Angel Sugar

「唯我独尊な男4」 第29章

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「な……」
「貴様は人質と交換だ。可哀想だが、君よりも価値のある人間が人質になっていてね。私としても心苦しいが、君には犠牲になってもらうしかない。どうせ、くだらない人生を送ってきた一般市民だろう。だが、人質になっている方はこのアメリカにはどうしても必要な人材なんだよ。逆に、それほどの方と交換されることを、君は光栄に思ってもらいたい」
 リーランドは酷薄な笑みを浮かべながら、更に銃を押しつけてきた。
「どうして俺なんだよ」
「知らないな。そんなことはどうでもいいと話しているだろう。さっさと歩け」
 引き金に指を添えたまま、リーランドは銃を振った。
「俺には関係ないことだろっ! あんたらの仕事を俺に押しつけてんじゃねえよ!」
 恭夜が叫んだと同時に、パン――という甲高い音が響き、一瞬、何が起こったのか自分でも把握できずに体勢を崩す。このままでは階段を後ろ向きに落ちていただろうという恭夜の身体はリーランドによって手首を掴まれ支えられた。
「……あんた、一体……くっ!」
 左上腕部に鋭い痛みを感じ、恭夜はようやく自分が撃たれたことに気がついた。兄の言っていたとおり、ひどい火傷を負ったように傷口が熱い。
「急所を外しているが、これ以上逆らうのなら死体と交換させてもらうぞ。嫌なら、逆らうな。ああ、生きてさえいたら、交換が成立した後でも、望みは消えない」
 喉を鳴らすように笑い、リーランドは恭夜の腕を引っ張り、階段を歩くよう促してくる。
「あんた……それでも警察の人間か?」
 言われるままに階段を一段、また一段と上がるものの、恭夜の不快感は最大まで跳ね上がっていた。
「私か?私は政府の人間だ。だから君のことなど、どうでもいいんだよ」
 低く笑ったリーランドの表情は、恭夜に背を向けているために見えなかった。それでも、吐き気がしそうなほどの顔をしているに違いない。
 半ば引きずられるように、階段を上りきると、バリケードのところにいる二人の狙撃者がチラリと恭夜の方をチラリと見たが、それだけだった。かなり大きな銃声が響いたのだろうが、彼らは分かっていたかのように、恭夜から視線を逸らせた。
 こいつら。ぐるか……。
 苦いものが口の中に広がりながらも、どうにもならない己の状況に、恭夜は歯を噛みしめた。話し合いではなく、人質と交換なのだ。恭夜の命など薄っぺらい紙一枚の価値ほどしかないのだろう。
「行け。一番奥の部屋だ」
 掴んでいた手を解いて、銃口で背を押された恭夜は、よろめきながらも、バリケードを越えた。ここから一番奥の部屋の扉まで六メートルほどの距離だが、妙に遠く感じられた。
 何で俺がこんな目に遭うんだよ……。
 血が流れ落ちる腕を押さえながら、恭夜は歩いた。選択権がそれしかなかったからだ。なにより、こういう状況でありながら、どうして自分が交換条件として出されているのか、知りたかった。
 恐怖心は不思議とない。
 ただ、バリケードの向こうにいる、リーランドという男と、捜査上あるまじき行為を黙認している狙撃手達に対して、絞め殺してやりたいほどの怒りを感じていた。
「パブロっ!人質を交換だっ!今そっちにお前が望む日本人が向かっている。約束は果たした。副大統領を解放しろっ!」
 恭夜が扉のところまでくると、リーランドが叫んだ。
 副大統領?
 ――ということはアメリカの副大統領?
 副大統領が人質になってるのか?
 ノブに手をかけた状態で恭夜はリーランドの方を向き、驚きに目を見張った。
「早く入れっ!」
 リーランドが禿げた頭まで真っ赤に染めて、怒鳴っている。
「てめえらっ、後で、まとめてぶっ殺してやるからなっ!」
 怒りで沸騰しながら恭夜が怒鳴ると、目の前の扉が薄く開いた。
「入ってください」
 ドスの利いたものではなく、恭夜が想像していたどんな声も当てはまらない、逆にどこか上品で落ち着いた声が響いた。
「……は、はい」
 馬鹿正直に答え、恭夜はそろりと開いた扉から中へと入った。
 部屋は赤いカーペットが敷かれていて、とても病室には見えなかった。何畳あるか恭夜には分からないほど広く、キングサイズのベッドの脇にはモーガンが付けていたであろう各種点滴や機械が並んでいて、本来の仕事を放棄させられ、微かな機械音だけが響いていた。キャビネットには花瓶が置かれ世話をされていない花は干からびたように枯れていた。大きな冷蔵庫に、液晶のテレビ、彫刻のビーナスが飾られているが、どう考えても不必要なものだろう。
「もっと奥に入ってください」
 声をかけた男は恭夜に銃を向けたまま、淡々とした声でそう告げた。
 グレーに近い、薄い瞳。刈り込んだ焦げ茶の髪は清潔感があり、。眉は細く、高い鼻梁。上唇が薄いが、皮肉を語るようには見えない唇。細身の身体ではあるが、スーツを身に纏うその身体は鍛えられたものだった。
「……あんた、誰だ?」
 恭夜のこめかみに銃を向ける男は、殺人鬼には見えない、どこか哀しげな目をしていた。
「怪我をしているようですが、私が撃った弾ではありませんね」
 左腕を押さえている恭夜の手を眺めながら冷ややかにパブロは言い、扉を閉めて鍵を落とす。
「そ……そうだけど。違う。こんなのはどうでもいいんだ。それより、俺は知りたいんだ。あんたは誰なんだよ?」
「私はパブロ・ブロック。聞いたことはありますか?」
 丁寧な口調でそう告げるパブロはどう見ても犯罪を犯す人間には見えない。だが、つい数時間前、この男は恭夜に発砲をしたのだ。撃たれたのはジャックだったが。
「聞いたことも、会ったこともない」
「でしょうね」
 銃を下ろし、パブロは恭夜に背を向けた。その方向に、人質らしい太った男性がソファーに座っていた。どこかで見た顔なのは、アメリカの副大統領だからだろう。確か、モーガンと言ったはずだった。
 丸々と太ったモーガンは、軽く手首を縛られているだけで、逃げ出そうとすれば逃げられそうなほど、簡単な拘束しかされていなかった。だが、顔色はどす黒く、額からは汗を浮き立たせている。今すぐに死ぬことはないだろうが、パブロをなぎ倒し、走り出せるような様子はない。
「あんたは俺を殺したがってる。なぜなんだ?俺はあんたを知らないんだぜ」
 恭夜に背を向けたままパブロはこちらの質問が聞こえないのか、モーガンに近寄った。
「副大統領。薬はまだ効いていますか?」
「……ああ。なんとかな。死にはしないだろう」
 モーガンはゆっくりとした口調でそう告げる。
 これが、犯人と人質の会話なのか。
 恭夜が驚いていると、パブロは肩越しに振り返った。
「君も、こちらに来て座りなさい。手当が必要なら、テーブルの上にある救急箱から適当に消毒をするといいですね。痛み止めもそろっていますから、耐えられないようなら自分で注射をうって下さい」
 右手に持った銃を振り、恭夜にパブロは言った。
 逆らう気もない恭夜は、言われるがままモーガンの前のソファーに腰を下ろした。テーブルの上には応急処置用の救急箱と、読まれたように見えない新聞が堆く積まれ、空になった注射器がいくつか転がっていた。
「何かのみますか?」
 パブロは立ったまま、問いかけてくる。
「俺……俺は……いらない」
 こんな問いかけを犯人はするのだろうか。
「私は、ミネラルウオーターをもらおう」
 これが人質なのだろうか。
「分かりました」
 パブロは慣れた手つきでグラスにミネラルウオーターを注ぐと、モーガンの前に置いた。モーガンは両手を拘束されていても、指先は使えるのか、渡されたグラスを手にとって飲み干す。
「……どういうことなんだよ、これは……」
 思わず呟いた恭夜に、パブロは笑いもせずに言った。
「副大統領を殺す気などありませんからね。恐れ多いことです。それは副大統領にもお話しして、ご理解を得ています」
「じゃあ、あんたは俺を殺すだけの目的でこんなことをしでかしたのか?」
 恭夜がそう言うと、パブロはガラスのような瞳をこちらに向けてきた。
「正確には、君ではなく、ジャック・ライアンを殺したいんですよ。あの男が何をしたのか、君はご存じでしょう?」
 見つめる瞳は何処までも澄んでいて、恭夜を動揺させる。
「……何の話をしてるんだ?」
「――だが、あの男を殺したところで、死ぬ間際の一瞬しか苦しみを味わうことがない。そんな僅かな苦しみだけで済ませるよりも、あの男が最も大切にしているという、君を殺した方があの男を長く苦しめるということを知っただけですよ。本来はどちらともこの世から消してしまいたいのですが、二人とも殺したところで私の気は収まらない。どちらか、一方には生きながらえて死ぬまで苦しんでもらいたいだけです」
 淡々としたパブロの口調は、事務的にも聞こえた。
「俺はあんたを知らないっ!どうして、見ず知らずの人間に殺されたいほど憎まれてるんだ?」
 恭夜が立ち上がると、パブロは銃を向けた。
「座りなさい。興奮したところで事態は変わらない。どうせ君はここから生きて出られないのですから……」
 パブロは冷えた口調でそう告げた。
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