Angel Sugar

「唯我独尊な男4」 第26章

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 パブロとキョウの接点は何処にある?
 ジャックはぐっすり眠り込んでいる恭夜を見下ろしながら、眉を顰めた。
 パブロは最初から、恭夜をここに呼び込むためにジャックを引きずり出したのだろう。だから、大統領であるマーティンの友人、副大統領のモーガンを人質に取った。モーガンを拉致すれば、必ずマーティンは交渉人としてジャックを呼び出すことを知っていたのだ。  
 そして、ジャックが交渉人として出てくると、その恋人である恭夜を呼び出すことができる。普通なら、恭夜を自分の仕事に付き合わせることなどジャックはしないが、そうし向けるよう煽った男がいた。
 サラームか。
 パブロとサラームがどう繋がっている?
 恭夜の額にかかる髪を撫で上げながら、ジャックは考え込んでいると、聞き慣れた声が響いた。
「お楽しみは終わったんですか?」
 白衣を着た男は、細いフレームの眼鏡を正し、ため息をつく。
 赤みのかかった金髪に、グレーに近い瞳。やせ形でひょろりとしているが、貧弱ではない。見た目はどちらかというと研究者に見える。
「デビット、お前は、なんの権利があって、私の手術を止めた?」
 デビット・マクニールはFBIの同期で、もともと特殊医療チームを率いていた男だ。現在はFBIを辞めてどこか大都市の病院長かなにかやっていたはずだった。もっとも、恭夜があの事件に巻き込まれたとき、治療を請け負ったのはこの男だ。
 いや、この男だからジャックも恭夜のことを頼めた。
 人間に対して愛だの恋だのという気持ちを持たない男なのだ。
 だから、恭夜の治療を任せた。
「私以外の医者の腕を信用していないからですよ。私が惚れている素晴らしい貴方の皮膚に醜い手術痕を付けたくない。……もっとも、銃で撃たれたのなら、残念だが弾痕は残るでしょう。残念です。貴方が避け損ねるとは信じられません」
 残念そうにデビットは言う。
「……私はお前になど頼みたくないがな……」
「貴方は自分の皮膚がどれほど素晴らしいか分かっていないのですよ。分かっていたらもっと大切にします。この素晴らしい皮膚が、価値の分からない男の身体を覆っているなんて、勿体ない……」
 デビットが惚れるのは人の身体の一部だ。
 きっと、幼少時に奇妙な人格形成があったのだろうとジャックは判断している。とはいえ、医学界でもかなりの発言力を持ち、しかも腕はいいらしい。
「なんでもいい、さっさと弾を出してもらおうか……」
 ジャックがベッドから離れようとすると、デビットは毛布にくるまっている恭夜を覗き込んだ。
「彼の骨は今も健康そうですね。いいことです。栄養たっぷりの食事をさせてくださいね。このまま維持してもらいましょう」
 微笑むデビットは恭夜ではなく、恭夜の身体の中にある骨格を想像している。
「……歪んだ嗜好を未だに持っている貴様は、いずれ犯罪を犯すと私は睨んでいるんだが……実は自宅に死体でも転がしているんじゃないだろうな?」
 恭夜の着ている毛布を更に引き上げて、デビットの視線から隠すと、ジャックは立ち上がった。
「死体はありませんが、骨格の見本は沢山おいてますね。ああ、ジャック。彼に話してくれましたか?死んだときは是非、私に献体するよう書類を渡していたはずですよ」
「もらったその場でゴミ箱行きに決まっているだろう。ハニーは頭の上から足の先まで私のものだ。人にやれる部分などない」
 ジロリと睨み付けるとデビットはさっと視線を逸らせた。
「価値の分からないジャックが持っていても宝の持ち腐れですよ。それよりも私のように価値の分かる人間の元で、毎日愛でられる方が骨も喜ぶと思うんですが……」
 デビットは恭夜のレントゲン写真に写った骨格に惚れたらしい。こういう男は人畜無害であるが、まともに相手をしていると疲れる。
 ジャックは、デビットを無視して部屋を出ようと歩き出した。すると、デビットは名残惜しそうに恭夜の方を振り返りつつ、ジャックの後を追う。
「……そういえば、彼は私のことを覚えているんでしょうか?」
「覚えていないだろう」
 恭夜はいくつか記憶を取り戻しているが、生死を彷徨っていたことも、治療を受けていたことも思いだしていない。ただ、あのころは意識がほとんどなかったため、単に覚えていないとも考えられる。
「残念ですね。ご挨拶をして私の口から……」
 もういちどデビットを睨み付けると、今度は肩を竦めた。
「骨の話はもういい」
 部屋を出るとすでに用意されたキャリアーが廊下におかれていて、左右に看護婦が二名、マスクをつけて立っている。扉の両側にはテイラーが付けた警護がやや距離を置いて立っていた。その一人にジャックは声を掛けた。
「悪いが、テイラーを呼びだしてくれ。……ああ、デビット。私は自分で歩いて行く。こういうものにのせられて運ばれるのは好きではない」
 次にジャックがそう言うと、デビットは看護婦に目配せをする。すると、看護婦は口を閉ざしたままキャリアーを押して視界から消えた。
「それで、病院でネゴシエイターがお仕事ですか?いつから主旨替えされたんです?」
 不思議そうな顔でデビットは問いかけてくる。
「この上の階で立て籠もってる男が一人いる。そういうことだ」
 面倒くさいがとりあえずジャックはそう答えた。
「……そうですか。最近はこういうところでも立て籠もる馬鹿がいるんですね。籠もるなら自宅で綺麗な骨や皮膚を眺めていた方がよっぽど有意義だ」
 一つため息をついて、デビットは天井を眺めた。
「……ジャック、ようやく弾を取り出す気になったのか?」
 階段を転がるように下りてきたテイラーは、相変わらず額に汗を滲ませている。
「ああ。そろそろな。ところでパブロからもしまた連絡が入ったら直ぐに繋いでくれ。どうせ私は局部麻酔だろうから、話すことくらい出来る。私が不在しているからと言って、他の交渉人を呼ぶことだけは絶対にやめろ。いいな?」
 釘を刺しておかないと、戻ってきたときにどういう事態に問題が拗れてしまっているのか予想がつかないジャックはテイラーにきつい口調で言った。
 特に、パブロの要求がようやく出された今、とても他の人間には任せられないのだ。弾が入っていなければ、このままジャックは応急処置だけで部屋を一歩も出なかっただろう。
「……分かってる」
 額を拭いながらテイラーは疲れたような声で言った。
「私が心配していることは一つだ。テイラー……お前ではない、あのネズミがパブロの要求を知って、私がいない隙に、恭夜を担ぎ出そうとするかもしれない……それが気がかりだ。その点を理解してくれているか?」
 有無を言わさない口調でジャックは言う。
「あのリーランドが命令したとして、私が首を縦に振ると、本気でお前は思ってるのか?」
 慌てて顔を上げたテイラーは顔から血の気が引いていた。こちらより血液が足りないようだ。
「ネズミがチーズを探しに行っている間はいい。だが、ひょっこり壁の隙間から顔を出して余計なことをしでかさないとも限らないだろう。もし、ネズミの尻尾でも視界に入ったら、どこかに閉じこめておけ。いいな。仮に私がいない間、キョウの身に何かあったら……この場にいる全員に責任を取ってもらうぞ。もっとも、取れるような責任で済めばいいが……な」
 酷薄な笑みを浮かべると、テイラーは意外にも「理解しているよ」と、堂々と答えた。珍しいことだ。
「ならいい」
 手術室に向かうため、ジャックがきびすを返すと黙っていたデビットが口を開いた。
「恭夜くんが一体どうして今の交渉に担ぎ出されそうになってるんでしょう?」
「しらんね。もっとも気に入ったから……という訳ではなさそうだ」
 知りたいのはジャックの方だ。
「恭夜くんの骨が気に入ったのですか?」
 どこかムッとした顔でデビットは言う。
「そんなものを欲しがるのは貴様だけだ。ああ、そうだ。お前に連絡を取りたかったことがあったのを忘れていたな……。キョウが関わったあの事件で、死体がゴロゴロ出たと思うが、検死は何処でやったか知っているか?」
 手術室へ向かう階段を下りながらジャックがそう言うと、デビットは何かを思い出すように視線を彷徨わせた。
「調べれば分かるでしょう。調べましょうか?」
「至急だ」
「分かりました」
 すんなりとデビットは頷いた。
「……ところで、どうして恭夜くんが引き合いに出されているのです?」
 チラリとジャックの顔を窺うようにデビットは視線を向けてきた。
「立て籠もっている男が人質とキョウの交換を要求として出してきた」
 ジャックは冷えた目つきで虚空を眺めた。
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