ……てめえっ、なん……げふっ!」
 腹を蹴り上げて通路に転がすと、リーチはすぐさま男を拘束した。だが、驚くべきことに、その男からはとある香りがしたのだ。
『……ユキの匂いだ……』
『えっ?リーチ、何言ってるの?』
『こいつからユキの匂いがするっ!』
 リーチはフンフンと嗅ぎ、やはり名執の匂いだと確信した。
『まさか……そんな。リーチ、犬じゃないんだから……』
 トシは信じない。
 けれど、リーチはアルを呼ぶと、匂いを嗅ぐように言った。
 アルは伸びた男の胸元や腕をクンクンと嗅ぎ、ワンと小さく吠えると、尻尾を振った。
『ほらみろ、やっぱりユキの匂いをこいつも嗅ぎ分けてるぞ』
『……なんだか信じられないんだけど……ていうか、雪久さんってどんな匂いするの?何かつけてたっけ?』
 相変わらずトシは信じない。
『あいつはコロンとかつけないけど、こうちょっと甘い香りがするんだよな。甘いって言うのとは違うか。清潔そうな匂い』
 言葉ではうまく言い表せないのだが、名執を抱きしめると、いい匂いがするのだ。リーチはその匂いが好きで、嗅ぐと安堵ができる。
『……リーチを信用して、その男の人についている匂いが雪久さんのものだったとするよ。じゃあ、どうして雪久さんの匂いがついてるわけ?』
 トシは首を捻っていた。
 確かにこの男の胸元から名執の匂いがするのは変だ。それだけではない。名執の匂いに混じって血の臭いもうっすらと鼻につく。
『……血の臭いも混じってる』
『ええっ!』
 どういう状況が成り立てば、名執の匂いがこの男につくのか。自ずと答えはでるだろう。
 この男は名執を抱きしめたのだ。
 けれど血の臭いはどう説明する?
 この男に襲われた名執は、抵抗したことで怪我をさせられたのだろうか。
 伸びている男は見るからに粗暴で、暴力で相手を意のままにするようなタイプに見える。けれど、殺しを犯した男には見えなかった。
『ええっと、返り血を浴びていないってことは、大きな怪我をさせたわけじゃないんだよ。大丈夫だよ、リーチ。雪久さんはきっとぴんぴんしてるって』
『怪我はしているかもしれないな……』
 リーチの表情は一気に冷ややかなものへと変わった。
 この男を生かしてはおけない。
 確かに死体がゴロゴロしてる状況は避けたかった。けれど、名執を抱きしめ、怪我をさせたかもしれない男を、捕まえ、拘束するだけではリーチの気が済まない。
 男の銃を手に取り、額に銃口を押しつける。
『リーチ……殺すの?』
『こいつは俺のユキになんかしでかしてやがる……』
 額に押しつけた銃口をさらにめり込ませ、リーチは低い声で言った。
『……ハイジャックをするような奴らに仏心なんて僕も持たないけど……止めた方がいいと思うよ。だって本当にその人が雪久さんに何かしたのか、分からないじゃない。さっきまで飛行機はすごく揺れてたし、もしかしたら雪久さんが倒れたのを助けてくれたのかも知れないよ。想像だけで殺したら、後で後悔するって。まず、雪久さんや恭眞の無事を確認してからにしようよ。それでも遅くないよね?』
 トシは怒りに打ち震えているリーチを必死で宥めていた。
 確かにトシの言うことも一理あるだろう。
 見た限りではとても誰かを助ける男には見えないが。
『……分かった。しばらくこいつの処分は見送る。だけど、ユキがこいつに何かされたと言ったら、即、撃ち殺してやる』
 リーチは銃を収め、男を引きずると、レストルームの奥に転がした。
『やっぱりもっとはっきりした状況を把握したいな……』
 もう少し前に移動して、人質の無事を確認したいのだ。今のままでは手探りで、とても状況の把握までには至っていない。これでは作戦の立てようもないだろう。
『見つからないように、こっそりだよ。まだ犯人の人数の方が多いんだからさ』
 トシは心配そうな声をしていた。
「分かってるさ。アル、お前はひとまず貨物室に隠れているんだ。いいな。お前の力が必要なときは口笛でも吹いて呼ぶからな」
 アルはくうんと鳴いてどこか不満げだった。
 まだまだやれるといいたいのだろう。けれど、アルは身体も大きく目立つ。偵察に付き合わせるには不向きなのだ。
「アル、分かったな。これは命令なんだ。司令塔は俺たち。別にお前が役に立たないと言ってる訳じゃない。作戦のうちなんだから、聞けよ」
 リーチがそう言うと、アルはようやくお座りの姿勢から、立ち上がる。
「音を立てずに階段を下りて、隠れるんだぞ。もし、奴らに見つかったら、その時は首に噛みついて、肉を食いちぎれ。躊躇するな、息の根を止めるんだ。お前はもともと狩猟犬だから、そのくらいできるな?」
 アルは尻尾を大きく振って、了解だという仕草を見せた。
「よし、お前は本当に賢い犬だ。さあ、行け」
 リーチの言葉に、アルは振り返らずに去っていった。
『大丈夫かな……アル』
『大丈夫だろうよ。なにせ犬だ。俺たちよりすばしっこいかもしれないぜ』
 リーチは自分の装備を確かめて、腰を上げた。
 相変わらず飛行機は低い機械音を立てて飛んでいる。いつまでこれがまともに飛んでいるのかも、リーチには分からなかった。窓から見える景色は、ハイジャックとは無縁の青空で、白い絨毯が敷かれた上を飛行機は飛んでいる。
 ただの旅行なら楽しめる景色だが、この快適な空の旅がいつ天国への直行便になるか分からない。
 リーチは外を見るのをやめて、あちこちに姿を隠しながら、前へ前へと移動していった。
 そうして、エコノミーを通り過ぎ、階段のあるフロアで立ち止まる。
『リーチ、どうしたの?』
『この先に人の気配がするな』
 ファーストクラスのある場所は手前にドアが取り付けてあって、そこを開けて小さな空間を通り、移動しなければならないのだ。人の気配は、そのドアの向こう側にあった。
『あと、犯人たちは八人だよね』
『まだ多いな……』
 リーチはふと天井を見上げ、しばらく考え込んでいたが、あることを思いついた。
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