Angel Sugar

「唯我独尊な男4」 第10章

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『責任者を出してもらいましょう』
 パブロは名乗ることなく開口一番そう言った。
 既に誰が副大統領を拘束しているのかを、知られていることを理解しているからだろう。もっとも、身元を確認できないSPなどもともといるわけもなく、選りすぐられた人選の中でも特に側近で、追い出された人間の頭数を調べさえすればすぐに分かることだった。
「私は責任者ではありませんが、要求でしたら、私がうかがいますよ」
『やはり……ネゴシェイターですか』
 パブロは、どこかあきらめの口調だ。
 写真で見せられたパブロは、よく訓練されたSP独特の表情のない顔で映っていたので、どういった男か判断するには、あまりにも演技されたものだったのだ。
 どんなときでも冷静沈着に行動するよう、訓練された人間にありがちな顔といっていいのだろう。あのような写真では、全くと言って相手の性格が見えてこない。普段、気を許しているときに写されたものならよかったのだろうが、今のところ手元にある資料は全て仕事をしているときのパブロで、プライベートのものはなかった。
 隙のない研ぎすまされた精神力だけが窺えるパブロの写真からは、何も語られない。ソルトレイク出身。両親は周囲から猛反対の末での駆け落ち結婚であったためか、両方の親戚との付き合いは断絶している。しかも、二年前両親は航空事故でなくなり、兄弟のいないパブロは現在天涯孤独と言ってもいい。
 年齢は三十になったところ。透明に近い瞳に、短く刈り込まれた焦げ茶の髪。眉は細く鷲鼻で、上唇が薄い。筋肉質ではない細身の身体ではあったが、銃の扱いはトップだと聞いていた。
 見た目は若干神経質そうに見えるが、同僚の話では大らかだったそうだ。ベラベラと話すタイプではなかったが、かといって付き合いが悪いというわけではなかったらしい。
 声の質は重厚ではなく、若干高いが耳障りではない。落ち着いて話しているところを見ると計画的だったのだろう。だが、もともと訓練されている男であるから、内心は今のところ不明だった。
「ええ。私が貴方の希望を全てうかがいます」
『君達のやり方は知っています。まず、こう言うのでしょう。喉が渇いていないか?なんでも差し入れしてやるよ……とね。飲物も食べ物もここには豊富にありますし、寝ようと思えば広々としたベッドもあります。今のところ欲しいものはありません』
 からかうわけではなく、淡々とした口調でパブロは言った。
 こういった相手は、こちらのやり方を多少心得ている場合が多いため、若干やりにくい相手だといえる。
「困りましたね。こちらをよくしっていらっしゃるようで」
 困ってなどいないのだが、自分が優位に立っているのだと、パブロに思わせるためにジャックはそう言った。過信した相手ほど、心に余裕ができ、いつの間にかこちらを認める心の隙ができるものなのだ。
『知っているというほどではないですが、現役のネゴシェイターとは初めて話をするものだから、私も気を引き締めているところなんですよ。貴方たちは誤魔化すのが上手い人種ですからね。せいぜい誤魔化されないように気をつけることにしましょう』
 笑いもせずにパブロはそう言った。
「誤魔化す気など毛頭ありませんよ。お互いに一番いい方法を模索するだけです。パブロさんは状況をよく把握されているようですので、私も腹を割って話をさせていただきますが、事情がなければこういった騒ぎを自ら起こされる方とは思えません。私の方でどうにかできる原因があるのなら、どういったことでもおっしゃってください。できるだけ力になるつもりです」
 自分だけは味方だと相手に思わせようとの言葉だが、パブロの警戒は今のところ解ける気配はない。
『私は貴方を知りません。政府側の人間は信用しないことにしています』
「つい、数時間前まではパブロさんも同じ側の人間でしたよ。違いますか?」
 できるだけ身内であることを強調するよう、ジャックは言った。
『気持ちの問題ですね』
 どこか爽やかな口調だった。
「かもしれません」
『また、連絡をします』
 パブロはそう言って電話を切った。
「なんだ、今の会話は?」
 テイラーは呆気にとられたように、口を半開きにしていた。
「なんだ、お前のその間抜けな面は……」
 ジャックは椅子に深く凭れて、やや顔だけをテイラーに向ける。
「私の言葉をオウム返しするな」
 ムッとした顔でテイラーは腕を組む。
「見たままを話しただけだ」
 テーブルに置かれた水差しから、グラスにミネラルウオーターを注いで一口飲んだ。冷えた液体はジャックの喉を潤してくれる。
「そうじゃなくて、パブロは一体何を考えてる?いや、まず、人質になっている副大統領の生死をどうして確認しない?」
 組んでいた腕をテーブルに掛けて、慌てたようにテイラーは腹立たしげに言った。
「殺すわけなどないだろう。あんなに、冷静な男が。何か目的があるから生かしているんだろう。いや、目的がなければ人質を取って立てこもりなどせん。もっとも、死んでいるのにあれほど冷静に話ができるのなら大したものだと褒めてやりたいがね」
「褒めている場合か?」
「褒めてやりたいと言っただけで、褒めてるわけじゃない。テイラーは言葉がよく理解できないようだな」
 肩にかかっている金髪を後ろに流してジャックは息を吐いた。
「……ジャック。パブロは会話をしている、お前の名前を聞かなかったぞ」
「仲間意識を持ちたくないんだろう。多少はネゴシェイターのやり方を把握しているようだから、手こずるぞ。もっとも、副大統領を拉致している相手だ。一筋縄ではいかんだろう」
 ニヤリと笑ってジャックが言うと、テイラーはやれやれというふうに手を振った。
「笑ってる場合か……」
「怒ればいいのか?」
 チラリとジャックがテイラーの方を睨むと、今度は肩を竦めて視線を逸らせた。
「そいつは勘弁してくれ」
「なら、人を小馬鹿にしたようなもののいい方はよしてくれ」
「お前を小馬鹿にできるような相手がいるなら、命知らずに敬意を表して表彰してやるよ」
 深いため息をついてテイラーは頭を掻いていた。
「ところで、私のハニーの件はどうなった?」
「ああ。どうにかしてくれるようだ。やり方は聞かなかったがね。長官もお前の機嫌を取っておきたいんだろう。なにせ、お前はただのネゴシェイターじゃないからな」
 意味ありげな言葉にジャックは片眉を上げた。
「ヴィンセントが身内にいるからか?なんだ、長官は相変わらずごますり癖が抜けていないようだな」
「いや、父親が誰かと言うより、お前自身にごまをすっておきたいんだろう。お前がへそを曲げると怖いからな」
 嫌そうな表情でテイラーはぼってりした腹を撫でた。
「私のへそは曲がったりしないぞ。へそが曲がるような気持ちの悪い人間がこの世にいるなら私も見てみたいが……」
 ジャックが真面目に言った言葉に、テイラーはようやく視線をこちらに向けてきた。
「……お前がどこまで真面目なのか時々私は分からなくなるよ……」
「私はいつだって、真面目なんだがね。……さて、暫くは連絡もないだろう。少し仮眠させてもらうぞ。用があったら呼んでくれたらいい」
 ジャックが腰を上げるのを誰も止めるものはいなかった。
 

 
 恭夜が玄関を開けると、ジャックと同じくらいの背丈のサラームが立っていた。利一に至っては顔を大きく上に振りかぶるようにして眺めている。
「あの……こんにちは」
 威圧されているようなサラームに、とりあえず恭夜が言うと、いきなり両手で手を握られた。
「先ほども申し上げましたが、私はサラーム・アル・アブドル・アル・ジーズ。そちらさまは?」
 にこやかな人好きのする笑顔でサラームは日に焼けた顔を恭夜に向ける。
「え、あ、幾浦恭夜と言います。それで……あの、ジャックは留守なんですが……」
「そう、おっしゃっていましたね。いえ、別にライアンさんがいなくてもいいんですよ」
 なんとなく意味ありげに聞こえたが、チラリと横目で見た利一は、笑顔のまま立っていて、いつも通りに立っていた。ということは、安心していいのだろう。
「はあ……そうなんですか」
 まだ握りしめられている手をチラリと見たが、しっかりと掴まれていて離せそうにない。かといって、無理矢理振り払うのも申し訳ないような気がしてできなかった。
「ところで、こちらは別荘ですか?」
 キョロキョロと玄関を見渡してサラームは不思議そうに言う。この口調からサラームはかなりの金持ちなのだろう。とはいえ、ジャックが仕事として引き受けたほどの相手なのだからかなりの金持ちに違いない。
「……自宅です。あ、でも、ジャックの実家はここではないので……どういっていいのか……」
「どうしましょうか。横浜港にタンカー一隻分のお礼をお持ちしているんですが……これではここに入りきらない」
 困惑しているサラームだったが、驚愕したのは恭夜の方だった。
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