Angel Sugar

「唯我独尊な男4」 第33章

前頁タイトル次頁
「間近で対面して安全な男ではありませんが……」
 チラリとパブロは恭夜の方を見て、額から銃口を逸らせた。鉄の冷えた感触が額から離れたことで恭夜はホッと胸を撫で下ろしたが、状況は変わっていない。
「それとも……」
 恭夜の方をもう一度パブロは眺め、ジャックの呼びかけに思案している。
 パブロはジャックを相当恨んでいるのだ。だからもし、ジャックがここに入ってきたなら、恭夜と共にこの場で殺そうと考えているかもしれない。それともジャックの目の前で恭夜を殺すのか。
 ジャックはパブロのように日々特殊訓練を受けている訳ではない。言葉という武器では負けないだろうが、もみ合いになったとき、素人のジャックがプロのパブロを押さえ込むことができるだろうか。
 ジャックが力で争う姿を恭夜は未だかつて見たことがなかった。もちろん、もとはFBIの行動科学科にいたのだから、そこに至るまでの間過酷な訓練を受けているはずだが、恭夜はジャックの詳しい経歴を知らないのだ。
「中に入れてくれないか?」
 ジャックの声が聞こえる。
 扉が開き、ジャックの姿を見ることができれば、恭夜はもっと安堵することができるだろう。だが、同時に状況をさらに悪化させることになる。最悪、ここにいる人間が全員死亡という事も考えられるのだ。
「ジャック!入ってきたら駄目だっ!こいつはあんたも殺す!これ以上、死体を増やしてもしかたないだ……ぐはっ!」
 背を向けたパブロに恭夜は今ある力全てを込めて掴みかかった。だが、簡単に靴底で蹴り上げられ、恭夜の身体は床に叩き付けられた。撃たれた肩から激痛が走ったかと思うと、鈍い痛みがそのまま継続され、そのまま身体が動かなくなる。すぐさま立ち上がろうとするのに、動けない。
 焦りで額に汗を浮かべつつ冷酷な眼差しで見下ろすパブロの視線を受け止めた。撃たれるっ!と思ったが、意外にもパブロは銃を向けず、ただ、口元を歪ませて笑った。
「肩が外れてますね。それではもう、動けないでしょう。ちょうどいい」
「あ……くそっ!」
 立ち上がろうとしても肩が下へ落ち込んだように斜めになっていて、動くと激痛が走った。しかも悪いことに撃たれた方の肩だ。
「彼からも話を聞いてみましょうか。面白い話を聞けるかもしれませんし……」
 パブロは恭夜の胸ぐらを掴み、唇が触れそうなほど近くに顔を寄せてそう言うと、掴んでいた手を離した。
「……俺だけが目的だろっ!ジャックまで巻き込むなっ!」
「計画は時と場合に応じて変更になるものです。戦略とはそういうものでしょう?」
 鍵を解除し、パブロはドアに手をかけて開けた。ジャックの姿はパブロによって遮られ、よく見えない。
「来るんじゃね――――っ!」
 大声を上げたことで、肩から身体を裂いてしまうような痛みに覆われ、恭夜は咳き込んだ。立ち上がって阻止することができない自分が情けない。
「武器は持っていないようですね。もっとも貴方の場合、武器など必要ないでしょうが」
 パブロはジャックのボディチェックを行い、それを終えると銃をジャックに向けたまま部屋に入るよう促した。ジャックは濃いグレーのスーツに身を包み、表情一つ変えずに足を踏み入れ、部屋の中を確認するようぐるりと周囲を見渡す。床に転がっている恭夜とも視線が合ったが、それは僅かの間で、すぐに逸らされた。
「貴方がこういう不毛な交渉のやり方をされるとは思いませんでしたね」
 ジャックの背後に回り、銃を向けたままでパブロは言う。だが、その声には緊張感が伴っていた。
「交渉はどんなやり方を取ろうと、不毛なことはありません。私は話し合いに来たのです。ところで、後ろで構えている銃を下ろしませんか?これでは話し合いにならないでしょう」
 淡々とジャックはそう言って、肩越しにパブロを振り返った。
「……貴方には銃器類を使用しても、どういう訳か無駄だと聞いているのです。何故でしょうね」
 銃を下ろし、パブロは吐息のような息を吐いた。
「単なる噂でしょう。私も人間ですから急所を撃たれたら死にますよ。ところで、副大統領と私の友人の様態を確認させてもらってもよろしいですか」
 二人の緊張感漂う様子から恭夜は目が離せない。ごく普通に会話しているのだが、周囲に満ちている張りつめた何かに絡み取られ、硬直しそうだ。
「上手い言い方ですね。先に副大統領の名前を告げることで、私の意識を貴方の大切な人から逸らせたいようですが、無駄です。副大統領に対して殺意はありませんが、彼と貴方には十分な殺意がありますから、順番など無意味です」
「そういうつもりはありませんよ」
 ジャックは普段見せないような微笑を浮かべ、ソファーに座るモーガンに近づいた。パブロは不思議とジャックの行動を止めない。
「お加減はいかがですか?」
 モーガンの半眼の瞳を覗き込むようにジャックは身体を屈め、脈を計る。
「私は大丈夫だ」
「緊急体勢は取れていますので、ご心配は無用です」
 ジャックの声を耳にしているだけで穏やかな気分になる。いつもと違ってジャックの口調が全く違うのだ。
 仕事中のジャックはこんなふうに話すのだろう。
 背中がむず痒いような、それでいて、普段もこうだったら気味が悪いと、こういう状況でありながら恭夜はぼんやりしながら考えていた。だが、突然激痛が走り声を上げたところで霧が張っていたような意識がはっきりする。
「あ……あ……いてえ……」
 気がつくと恭夜はジャックの腕で背を支えられていた。
「肩が外れていたからな。もう一度痛むぞ」
 小声で囁くようにジャックがそう告げたと同時に、また痛みが走った。
「ひっ!」
「しばらく痺れているだろうが、これで落ち着くだろう」
 ジャックが何処から取り出したのか分からない三角巾と自分のネクタイで、恭夜の撃たれた方の肩を固定する。肩から腕、指先まで痺れているものの、失われていた感覚が戻っていて、指先が動かせるようになった。
「ジャック」
「黙っていろ」
 恭夜を抱え上げたジャックはソファーに移動すると、身体を下ろし、モーガンのベッドから毛布を取り去って、恭夜の身体に掛けた。パブロが制するかとドキドキしていたが、予想に反して口を閉ざしている。だが、ジャックの動きを目で追っていた。
「眠っているあいだに終わる」
 口に無理矢理クスリをねじ込まれて、恭夜は咳き込みながらも呑み込んだ。
「ジャッ……」
 恭夜の言葉を遮るようにジャックの指先が唇を押さえる。その姿は恭夜の知るいつも通りのジャックだった。身体を包む毛布が暖かく、見つめるジャックの瞳には迷いの欠片も見られない。恭夜は自分の置かれた立場を見失いそうだ。
 会話が続かない、理解ができない、身勝手で自己中心……といったジャックではあるが、恭夜にとって一番必要な男だ。
 最初、パブロはいきなりジャックを撃ち殺すのではないかと、恭夜は心底怯えたのだ。なのに、パブロは銃を構えているが発砲する様子は見られなかった。
 大丈夫だ……ジャックが来てくれたんだから……。
 ジャックだからなんとかしてくれる……。
 温もりに身を任せつつ薄れゆく意識の中で何度もそう思いながら恭夜は眠りに落ちた。



「会話を聞かせたくない相手は眠ってもらう。そういうところですか?」
 恭夜の眠るソファーから離れ、モーガンの隣に腰を下ろしたジャックに、パブロはキャビネットに凭れながら冷えた目つきを送ってきた。
「この男はもともと記憶障害を持っていてね。こういう緊迫した状況が精神的に耐えられないんですよ。暴れられるとやっかいでしょう?ところで、交渉の余地はまだありますか?」
 ジャックはパブロの仕草を見落とさないように視線を逸らせずに言った。
「まず、一つ。私は生きてここから出るつもりは毛頭ありません。二つ、副大統領はご自身の病気で体調が悪化される以外、命の安全を保証しましょう。三つ、そこにいる日本人の男はここから生きて出すつもりはありません。貴方のことは生かしておいたほうが面白い」
 話しながら、パブロの瞳の動きは二つ目までが左上、三つ目からは右上へと移動した。右に銃を持っているということはパブロは右利きだ。右利きで、左に目が動く場合、本当のことを、右に動くと嘘をついている状態だった。もっともこれは統計で全ての人間に当てはまる事ではないが。
 パブロは恭夜の扱いについては、迷いがある状態なのかもしれない。
 交渉の余地はまだあるか……。
 だが、あまり時間がない。
 ジャックは恭夜の様子を目の端で捉えながらもパブロから視線を外さなかった。
前頁タイトル次頁

↑ PAGE TOP