Angel Sugar

「唯我独尊な男4」 第13章

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「お、隠岐。な、なんだよそれ……し、知り合いか?」
 傘を握りしめながら恭夜が言うと、利一はチラリと振り返ってにっこりと笑みを浮かべた。
「身内です。安心してください……って、どうしたんですか?座り込んで」
 驚いて振り返る利一は、恭夜に手を差し伸べてきた。そろそろと手を掴み、自分の情けない姿を笑いで誤魔化しつつ、恭夜は立ち上がる。
「身内?はは……そか。身内か……みょ、妙な連中と友達だな……」
 何事もなかったように振る舞おうとしているのだが、声が震えて上手く言葉が継げない。だいたい、恭夜にはああいった知り合いなどいないのだ。驚いて当然だろう。
「友達ではありませんよ」
 と、利一はまたもやにっこり。
「幾浦恭夜さんというのはどちらですか?」
 どやどやとやってきた特殊部隊の隊長らしき男が先頭に立っていて、利一の前まで来るとヘルメットを脱いで小脇に抱える。そこには厳つい顔をした男の顔があった。
「あ、こっちです。私は、警視庁捜査一課の隠岐利一と申します」
 利一は恭夜を指さして、言う。すると厳つい顔の男は、利一に隠れるようにして後ろに立っている恭夜の方を覗き込んで来た。危険な状況をくぐり抜けなければ持ち得ない鋭い瞳と視線が合い、恭夜は思わず利一の腕を掴む。
「お、おおお、隠岐~」
「だから、怖がらなくても大丈夫ですって。警視庁管轄の部隊です。ほら、特殊急襲部隊ですよ」
 一人納得している利一だが、恭夜にはまだよく分からない。
「……SAT?」
「それは、ドラマで有名になりましたが、実はもう一つこういう部隊があるんです。まあ、詳しくは話せませんが、凶暴な兎……とでも言うんでしょうか……」
 どこか言いにくそうに利一は誤魔化す。
「なにそれ……」
「まあ、いいじゃないですか。ところで、どういったご用件で来られたのでしょう?」
 利一は恭夜の言葉を無視して、やってきた厳つい男たちに訊ねた。
「そちらにいらっしゃる、幾浦恭夜さんを無傷でお連れするようにと命令を下されています。どういった事情なのかまで、私どもは聞かされていないのです」
「俺は嫌だぞっ!」
 思わず叫んだ恭夜に、利一は窘めるように「恭夜さん」と言う。だが、こういう奴らにつきまとわれるのも、身体を拘束されるのも恭夜にとって嫌な記憶を呼び覚ますものでしかないのだ。もっとも、利一は恭夜の事情など知らないのだろうが。
「拒否は認められません。申し訳ないのですが、抵抗されるのであれば、拘束して連れ出す許可も出ています」
 厳つい男は淡々と、物騒なことを口にする。
「誰が許可するっていうんだよっ!ここは法治国家だろっ!こんな、理不尽な言い分が通ると思ってんのかっ!俺は絶対ついていかないからな。やるっていうなら、やってやるっ!」
 心底、腹が立ってきた恭夜は、無駄だと分かっているのに、威嚇するように傘を振り回した。すると、呆れたような顔で利一がその傘の先端を掴んだ。
「傘で対抗することなんてできるわけ無いでしょう……」
 利一の言葉に周囲にいる男たちのうち、誰だか分からないが、抑えているような小さな笑いが聞こえた。
 むかつく……。
 ちょっと、重装備だからって、偉そうにしやがって!
「……それより、恭夜さん。電話が鳴ってますよ」
「は?」
「電話です。とったほうがいいと思いますけど……」
 ため息をついている利一だが、どことなく意味ありげに言った。この状況に、電話の音など耳に入っていなかった恭夜だったが、言われて初めて電話のベルに気がついた。この場から逃げ出したい気分に陥っていた恭夜には渡りに船だ。
「あ……俺、取ってくる」
 特殊急襲部隊を押しのけて、恭夜はリビングに戻り、五月蠅く鳴り響く受話器を手にとって耳に当てた。
『ハニー~私の迎えが到着しているだろう』
 ジャックだった。
「は?」
 迎え?
 なんだそりゃ?
『こちらからもよく見えているが、日本政府のやることには呆れているぞ。私の大切なハニーを迎えにやらせるのだから、もう少しスマートな人選ができるだろう』
ジャックは一人で怒っているのだが、その言葉で恭夜はあの重装備の男たちがやってきた理由を理解することができた。
「あ、あんた、あんたなーーー!いい加減にしろよっ!迎えってなんだよっ!」
『何を言ってるんだ。キョウを放っておけないからだろう。当然の処置だ』
 当然のごとく、言い放つジャックに恭夜は切れていた。
 迎えというからには、ジャックの仕事場に恭夜を強制連行するつもりなのだ。しかも海外。以前から予定していた海外旅行に行くのとはわけが違う。
「公私混同すんじゃねえよっ!てめえはてめえの仕事をやってろっ!俺は俺の仕事があるんだっ!」
『ハニー……ハニーはいつからそういう口の利き方をするようになった。全く、暫く留守にするともうそんなふうに反抗することを覚えたのか。徹底的に躾をしなおさなければならないな』
 冷えた声で淡々とジャックは言った。その声にぞ~っとしたものを感じたが、ここで恭夜が退くわけにはいかないだろう。ジャックは自分が退屈だからと言って、何をどう動かしたのかまでは恭夜には分からないが、自分の持っている権限を『キョウを放っておけない』という理由だけのために行使し、己の側に置こうとしているのだ。
 馬鹿も休み休みにして欲しい。
 ようやく得た身体の休暇をこんなもので奪われるなどもってのほかだった。
「あのな。普通は、こういうことはしねえんだよ。分かる?常識の問題だぜ。あんたに常識とか理性とか要求しても無駄なのは俺もよ~く、理解しているし、話しても無駄なのは骨身にしみてるけど、そういう問題じゃねえだろっ!」
 噛みつくように怒鳴っているのに、ジャックは堪えていない様子だ。
『ハニーがサイモンを簡単に追い出せることができたのなら、私もこんなことはしなかっただろうな。キョウがあまりにも馬鹿面をしているから、私が苛々するんだろう。これではこちらの仕事にも差し支えがある。だから私の目の届く範囲にいろと話しているんだ。私の仕事は放棄できるものではないからな。キョウが拒否しようと暴れようと、連れてくるように手配している。その程度のことで科警研を辞めさせられるというのなら、キョウはもともと必要とされない人間だったと諦めろ。その代わり私の助手にしてやるから、永久就職でもするんだな』
 と言って、ジャックは恭夜の反論しようとする隙など与えずに電話を切った。
「……て、てめえっ!先に言いたいことだけ言って切ってんじゃねえぞーーーー!なにが助手だ~!永久就職だっ!身勝手も程々にしやがれーーー!」
 既に切れた受話器に向かって叫ぶくらいしかできないものの、腹の虫が治まらないのだから仕方ない。
「恭夜さん……」
 背後から利一が声を掛けてきた。
「なんだよっ!」
 振り返ると、利一は後ろに例の男たちを従えていた。
「おとなしくこの方たちについて行ってください。ジャック先生のご命令なら私も安心です」
 利一の口調から、恭夜の会話を聞いていたのだろう。
「どうして、あいつの命令なら安心なんだよっ!こんなの理不尽だろっ!」
「……私にも仕事がありますから」
 利一の声はどこか腹立たしいのを押さえている様子だった。
「だから?なんだって?」
「今の状況を分かっていらっしゃいますか?下はあのおじいさんが恭夜さんの出てくるのを今か今かと待ち伏せているんですよ。あの人たちは絶対に諦めませんよ。しかも妙なアラブ人は外に張り付いています。こんな中どうやって無事に恭夜さんが出勤できるんですか。それとも私は恭夜さんの行き帰りまで面倒を見なくちゃならないんでしょうか?」
 チクチクと痛いところを利一は突いてくる。
「そ……そりゃ……。でも、明日になったらあいつらも諦めるだろ」
「諦めるわけなど無いでしょう。そんなの、見ただけで分かります。恭夜さん。誰に拘束されたいんですか?私だったら、ジャック先生の手配した方々と行く方を選びますけどね」
 はあ~と、利一はため息をついて髪をかき上げていた。
「じゃあ、隠岐が行けよ」
「殴りますよ」
 静かに利一は言ったが、可愛い顔をしてジャック級の怒りを身に纏っているのだけは感じ取れた。
「……くそ」
 確かに一理ある。
 ここから出ることが躊躇われるような状況が下で展開されているのだ。今は下でおとなしくしているが、今後、何をしでかすか分からない連中だった。そんな奴らに無理矢理拘束されて、それこそ、訳の分からないところに連れて行かれるくらいなら、ジャックの手配した男たちと一緒に行く方がいいのかもしれない。
 だが、科警研に連絡も入れず、仕事を放棄してしまうことに、恭夜は納得できないものを感じていたのだ。このままジャックの元に行って、戻ってくる頃には恭夜の席が無くなっているかもしれない。
 何となく誘いを受けて入った科警研だったが、今は居心地のいい職場なのだ。それを失うのはとても辛い。
「恭夜さんが納得してくださったようですので、どうぞ連れて行ってください」
 恭夜がまだ納得していないにもかかわらず、利一はにっこりとした天使の微笑みを浮かべて、特殊急襲部隊の隊長らしき男を促していた。
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