Angel Sugar

「唯我独尊な男4」 第37章

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「……あ……俺……」
 ジャックの腕の中で眠っていた恭夜がうっすらと目を開けた。だがその瞳はジャックではなくパブロの方を見つめている。パブロの方も恭夜の視線に気付いたのか、無言で見返していた。
「俺、あんたの言う男を……見た」
 ぽつりと言った恭夜の言葉にパブロは細めていた目をやや開き、モーガンに向けていた銃を下ろした。
「……確かに俺のせいであの男の人は……死んだんだと思う……」
 ため息をつくような密やかな声を恭夜は発した。同時に外で待機している特殊部隊の男が声を上げた。
「これから十分後に投降しなければ、速やかに我々は事態を収拾するために突入する。僅かな犠牲はやむを得ないとの命令だっ!」
「ライアン……」
 副大統領のモーガンは何かを訴えるような瞳でジャックの方を見つめたが、視界に入れることすらしなかった。今、気がかりなのはこの腕に抱き上げている恭夜のことだけだ。その恭夜と言えば、外から響く緊迫した声など耳に入っていないのか、パブロの方を見たまま言葉を紡いでいた。
「でも……これだけは聞いてくれよ……それでもなお俺を殺したいって思うなら、そうしていいからさ……」
 目を半分閉じたような、まだ夢でもみているような表情で恭夜は言った。
「そうさせてもらいましょう」
 パブロは下ろした銃を恭夜の方に向けた。ジャックはそんなパブロを制することはしなかった。この状態からでも、パブロの銃を恭夜ではなく、彼の額に向けることが可能だったからだ。
「……あんたの知っている男だけが俺を助けようとしてくれたんだ……。ボロボロになっている俺に哀れみをかけてくれた。……俺を……殺してくれると約束してくれた」
 恭夜はそう言ってうっすらと口元に笑みを浮かべる。今、置かれた状況を全く理解していないのだ。いや、もしかすると彼の目に映っているのは、パブロだけなのかもしれない。パブロに集中しているからこそ、周囲の状況が理解できていないのだろう。
「それに……奴らの仲間が気付いたんだ……。奴らはあんたの知り合いに、俺を犯せば……他の仲間がやったようにすれば……リーダーに取りなしてやると言われたんだ。俺は彼に犯せと伝えたよ。あ……声が出なかったから……頷いたのかな……はっきり覚えていないけど……。彼が殺されると思ったから……さ。俺を助けようとしてくれた人が、俺のせいで死ぬなんて……そんなの耐えられなかったから……」
「彼はそうしたのですか?」
 パブロが低い声で問いかけると、恭夜は左右に頭を振った。
「彼は……言った。自分は獣じゃないって。自分達の仲間である奴らに向かって、恥ずべき行為だと叫んで……俺に触れることなく仲間に撃ち殺されたんだ……。俺だって、助けてやりたかったよ。だけど動かなかったんだ。肝心なときに身体も手も足も……頭を上げることすらできなかった。別に俺は……あの場所から助け出して欲しいなんて望まなかった。ただ……死にたかっただけなんだ……」
 パブロは恭夜の言葉を聞き、ただ目を伏せただけだった。
「もう突入まで、時間はないぞっ!投降する気はないのかっ?」
 また、外から声が聞こえる。だが、ジャックは片眉を上げただけだった。
 パブロからは殺気が失われていた。恭夜の話を聞いて納得したからか、それとも自分の知り合いの死を知り、肩を落としているのか判断はつかない。だが、最初に纏っていた、気迫のようなものは消え去っていた。この様子なら、たとえ恭夜に銃を向けていても、引き金を引くことはないだろう。
「ライアン、どうするんだ?」
 モーガンは相変わらず外が気になるのか、そう問いかけてきた。この男の心配事はただ一つ、業を煮やした特殊部隊が飛び込んできたとき、自分が巻き込まれて殺されることを恐れているのだ。
「パブロ次第でしょう」
 恭夜の話を聞いたジャックは、表情には出さなかったが、気になる点があった。ジャックが見た恭夜の言う男は銃殺ではなく、撲殺だったはずなのだ。どこでどう記憶がすり替わっているのか、それとも似たようなことがいくつかあり、混同しているのか、恭夜が今話した内容だけでは分からない。
 とはいえ、落ち着きを見せているパブロの耳にはこの話はできないだろう。
「……それで、同情を得たいと思っているのですか?」
 パブロは恭夜にそう言った。
「あのときの俺は……死ぬことばかり考えていたんだ。あんたの知り合いが、それが同情からであっても、俺を殺してくれるって約束してくれたとき、本当に嬉しかった。俺があそこでどういう目に遭わされて、実際はどうだったかなんてことを、あんたに理解して欲しいとか、想像して欲しいとは思ってないし、して欲しくない。あんたからの同情なんてまっぴらだ。俺はただ事実だけを話した。それでどうするのか、あんたが決めたらいい」
 パブロは割れた窓ガラスの方を向くと、そこから広がる闇に目を凝らしていた。今、この瞬間でも取り押さえることはできるのだろうが、ジャックはそうしなかった。
「……彼は自らの名誉を命をかけて守った……」
 その口調にはどこか安堵が混じり、喜んでいるようにも思われた。
 パブロはあそこで死体となった元仲間がどういう行動を起こしたのか、知りたかったのだろう。だが、最も知りたかったのは、パブロの知り合いが同じような行動に本心から賛同し、あのようなことを起こしたのかを、知りたかったのだ。
 それは当事者である、たった一人残った恭夜しか知り得ないことだった。だから恭夜をおびき寄せたのだろう。
「名誉がなんだって……あっ!俺、なんであんたに抱き上げられてるんだっ!」
 恭夜は今ごろ気が付いたのか、そういって腕の中で暴れたが、もちろん下ろさなかった。
「……名誉は最も重んじられるものですよ……。確かに彼は無惨に殺されたのかもしれない。ですが、本来あった崇高な誓いを忘れたブタ共と同じ道を辿らなかったことだけが、私を安らかにさせてくれる……」
 パブロは緩やかな足取りで、割れた窓際に近づいた。床に散らばるガラスの破片が踏みしめられるたびに、砂利道を歩いているような乾いた音を響かせる。
「俺は……彼には死んで欲しくなかった」
 ジャックが手を離さないことで諦めたのか、恭夜は身体を預けたまま、パブロにそう言った。いつもなら離してやるが、今はこの男を自由にできない状況が続いているのだ。そのことに恭夜は気付いていない。
「……ああ、ライアンさん。私に情報をくれたのは誰だと思います?」
 肩越しに振り返り、パブロは言った。
「教えてくださるとありがたいですね」
「とあるアラブ人ですよ。情報をかき集めていた私の存在を知り、貴方に恨みを抱いていた私を使い、貴方を間接的に殺そうと目論んでいたようですが。ただ、その理由は知りませんし、聞きませんでした」
 小さく笑ってパブロは肩を震わせた。彼の様子から、ジャックはパブロがこれから何をしようとしているのか、気付いた。
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