Angel Sugar

「空の監禁、僕らの奔走」 第24章

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 リーチが怒りで我を失っていることだけは、名執も気付いていた。なんとか宥めないと、リーチは幾浦に殴る蹴るの暴行を働くに違いない。
「お願いですから、冷静に私の話を聞いてください」
 名執はリーチの二の腕を掴み、視線を逸らさずに続けた。
「ハイジャックした犯人たちが、幾浦さんに無理やり私を犯すように強制したんです。その辺りの詳しい事情を話すと長くなりますので、後回しにしますが、幾浦さんがそうしなければ、私は殺されていました。だから、私が幾浦さんにお願いしました」
 ギラギラと危ない光りを瞳に灯しているリーチは、名執の話を聞いているのかどうか分からない表情で見下ろしている。
「リーチ、私がお願いしたんです」
 名執がくどいくらいそう言うと、いきなり床に押しつけられた。
「リーチっ!」
「それは、お前が誘ったって言ってるのか?」
 勘違いしたまま、怒りで身体を震わせているリーチを凝視し続けるのは、名執にとっても辛いことだった。けれど、視線を逸らそうものなら、リーチの怒りはさらに増すだろう。それを分かっているだけに、名執は心底リーチが怖いと思いつつも、耐えるしかなかった。
「違います。誘ってなどいません。ちゃんと聞いてください」
「聞いてる」
「いいえ、聞いてません。じゃあ、リーチは私が死んでもよかったんですか?私は嫌です。生きて私は貴方に会いたかった。そういう気持ちを理解してもらえないのですか?」
 瞳に涙を浮かべながら名執が言うと、リーチは顔をしかめ、歯ぎしりをする。名執の話を理解してくれているのか、それとも全く聞くつもりがないのかも、よく分からない。
「ユキ……っ!」
 覆い被さってきたリーチは、名執の身体をきつく抱きしめた。程よいリーチの重みが、名執をホッとさせる。どういう方法か名執には全く想像がつかないものの、それでもリーチは来てくれた。そして今、しっかりと抱きしめてくれている。伝わる温もりに、名執はただ、胸がいっぱいになり、今の状況など、どうでもよくなっていた。
「ごめんなさい……でも、もし貴方に見つからなかったとしても……私は必ず話すつもりでいたんです」
 リーチの胸元で涙を拭いながら、名執は言った。
 そう、例えこのことが知られずにすんでいたとしても、名執はリーチに話すつもりだった。話さなければリーチを本当に裏切ることになるからだ。
 もしそれで罵倒されても、甘んじて受けるつもりだった。今でもそうだ。リーチが名執を責めたとしても構わない。
 自分だけのことならまだいい。いくらでも反抗しただろうし、力のある限り、拒否もした。けれど、あの場で名執と幾浦がともに拒否していたら、きっと二人とも殺されていた。
「だが、あいつにはそれなりの責任を取ってもらうからな」
 リーチは名執を抱きしめながら、低い声で言った。
「いいえ。責任を取るのは私です。幾浦さんには何の責任もありません」
「あいつはお前を犯したんだぞっ!」
「犯されてはいません。互いのペニスを擦り合わせただけです。幾浦さんは見ている人には分からないよう、気を使ってくださったんです」
 かけることになるが、我慢してくれと。
 幾浦は苦渋の決断をしてくれたのだ。互いの恋人に対して、誠実であろうとしたのは他ならぬ幾浦だ。
「何が……気を使っただっ!」
「リーチ。いい加減にして下さいっ!もし、貴方が幾浦さんを責めたり、危害を加えようとされるのなら、私は……貴方を一生、許さないっ!」
 名執は声を上げてそう言った。
「ユキ……」
 リーチはどうして名執が怒っているのか分からないのか、どこか悲しそうな顔をしていた。
「リーチ、お願いです。分かって下さい。幾浦さんにもトシさんという恋人がいるんですよ。それなのに、本気で私を犯そうなんて思いますか?あれほどトシさんを愛していらっしゃる幾浦さんです。幾浦さんからすれば、迷惑な話です。違いますか?お願いですから、冷静になってください」
 名執はリーチにしがみついて、なおも続けた。
「……」
「リーチ……」
「……分かった」
 まだ納得していない表情をしていたが、とりあえずリーチの瞳から危険な輝きは消えていた。
「……よかった……」
「その代わり、お前たちにそんなことを強制した奴らはぶち殺してやる」
「え?」
「死体を山のように転がす気は無かったけどな。この機をハイジャックした奴らは人間じゃねえ。全員、俺が殺してやる」
 リーチは静かにそう告げると、名執の身体を離して、立ち上がった。
「……それは……ええ。そうですね……」
 命を軽視するわけではないが、この機をハイジャックした犯人たちに、情をかけるわけにもいかない。しかも、彼らはすでに、何人もの罪のない乗客や乗務員に何らかの危害を与えているのだ。少しでも可哀想などと言う哀れみを持てば、逆に殺されてしまうだろう。
 ハッと気付くと、貨物庫の入り口が叩かれていることに気付いた。ずっとリーチに釘付けになっていて、耳に入らなかったのだ。しかも、扉のところには、どう見ても幾浦が飼っているアフガンハウンドのアルがウロウロとしつつ、吠えている。
「リーチ……あの犬は……」
「ああ、アルだ」
 リーチは客の旅行鞄を漁って、なにやら探し物をしている。
「やはりアルのことだったのですね……」
 大きな犬がうろついていると言っていたが、アルだったのだ。
 生きていてくれて、名執はホッとした。幾浦がこの犬をとても大切にしていることを名執も知っている。銃で撃ち殺されていたら、とても悲しんだだろう。
「ああ。こいつもいろいろ協力してくれたから、六人片づけた」
 リーチは淡々とそう言い、旅行鞄についている、キャスターの支柱を外していた。その間に、アルは名執の方へとやってきて、尻尾を振った。
「アル……よかったですね……」
 ギュッと抱きしめると、ふわふわの毛が頬に触れ、名執はくすぐったさに目を細めた。
「ユキとアルは、飛行機の車輪が格納されている場所に移動するんだ。ここに置いていくのも不安だけど、ついてこられるともっと不安だからな」
 リーチは名執の腕を掴むと、グイグイと格納庫の後部へと引っ張った。
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