Angel Sugar

「唯我独尊な男4」 第39章

前頁タイトル次頁
「ジャック、出ていってくれませんか?」
 恭夜の左上腕に入っている弾を取り出すためにメスを握る男は不機嫌そうにそう言った。手術前に、デビット・マクニールという医者だと恭夜に自己紹介した男だ。
「お前がくだらない話題を振らないよう、側に付いていないとな」
 デビットは恭夜の左側にいて、ジャックは右側に座って腕を組んでいた。恭夜は局部麻酔だけで意識ははっきりしているのだが、両側に二人の男に挟まれていると、冷や汗が出てきそうだ。
「あんたさあ、出ていってもいいよ……。あんただって、寝てなきゃならない身だろ?」
「今は目が離せない」
 ジャックはまるで医者にでもなったような姿で、薄水色の服を着てマスクをしていた。表に見えているのはジャックの目だけで、そこからしか表情が窺えない。だが、どう見てもジャックは不機嫌そうな目をしていた。ということは、内心苛々しているのだろう。もしかすると仕事の始末に戻りたいと考えているのかもしれない。
「仕事……続きがあるんだったら、行けよ。俺はどうせここから出られないし……」
 トレーに使用済みのメスが置かれる音が時折カチャリと響く中、なんとも言えない雰囲気に恭夜は耐えているのだ。どうせなら全身麻酔にして、恭夜を眠らせてくれたらよかったのだ。
「パブロが死んですでに事件は終わっている。あとは、適当に処理されるだろう。そんなことに私が荷担するわけなどない。それより、マイハニーをデビットと二人だけにする気など無い」
 ジャックはジロリと目を恭夜に向けるが、もしジャックがいなくても、決して二人きりになるわけではない。他に助手が一人、あと看護婦が二人いるのだ。また、麻酔師も近くに座って機材の数値を睨んでいる。何を心配しているのか分からないが、ジャックはどうあってもここから出ていく気がないようだ。
「……まあ、あんたがいたいなら……いいけどさ……」
「ああ……残念です。綺麗な骨に不細工な銃弾がめり込んでいる……」
 心から残念そうにデビットは呟いた。布が目の前を遮っていて自分の左肩が見えないのだが、銃弾は肩の骨でとまっていたのだろう。
「そういうことは口にするな」
 ジャックはデビットに鋭い声で言った。
「何を言うんですか。これは重大なことなんですよ。ここが元通りになるまでどれほどの年月が必要だと思っているです。もしかすると、この部分だけ逆に骨が盛り上がるかもしれない……ああ……酷いことを……」
 銀色のトレーに血まみれの弾を置き、デビットは嘆いていた。
 未だかつて撃たれたことのない恭夜だ。人が撃たれたら、その後どういう生活を強いられるのか、知らない。兄の恭眞が一度撃たれていたが、今はごく普通の生活を送っていて、そんなことが過去にあったことなど分からないほどだ。
 だが、このデビットの悲しみようは普通ではなく、恭夜は急に不安になった。
「俺……この怪我で元の生活ができなくなるとか?」
「キョウ、この男の言うことなどまともに取るな。何も心配することなどないんだからな」
「でも……」
「私は彼の骨を愛でるとき、この傷ついた部分を見ながら苦渋の表情を浮かべるでしょう。こんなことをした人間は芸術の理解できない馬鹿者です」
 怒りを込めた声でデビットが言ったが、理解できないのは恭夜の方だ。骨を愛でるとは一体、どういう意味なのだろう。
「……は?骨?」
「ああ、そうそう。君にお願いしたいことがあったんです」
 血まみれのメスを持ったまま、微笑まれても恭夜は唖然とするだけだ。こんな状況で何を恭夜に頼みたいのだろうか。
「そんなことはどうでもいい。さっさと補合しろっ!」
 急ににこやかにに目を細めたデビットをジャックは恐ろしいほど冷たい目で睨んでいた。
「……そうでした。現物を目の前で見て、興奮してしまったんですよ。いや、失敬」
 ……興奮って、何を見て?
 恭夜が目を丸くさせていると、ジャックがそっと恭夜の右手を握りしめているのが布の端から見えた。
「ジャック……?」
「こうしていると安心できるだろう?」
 ジャックは恭夜の手を自分の手の平で温めるように挟み、撫でていた。その感触は羽毛で撫でられているように感じる。
「……え、あ……うん」
 今更なのだが、急に恥ずかしくなった恭夜は顔が赤らんだ。確かにホッとするのだが、同時にこそばゆくて手を振り払いたくなる。もちろん、この状態ではとてもできないが。
「気味が悪いですね。ジャックともあろう男が、人間がするようなことをしている……」
 デビットの言葉にジャックは無言で、ただ恭夜の手を何度も撫でていた。これはこれで不気味だが、恭夜からするとデビットという医者もどこか変わっていて気味が悪い。
 デビットはジャックとは違う綺麗さがあるのだが、どこか凍えるような冷たさが透けて見える。二人を眺めていると、まだジャックの方が人間味があるようにも思えて不思議だ。
「この傷もテープで留めることにしましょう。一番、傷が残りにくいですからね。もっとも、貴方の皮膚は特別のものではありませんので気遣う必要はど全くないのですが、残ると一生藪医者扱いする男が私の目の前で睨んでいるものですから、仕方ありません」
 デビットはチラリとジャックを窺い、恭夜の方へ視線を移す。
「は……はあ。ありがとうございます」
「貴方の皮膚には価値がありませんが、中はとても価値があるんですよ。カルシウムは欠かさず摂るように。いいですね。骨粗鬆症なんて馬鹿げた症状など、私が許しませんから」
「デビット。もういい。終わったなら、余計なことをベラベラしゃべらずに、さっさとここから移せ」
 眉間に皺を寄せているだろうジャックは、低い声で威嚇する。デビットはため息をつきつつ、マスクを外し「病室に移してください」と看護婦に指示を出した。
「……」
 恭夜がベッドに移されている間もジャックは側から離れない。目を離すと何かまた起こるのではないかと神経をとがらせているようだ。
「どうした?」
 じっと見つめる恭夜に気付いたジャックが、窺うような目を向けた。
「……何かいつもより神経質になっているように見えるけど……どうしたのかと思ってさ」
「お前が撃たれたことが、私にとってどれほど重大なことであるのか、キョウは理解していないのか?」
 ジャックは呆れたようにマスクを外した。
前頁タイトル次頁

↑ PAGE TOP