Angel Sugar

「唯我独尊な男4」 第2章

前頁タイトル次頁
 一体、朝から誰だろうと恭夜は腰を上げてキッチンの柱に設置されているセキュリティのインターフォンを押した。
「どちらさまですか?」
『お久しゅうございます。キョウ坊ちゃん。サイモン・バクストンでございます』
 聞こえた声に一瞬、恭夜は驚いて棒立ちになった。ライアン家の執事がサイモンなのだ。しかもこの執事、ほとんど屋敷から出ないことでも有名で、いまここに来ていることなど恭夜には信じられなかったのだ。
 だが、今まで見ていなかったセキュリティのモニターには、背筋を伸ばした、老人の姿が映し出されている。細いフレームの眼鏡の向こうに見える瞳は細く、寝ているのか起きているのか分からない。目尻や口元に刻まれた深い皺に、元は金髪だっただろう真っ白の髪がきっちりとなでつけられていた。
『……失礼しました。お仕えの方が出られているのでしょうか?』
 恐縮したような声に、ようやく恭夜は我に返った。玄関のインターフォンにはモニターは当然ついていないため、向こうから恭夜の姿は確認できないのだ。
「え……いや。あの。俺、違う……。ジャックは出かけてるんですけど……」
 自分でもなにを口走っているのか分からないが、とりあえず、ジャックが留守であることを伝えた。
『存じています。私はキョウ坊ちゃんにお話がございまして、はるばるやって参りました。玄関を開けていただけませんか?』
「わ、分かった。ごめん。ちょっと待っててっくれる?」
 インターフォンを終えた恭夜は慌ててキッチンから飛び出して、玄関についた。が、扉の上下につけられている内側からのキーに手をかけたところで、ふと疑問を感じた。
 なにしに来たんだ?
 ジャックがいないことを知っていて訪ねてくると言うことは、恭夜に用事があるのだろう。とはいえ、まずは部屋に上がってもらう方がいいだろうと判断して、恭夜はキーを解除して扉を開けた。
「キョウ坊ちゃん……本当にお懐かしゅうございます……」
 サイモンは顔を更に皺だらけにして笑顔を作ると、痩せて骨張った手で恭夜の手を掴んで感無量の声を上げた。
「……え。あ……その……うん。久しぶり……」
 手を上下に振られながらも、恭夜が気になったのはサイモンの後ろに立っている男だった。その男はまるでプロレスラーか……と思うほどがっしりした体型をしていて、恭夜より頭一つ分背が高い。海兵隊のように髪を短く刈り込み、顔はエラが張っていて、小鼻が大きい。眉毛も濃くて太く男らしい。瞳を黒のサングラスで隠して、紺色のスーツを着込んでいるのだが、両脇にジュラルミンケースをそれぞれ持っていた。
「後ろにいる男性はヘンリーと申しまして、私のボディガードでございます。キョウ坊ちゃんが心配されるようなことは一切ございません。なにぶん、物騒な世の中です。ライアン家ご当主であらせられるヴィンセント様がたいそう心配され、私のようなものに勿体なくも手配してくださいました」
 感激したようにサイモンはいい、泣いてしまうのではないかと思うほど顔をしかめている。
「いや……その。俺はいいんだけど……。ここじゃ、話もできないし、入ってくれていいよ。散らかってるけど……」
 ボディガードなのは理解できたが、映画の悪役のような男が妙な威圧感を醸し出していて、少々、気味が悪い。とはいえ、それは口にすることはできなかった。
「ありがとうござます。ヘンリー……」
 恭夜にぺこりと頭を下げ、サイモンは後ろにいるヘンリーになにやら目配せをする。するとヘンリーは、ポケットから無線を取り出した。
「警戒態勢を更に強化し、雑音を入れるな」
 といって切る。
「……あの、今のなに?」
 恭夜は靴をいそいそと脱ごうとしているサイモンに思わず問いかけていた。
「こちらに伺うことでキョウ坊ちゃんにご迷惑がかからないよう手配させていただいているのです」
 ニコニコと笑みを作りながらサイモンは言ったが、その言葉の意味が分からずに、恭夜は思わず玄関を飛び出し、通路から下を眺めた。
 すると地上では、彼らの乗ってきたであろうリンカーンの周りに黒いスーツを着た男たちがわらわらと歩き回っていて、ちょうど、マンションのある道路が封鎖されている。周囲の住民たちは何事かと窓を開けて彼らの様子を窺っているのが上から見えた。
「……なっ……なにやってんだよあれっ!」
 恭夜が叫んでいるのとは逆に、サイモンは既に玄関を上がって周囲を見回していた。
「おお、こちらがジャック坊ちゃんのお宅ですね。実にこぢんまりとした、簡素でいて、センスの感じられるお住まいです……」
「ちょっと!サイモンさんって。あれ、あれなんとかしないと、警察が来るってっ!」
 手を振りつつ、相変わらず下を見下ろしながら恭夜があわあわと叫んでいるのだが、サイモンは当然のごとく言った。
「日本の警察には、ご主人様が全て手配してくださっています。ご心配なく」
 いや……
 その……
 ご心配なくって……
「あの……あのさあ……」
 恭夜がようやく玄関に戻ってくると、サイモンは既に玄関を上がっていて、にこやかに微笑んでいる。その後ろにまるで背後霊のようにボディーガードのヘンリーが立つ。
「どういたしましたか?」
「……どう……どうって……いやその……もういいけど。リビングに案内するよ」
 玄関を閉めて、鍵をかけると恭夜も玄関を上がる。
「キョウ坊ちゃん。裸足で出られましたら、きちんと足の裏の汚れをとらなければなりませんよ」
 げえ……
 あ、相変わらずだよ~
 サイモンは躾に厳しく、ニールなどはよく注意されていたのを覚えている。
「……え。あ……うん。そ、だったな……」
 マットに足をゴシゴシ擦りつけて、恭夜は苦笑いを浮かべた。すると、サイモンは片眉を上げている。こういった姿ですら、サイモンからすると『下品なこと』なのだろう。だが、そんな恭夜の行動に、更になにかを口にすることはなかった。
「じゃ、じゃあ、……リビングにどうぞ」
 はは……と、誤魔化すように笑いながら恭夜は二人をリビングに案内した。
「素晴らしいリビングでございますね……こぢんまりとしていますが……」
 リビングはもともと三十畳からの広さがあり、キッチンともドーム状の通路で繋がっている。こんなリビングなど恭夜は日本で見たことなどない。とはいえ、あの広大な土地に建てられている、城のようなライアン家で日々暮らしているサイモンからすると、こぢんまりどころではないだろう。
 心の中ではきっと、犬小屋のようだ……とでも思っているに違いない。
「日本の住宅事情から考えたら、格段に広いと思うけどな。それに、ここに住んでるの俺とジャックだけだから、これでもかなり広すぎるよ……。あ、ソファーに座ってくれていいよ」
 促すように恭夜が言うと、サイモンはちょこんとレザーのソファーに腰を掛けた。後ろに立っていたヘンリーは座らずに、ソファーの後ろに立つ。なんだか妙な具合だった。
「え……えっと。なんか飲む?俺、お茶でも淹れるけど。あ、紅茶でもコーヒーでもなんでも用意するよ」
 なんとなく居心地が悪く、恭夜はキッチンに足を向けたが、後ろからサイモンに声を掛けられて歩が止まった。
「いえ、お構いなく……先にお話を……」
「……あ、うん」
 仕方なしに、恭夜はテーブルを挟んで、真向かいのソファーに腰を下ろした。すると、サイモンがなにも口にしていないのに、ヘンリーが持っていたジュラルミンのケースを二つテーブルの上に乗せて、頑丈なキーを外した。
 中にはびっしり詰まった新札の札束が入っていて、しかもドルではなく日本の金だった。
「……なにこれ?」
 一瞬、手切れ金?と、思ったのだが、それならそれで、もっと早くこういった行動に出ているだろう。だが、ジャックと付き合った当初の頃から、あまり問題として上がらなかったのだから、逆に恭夜は不思議に思っていたほどだ。それを今更引き合いに出してくるとは思えない。では一体どういうことなのだろうか。
 きょとんとして、恭夜がケースを眺めていると、サイモンが淡々と口にした。
「ジャック坊ちゃんを説得していただきたいのです」
「は?……説得?」
「ライアン家にお戻りになるように、キョウ坊ちゃんになんとか説得していただきたいのです。ご存じのように、私どものいずれにいたしましても、ジャック坊ちゃんは首を縦に振ってくださいません。ご主人様もたいそうお困りなのです。もちろん、キョウ坊ちゃんをお迎えできるように、お部屋もあのころのままございますので、ご一緒に来てくだされば、ご主人様もお喜びになるかと存じます」
 お喜びって……。
 男が男を連れて帰って喜ぶわけねえだろ……。
 なあんて、考えた恭夜だったが、ライアン家の人間はみな奇妙な考えを持っていたことを思いだし、他の人間が口にするととても信じられないことであるのだろうが、いまサイモンが口にしたことは逆に本心だろうと恭夜は感じた。
「俺が言ってあいつが聞くわけない。あいつの気持ちを変えることが出来るのはあいつ本人しかこの世にはいないとはっきり俺、言えるよ」  
 恭夜はため息をつくしかなかった。
前頁タイトル次頁

↑ PAGE TOP