「唯我独尊な男4」 第4章
「ごめん。ちょっと電話が入ったんだけど……」
この言葉に気を使い、帰ってくれることを期待したが、サイモンは「どうぞ、私にお構いなく……」と言い、どうもまだ居座る様子だ。困ったなあと心の中では思いつつ、恭夜は電話を取った。
「もしも……」
『そこに、サイモンがいるだろう。代われ』
名を名乗ることなく、いきなりそう言った相手が誰なのか、恭夜は聞かなくとも分かった。
「あんたな。自分の名前くらい、言えよ。びっくりするだろ」
頭を掻きつつ、恭夜は口を尖らせた。
『今、ハニーのエッチ電話には付き合ってやれん。後でゆっくりしてやるから、さっさとサイモンと代われ』
いきなり……
通じてねえし……。
とはいえ、ここで反論したところで、機関銃のように言葉が降りかかってくるだろう。せっかく気分のいい朝を迎えていたのをサイモンによってぶち壊され、それを更にジャックの言葉で地の底まで恭夜は落とされたくはなかった。
「分かった。サイモンさん。ジャックから」
恭夜がサイモンに受話器を差し出すと、なにか大事なものを手に取るように恭しい様子で受け取った。
「ジャック坊ちゃん。お仕事ご苦労様です」
いきなり涙ぐんでいる、サイモンに呆れながら、恭夜はキッチンに向かった。会話を隣で聞くのも躊躇われ、この場を離れて茶でも淹れようと考えたのだ。ついでにサイモンたちの分も作ればいい。準備を終える頃、サイモンはジャックとの電話を終えているに違いない。
恭夜はキッチンの戸棚を開けて、一番高級な茶の葉の缶をいくつか取り出した。どれが一番高そうなのか分からないのだが、昔から『玉露』が高級だと信じていた恭夜は、『高級玉露』と書かれた缶の蓋を開けて急須に葉をパラパラと入れ、ポットの湯を注いだ。
どうせ、相手は外国人であるから、茶の味など分からないだろう。だからこそ、恭夜はあえて茶を選んだのだ。
サイモンが人様のうちに上がり、そこでの習慣や、出された飲物に対して文句を言うことはないだろうが、あれこれうんちくを並べられるのだけは勘弁して欲しかったのだ。
最期に恭夜はジャックが買ってきた湯飲みを三つ選んでテーブルに置くと、急須から茶を注いだ。玉露をどうやって飲むのかなど知識は無いが、独特の葉の香りが周囲に漂ったことで胸を撫で下ろした。
これがジャックだと五月蠅いんだよな……。
コーヒーは豆を挽くことから始まり、中国茶を飲むときなど蓋付きのカップが必要だ。しかも名産地までこだわるのだから、ただ者ではない。元来面倒くさいのが苦手な恭夜だから、待てずに缶コーヒーを買ってきたこともあったほどだ。
そろそろ終わったかな……。
盆に湯飲みを三つ置いて、恭夜はリビングに戻った。だが、まだなにやらサイモンは話し込んでいるのだが、姿は棒立ちだ。いや、棒立ちというのは表現が悪い。規律正しく整列……という感じだった。このまま敬礼でもするのではないかという姿で電話を持って、『イエス』の連発だった。
一体、なに、話してるんだろう……。
気になりつつも恭夜はテーブルに乗っているジュラルミンケースを避けるようにして湯飲みを並べると、顔を上げ、ヘンリーの方を向いた。
「お茶。どうぞ」
ヘンリーは口を真一文字に引き締めて、微動だにせず、どこを見ているのか全く想像もつかないサングラスだけが顔の中で黒々と光っている。
「……あの、お茶。せっかく淹れたんだからさあ……」
声を掛けているのに、頬の筋肉一筋すら動かさずに、ソファーの後ろに立っているヘンリーは、差し出している湯飲みに関心が無いのか、言葉すら出さなかった。
「……せっかく淹れてやったのに……さ」
別にいいけど……。
はあ……と、ため息をついて、恭夜は自分の湯飲みを取ると喉を潤すように口へと運んだ。すると苦い茶の味が口内に広がって、自分で言うのも妙な話だが、あまり美味しいとは思わなかった。
そろそろと湯飲みをテーブルに置いて、邪魔なジュラルミンケースの中いっぱいに詰まっている札束を眺めた。あるところにはあるんだという気持ちくらいしか湧かない。このマンションの装飾には何ら問題がないものなのだが、恭夜にとっては似合わないものだったので、座ると目に入る札束に、落ち着かない気持ちになるのだ。
とっとと持って帰ってもらいたいのだが、サイモンはジャックと長々と電話で話していて、恭夜とは一向に話が前に進まない。
「あの……これさあ、蓋締めて、そっち持って行ってくれない?俺、こういうの駄目なんだよ。もともと金には縁がないし、犯罪者になった気分になるんだ……」
恭夜は根っから貧乏性なのだ。
普通なら金に目が眩むというが、違う。数束なら確かに目も眩んだだろうが、実際人間は見たこともない札の束を目の前にすると、逆に落ち着かなくなって、欲しいとか盗ってやろうという気が削げてしまうに違いない。それが庶民の平均的な反応なのだろう。
「……」
反応を示さないヘンリーに、恭夜は仕方なしに自分で蓋を閉じた。ボディガードは依頼主以外とは口を利いてはならないという契約にでもなっているのだろうか。雇ったことがない恭夜には分からないが、多分そんなところなのだろう。
ていうか……
まだ話してるのかよ……。
どうにか意識を他に向けることで会話を耳にしないように気を使っていた恭夜だが、待つだけの身になってしまうと、自然と耳に入ってくる。
「……いいえ。失礼を承知で何度も申し上げますよ、ジャック坊ちゃん。貴方のお父上でいらっしゃるヴィンセント様は、今度、大変な出世をされることになりました。そうなりますと、今までご自由にお仕事をされていた、ジャック坊ちゃんも、そうそう動けなくなると申し上げているのです。もちろん、坊ちゃんにもSPはついてまわることになるでしょう。そのような状態で、私には分かりかねる、坊ちゃんのお仕事を続けていくことも困難になるはずです。坊ちゃんは、天から素晴らしい才能を与えられた特別な方です。それを庶民のために行使されるなど、もったいのうございます。父上の為にお使いになっても宜しいのではありませんか?」
恭夜は、サイモンの言った内容よりも先に、会話が続いてることに驚いた。とはいえ、ジャックの声は聞こえないが、どうせ、お互いに好きなことを口にしていて会話が成り立っているわけではないのだろう。
ライアン家ってそんな奴らばっかりだったはずだよなあ……。
会話が続かないと言うより、お互い話している内容が違うことに気持ち悪く感じる恭夜だが、ジャックがサイモンと話しているといつも二人は『自分の言いたいことを話していて、意志疎通があるのかどうか分からない奇妙な会話』だったのだ。そのくせ、相手の言葉を聞いているのだから、どこの世界の住民だ?と、恭夜は首を傾げたものだった。
詳しく言うと、こうだ。
仮にジャックが天気について話しているとすると、サイモンは今晩の夕食のメニューについて話している。もちろん、ジャックは夕食のメニューについて一言も話さず、延々、太陽の傾きがどうの、コロナがどうのということを口にしていて、うってかわってサイモンは、子羊の肉は素晴らしいだの、一頭いくらの牛だと話している。
なのに、会話が終わると、ジャックはこう言う。
今晩は、ステーキだそうだ。
彼らはちぐはぐな会話をしているように見えて相手の言っていることを聞いている。
どうせ、またそんな会話がなされているに違いない。付き合うサイモンもすごいと思うが、長年ライアン家に従事していて慣れてしまったのだろう。いや、そういう洗脳をされてしまったのかもしれない。
こ……
こえええ……。
俺は嫌だからな……。
ブルッと身体を一つ震わせて、もう一度サイモンの方へと視線を向ける。すると、サイモンは逆に恭夜の方を向いていた。
「……では、キョウ坊ちゃんに変わります」
ようやく会話が終わったのか、サイモンは受話器を恭しくこちらへ持ってきた。
「あ、済んだ?」
差し出された受話器を手にしながら恭夜が問いかけてみるのだが、サイモンはなにも言わなかった。聞かなければよかったのだと後悔しながら、苦笑した顔だけを作って恭夜は受話器を耳に当てた。
「あ、ジャック。あのさ……」
『先ほど隠岐にそこにいる馬鹿どもを追い払うように連絡しておいた。どうせキョウのことだから無理に追い返すことができないだろうからな。いいな。隠岐が来るまで、滅多なことは口にするんじゃないぞ。相手が何を言っても信用するな。そこにいるサイモンはあれでしたたかな男だからな。お前は、すぐに人を信用したり、同情する馬鹿正直なところがあるから、ここは、隠岐に任せるんだ。あの男はあれで随分としたたかな男だ。適当に追っ払うだろう。分かったな』
ジャックは自分がいいたいことだけを言って電話を切った。
「お……おいって……」
そ……そんだけ?
ていうか……隠岐に頼んだってなに?
そろそろと顔を上げると、いつの間にかサイモンは対面に座っていて優雅にお茶を飲んでいた。
「お電話終わりましたか。では、お話の続きを致しましょう」
ニコリと笑ったサイモンが、どこか恐ろしいものに恭夜は見えた。