「唯我独尊な男4」 第38章
「アラブ人って……」
パブロの言葉に恭夜は思わずそう口にしていた。
自宅を訪ねてきた男だろうか。それとも、テイラーとショッピングに出かけたときに、後を付けていたアラブ人だろうか。
「キョウ、黙っていろ。ベラベラ話していると血が止まらないぞ」
ジャックは冷えた表情のまま、恭夜の方を見ることなくそう告げた。
「こんな騒動を引き起こして申し訳ありませんでした、副大統領」
背を向けたまま、パブロが言うと、モーガンはただ目を伏せた。それが恭夜には不思議な光景に映った。普通なら自分を守るべき人間が、突然銃を向けて自らの要求を叶えるために人質にしたのだ。いくら謝られたとしても、悪態の一つくらいついてもおかしくない状況だろう。
にもかかわらずモーガンは沈黙を守ったまま、唇を引き絞っている。もしかすると彼の様態は口も利けないほど悪いのかもしれない。
「……ですが、副大統領。いずれ沈黙を破らなければならない時が貴方にも訪れるでしょう。ただ、いま、このときではない。そして、私にとってそのことはもう興味のないことです。だから問わずにおきましょう」
意味深な言葉を残し、パブロは下ろしていた銃を上げ、自らの頭に向けた。
「ジャックッ!」
とめようとして自然と身体がパブロの方へと倒れそうになっているのに、ジャックが拘束する腕は緩まない。それよりも肩と両膝の下を支えているジャックの手はことのほか強く恭夜を掴んでいた。
「……事実を知ることができてよかった。ありがとうございます」
僅かに振り返ったパブロは、穏やかな笑みを浮かべているのが見えた。だが、それは一瞬のことで、すぐさまジャックの手が恭夜の目を覆い、同時に銃声が響き渡った。
「あ……」
ジャックの手によって閉ざされた向こう側で、人が床に倒れる音が鈍い音として伝わってきた。想像しなくても分かる。
――パブロは自らの手でその命を絶ったのだ。
「犯人は自殺したぞっ!無能なお前達はさっさと引き上げろっ!変わりに医者を連れてくるんだなっ!」
誰に向かって叫んでいるのか分からないが、ジャックはそう言い、相変わらず恭夜の目を手で覆ったまま歩き出した。
「ライアン……」
去ろうとするジャックにモーガンの声がかけられた。
「貴方は残酷な方だ。人生にとって何の足しにもならない権力に余程しがみついていたいらしい……」
ジャックは感情のない声でそう答えた。恭夜にはジャックが何を言わんとしているのか分からない。
「ワシントンで通用する通貨は権力だけだ。君もそれは分かっているだろう?」
掠れているがモーガンの声ははっきりとしていた。
「権力という名の通貨など、私は未だかつて欲しいと思ったことなどない。もちろん手に入れる機会に恵まれてはいますが、すぐさまゴミ箱に突っ込んできた」
ジャックはそこでようやく恭夜の目に置いていた手を離し、ドアのノブを掴んだ。恭夜は後ろを振り返ろうとしたが、ドアはすぐに閉められ、部屋を出ることになった。
「終わったぞ。後はしらん」
通路にあったバリケードを越えて、いつの間にか大挙している特殊部隊の男たちにジャックはそう言って彼らの間を通り抜けた。いや、通り抜けると言うより、彼らの方が怯えたように通路を開けたのだ。
「ああ、ベランダにいる彼らに伝えてくれ。突入しなくてよかったな……と。君達もこの言葉をよく覚えておくんだな」
ジャックは何か話していたが、恭夜はパブロの撃った銃の音がしばらく耳から離れず、呆然としていた。だが、恭夜を抱えたままジャックが階段を下りる頃になると、ようやく意識がはっきりとしてきた。
「どうして……どうして、あの、パブロって男をとめなかったんだっ!あんたなら、できただろっ!」
今更何を言ったところで、死んだであろうパブロは生き返らない。それを重々理解していても、口にしなければ納得できない言葉がある。
今がその時だった。
「死を決意した人間の心を変えようとするのは困難なことだぞ。自らが同じように傷ついても構わないという強い志が根底になければ、死に魅入られた相手の面倒などみてやれないものだ。お前にそれができるか?悪いが、私にはあの男に対して僅かなりともそういった感情を持たないし、義務もない」
冷えた言葉だけが恭夜の耳に届き、何故だか涙が浮かんだ。
「なんでそんなことを言うんだ?あんたは人を救うことを仕事にしている傍ら、自殺しようとしている男をとめない。俺には……あんたが分からない。だってさ、交渉しているときは自殺なんて許さないだろ?あんたはそういう男なはずだっ!なのに、あの男に対してはあっさりと自殺を見届けた。なんで?なんでだよ……」
溢れる涙が止まらず、恭夜はただ泣いていた。悔しくて堪らないのだ。パブロがしたことは確かに許されることではない。ジャックもあの男に傷つけられた。本来は憎むべき相手であったはずなのに、どうしても恭夜はそんな気持ちになれなかった。
「この交渉はすでに私の手から離れている。最後まで私のやりかたでやれたのなら、状況は変わっていたかもしれん。キョウ、私に依頼してきた奴らが自らの手で滅茶苦茶にした交渉をどうして私が元に戻せるんだ?」
ジャックの言うことも悔しいが理解ができる。だからといって死に向かおうとしている人間を目の前にして、とめることすらしない人間にはなりたくないだけだ。
「あんたは……時々、驚くほど冷たい男になる……」
震える手で何度も目元を拭いながら、恭夜はようやくそう言った。
「私はいつも冷酷だ。もちろんキョウ以外の人間に対してだがね」
意外なことにジャックは口元に微笑を浮かべて恭夜を見下ろしていた。
「ジャック……なんで笑ってるんだ?」
「キョウが元気に悪態を付いているのを見ると、腹立たしい反面、ホッとするからだろうな」
ジャックは階段を下りる脚をとめ、そこで恭夜を力強く抱きしめた。