Angel Sugar

「唯我独尊な男4」 第9章

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 問題は、誰が裏で糸を引いているか……。
 それに便乗しているのは誰か……だ。
 情報が今のところ集まっていないために、ジャックは黙視している。問いつめたとしても無駄なことは先刻承知だった。下手に騒ぎ立てると藪をつついて蛇を出すことにもなりかねない。それこそ労力の無駄遣いといえる。
 ジャックには今回の件は複雑な問題が絡んでいて、原因が一つとは思えないのだ。
 こうなると裏で糸を引いている誰かが自ら動きを見せるまで暫く待たなくてはならないだろう。面倒だが、仕方のないことだった。
 ただ、問題は恭夜のことだ。
 恭夜が誰に引っかき回されそうになっているのかは既に分かっている。
 全く……。
 手を組んで、ジャックは虚空を眺めた。
 父であるヴィンセントがなにを企んでいるのかは分かっていた。
 使える手はどんな人間であっても利用するのがヴィンセントという男だった。己の出世のためなら、恭夜を見せ物にしても構わないのだ。もっともジャックですらヴィンセントは利用しようと考えているのだから浅はかとしか言いようがない。
 私は相当の馬鹿だと思われているんだろうな……。
 ヴィンセントの陽気な瞳の奥に潜む鷹のような目にジャックが気づかないとでも思っているのだろうか。それとも、気づいていて、利用されてくれとでも考えているのか。
 クッと喉の奥から出るような笑いをジャックは発した。周囲にいる数名の職員はジャックから漂う凍てつくような冷たさに、皆、俯いたまま顔を上げない。
 関わりたくないのだ。
 いや、どうしたのかと聞くことすら恐ろしくて沈黙を守っているのだろう。
「ジャック手配は済んだが、納入は明日朝に……」
 なにも知らずに戻ってきたテイラーが急に言葉を詰まらせた。
「……なんだ。奴から連絡でも入ったのか?」
 恐る恐る、テイラーはジャックの隣に腰を掛けて場の雰囲気を分からずに狼狽えている。
「いや。ないな」
 組んでいた手を解き、ジャックは椅子に深く背を凭れさせ、今度は足を組んだ。
「余裕だな」
 と言うテイラーの声はどこか緊張している。いや、そわそわして落ち着きがない。
「なんだ。手洗いに行きたいなら行け」
 藪睨みのままジャックは言った。
「……なぜ突然、手洗いの話になる?」
「お前が行きたいだろう?」
 チラリとテイラーの方に目だけを向けてジャックは言った。
「私は別に、手洗いに行きたいなどと言ってないぞ……いや、いい。いつものお前だ。それより、どうして奴から要求がないんだ?殺す気だから要求がないのか?」
 一体いつになったら、テイラーに交渉術の基本的なことが理解できるのか、ジャックにももう分からない。何度か仕事を一緒にしているのだ。普通なら、交渉術の基本くらいは身に付けてもおかしくないだろう。にもかかわらず、テイラーはいつも間の抜けたことしか口にしない。それがどれだけジャックを苛立たせているのか理解できないのだ。
「副大統領を人質に取った時点で、己の命を捨てる覚悟をしているはずだ。まだ殺していないのなら、要求がある……もしくは……」
「もしくは?」
 テイラーが覗き込むようにジャックの表情を見ている。全く、どこまで説明しなければこの男はピンと来ないのだろうか。
「時間稼ぎだ」
「どうして?」
「知るか。それこそ、お前たちがかけずり回って調べることだろう。私は捜査員ではない。ネゴシェイターだ。向こうに要求がなければ私の出番など皆無だな」
 このままこの部屋を後にして日本に戻れたらどれほど気が楽だろうかと、本気でジャックは考えていた。
「あの子がいないからピリピリしてるんだな……」
「公私混同はしない」
 きっぱりとジャックが言い放つと、テイラーはまた額を拭っていた。
「なんでもいい。お前がこれ以上ピリピリしないのなら、もういいから、あの子を呼べ。私もそういうお前を見ていると堪らないんだ……」
 はあ……と深いため息をついて、テイラーは既に空になっているカップを両手でもってクルクルと所在なげに回していた。
「勘弁してくれ。恋をするなら私ではなく、お前の嫁に対してしろ」
 眉間に皺を寄せてジャックは呆れたように言ったが、テイラーは目を丸くさせ、周囲は凍り付きながらも笑いを堪えている人間がいた。
「はあ?なんの話だ……」
「テイラーは私を見ていると興奮するんだろう。ゾッとするから一メートル以内には近づかないでくれ」
 ジロリと睨みを利かせると、テイラーは今度、ポケットからハンカチを取り出して額を拭っていた。これだからあれほど痩せろと言っているのだ。
「そ、そんな恐ろしいことは冗談でも言わないでくれ。違う。お前が苛々していると、周囲にいる職員にも伝染したように落ち着きがなくなると言ってるんだ。こ……こここ、恋などするものか」
 もともとVIPの付き人が宿泊する部屋を捜査の場に一時的に改装してあるのだが、二十畳ほどしかない部屋は、意外に息苦しいものだった。ジャックはあまり人がたくさんいるところを好まないのもある。
 バルコニー側にジャックは己の席を設けるように注文をつけたが、それだけだ。他のことは何ら文句などこれっぽっちも口にしていない。あとは勝手に周りが周囲にテーブルを教室のように並べ、機材を持ち込み、ごそごそと仕事をしている。
 その、『ごそごそ』も実は気に入らなかったのだ。
「声を震わせて言うほどのことか。どんな状況であっても冷静沈着であるのがFBIの職員だろう。私もこういった箱詰め状態は気に入らないが、仕事だと割り切っていて、文句など言ってないぞ。この、私がだ。なのに職員の分際で文句があるというのか?そんな奴は放り出してくれ。私もつまらん」
「……つまらんのか?」
「そんな話はどうでもいい。ところで今副大統領を拉致しているパブロ・ブロックの情報はどうなってる?」
 長々どうにもならないことを考える時間も、脳みその活動も、ジャックには惜しい。
「今調べさせているところだ。あと、数日はかかるだろう。大まかなことは今日中には出てくるだろうが、とりあえずは履歴書で我慢してくれ」
「履歴書などという紙切れは羊にでも食わせてやれ。そんなものは用意された方が困惑する。実際、パブロと言う天涯孤独の男が、なにがあって、ああいう行動に出ているのかを予想するには、交友関係、経済状況、住んでいる土地、家、あの男が生まれてから今まで関わった人間全ての情報が必要になってくる。交渉を有利に進める上で絶対に必要なのはそういった情報から導き出される『パブロ』という人間像だ。相手が話したがらない現状では、パブロがどういう性格か見極めるデータがない。それを判断できるものを用意してくれないと、こちらからも電話はできないんだと、な、ん、ど、話したら分かる?」
 テイラーの耳を引っ張って、怒鳴りつけたい気持ちに駆られたが、これ以上ジャック自身も苛々したくなかった。
「……すまん。捜査員にはっぱをかけておくよ……」
 項垂れたようにテイラー立ち上がり、続けて言う。
「ああ、そうだ。本部に掛け合って、あの子をこちらに呼ぶように圧力をかけられるかどうか相談してくる。同じ言葉を聞かされるにしても、彼がいるだけでお前の口調はまだましに聞こえるからな」
 はあ……とジャックに聞こえるような声でテイラーは言って、部屋をいそいそと出ていった。
 たまにはいいことを考えてくれるじゃないか……と、ジャックが少しだけ感心していると、電話のベルが鳴った。
「被疑者からです」
「ああ。分かってる」
 ようやくパブロが動き出したことで、ジャックは笑みが漏れた。
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