Angel Sugar

「唯我独尊な男4」 第8章

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 対テロ用仕様になっているこの最上階は、政府の要人や一部の上流階級の人間しか使用できない。窓は全て特殊ガラスになっていて、外からは中が見えないミラーになっている。外部から訪れるには直通のエレベータしか利用できず、一階のフロアには警備員がいつもたち、緊急時にはそことはまた違ったエレベーターが二機最上階から地下奥深くに作られたシェルターへと繋がっている。
 今回、副大統領であるジェフリー・モーガンの入院に際し、全ての患者は別の棟へと移された。もともとモーガンは太っていて、今回軽い心不全の発作を起こして入院となった。周囲をSPが固めていたのだが、事件は起こった。
「いつにも増して機嫌が悪そうだ」
 FBIのテイラーが相変わらずでっぷりとした腹を、もさもさした毛が甲に生えている手で撫でた。
「そうか?多分、その腹を見るたびに、なにが入っているのか気になるからだろう」
 ジャックは最上階の一番端の部屋で、パソコンを開いたまま、テイラーの方すら見ずに言う。だいたい、普通の食生活を送っていたならあれほど肉が詰まらないはずなのだ。にもかかわらず、テイラーは以前見たときよりも一回り脂肪が付いたように見える。
「腹……腹なあ……。いや、あの事件を終えてから嫁さんとしばらくハワイの方へ旅行に行ったんだ。気の緩みもあったんだろうが、また飯が旨くてね。以前はバーガーが詰まっていたが、今はハワイで食べた飯が詰まっているんだろう」
 日に焼けた顔で笑うテイラーは、人種すら判別できないほど黒くなっている。白い歯と鼻の頭にちりばめられたそばかすがなにやら顔の中で浮いていて、青い瞳は相変わらず小さい。
「そろそろ痩せないと、モーガンのようになるぞ」
 カチカチとキーを叩きながらジャックは言う。
「珍しいな。お前が誰かを心配している姿を見るのは」
「心配?ああ、そうだ。テイラーがここで発作でも起こしたら、誰がネズミの面倒をみてくれるんだ。さっさと首にしろとあれほど忠告したのに、どうしてまだうろついている。あの回転したヒゲを見るたびに、私はうんざりする」
 ようやく顔を上げてテイラーの方を向くと、やれやれと手を挙げていた。
「仕方ないだろう。リーランドはとりあえず以前の事件での功労者になっているんだからな。まあ、大統領は誰が一番の功労者なのか知っているが、世間はお前の存在を知らない。こうなるとリーランドに手柄が行くのはしかたないだろう。ネゴシェイターも最近は表に出ているらしいから、お前もどうだ?」
「ゾッとするね」
 リーランド・パーキンスは元CIAに居た男だ。現在は大統領以下、政府要人のSPを統括する役を担っている。口が上手く、おべっかに長けていてジャックは見ているだけで、苛々するのだ。
 年齢は五十を過ぎる位だが、既に若い頃から薄くなり始めた髪は、今ではもう無くツルツルで禿げていた。そのくせ、口の上に生やされたヒゲと意外に太い眉はどちらも端がカールしており上向きにくるりと半回転している。
 余程普段から頻繁に触っているから曲がっているのだろう。だから妙な癖がつく。そう言う男は根が小心者なのだ。そんな小ネズミのような心臓しか持っていない癖に、姑息にあちこち動き回るその姿は目障り以外何者でもない。
「それだけの容姿だから、女が放っておかないだろうな……。どうだ、役者にでもなるか?ハリウッドでもお前は成功すると思うぞ」
「ああ、分かった。用なしだと言いたいのだろうが、首にしたいなら大統領のマーティンに直接言え。一応、彼から依頼されて腰を上げたんだからな。テイラーの希望には添ってやれん」
「ご、誤解だ。軽い世間話だろう?こういう会話は聞き流してくれるとありがたいんだが……」
 薄くなった額を拭いながら、テイラーは慌てていた。
「……悪趣味だな。もっとも、帰れというならさっさと帰りたい状況だ……全く」
 目と目の間を指先で揉みながら、ジャックは椅子に座り直した。
「問題でもあったのか?」
 ジャックはテイラーに話していないのだが、恭夜を取り巻く環境が目に見えて悪化しているのだ。このまま一人にしておくと、またなにに巻き込まれるか分かったものではない。いや、誰がなにを企んでいるのか、予想はついているが、確信といえる情報は今のところないのだ。ただ、悪い方向へと進んでいるのだけはジャックにも分かった。
「そうだな……ああ、今私が使っている部屋だが、ベッドのサイズをキングサイズに早急に変えてもらえるか?」
「寝苦しいのか?」
「いや。もう一人予定しておいてくれ」
 最悪の場合、ギリギリのところで恭夜を呼びつけるしかないだろう。いや、実際は今すぐにでもジャックは引きずって目の前で監視してやりたいほどだ。
 なによりサラームは信用ならない。
「は?もしかしてあの子を呼ぶつもりか?」
「すぐには無理だろうが、予定には入っている」
「ジャック。公私混同はするな」
「公私混同?馬鹿が。だれがそんなことをしているんだ。公私混同をしている奴は他にいるだろう。私じゃない」
 ムッとしたようにジャックが答えるとテイラーはまた額を拭う。だから痩せろと言うのだと思わず口についてでそうになったが、何度忠告しても聞き入れない男には馬の耳に念仏なのだ。
「誰のことを言ってるんだ?」
「さあな。いずれ分かるだろう。何でもいいがさっさと私の頼んだことを手配してくれよ。そうだ。私の言葉は全て聞き入れられると、マーティンからは聞いているが?」
 ジロリとテイラーを睨み付けると肩を竦める。
「なあ、ジャック。変な話をしてもいいか?」
「話をするのが鬱陶しくなってきているんだがね。なんだ?」
「実はな。以前、お前と組んだ事件だが、解決後、あの事件に関わったほとんどのFBIの職員が休暇を申請しているんだ」
 ため息混じりにテイラーは言い、テーブルに置いたカップを手にとって、既に冷えたコーヒーを一口飲んだ。
「それが?休暇も取れない職場ではないだろう。お前たちの楽しい旅行話を聞かされても私はあれ以来働き蜂のように働いていたんだぞ。面白くもなんともない」
「いや。だから、ほとんどの職員だぞ。前代未聞だ。おかしいと思わないのか?」
「ああ、お前はハワイに行って脂肪を蓄積して帰ってきたんだろう。他のやつらもさぞかし優雅な日々を送ったに違いない」
「お前の責任だと思わないか?」
 額を拭い、なにか言いたそうにテイラーはこちらを見ている。
「……なぜ私なんだ?あの事件で働きすぎるほど働いた私と、なにもせずに牛のようにウロウロしていた奴らが疲れたなどとほざいて、勝手に旅行を申請し、身も心も楽しみ、約一名は脂肪まで身体につけて帰ってきたというのに、その責任を私になすりつけるつもりか?」
「とげとげ言わないでくれ。違う。お前たちに煽られて私は、嫁さんと旅行に行ったんだ。多分、他の職員も似たようなものだろう……」
「プライベートな性生活をのぞき見られた私は誰に訴えたらいいんだ……不愉快だな」
 本気でジャックは腹を立てているのだが、テイラーは肩を竦めたままだ。
「見たわけじゃない。聞かされたんだろう。だからまた同じような目に合いそうな気がしただけだ……ああ、この話はもうよそう。ベッドだな……手配してくる」
 首を振ってテイラーは、部屋を出ていった。周囲にいる職員はチラリとこちらを見て視線を逸らせるように俯く。
 こういう態度を取られるのがジャックにとって一番腹立たしいことだった。なにか悪いことをしているのを隠しているのではないかと勘ぐってしまうからだろう。人は自分に後ろめたいことがあると視線を外しがちになる。それがここにいるといつもヒシヒシと感じるのだ。
 まあ……
 どいつもこいつも、信用ならないが……。
 どこにネズミが隠れているとも限らない。
 現段階で、味方が誰なのかを判断できないのだ。モーガンを人質にして立てこもった犯人は他ならぬSPの一人だった。あらゆる身上調査をクリアしてきているはずの選りすぐられた中でどうしてそのSPがいきなりこういう行動に出たのか、今のところ向こうから要求が来ないために分からない。
 なんとなく……分かってはいるが……。
 ジャックはスーツの上着のポケットに手を突っ込み、こちらに来る前に受け取った手紙がまだそこにあることを確認するように指先で触れた。
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