Angel Sugar

「唯我独尊な男4」 第43章

前頁タイトル次頁
 ジャックは部屋から外へと出ると、ドアの鍵を閉め、上の階へ移動するために階段へと向かった。階段の手前にはデビットが不機嫌な様子で立っていたが、ジャックの姿を認めると、微笑した。
「デビット、悪いがキョウのいる部屋のドアのところで、しばらく立っていてくれないか?お前が立っていたら、誰も近寄らないだろう」
「……私は彼の護衛ではありませんよ。もっとも、らしい人間は蜘蛛の子を散らしたようにいなくなりましたが……」
「だろうな。だが、まだ楽観はできない。お前のお気に入りの骨を守るためだと思え」
 ジャックが冷えた目つきを送ると、デビットは肩を竦めた。たとえ、リーランドの部下が逃げ出したとしても、まだサラームの動きが気になる今、恭夜を一人にさせるわけにはいかないのだ。
「仕方ありませんね……」
 渋々という様子で、デビットは階段から移動し、ジャックは脇をすり抜けて上へ移動した。階段のあちこちに点々と血の痕がついているのは、恭夜とテイラーの血だ。あのリーランドさえ余計なことをしなければ、パブロは自殺することなく確保されたはずだろう。
 ジャックはもと作戦室に使っていた部屋に足を踏み入れた。窓際にはテイラーが車椅子に座っていて、冴えない表情を浮かべていた。
「ジャック、すまなかった……」
 いつもは血色のいい顔が、今は蒼白に近い。けれどジャックには同情心は露ほども起こらなかった。任務を遂行することがテイラーの仕事であり、撃たれたからといって放棄できるという問題ではないのだ。
「謝ってもらっても、どうにもならん」
 ジャックが淡々と告げると、テイラーは項垂れた。
「聞いたよ。キョウくんも撃たれたのだとな。彼を守らせていた部下も、リーランドが権力を傘に追い払った。いや、私の信頼する部下、全てをここから追い出したんだ」
「お前の部下は自分で考えて行動するという能力に欠けているようだな。このまま解雇したほうが今後のFBIのためになる」
「そう、言わないでやってくれ。……そうだ、しばらくしたら、私の部下が戻ってくる」
「後始末をするために……だろう?」
「ああ、そうだ。……私は自分が情けないよ……ジャック」
 顔を上げたテイラーの表情は、今にも泣き出すのではないかというように、歪んでいた。
「天下のFBIが床掃除とは、確かに情けない」
「……長官も激怒しているよ。いま、大統領命令でリーランドを探しているそうだ」
「そうするように私がホワイトハウスに連絡をして、手配をした」
 リーランドをこっそり始末してやろうと、本気でジャックは考えていたのだが、予想していたとおり、すでにネズミは逃げ出した後だったのだ。しかも消息が不明だった。
「迷惑をかけたな……」
「キョウを守れなかったことを謝罪する気が少しでもあるのなら、お前がリーランドを捕まえて、私の前に連れてくるんだな」
「善処しよう。私にもプライドがある」
 テイラーには珍しく、腹立たしい声でそう言った。
「あの男はただの姑息なネズミだと考えていたが、誰かの手によって動いている。だからこそ、副大統領を殺そうとしていたのだろう。それも、誰も文句が言えない手でな。もっっともキョウもまとめて殺したかったんだろうな」
「……それは……本当か?」
 テイラーは目を見開いて、驚愕の面もちでジャックを見据えた。
「キョウをパブロに引き渡し、特殊部隊がすぐに突入しようとした状況は、それを目的としていたとしか考えられないだろうが。しかも、ガラスを割って強行突破しようとした。あの中にいた全員を殺そうと企んでいたとしか考えられん」
 功を焦った捜査員でも、あんなことはしない。けれどリーランドはそれをやった。ただの馬鹿ではなくて、分かっていてキョウをパブロに引き渡したのだ。もっとも、リーランドが計画したことだとはジャックには思えない。
「誰がリーランドを使っているんだ?」
「さあな」
 思い当たる男はいた。けれどジャックにも確信が持てなかった。
 ――父か、サラームか。それとも、また別な人間がいるのか。
「ジャック……教えてくれ」
「何を?」
「一体、私は何に巻き込まれているんだ?私は何を知らされていない?」
 テイラーは哀願するような声でジャックに言う。
「それを一番知りたいのは私だ」
 恭夜の知る過去が全ての引き金になっていることだけはジャックにも分かっている。けれど、誰が何を恐れているのかまでは、知りようがないし、記憶が全て戻っていない恭夜にも分からないだろう。いや、たとえ全てを思い出したとしても、恭夜自身、どれが重要なものなのか、気付かないはずだ。
 今回の事件で分かったことがある。リーランドの背後にいる男は、あの事件に係わった人間全てが目障りで、不安材料となっているのだ。何かを知っている……それだけで不安に陥り、どうにかして排除しようとしている人間がいる。
 いつまでも巻き込まれるわけにはいかない。こちらから打って出ることも考えなければならないのだろう。でなければ、いつまでたっても、恭夜は危険にさらされた日を送ることになる。ただ、今まで何度もそう考えつつも、ジャックが動かなかったのは、余計なものまで起こしてしまう可能性があったからだ。ジャックは動かない。そう見せることで、相手を安心させて、ジャックは恭夜を守ろうとしていたのだ。けれど、ここまでくると我慢の限界だ。
「……みな、キョウくんを狙っているように思えるんだが、どうなんだ?ジャックが神経質になるのは、そういう事情なんだな?」
「狙われているのはキョウだけではないだろう。ただ、最後に残ったのが、キョウだけだということも考えられる。私が側にいるからなかなか手を出せないだけだ」
「そんなに殺したいのなら、どうしてリーランドが撃ち殺さなかったんだ?……あ、いや、それも困るんだが……不思議に思えたんだ」
 テイラーはもごもごと言葉を濁して、最初に口にした言葉のまずさを誤魔化そうとしていた。
「……それでは合法的に殺したことにならないだろうが」
「だが、私も撃たれたぞ。両脚だ。たとえリーランドの命令に従わなかったとはいえ、許されることじゃない」
「適当に誤魔化すネタを持っていたのだろう。お前のことならリーランドの力でどうとでもなる」
 ジャックの言葉にテイラーは不満げな顔をして、しばらく口を閉ざしていたが、ジャックが部屋を後にしようとしたところ、問いかけてきた。
「なあ、ジャック、キョウくんは何を知ってるんだ?」
「キョウ自身が覚えていないことを、私が知るわけがないだろう」
 呆れたようにジャックが言うと、テイラーは肩を竦めた。
「私はキョウとともに帰国する。いつまでもこんな物騒なところにキョウをおいておけないからな」
 他にも何か問いかけていたテイラーの言葉を遮るように、ジャックはドアを閉めた。



 俺は大事なことを忘れていた……。
 恭夜はジャックが出ていった後、ぼんやりと天井を眺めていたが、ふと大事なことを思い出したのだ。
 サラームのこと、衣服を買いに出たときにアラブ人につけられていたことを恭夜はジャックに話していなかった。この二つが繋がっているのか、それとも全く違う事情でアラブ人が絡んでいるのか。聞こう、聞こうと思いつつ、すっかり忘れていたのだ。
 俺って……本当にいつもなんだか間が抜けてるよな……。
 いや、考えるまもなくいろいろなことに巻き込まれていて、余裕がなかったのだから、仕方ない。けれど、話をするよりも先に、恭夜は風呂に入りたかった。口では言えない部分がヌルヌルしていて、気持ちが悪い。しかも、肩の痺れが今になって酷くなっている。
 ジャックって……なんていうか……。
 ジャックは自分の欲望に素直すぎて、恭夜にはついていけないところがある。恭夜自身も、理性で抑えきれない自分の欲望に呆れていた。どちらがより問題があるのかを考えると、やはり煽ったジャックが悪いのだと結論が出る。
 そう、ジャックが悪いのだ……と、恭夜がブツブツと悪態をついていると、当人が帰ってきた。
前頁タイトル次頁

↑ PAGE TOP