「唯我独尊な男4」 第35章
――記憶が混沌としている中、恭夜は夢を見ていた。
あの写真が引き金になったのだろう。
恭夜はパブロから見せられた男を確かにどこかで見たのだ。
どこだったか。
記憶は少しずつ恭夜の意識に浮かび上がってくる。
銃弾の撥ねる音が遠くから聞こえてきた。
誰が誰を撃っているのか分からない。だが、覚えていた。
黒いベレッタの感触。
ヒヤリとした銃口。
額に――感じた、あの冷たさと、普通では考えられない安堵。
男は悲しげな顔をしていた。
彼が悪いわけでもないのに、何故か恭夜に謝っていた。
何度も、何度も。
そして――。
額に銃口が当てられている感触が何となく伝わってきた。なのに、怖いという気持ちより安堵の方が大きかった。これで楽になると思うと、僅かにあった力が全て身体から抜け落ち、恭夜は泣きはらして赤く腫れた目を閉じた。
「これで君は楽になれるね?」
哀しみを伴った優しい声が頭上から落とされた。恭夜はよく見ていなければ分からないほど、小さく頷く。言葉の重大さに気付いているのに、これから起こりうる事態に身構えることもなかった。
恭夜は死にたかったのだ。
やり残したことが沢山あったような気がする。逆に何もなかったような気もした。
ジャックは今どこにいるのだろうか。恭夜の死を知らされたら、何を呟いてくれるのだろう。結局伝えられなかった想いの言葉は不必要だったのだ。こんな結果が待っていたのだから、言わずにいてよかった。
ジャックが悲しむ姿を恭夜は想像できないでいる。少しは悲しんでくれるのだろうか。それとも、ランチタイムの人混みの中でなくしたライターくらいの、ほんの少しばかり感じる惜しいという気持ちしか持ってくれないかもしれない。それほどジャックという男が何かを亡くしたときの姿を想像できないのだ。
ライターは買えばいい。
恋人も簡単に交換できる男かもしれない。
身体に受けた痛みよりも、何故か恭夜は今考えたことに一番痛みを覚えた。ここで恭夜の人生が終わるのだから、鳩尾に感じる痛みの理由を明らかにしたところでどうにもならないのに。
恭夜がジャックのその後を知る手だてはもう永遠に失われるのだ。
まだ銃弾は恭夜の命を止めてくれない。
何をしているのだ。
さっさと撃てばいいのに、楽にしてやると言った男は、未だ行動を起こさない。
恭夜は目を開けた。
男は顔を青ざめさせていた。人を殺すことに躊躇しているのだろうと恭夜は最初考えたが、男の背後にいる人物に気付いた。
「まだ死なせるつもりはないんだよね」
ニールは可愛らしい顔に笑みを浮かべて、どう考えてもその手には不似合いなベレッタを持って、恭夜を楽にしてくれると言った男の後頭部に突きつけていた。
「……彼はこの計画に不必要な人間だった。なのに君が、君の恨みを晴らすためだけに、勝手に引き入れたんだ」
男は淡々とそう言い、未だ恭夜の額から銃口を逸らさない。何を話しているのかよく分からない恭夜は、なんでもいいからさっさと引き金を引いて欲しいと口から出そうと必死に呻くが、言葉にはならなかった。
「裏切る気?」
「ここまできて裏切る気なんてないさ。ただ、彼はもう殺してやるべきだと思わないか?」
「まだ利用価値はあるよ」
ニールは恭夜が見たこともない酷薄な笑みを浮かべた。可愛い子猫がいつの間にか凶暴な山猫に豹変していた。
「それは君だけの事情だろう?」
「これだけのことを起こしたんだよ。しかもずっとこんなところで籠もっていたらストレスも溜まるじゃない。僕はみんなのストレス解消のためにキョウを連れてきたんだ。褒めてもらいたいくらいだよ」
当然のように吐き捨てたニールはチラリとも恭夜の方を見ようとしない。
「私を殺すのか?」
「仲間を殺す気なんて僕にはないよ。その銃口を下ろしてくれたら、僕も下ろす」
「仲間……か」
銃口が額から逸らされ、恭夜は男に対して訴えるような目を向けた。ようやく心の平安が訪れる機会が巡ってきたのに、死すら恭夜から奪おうというのだ。
「……ごめんな」
男は呟くように言い、銃を床に置く。恭夜は目の前に見える鈍く光るベレッタに手を伸ばした。誰もこの状況から救い出してくれるつもりがないのなら、自分で終わらせたいと恭夜は心底考えた。
自殺など今まで考えたことなど無い。
死を選ぶくらいなら、生きることができるはず。
ずっとそう考えていた。
だが、人間は確かに自らの命を絶つことを選ぶ瞬間があることを知った。死よりも苦しいことがこの世にはあった。ただ、その立場に立たされたことがないから、今まで無責任な考えを持てたのだ。
恭夜は死ぬことに安らぎを求めた。目の前にある銃を手に取れば、楽になれる。後ほんの少しだけ手を伸ばせば掴めるはずだった。
「……っ!」
指の先がグリップに当たったところで、恭夜の手はニールに踏みつけられた。
「キョウ、言ったよね。僕、まだキョウには生きていてもらわないと困るんだ……」
ニールは恭夜の希望をうち砕くように言った。
「……あ……ああ……」
もう、死んだも同然になっている恭夜を生かしたところで何の利用価値があるのだと、問いかけたいのだが声が言葉にならない。
「仲間……って、言ったよね。証明してよ」
ニールは男に未だ銃を突きつけたまま言った。男は膝をついたまま無言で目を伏せている。
「まだキョウに一度も触れてなかったはずだよ。僕の前で犯して見せて」
「そういう悪趣味は持ってない」
男は顔を上げ、ニールを睨み付けた。
「悪趣味じゃないよ。可愛がってやってるんじゃない。あ、もしかしてキョウが男だから気に入らないの?突っ込んじゃえば一緒だよ」
男は顔を左右に振った。
「やれよ」
ニールは低い声で言った。だが、男は恭夜の方を見ることなく、ため息をついた。
「君のコンプレックスに付き合う気は毛頭ない。私たちの活動を地に貶め、泥を塗ったのは君だ。君をここに引き入れたリーダーが問題だったのだろう。ずっと気になっていた。こんなに不適切な人格を備えた君が仲間になるなんて、最初は耳を疑った。一体、どういう手を使ってたらしこんだんだ?」
濃い藍色の瞳に怒りを灯して男は淡々と告げる。ニールは不敵な笑みを浮かべるだけで答えようとはしなかった。
「……答える気はないってことか。まあいい。ただ、私のように考える人間は他にもいると言うことを覚えておくといい。こんな馬鹿げたことはさっさと終わらせた方がいいだろうからな」
「あんたの、意見なんて誰ももう聞かないよ」
ニールが顎を少しだけしゃくると、恭夜を助けてくれようとしていた男は、見知らぬ男二人に羽交い締めにされた。
「なっ」
驚いたように男は左右を確認して「ここまで腐っていたか……」と肩を落とした。
「キョウを犯して見せてよ。そうしたら僕があんたの裏切りを取りなしてあげる」
ニールの言葉に男は恭夜の方を見つめた。
恭夜は頷いた。
この男を殺させるわけにはいかないと本気で思ったのだ。だが、男は恭夜の仕草に顔を横に振った。
「できないっていうの?」
「私は獣じゃないっ!貴様らのやっていることは恥ずべき行為だっ!こんなことに荷担できるわけなどないだろうっ!」
ニールは笑った。
そして――引き金を引いた。