Angel Sugar

「唯我独尊な男4」 第22章

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「ジャックーーーーっ!」
 ジャックの側に駆け寄ろうとした恭夜をテイラーが覆い被さるようにして身体を拘束し、非常階段の方へ押した。見えなくなったジャックに、恭夜はテイラーから逃れようと暴れたが、無駄だった。
「ジャックなら大丈夫だ」
 恭夜の動揺など全く意に介さないのか、テイラーは平然とした顔でそう言う。
「畜生っ!離してくれよっ!」
 噛みつくように怒鳴るのだが、テイラーは恭夜を拘束している腕の力を緩めようとしない。
「落ち着きなさい。うちのスタッフが周りを固めているから大丈夫」 
 大丈夫だと言われても恭夜にはジャックの姿が見えず、安心できなかった。心臓だけが鼓動を早めて自分の耳にまで伝わってきそうだ。
「だけど、ジャックがっ!」
「いま、交渉中だよ。だから、静かにして欲しいんだ。分かるかい?できないのなら、下の部屋へ案内させてもらうことになる」
 いつもにこやかにしているテイラーが、冷静に告げた。それは有無を言わせないもので、恭夜もテイラーの気迫に押され、振り上げていた手を下ろした。 
「ここにいてくれてもいいが、絶対に廊下の方には顔をださないように、階段のある側で待っていること。いいね?どういった事情でジャックがああいうことを口にしたのか分からないが、一般人の君に怪我をさせるわけにはいかない」
 ようやく拘束した手を解いて、テイラーは恭夜の肩に手を置いた。
「……俺……」
「約束してくれるね?」
 静かな口調であるのに、恭夜は逆らうことができずに、ただ、頷いた。すると、テイラーは恭夜の肩に乗せていた手を離すと、背を向けて先程いた廊下へ姿を消す。階段側にいる恭夜からは通路しか見えないが、ジャックの声が僅かに聞こえた。
 だ……
 大丈夫なのか?
 階段の壁に背を押しつけて恭夜は聞こえてくる声に耳を澄ませた。だが、声が遠くて何を話しているのかまで恭夜に聞こえない。思わず通路の角から顔をだしたい気持ちに駆られたが、テイラーとの約束を破るわけにもいかなかった。
 見えない空間であるのに、空気が緊張しているのだけは恭夜にも分かる。早くジャックの姿を目にしたいと思うのに、できない自分が歯がゆかった。未だに犯人と話していることから、命に別状はないのだろう。分かっているが、自分の目で確かめないと恭夜も安心ができない。
 ジャック……。
 会話してるってことは、大丈夫だよな?
 顎のところで両手を組み合わせて恭夜は祈るように目を閉じた。こういう場合、己の無力さがヒシヒシと感じられ、何もできない不甲斐なさに落ち込んでしまう。いつだってジャックは恭夜を助けてくれるが、恭夜は何もできない。そんな自分が嫌で仕方ない。
 くそ……。
 どうすりゃいいんだよ。
 時間が経つのを苛々としつつ待ちながら、恭夜は立ってみたり、座ってみたりを繰り返していた。  
「ジャックっ!おい、待てっ!」
 いきなり響いたテイラーの声に恭夜が立ち上がると、既にジャックが目の前に立っていた。右肩を血に染め、珍しく焦りの滲む表情のジャックに、恭夜は喉元まで出た声が思わず止まった。
「大丈夫か?」
 呆然としている恭夜の額を撫で上げて、ジャックは何かを確認するようにあちこち視線を向けていた。
「ジャック……あ、あんた……怪我……」
 恭夜は、どうがんばっても上擦った声しか出なかった。だが、ジャックは恭夜と同じ段に立ち、己の肩と恭夜の顔を交互に眺めて安堵のため息をつく。
「私の怪我など、どうでもいい。それより、無事でよかった」
 ギュウッと抱きしめられて、恭夜は鼻につく血の香りで貧血を起こしそうになる。普通、撃たれたら激痛が走るはずだ。にもかかわらず、ジャックは何事もなかったように、恭夜を抱きしめている。
「ジャックっ!感動の抱擁はあとだ。すぐに弾の摘出手術をしてくれるそうだから、下の階に行ってくれ」
 テイラーが上の段で叫んでいるのが恭夜には聞こえるが、胸に押しつけられている恭夜には表情が見えなかった。だが、見なくても呆れているに違いない。
「テイラー……私の身長が高くてよかったよ」
 恭夜を離し、ジャックは理解できないことを言う。
「ジャック。そんなことを言っている場合か?」
 テイラーは階段の上で驚いた声を上げたが、それはジャックのことを心配して集まっている特殊部隊の服装をした男たちも同じだった。
「……テイラーさんの言うとおりだよ。早く弾を取り出してもらわないと……」
 恭夜はジャックの血にまみれた肩を見て、膝がガクガクとしている。もちろん、科警研で血の分析なども手がけているが、それとこれとは違う。撃たれた本人が平然としているためか余計に恭夜の方がオロオロしてしまうのだ。
「見ろ。私が弾を受け止めなければ、キョウの額に穴が空いていた」
 その言葉に、恭夜は思わず隣に立つジャックと自分の身長を比べて顔を青くした。確かに、ジャックの撃たれた場所は恭夜の額の高さと同じだ。
「どうしてパブロがその子を狙ってるんだ?」
 テイラーはジャックではなく、恭夜の方を見つめていた。
「俺……俺は……」
「さあな。それより、キョウ。暫く、私の目の届く範囲にいるんだ。いいな?本来は仕事をしている部屋に拘束しておきたいが、パブロが籠もっている部屋と同じ階にキョウを置くわけにはいかない。私が仕事をしているときは、信頼の置ける人間を部屋の前に配置するから、絶対に動くんじゃないぞ。ただし、例えここの職員であっても、簡単に信用してフラフラと着いていくな。あと、そうだな。一人ではこの病院からは一歩も外へはださない」
 恭夜のセリフを途中で遮るように言うと、テイラーの方へ視線を向けていた顔を無理矢理ジャックの方へ引き戻された。
「ジャック……それは……」
「ここで逆らうことは許さないぞ。分かったな」
 凄味を帯びたジャックの瞳が恭夜の目を射抜くように見つめていた。逆らう気など毛頭無いが、この男は自分の身体の状態を分かっているのだろうか。
「……ジャック、それより、怪我をなんとかしてくれよ。弾、まだ入ってるんだろう?だったら……取り出してもらわないと……」
 ジャックの真っ赤に染まったスーツを見ているだけで恭夜は堪らない気持ちになる。しかも、事情は飲み込めないが、本来は恭夜に向けられた銃弾だったのだ。それを思うと、上の階に行こうとした自分の軽率さが悔やまれてならない。
「そ、そうだ、ジャック。早く手術をしてもらうんだ」
 ハッと気がついたようにテイラーがまた言葉を発した。
「また、部屋に籠もってしまったパブロから直ぐに連絡が入るだろう。だから、いまは手術室に向かうことはできないな。私は作戦室に戻るから、テイラー、キョウを部屋に連れて行ってやってくれ。あと、この間の事件で使ったお前のチームから、二人、人員を手配してくれ。ただ、テイラーがその相手を長年良く知っているというのが条件だ。その二人にキョウがいる部屋の扉の前に立たせて警護するよう手配しろ。私の目の届かないところで問題が起こった場合、お前が信頼して仕事を任せた男を、この病院の屋上から突き落としてやる。もっともそれだけで済むとは約束できんがな」
 ジャックは言い終えると、恭夜に背を向けて階段を上がっていく。思わず追いかけそうになった恭夜に、ジャックは足を止めた。
「絶対にこの階へ足を踏み入れるな」
 肩越しにジャックが言うのを恭夜は呆然とした顔で見つめるしかない。
「……ジャック……でも、あんた、怪我……っ!」
 恭夜の言葉にジャックは振り返って、満面の笑みを浮かべた。
「ハニー……私のことをそんなに心配してくれるとは……私も嬉しいよ」
 再度、抱きしめられた恭夜だったが、思いきりジャックの身体を押し返した。
「喜んでいる場合かっ!あんた、自分が酷い怪我をしてることを分かってるのか?血まみれだぞっ!そんな身体で仕事を優先している場合かっ!」
 恭夜が怒鳴れば怒鳴るほど、ジャックの笑みはとろけそうなほど甘くなる。
「急所は外れている。派手に血が出ているが、大したことはない。さあ、いい子だから部屋に戻るんだ。テイラー、頼んだぞ」
 恭夜の背に回していた手を解いて、ジャックは今度こそ振り返らずに行ってしまった。代わりにテイラーが額を拭いつつ、階段を下りてくる。
「さあ、行こうか……」
「だけどテイラーさんっ」
 背を押されるままに階段を下りるのだが、それでも恭夜は納得ができない。
「ジャックがああいっているんだから、仕方ないさ。あの男に口出しできる人間はこの世にはいないよ……。それは君が一番良く知っていると思うんだが……」
「分かってます……だけど……あいつ、ただの怪我じゃなくて撃たれてる……」
 ギュッと手を握りしめて恭夜が言うと、テイラーが宥めるように肩を軽く叩いた。
「本当に危険な状態になったら、縛り付けてでも病室にぶち込むよ。それくらい私だってやるさ。安心してくれていい」
 力無く笑うテイラーに、恭夜は諦めに似たため息をつく。もし、テイラーの言う状況になったとしても、病室にぶち込まれているのはテイラーの方だろうと恭夜は思ったのだ。とはいえ、恭夜も口に出すことはなかった。常識ではとても計ることのできない相手がジャックなのだから仕方ないのだろう。
 それよりも、問題は何故か自分が狙われているという事実だ。
「テイラーさん。俺、お願いがあるんですけど……」
 下の階に降り、部屋の扉を開けたテイラーに恭夜は言った。
「なんだね?」
「俺にも銃を用意してください」
 恭夜の言葉にテイラーはノブに手をかけたまま驚いた顔で振り返った。
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