「唯我独尊な男4」 第7章
「どなたです?」
利一が聞くのだが、恭夜はこういう男性を見たことがない。
日に焼けた顔に、精悍な顔立ち。濃い眉に真っ黒な瞳で鼻筋が通っていて、髭が蓄えられていた。サウジアラビアでよく見られる、肩から足首まで包んでいる「トウブ」と呼ばれる長い衣服を着て、頭にはつばのない丸い帽子の「クーフィーヤ」を被っていて、上からスカーフに似た「ゴトラ」をつけている。前面の縁周りと首周りに筋の模様の入った、ローブに似た「ビシュト」をトウブの上から羽織っていて前で交差させている。
こんな男性を恭夜は知らない。
「なあ……隠岐。これ誰?お前の知り合いか?」
振り返って利一を見る。だが、利一は「はあ?」と不思議そうに返してくるだけだ。
「なあって、ちょっと見てくれよ……」
手を振って利一を呼ぶと、渋々腰を上げてこちらにやってくる。
「……知りませんよ。こんな人。恭夜さんがご存じないなら、ジャック先生の知り合いじゃないんですか?」
モニターを恭夜と同じように覗き込んで利一は言った。確かにジャックの知り合いだと考えるほうが自然だろう。恭夜はサウジアラビアの人間など一人として知らないし、会ったこともない。
「話しかけてみたらどうなんです?」
しげしげとモニターに映る男を見つめながら利一は言った。
「……俺、あっちの言葉なんてしらねえよ。隠岐は?」
「私が扱えるのは、フランス語とドイツ語ですよ。といっても日常会話程度ですが……」
お手上げだと言うように、利一はモニターから顔を逸らせてまたソファーの方へと歩いていく。
「おい~」
「英語だったら通じるでしょう?あ、むやみに玄関は開けないでくださいよ。恭夜さんが知らない方なのでしたらなおさらです。知り合いにでも拉致されそうになってるんですからね。パッと見た感じ、悪い人のようには思えませんが、新聞社の友人にも帰ってもらったことですし、私に次の手はないですよ」
こちらに背中を向けるようにしてソファーに座り、ため息混じりに利一は言う。友達甲斐のない奴だ。
「……分かった。英語だったら通じるだろう……し」
不安ではあったが、恭夜はインターフォンに向かって話しかけた。
「どちら様ですか?」
「ご在宅でしたか。私はサラーム・アル・アブドル・アル・ジーズ。以前、ジャック氏にお世話になりましてね。お礼をかねて訪問をしたのですが、ご在宅ですか?」
上手いことに英語が通じるサラームは微笑みを浮かべていた。だが、恭夜はこんな男の話をジャックから聞いたことがない。とはいえ、仕事の話など一切しないジャックなのだから、関わりがあったとしても恭夜には分からないだろう。
「いえ。仕事で海外に出ているんですが……」
「残念ですね。ああ、そちらさまはご家族ですか?」
「違います。……ゆ、友人です」
恋人とも話せず、とりあえず恭夜はそう言った。するとサラームは思案気な顔つきになったが、それも一瞬で、また話し出した。
「今回、日本との商談でこちらに参ったのです。ついでに……といってしまうと大変失礼にあたりますが、以前のお礼をかねて、ささやかな品をお持ちしたのですよ。よろしければ直接お会い下さいませんか?」
「……え、あ。済みません、ちょっと待って貰えます?」
……ジャックの知り合い。
ということは、仕事関係かな?
「なあ、隠岐。長ったらしい、舌を噛みそうな名前の男なんだけど、以前、ジャックに世話になってお礼に来たってさ。どうしようか」
一旦、インターフォンの接続を切り、恭夜は関わりを避けるように座っている利一に聞いた。
「ねえ、恭夜さん。ジャック先生がこのおうちに、他の男を、いくらジャック先生の知り合いだとしても足を踏み入れることを許可されると思います?私は……絶対に駄目だと思いますよ」
肩越しに呆れるような顔をしてこちらを見る利一はため息までついていた。
「お前は入ってるじゃん」
「私は完全にジャック先生にとって……いえ、恭夜さんにとって人畜無害と判断されたからでしょう。それでもジャック先生がいらっしゃったら絶対に上げてもらえませんね。これはもう、聞かなくても分かることです。なのに、相手がジャック先生の知り合いだって言うだけの人をうちに入れますか?それより、本当に知り合いかどうかも分からないですよね」
どこかチクチクするような嫌みが籠もっているような口調だ。
「……分かってるよ……んなことはさあ。でも、なんだか遠い国からやってきたみたいだし、ここで追い出すの悪いだろ?別にうちに上げるって言ってるわけじゃねえよ。玄関で話すだけだって」
「貴方はどこまでお人好しなんですか?もう、さっき拉致されかけたでしょう?なら、もう少し警戒心を持っていいんじゃないんですか?恭夜さんって……時々、ものすごく無防備になりません?それじゃあ、襲ってくださいって言ってるようなものですよ」
ぐるりと振り返って、ソファーの背もたれの部分に手を置くと、利一は怒鳴りこそしないが、腹立たしそうな口調で言った。
「……そ、そうだけどさあ、相手は俺が拉致されそうになったことなんて知らねえだろ。だってよ、遠い国から来ていきなり追い返されたらいい気しねえじゃねえか。俺だって嫌だぜ」
もちろん、先ほどなにがあったかを充分恭夜も分かってはいるが、せっかく来た人間を、知らない人だからといって追い返すのはあまりにも申し訳ないと恭夜は思うのだ。
「好きにしてください。私は帰らせてもらいます。もう、恭夜さんが拉致されようと、暴行されたとしても、私は一切関わりないですからね。私の役目はもう終わってるんですから……」
すっくと立ち上がって、利一は玄関に向かおうとするのを恭夜は止めた。
「なあ。なあって。怒るなよ。今度、旨い飯ごちそうするからさあ。あ、高価なコートもお前にやったじゃん。元を正せば、あれ、ジャックから金は出てるんだぜ。だったら、もうすこし力になってくれよ……」
「そう来ますか?」
「……悪い。俺、今はお前しか頼る相手いないからさあ……悪いと思ってるんだけど、仕方ねえだろ……」
「じゃあ、そうですね。今度は革のバッグが欲しいです」
にっこり、可愛らしい笑みを浮かべながら、利一はサラリと言った。
「は?」
「せっかく力になってるんですから、無報酬なんて、そんなひどいことおっしゃいませんよね~」
いつから利一はこんなことを言うようになったのだろうかと思いつつ、バッグ一つで解決するなら安いものだった。
「分かったよ。今、ジャックはあっちにいるし、帰りになんか買ってきてもらうように頼むからさあ……それでいいだろ?」
手を合わせるようにして恭夜が言うと、利一は「いいですよ」と、今まであれほど不機嫌そうにしていた雰囲気がかき消えた。
「じゃあ、玄関に行くぞ。悪いけどついてきてくれよ。俺。やっぱちょっと怖くなってきた……」
ジャックの父親がまた違う手を打ってきたかもしれないのだ。いや、もともと二段構えで用意していたことも考えられる。
「ええ。もちろん。危ないと思ったら、私、恭夜さんがなにか言う前に行動しますので、安心してください」
可愛らしい顔で、これっぽっちも緊張感など見えない利一なのだが、実力を知っているだけに恭夜は心強かった。
「じゃ、じゃあ玄関に行くぜ……」
玄関に向かって歩きながら、恭夜は今日ばかりはジャックにいて欲しいと思ったことはなかった。
ワシントンのとある場所に建つ、その病院はいつも通りに業務を行っていた。待合室には人が溢れ、対応に追われている看護婦がテキパキと質問に答えて歩いていく。患者はいつも通りの日々を過ごし、いつ退院できるか心待ちにしている。
そんなごく普通の病院での日常がとある階では見られないことに、入院患者たちは知らなかった。
最上階のVIP専用フロアでは静寂だけが広がっていたのだ。